エディダル
一周年御礼企画による外伝です。今回は、ダダ様ご指名のエディダルが主人公です。ご要望は、〈幸せの虹石〉の持ち主であった「父ちゃん」エディダルとは、ということでした。
1
「それは何の冗談だ」
「じょ、冗談なんかじゃねえ。これは正式の受け取り証じゃねえと言っとるんじゃ」
「あんたが一度しか名前を書かなかったからか」
「そ、そうじゃ。正式の書類ちゅうもんは、記名と署名いうて、二度名前を書くものなんじゃ。これには一度しか名前が書いてねえ。じゃから、記名はあっても署名はねえ。こんな書類は書類として通用せんのじゃ」
「なぜそれを知っていながら、なぜ一度しか名前を書かなかったんだ。こんなふうに俺をだまして、俺がおとなしく言うことを聞くとでも思っているのか?」
村長はその質問には答えず、口を引き結んで、エディダルの顔をみつめている。
「俺は確かに昨日、あんたに金を返した。それは覚えてるだろうな」
この質問にも村長は答えなかった。
「とにかく、借金は返した。俺はもうこの村に何の借りもない」
「借金の返済は終わっとらん。勝手にこの村を出ることはできんからな」
エディダルはきびすを返して歩き去った。
2
「そうですか。村長がそんなことを」
「ああ。それにしても不思議だ。村長は、そんなに非道な人間ではないんだがな。どうしてこんな無理なことを言うんだろう」
「それをいうなら、薬代のこと自体が、理不尽といえば理不尽ですね」
「ああ。だが、こんな貧しい村では薬は貴重品だからな。俺のような労働員数外の稼ぎ手がいるうちに、高価な物を補充しておきたいという気持ちは、わからなくもない」
エディダルが大怪我をしたのは、この村を魔獣から守ったからだ。その怪我を治すために、村長は高価な薬を使った。それがエディダルの借金となったのだ。
とはいえ、エディダルの住まいとして与えられた家には、生きるのに不自由しないだけの食べ物と、わずかではあるが服や日用品が届けられた。こんな貧しい村では、それは精いっぱいの贈り物だったにちがいない。
傷の癒えたエディダルは、時折襲ってくる魔獣を倒したり、村の力仕事を手伝ったりした。妻のダーナは、あまり体が強くなかったが、村人の繕い仕事などを引き受けた。そして、身重だったダーナがエダを生んだ。
のんびりした村での暮らしは悪いものではなかった。
ダーナとエダを置いたまま遠出もできなかったので、近場で、冒険者協会を通さない依頼を受けて金をためた。実のところ、とうの昔に借金を返せるだけの金はできていたのだが、エダがある程度成長するまで出発を延ばしていたのだ。
「まあいずれにしても、この村を離れてどこかに行ってしまえば、受け取り証が正式のものだとかどうとかいうようなことは、問題にならんがな」
「では、この村を出ますか?」
「そうだな」
「いい村でしたけどね」
「ああ。こんなにのどかな気持ちで暮らせたのは、この国に来てはじめてだ」
「こんなに長く一か所にいたのも久しぶりですね」
「少し長くとどまりすぎた。そろそろ潮時だろう」
「わかりました」
二人は村をあとにすることにした。ダーナは繕い物の仕事をいくつか受けていたのでそれをこなし、エディダルは旅に必要なものをそろえた。
そんなとき、幼いエダが熱を出し、少し出発を延ばすことになった。
3
エディダルとダーナは、いろんな場所に移り住みながら生きてきた。
そんな暮らしをするようになったのは、シャントラー神殿から目をつけられたのがそもそもの原因だ。追っ手がかかりそうな気配だったので、名を変えながらあちこちに移り住むようになったのだ。
行く先々でエディダルは、名を変えて冒険者登録をした。あまり目立つ依頼は受けなかった。だから稼ぎは多くなかったが、二人が生きていくのに困らない程度の金を得るのに不自由はなかった。
だが、ポルヴィッツの町の冒険者協会で受けた依頼がいけなかった。商人が貴族をだます片棒をかつがされたあげく、捨て駒にされそうになった。何とか切り抜けることはできたものの、商人がだまそうとした貴族と、商人の背後にいた貴族の両方から追っ手が出た。
両方から二度ずつ、合計四度の襲撃を受け、撃退すると、ばったり追っ手が途絶えた。諦めたかなと思ったころ、討伐依頼の帰りに二人の刺客に襲われた。
この二人は手ごわかった。
二人の死体を改めたところ、シャントラー神殿の聖印を持っていた。たぶん噂に聞く暗殺神官だ。
他国に逃れることも考えたが、これまで旅してきたなかで、この国が一番平和で豊かだ。そこで、同じザカ王国のなかで、東北の辺鄙な地域に移動した。ここのショアーの町の冒険者協会で、数年前、エディダルという名で冒険者登録をしたことがある。この名は、本来の名によく似ているので、気に入っているのだ。
ショアーの町で過ごすうちに、ダーナが妊娠した。その喜びはたとえようもないほど大きなものだった。
もともとダーナは貴族家の娘で、エディダルは雇われた護衛だった。ダーナの両親が対立貴族に殺され、ダーナも慰み者にされそうになり、エディダルはダーナを連れて逃げ出したのだ。まさかこんな遠い場所にまで逃げてくることになるとは思いもしなかったが。
ショアーの冒険者協会で受けた依頼を果たした、その帰り道、牙猿鬼が村を襲っているのに出会った。知らない振りをして通り過ぎようと思ったところに赤ん坊の泣き声が聞こえ、気が変わって、牙猿鬼と戦った。非常に強い個体だった。何とか倒すことはできたものの、しばらくは動けないほどの重傷を負った。
村人はエディダルを看病してくれた。ショアーの町にいたダーナにも連絡してくれた。ダーナはすぐに駆けつけた。かくしてこの村での生活が始まったというわけだ。
4
ショアーの町に出たエディダルは、塩と薬と布とボタンを買い、食堂で昼食を取った。
(久しぶりに冒険者協会で依頼を受けてみるかな)
(旅をするにはもう少したくわえが欲しい)
そんなことを考えていると、目の前に一人の男が立った。
「ジョストさんですね」
顔を上げた。
知らない男だ。
ジョストというのは、ポルヴィッツの町にいたときに使っていた名前だ。
「ちょっとお話がしたいのですが」
「出ようか」
店を出ると男がついてきた。
少し早足で歩く。
そのまま町を出て森に入る。
文句も言わずについてくる。たぶんこの状況は相手にとっても望ましいものなのだろう。
しばらく森の奥に進んで、大木の横で立ち止まって振り返った。
「さて、ここらでいいかな。何の用だ」
男は人のよさそうな表情を顔に貼り付けたまま、感情を感じさせない声でいった。
「悪魔よ。死になさい」
男が突き出してきたナイフをかわして大木の後ろに隠れ、手を胸に入れて剣を取り出した。
回り込んできた男は、エディダルの手にある剣をみて一瞬立ち止まった。
エディダルは、男の右手首に切り付けた。男はナイフを落とした。
くるりと振り返ると、後ろから襲いかかろうとした第二の敵に剣を突き込んだ。
気配を殺していたのに接近に気づかれた敵は、わずかに反応が遅れ、突きは下腹に刺さった。ただしその服はみかけ以上の防御力を持っていたようで、剣の威力はほぼ服に吸収され、わずかに敵を傷つけるにとどまった。
だが、それで充分だった。
敵は崩れ落ちた。
一番目の男も大木の根元に倒れている。
この剣には、強力な〈麻痺〉の効果が付与された宝玉が埋め込まれている。少々の異常抵抗では防げない。
エディダルは、素早く二人の刺客の喉をかききった。
それから第三の敵の隠れる木に向かって疾走した。
この第三の敵は、きわめて優れた密偵で、エディダルが特殊なスキルを持っているのでなければ、そこにそんな敵がいるとは気づきもしなかったろう。
前方の木の高い枝の上に敵はいる。エディダルがまっすぐ自分に向かって接近しているのに驚いてはいるはずだが、動こうとしない。
「〈風よ〉!」
突如巻き起こったすさまじい風に押し出され、第三の敵は乗っていた木の枝から落下する。それでも空中で体をひねって着地しようとしたのは見事だ。
だがそこにはエディダルが待ち構えていた。
三人目の敵は、武器を抜くこともできずに死んだ。この男の顔にはみおぼえがある。この男がエディダルの顔を覚えていたのだろう。
5
たぶん三人目の敵は、見張りと報告が役目だった。近くにほかの敵の気配はない。少なくとも〈生命感知〉の届く範囲に人間はいない。だからこの三人がエディダルに殺されたことは神殿には伝わらない。
三人ともシャントラー神殿の聖印を持っていた。
この世界の神殿が〈落ち人〉を天使か悪魔のように扱うとは聞いていたが、エディダルがシャントラー神殿から悪魔扱いされていたとは知らなかった。いったいエディダルの何がシャントラー神殿の禁忌にふれたのだろう。それはわからない。
問題は、この三人が、エディダルを発見したことを神殿に伝えたかどうかだ。もし伝えたのなら、すぐに逃げなければならない。
逆に、伝えていないのなら、動かないほうがいい。動けば目立つ。逃げるとしても、充分に時間を置いてからのほうがいい。
今回、彼らはいきなりエディダルを殺そうとした。つまりあとをつけてダーナの居所を調べようとはしなかったし、エディダルを捕らえて聞き出そうともしなかった。ということは、彼らはエディダルの妻も〈落ち人〉だとは考えていない可能性が高い。
即刻発つべきか。
今はとどまるべきか。
ここから逃げるとしたら、北のザイドモール領に行くか東のシャイト連合国に行くかだ。南のヴォーカに下るのは危険だ。
ここより居心地のいい場所は、そうそうないだろう。幼いエダには、旅から旅への暮らしは厳しい。
考えながら歩いていると、石を蹴飛ばした。
「うん?」
蹴り飛ばした石を拾い上げる。
奇麗な石だ。面白い色合いをしている。
「これは……虹石か?」
ふと思った。
村長は、エディダルたちが誰かに追われていることを察したのかもしれない。
察したうえで、この村にとどまってはどうかと言いたかったのかもしれない。
ただし、村にかくまってやるとは言わず、借金を払うまでは村を出てゆけないと言ったのではないか。
そういえば村長は、エディダルが村にいくらの借金があるとは言ったが、借金を取り立てようとしたことはない。
そして、エディダルが村を去る気になれば、村長には引き留める方法などないし、立ち去ってしまえば罰する方法もない。
つまり、村に引き留めようとしたというより、村に残る理由をくれたのではないか。
(よし)
(村に残って様子をみよう)
(冒険者協会の仕事は当分なしだ)
村にとどまれば、エディダルがいつか追っ手にみつかる可能性は残る。だがたぶん、ダーナとエダは生き延びられる。そしてこののんびりした村で成長するのは、エダにとってよいことだ。
エディダルは、手のひらの虹石を〈収納〉にしまった。ダーナとエダの幸運のお守りになればよいがと念じながら。
(了)