ヤックルベンド
一周年御礼企画による外伝です。今回は、葛城遊歩様ご指名のヤックルベンドの外伝です。ご要望は、レカンを実験材料として引き寄せるために暗躍する姿などということでしたが、それを書くとどうしても本編のネタバレになってしまうので、少し別のことを書きました。また、ヤックルベンド本人の登場しない外伝となっております。ご容赦くださいませ。
1
「確認いたしました。宰相府内務書記次官イェテリア・ワーズボーン様。お入りください」
どこからともなく声がして、金属製の巨大な門が開いた。
そこには一人の少女が立っている。年の頃は十歳前後だろう。
黒い服に白いフリルのついた、独特のメイド服を身に着けている。
ぺこりとお辞儀をした。
そしてくるりと振り返り、とことこと歩いてゆく。
イェテリアは黙ってそのあとについていった。
他の屋敷であれば、このような出迎え方はあり得ない。
まず、門の前で主客に馬車から降りるよう要求するのが異常だ。
そして門から馬車を入らせないのも異常だ。
そしてイェテリアほどの身分の役人を、護衛も助手も同伴させず、一人きりで迎え入れるなどあり得ない。
王国宰相府の内務書記次官といえば、爵位を持つ領主でも丁重に遇する存在だ。その権限の大きさはよく知られている。ましてやこの王都では、どんな貴族も大商人も、イェテリアににらまれることはさける。
ところがその常識は、このトマト屋敷では通用しない。
それはしかたのないことだ。
馬車は門の近くで待つことになる。
そう時間はかからないはずだ。
それにしても広大だ。王都の中心部にある貴族街のなかでも、このトマト屋敷の広さは異常だ。そして外からみると高い塀の上には木々しかみえない。その森のなかにトマト商会で販売される品々が作られる工場があり、ヤックルベンドしか作れない種々の物品を生み出す工房がある。それは王都に住む貴族や商人にとっては常識だ。だがその規模や実態を知る者はいない。
2
「だめであったか」
「はい。お預かりした魔石二つは、いずれも〈ナータの鏡〉を作るには不適当でございました」
トマト家の執事モトゥーの、感情のこもらない平坦な声は、こういう落胆させるしらせを告げるのには向いている。
それにしても、今回の魔石はいずれも百階層を超える階層から採れたものだ。条件は満たしているはずなのだが。
「何がいけなかったのであろうか」
「それは私にはわかりかねます。ただ、百階層を超えた階層の魔獣から採れる程度の魔石というのは、目安にすぎません。鏡を作るには、密度が高く質が良く量が多く、一つにまとまった均質な魔力を持つ魔石が必要なのです」
「ふむう」
「ご参考まで申し上げますと、ある迷宮の第四十五階層で採れた魔石が、〈ナータの鏡〉を作る条件を満たしておりました。そういう場合もあるとお心得くださいませ」
「なに? 第四十五階層の魔石がだと? それはどこにある。誰が持っているのだ」
「お教えできません」
低い階層でも質の良い魔石が採れたとすると、その魔石は迷宮の主から採れたものである可能性が高い。四十五階層の迷宮といえば、思い当たるのはニーナエだ。
「その魔石を買い取ることはできるだろうか」
「できません。その魔石はすでに他の用途に使われました」
「そうであるか」
イェテリアは、ニーナエの最近の踏破者を調べてみることにした。たしかニーナエ迷宮の主は素材型だ。ということは倒せば確実に魔石が採れる。うまくすれば今後安定的に〈ナータの鏡〉を注文できる可能性がある。
そんなイェテリアの期待は、モトゥーの次の言葉でかき消された。
「なお、その魔石は特殊な条件のもとで採取されたもので、通常の条件で同じ魔獣から魔石を採っても、これほどの質にはならないそうでございます」
その特殊な条件とは何か、と尋ねようとして思いとどまった。ここまででもモトゥーは秘密を明かしすぎているかもしれない。これ以上のことを聞くのは危険だ。モトゥーにとっても、イェテリアにとっても。
正直にいえば、今回渡した魔石二つが〈ナータの鏡〉を作るには不適当だと知って、ほっとした面もある。今回の依頼は、ギド侯爵インドール家、スマーク侯爵フォートス家からの強い要望によって仲介したものだからだ。
3
〈ナータの鏡〉は国家の安全保障上きわめて重要な魔道具であり、王家以外作らせることは許されない。イェテリアも、はじめてその機能を知ったときには信じられない思いがしたものだ。
鏡は常に一対で作製され、片方の鏡に書いた文字はもう片方にも表示される。どれほど距離が離れても、瞬時に反映されるのだ。しかも、書いたほうではない鏡でも、書かれた文字を消すことができる。
この魔道具が軍事上どれほどの価値があるか、軍事の専門家でないイェテリアにも明白だ。事実、建国まもない時期にドレスタ王国の侵攻を受けた際、鏡の存在が早期の対応を可能にしてくれ、国土を削られずにすんだのである。
最初鏡は軍事機密とされたが、王直轄の騎士だけでは戦争などできはしないのだから、当然すぐに諸侯にもその存在は知られた。しかしその時点では鏡の絶対数がひどく少なかったから、それを理由に諸侯には鏡を与えずにすんだ。
やがて戦争の時代が終わり、国の開発が進んでくると、鏡の数も少しずつ増え、王家から諸侯に鏡の片割れが下賜されるようになった。遠距離即時通信手段の存在は、王命の伝達にも各地の情報収集にもあまりにも便利だったからだ。ただし諸侯に下賜されるのは、あくまで鏡の片割れであり、対になる片割れは王家が保持することとされた。現在では宰相府に鏡を管理する専門機関が置かれ、毎日忙しく各部署からの通信を発信し、また受信している。真夜中にも誰かが緊急の通信に備えているのだ。
諸侯の側から、公的通信の合間に王都にいる自家の家臣への連絡に使わせてほしいという要望が上がるのは避けられないことだった。宰相府ではこれを許さざるを得なかったが、通信の内容を宰相府が監視するという条件をつけ、一定の使用料を設定した。今ではその使用料収入は、宰相府の貴重な財源の一つとなっている。
こうした経緯をへて、諸侯が一対の鏡そのものの下賜を希望するのは必然だった。しかし宰相府としては、諸侯に鏡を持たせるのは危険なことだと考えていて、頑強にこれに抵抗した。
ちょうどうまい言い訳があった。鏡の耐用年数はおよそ百年なのだ。これはヤックルベンド・トマト卿が最初の鏡を王国に献上したとき明言したことであり、その後も折にふれて宰相府が確認してきていることである。
まだ機能を停止した鏡はない。だが、タリスギアに置かれた最初の鏡は薄暗く濁ってきている。これは機能を停止する予兆なのだという。
つまり王国としては、国家の安全保障上必要な数の鏡がまだそろっているといえない状態で、今後は古い鏡が失われていくのであり、諸侯の要望には応えられないという論法が成り立つ。
ところが、今回、インドール、フォートス両家は、鏡を作るのに必要な巨大魔石を自前で用意し、作製費も自弁し、かつ王家に仲介料を払うので鏡を作らせてほしいと上申してきた。
驚いたことに、宰相はこの申し出を受け入れた。たぶんイェテリアの知らない何かがある。宰相が両侯爵家に遠慮しなくてはならないような何かが。
トマト卿への仲介をイェテリアに命じるとき、内務事務長官は言外に、〈できれば先方が断るようにもっていけ〉という態度を示した。はからずもその期待に応えることができたわけだ。
一度この依頼が成立してしまえば、今後インドール、フォートス両家は財力に物を言わせて多数の鏡を手に入れるだろう。それは王都が情報戦で圧倒的に不利な立場に立たされることを意味する。そんな事態は許してはならない。
実は諸侯のなかで、鏡を一対所持している家がある。
ワズロフ家だ。
王家と宰相府は、建国以来ワズロフ家に数々の借りがある。金と物と事柄と。そして当主が代替わりしたとき、たまりにたまった借金の一部を返すよう申し入れてきた。これに対して宰相は、内々に〈ナータの鏡〉一対を下賜するという方法で応えた。
ワズロフ家は、当然王都の屋敷とマシャジャインの連絡に鏡を使うものと、宰相は考えていた。この国には王都以上の商売相手は存在しないのだから、それが当然だと思ったのだ。
だがワズロフ家の新当主は、鏡の片割れを、まったく予想もできないところに運んだ。
ラインザッツ家である。
これを知ったとき、宰相は真っ青になった。おそらく王もそうだったはずだ。
ワズロフ家は、王都の東に勢力を持っている。ラインザッツ家は王都の西側に勢力をもっている。この二つの家が王に忠誠を誓うかぎり、インドール、フォートス両侯爵家をはじめとする南方諸侯が王都に攻め入ってきても、防衛に不安はない。
だが逆に、この二つの家が王都と対立するようなことがあれば、南方の物資は遮断されてしまう。
これまでラインザッツ家とワズロフ家は、関係は良好とはいえ、それぞれ別々の経済圏を持っており、物資のやり取りはあまりなかったので、すっかり宰相府でも油断していた。だが軍事的にみれば、この両家が結びつくことほど恐ろしいことはない。
今やラインザッツ家当主とワズロフ家当主は、ただちにお互いの情報と意思をやり取りできる環境を得た。宰相府が二つの家のどちらかに何らかの連絡をすれば、その内容はただちにもう一つの家に知られている可能性があるのだ。
この経験が、インドール、フォートス両家に鏡を持たせる危険を再認識させた。しかし相手はすでに鏡を作るには一定程度以上の規模の魔石があればいいという秘密を知っている。そしてうなるほどの金を持っている。
近い将来、両家が鏡を持つことはさけられないだろう。
4
物思いに沈んでいたので、メイドが入室してきたのに気づかなかった。
それはイェテリアを迎えてくれたメイドだった。
よい香りのする茶をイェテリアの前に置いて、おじぎをしてすっと部屋を出た。
ドアの開け閉めをするのは従者なのだが、この家のドアはまったく無音で開閉できるのが不思議でしかたない。
「モトゥー殿。今のメイドは」
「新しいメイドでございます。ラナと申します」
「もしや、今のメイドが」
「はい。さようです」
ヤックルベンドというのは、ひどく人嫌いな人物である。
人とまったく顔を合わせない。
今日もイェテリアほどの身分の役人が直接訪れているのに、あいさつしようともしない。
それどころか、自家の執事であるモトゥーにも会おうとはしないのだ。
この屋敷のなかのあらゆる部屋には、ヤックルベンドの声が届く仕掛けが施してあり、ヤックルベンドは姿をみせずに命令をくだす。
そんなヤックルベンドだが、たった一人の使用人だけを自室に入れる。
それはそうだろう。食事や飲み物や、ペンやインクは、どうしても運び入れてもらわなければならないし、食べ物のかすやごみは運び出してもらわねばならない。掃除も自分ではしないだろう。なにしろすさまじい高齢者だ。
ヤックルベンドは長命種であり、建国王その人との約束によって王国に協力してくれている。これは王都のある程度以上の身分のものなら誰でも知っている秘密だ。ただし、あまりに有用な人物であること、王都の屋敷を動かないこと、そして家族や同族を持たない孤独な存在であることから、長命種であることは、誰もしらないふうを装っている。
今、いったいいくつなのだろう。
あと何年生きるのだろう。
そもそも、男なのか、女なのか。
ヤックルベンドが死んでしまったときのことを思うと、恐ろしい気持ちがする。
王宮と王都を守る数々の魔道具は、ヤックルベンドを失ってしまえば、二度と補充も修理もできないのだ。
だからヤックルベンドが人嫌いであるというのは、宰相府にとってはありがたい。たった一人だけ近くに寄ることを許すのは、年端もいかない無力なメイドだけだ。つまり暴力によってヤックルベンドが死ぬ可能性は、かぎりなく小さい。
しかも、そのメイドは頻繁に入れ替わる。そして新しいメイドが来たとき、それまでのメイドがどこに行くのか、執事のモトゥーでさえ知らない。
この屋敷にはそもそもメイドの数が少ないし、ほかのメイドは十代後半から三十代中盤までなのだから、十歳前後のメイドといえば、その特別なメイドだと思ってまちがいない。
「イェテリア様。お預かりした魔石二つは、こちらでございます」
「うむ。確かに受け取った」
「ところで、イェテリア様」
「うん? 何であろうか」
「そろそろ次の執事をご手配願えませんでしょうか」
「なに? いや。ふむ。そうか」
この家で働く執事は、ずっと宰相府が世話してきている。執事だけではない。奉公人のすべてを、宰相府が斡旋してきている。ほかの使用人には〈信用できる者〉という条件しかないが、執事については、〈事務能力にたけ、秘密を守ることができ、妻子のない者〉という条件がついている。
「引き継ぎ期間は三か月であったか」
「はい。さようでございます」
モトゥーは、まだ仕事ができなくなるほどの年齢ではない。だが、この屋敷を辞めるときには、ヤックルベンドから多額の慰労金が出る。それは一生遊んで暮らせるほどの金額だ。ただし、事業や商売にたずさわることは許されない。
(もう充分仕事はしたから)
(あとは遊んで暮らしたいということか)
そういえば、今日のモトゥーは、普段なら漏らさないような情報をもらしてくれた。この頼み事をするためだったのだろう。
「わかった。探しておこう」
「ありがとうございます」
モトゥーは玄関まで送ってくれた。
門までは一人で歩いた。
門の外に出ると、少し離れた場所に馬車が止まっていて、御者がイェテリアに気づいた。
馬車を待つあいだ、イェテリアは振り返って巨大な壁に囲まれた不気味な屋敷をみた。
この屋敷に忍び込む者は多い。
だが生きて出た者はいない。
使用人たちのほとんどは通いか、交代で泊まるのだが、執事と少女のメイドだけは、外出はできるものの、外泊は許されない。
そしてここを勤め上げた執事は確かに多額の慰労金を得て贅沢な余生を送るが、不思議と長生きした者は少なく、なかには奇怪な死に方をした者も少なくない。
(もしやヤックルベンド殿の秘密を漏らそうとした者は)
(息の根を止められるのやもしれぬな)
ヤックルベンド・トマトは自分の屋敷を一歩も出ない。
だがヤックルベンドの目は王都の隅々をもじっとみつめているのではないか。
宰相府内務書記次官イェテリア・ワーズボーンは、おぞましい想像に、下腹がうねるような気分の悪さを覚えた。