テルミン
「狼2周年御礼と外伝キャラ指名」での、丘一様のご指名による外伝です。以下、丘一様のメッセージを引用いたします。
拝復
外伝キャラクター指名権、有難うございました。
その道で一流となった、権力者も一目置く様な御老人が、面白そうです。
ファンタジーもので多く脚光を浴びている、戦う人(冒険者や傭兵や軍人や騎士や拉致被害者や魔王の類)や、世襲貴族などの生まれついての特権階級、そうした立場ではない人が、良いです。
尚且つ、レカン並びに主要な登場人物の冒険や過去に、本編では直接関わってきそうにない人が、穴場と思いました。
よって、惜しいですが、暫定的な候補に挙げていた、魔法使いジザおばばやエラ・モルフェス、冒険者ゾルタン、騎士ジンガ―、薬師スカラベル、神官アーマミール、建国王、魔法使いマザーラ・ウェデパシャは除外となりました。
剣匠ラスクにも興味が有りましたが、こちらは書かれておいでです。
鑑定士テルミンと筆写師ラクルスが脳内で決戦となりましたが、ラクルスは惨敗しました。
引き出しは、圧倒的にテルミンが多そうじゃないですか。
〈魔法〉が存在する(その才能が遺伝する)世界での、〈魔法〉を相対化する〈恩寵品〉。
貴族が権力を握る社会での、〈恩寵品〉を取得する〈冒険者〉達の存在。
それらに深く関わる、権力や武力でなく技芸と学識をもって、中世的ファンタジー世界に立つ〈鑑定士〉の存在の意義。
そして、魔法研究の大家マザーラの学統を継ぐもの(推定)。
各々の要素を背負う〈鑑定士〉テルミン。
読んでみたいと思います。
テルミン老師の外伝を希望させて頂きます。
よろしくお願い致します。
支援BIS 様
丘 一 拝
2020年 10月23日
1
鑑定士テルミンの朝は早い。
目を覚ますと顔を洗い、歯の掃除をし、いつもの薬を水で飲む。
飲んだ水が腹の奥深くに収まり、体の隅々が目覚めていく感覚をじっくり味わってから、ヨグ神の祭壇のほこりを払い、しばし祭壇の前で瞑想する。
それから桶に水を汲んで庭に出る。
この一角は店の奥にあるテルミンの自宅で、許された少数の弟子しか出入りできない。
その自宅のなかにある箱庭は、ごく狭いが、いろいろな木や草が生えている。
「お」
ショウジンノボリの赤い花がぽつんと咲いている。つつましやかなのにあでやかだ。
テルミンは木草の根元に柄杓で水をそっと流し込んでやる。
この庭の木草はすべて地植えなので、格別水やりは必要ないのだが、テルミンは毎日水やりをかかさない。だからこの箱庭の草や花は、日差しの強い時期に長く雨が降らなくてもみずみずしい。
水やりを終えてから、テルミンは時間をかけて木草を眺める。
スラバスの若芽が、朝日に映えて、ほこらしげに身を反らしている。
クヤンジェのしなやかな葉が、風にそよそよ揺れていて、まるで朝の挨拶を送ってくれているようだ。
バイザカの木をウルメムシが這っている。
この箱庭で生まれた虫なのだろう。
この箱庭で一生を終えるのかもしれない。
この箱庭には、天地のすべてが詰まっているのだ。
テルミンは一日のはじめに、その天地の命を目に収める。
剣もまた限りある命を持って天地のなかにある。
正しく剣を鑑定するため、今日もテルミンは木草を眺め、命の律動に我が身をひたす。
2
テルミンが剣の鑑定士としての修業を始めたころのことである。
隣の貸し部屋に一人の少年が住んでいた。
スザートという名だった。
少年は金を貯めて剣を買った。冒険者になるのだという。
「なあ、スザート。その剣、毎日ぼくに鑑定させてもらえないかな。無料でいいから」
「え? すごく安い剣だぜ? わざわざ鑑定してもらうようなものじゃないよ」
「君はこれから毎日のように剣を使うだろう?」
「そりゃ、そうさ。弱い魔物でいいから、とにかく戦って力をつける。そうしなくちゃ食っていけない。練習もするしな」
「その毎日様子の変わる剣をずっと鑑定したいんだ」
「ふうん? よくわかんないけど、鑑定してもらえれば、折れそうになったらわかるだろうし、俺にとっちゃありがたい話だけどさ」
スザートはそれから毎日のようにテルミンに剣をみせてくれた。
疲れ切って帰ってきた夜には、テルミンに剣を渡して、あとで返してくれといって部屋に帰って寝ることもあった。
安い剣だとスザートは言ったが、テルミンのみたところ、悪い剣ではなかった。職人が丁寧に仕上げた、ちゃんとした剣だと思った。
事実その剣は、長くスザートの冒険を助けた。テルミンの助言で手入れをしたり、研ぎに出したりしたのもよかったのだろう。
スザートにも仲間ができ、パーティーを組んで、依頼を受けるようになった。何日も帰らないこともあったが、帰ってきたときにはテルミンに剣をみせた。そして、どんな敵とどんなふうに戦ったかを、酒を飲みながら話してくれた。テルミンは酒を飲まなかったが、スザートのために部屋に酒を切らさなかった。
やがてその剣が折れる時が来た。少し前からその危険をテルミンが指摘していたので、スザートは予備の剣を持っていた。
テルミンのもとに、スザートはわざわざ折れた剣を持ち帰ってみせてくれた。
その次にスザートが買ったのは、新品の剣だった。買ってすぐ、まだ使ってもいないうちに、スザートはその剣をテルミンに鑑定させた。
スザートと仲間たちは、実力をつけ、実績を上げ、王都中央冒険者ギルドでも名の知られた存在になっていった。
二本目の剣が折れたときも、スザートはそれを持ってきてテルミンに鑑定させた。
スザートのおかげでテルミンは、一つの剣が生まれてから死ぬまでの一生を、つぶさに観察することができたわけである。
三本目の剣を買うとき、スザートはテルミンを引っ張り出して武器屋に連れていった。
「この二本のどっちかにしようと思ってるんだけどよう。決心がつかなくてな。お前の意見を聞きたいんだ。許しはもらってるから、二本とも鑑定してみてくれ」
武器屋で売っている剣を客が鑑定するというのは、非常に失礼な振る舞いだ。貴族ならお抱え鑑定士に鑑定させることもあるだろうが、その場合は店に頼んで剣を持ってきてもらい、ひそかに自宅で鑑定させる。それが礼儀というものだ。
だがスザートは、持ち前の人懐こさで、店主の許しを取り付けたようだ。となれば、テルミンも、ここは引き下がるわけにいかない。
まず、二本の剣を抜いて、じっくりと検めた。
心を落ち着け、自分で工夫した準備詠唱をして、〈鑑定〉の魔法を使った。
「鑑定結果は教えてくれなくていいぜ。もう聞いてるからな。それをお前がどう思うかを聞かせてくれ。お前は、どっちの剣が俺に向いてると思う?」
「こちらの剣が君に向いていると、私は思う」
「へええ。どうしてそう思うのか教えてもらってもいいか?」
「もう一方の剣は〈威力剣〉という銘がある恩寵品だ。攻撃力の付加はすばらしい。さすがはツボルト迷宮七十五階層の品だけのことはある。これを持てば、君は一段も二段も強い敵を倒すことができる。君が決闘か戦争に行くのなら、私はこの剣を勧めた。ただ、この剣の基礎値は凡庸だ。威力が高いということは、消耗も早い。加えて、強い恩寵のついた品は、手入れをしてもあまり消耗を抑えられない。それに対してこちらの剣は、攻撃力、硬度、ねばり、切れ味のそれぞれが高く、バランスが素晴らしい。握りの感触もよく、取り回しも優れている。この剣は、使えば使うほどよく手になじんで、これから長く君の冒険を助けるだろう。驚いたことにこの剣は深度が十八もある。人間の打った剣としては破格だ。ラスクという剣匠を私は知らないが、この無銘の剣はとんでもない掘り出し物だよ」
スザートは、テルミンの勧めに従って、剣匠ラスクが打った剣を選んだ。
テルミンの予言通り、その剣は長いあいだスザートを助けた。
スザートは金級に昇格し、パーティーは移動護衛の王都特級冒険者となり、大いに金を稼いだ。また、面倒見のよさで、多くの若き冒険者たちに慕われた。
ある日、テルミンが鑑定すると、剣に〈スザートの剣〉という銘が付いていた。そのときには珍しくテルミンも祝杯に付き合った。
スザートは何本もの名剣を買ったが、いつも腰に吊っていたのはこの剣だった。
引退して王都を離れ、妻の里に向かうとき、スザートはこの愛剣をテルミンに贈った。耐久値が限界に近づいていたので、どうせならテルミンに持っていて欲しいと彼は思ったのだ。
今もテルミンの店の一室に、〈スザートの剣〉は掲げられている。
3
「というわけで、こちらのネモとヒンメルをしばらくのあいだ弟子としてお預かり願いたいのです。わが主君メシューム・ロンダット卿のたってのご依頼でございます。なにとぞよしなに願います」
「困ったのう。みての通り忙しくしておって、弟子を取るゆとりはないのだが」
「いえいえ! そんなご心配はご無用です。ネモもヒンメルもひとかどの鑑定士。即戦力としてお使いいただけます」
「ひとかどの鑑定士なら、今さらわしに弟子入りするまでもなかろう」
「いえいえ。ぜひとも剣鑑定の泰斗といわれるテルミン老師の鑑定の極意をご伝授いただきたいのです。先ほど申し上げましたように、十分な謝礼を用意させていただいております」
「弟子を取るのに謝礼は受け取らん。受け取れば、客扱いしてもらえると勘違いする者があるからだ。それと、弟子になれば皆一番下っ端から始めてもらう。下っ端の仕事は便所掃除だな。便所掃除をしながら兄弟子に仕込まれ、みどころがあるようなら、さらに上位の兄弟子に仕込みを受ける。みこみがないか、心がけが悪いようなら、十年たっても便所掃除だ。わしの弟子になるというのは、そういうことじゃ」
「ははは。これは、お厳しいですな」
「ネモ殿と、ヒンメル殿だったか」
「はい」
「はい」
「杖を持っておるか」
「持っております」
「もちろんです」
テルミンが手のひらを上に向けて差し出した。
ネモとヒンメルは、細杖を差し出した。贅沢な飾りの付いた杖である。
テルミンは、受け取った二本の杖をしばらくじっと眺めた。
「おぬしら、わしの弟子になりたいと、本気で思うておるのか」
「はい」
「もちろんです」
テルミンは、二本の杖をへし折った。
「なっ」
「何をする!」
「気でも狂ったか! その杖の価値がわからないのかっ」
ロンダット卿の使者は絶句し、ネモとヒンメルは、立ち上がって怒りをあらわにした。
「わしの弟子になる以上、今まで覚えた技術や知識は忘れてもらわねばならん。便所掃除ができるような服を着て、明日の朝出直してこい。折りをみて白木の杖を与える」
「ふ、ふざけるな! 何様のつもりだ」
「下手に出ればつけ上がりおって!」
二人の鑑定士は、激しく怒り、杖を弁償しろと騒いだ。
テルミンは、むすっとして黙り込んだまま、何も言わなかった。
最後には、ロンダット卿の使者が二人の鑑定士をなだめて連れ帰った。
テルミン自身はみおくりもしなかった。代わって高弟のフリクスが見送った。
こういう手合いは多い。
形ばかりテルミンの弟子になって、鑑定書に、「テルミンの弟子」あるいは「テルミン直伝」の文字を書き加えたいのだ。
いちいち相手をしていたらきりがない。
「師匠、お見送りしてまいりました」
「ああ、ご苦労」
「きな臭いご依頼でしたね」
ロンダット卿は宮中貴族で、宝物庫御扉番取締の地位にある。王宮の宝物の鑑定がしたければ王宮鑑定士を使える立場にあるし、個人の収蔵品を鑑定するのに、わざわざ鑑定士を、それも二人も家臣に加える必要があるとは思えない。確かに奇妙だ。あのネモとヒンメルという二人は明らかに貴族なのに、家名を名乗らなかったのも、いわくありげだ。だが堂々とテルミンへの弟子入りを申し入れてきたところをみると、それほど後ろ暗い企てとも思いにくい。たぶん王宮鑑定士に自分の息の掛かった者を送り込みたい理由でもあるのだ。
「これで諦めてくれればいいのだが」
「また来そうな感じでした」
「そうだな」
わずらわしいことだ、とテルミンは思った。
4
市井の鑑定士というものは、ふつうどこかの店に雇われて腕をふるうものだ。
ところがテルミンは、鑑定専門の店を開いている。武具の鑑定しかしない店なのだが、事実上この店の鑑定は剣に特化していて、それ以外の物が持ち込まれることはほとんどない。
もう一つこの店が変わっているのは、値段の鑑定は引き受けないことである。
値段を鑑定するには、剣の美的価値や素材の金属の市場価格も折り込まねばならないし、例えば柄に宝玉が埋め込まれた剣ならその宝玉の価値や、豪華な鞘がついていればその鞘の価値も査定しなくてはならない。
剣を打った剣匠の作品がどの程度の金額でやり取りされたかも加味しなければならないし、歴史的な背景が値段に影響することもある。
テルミンの店は、そういうことには手を出さないのだ。
そんな偏屈な商売をしているのに、客は多い。
ひっきりなしに客が訪れる。
貴族家から、十本、二十本という剣が一度に持ち込まれることも珍しくない。
店先には二つの帳場があり、ここで鑑定品の受け付けをして鑑定代金を受け取り、受け付け番号と鑑定台の番号を記した紙を渡す。
その一方で、同じく受け付け番号と鑑定台の番号と、そして鑑定士の名前を書いた紙を、〈走り番〉と呼ばれる者たちに渡す。
〈走り番〉はその紙を名前の書かれた鑑定士に渡す。
客が指定された鑑定台に並んで待てば、やがて受け付け番号で呼んでもらえるという仕組みだ。
二つの帳場には、鑑定士が割り振られている。帳場係の店員はすべての鑑定士の鑑定可能回数と技量を把握している。むずかしい鑑定はベテランに当たるよう差配するのも帳場係の仕事だ。
テルミンの店では、鑑定士の見習いとして雇う最低限の条件が、一日の鑑定可能回数五十回で、実際に店で鑑定の仕事をする者は百回以上と決まっている。ただし経験の浅い鑑定士は、あいだに十分休憩を挟まないと、一日の鑑定回数が減ってしまう。鑑定士に適宜休みを与えながら、効率良く回していくのも帳場係の役割だ。
鑑定結果は紙に書いて渡される。声で伝えると、他の客に鑑定結果が知られてしまうからだ。
鑑定書には、テルミンの店の神印が押してある。神印というのは、エレクス神殿に届け出て認可を受けた印章で、偽造すると恐ろしい刑罰が下される。
鑑定料金は二種類しかない、〈一般鑑定〉が銀貨一枚で、〈恩寵鑑定〉が大銀貨一枚だ。
〈一般鑑定〉は、恩寵以外を鑑定するが、恩寵がある場合には「恩寵付き」と鑑定書に付記される。
〈恩寵鑑定〉は、恩寵の鑑定をするもので、恩寵以外の部分は鑑定しない。
そうめったにはないが、時々担当の鑑定士が、その剣を鑑定しきれないときがある。〈鑑定〉魔法そのものが通らない、つまり歯が立たない場合もあるし、微妙な部分が読み取れないこともある。そういうときには追加料金なしで、よりベテランの鑑定士が補助に入る。
常に客の目の前で鑑定を行う。客の許しなく鑑定品にさわることはないし、客からみえないところに鑑定品を運ぶこともない。これは、どれほど大量の品を持ち込んだ場合でも同様である。
時折、ひどく珍しい鑑定結果や、驚くような数値が出る。そんな場合、店主のテルミン御大が呼ばれて再鑑定することがある。その客は幸運だ。鑑定書にテルミンの名が書き添えられるのだから。
客は原則として鑑定士を指名することができない。とはいえ、特定の客と特定の鑑定士がうまくいっている場合など、それとなく気を利かせるのも帳場係の采配だ。
この原則には一人だけ例外がある。テルミンである。テルミンの名で鑑定書が欲しいという貴族や有力者は多い。テルミンの都合がよければ、交渉次第で指名依頼を受け付ける。料金は一回につき金貨一枚である。
これは法外な値段である。最初はこんな値段ではなかった。だがあまりにもテルミン直筆の鑑定書を求める客が多く、次第に値段が上がっていったのだ。この値段でも毎日のようにテルミンへの指名依頼があるのだから、値段は当分下げられない。
とはいえ、実はこれには裏値段がある。同業の鑑定士や武器店店主から内々の依頼があった場合は、テルミンは大銀貨二枚で、正式の鑑定書を付けずに鑑定をしている。要するにこれは、ほかの鑑定士に鑑定できなかった品を鑑定するサービスなのだ。同業者や武器店にとっては、自前で鑑定できなかったときの最後の砦としてテルミンが控えていることになるし、テルミンとしては、鑑定困難な珍しい剣を鑑定できる機会が増える。両者にメリットがあることなのだ。
テルミンの店で働く鑑定士は、全員テルミンの弟子である。鑑定書には担当鑑定士の署名が書き込まれるが、そのとき必ず「テルミンの弟子」という文言を書き加える。
テルミンの許しを得て店を巣立っていった者たちは、「テルミンの弟子」という肩書きを使い続けることができる。武器屋などから、テルミンの弟子を雇いたいという申し入れがあった場合、テルミンはこれぞと見込んだ弟子に、その話を持っていく。そうして巣立っていった弟子は十人を超える。大きな武器屋の婿養子となった弟子もいる。
高弟たちの多くは、まだテルミンのもとで修業したいと言って、こうした話を断り続けている。かといって、一人前になっていない者を外に出すわけにはいかないので、引き合いの多さに対して、まったく供給が追いついていない。
そのせいもあってか、引き抜きが何度か続いたことがある。まだ一人前とはテルミンが認めていない未熟な鑑定士が、これに引っかかった。誘いには乗るなと注意しているのだが、引き抜きをする者は言葉巧みに近づいてくるし、女を使ってたらし込む場合もある。
そういう引き抜きがあった場合、本人には、「テルミンの弟子を名乗ることを禁ずる」と告知するし、王都の鑑定士や武器店には回状をもって、この者は修業を途中で投げ出した未熟者にてわが弟子にあらず、と告げた。それを知った若い弟子たちは、引き抜きに耳を傾けないように心するようになった。
引き抜かれた弟子のうちで一人だけ、店がつぶれたのでもう一度弟子にしてくださいと言って戻ってきた者がいた。鑑定をさせてみたところ、わざはにぶり、心は乱れていた。当座の生活費を与えて、別の道を探すよう諭した。
5
ティシモという少年がいる。
最近雇って弟子にした少年だ。
実はこの少年は、〈鑑定〉の一日の使用回数が五十回に達しなかったので、本来なら雇わないはずだった。しかし、テルミンが〈鑑定〉の実演をしてみせたとき、この少年は感想を聞かれて、こう答えた。
「三本の細くて美しい魔力の針が、すうっと剣に入っていくのをみて、びっくりしました。ぼくに〈鑑定〉を教えてくれた人は、剣を包み込むように魔力を操っていたので」
魔法が使える人間なら、魔力をみることはできる。しかし、この少年のように細かいところまでみえる人間は珍しい。この少年は、とてもよい目を持っている。鍛えればものになるかもしれない、とテルミンは思った。
そのティシモ少年が、肩を落としてテルミンの部屋を出ていった。
課題として渡した剣の耐久度を三十七としたのだが、これがテルミンには気に入らなかったので、やり直しを命じたのだ。ただし、どの数字に問題があったのかは教えていない。
この店で修業をすれば、耐久度や消耗度の数字を言い当てることは、それほどむずかしくない。店には基準剣と呼ばれている剣が十何本か置いてあり、誰でも鑑定することができる。ある剣は耐久度が五十で消耗度が四十とか、わかりやすい値に調整してあるので、何本かの基準剣を参考にすれば、耐久度や消耗度の数字をつかむことができる。
実は課題として与えた剣の耐久度は、三十七で正しいのだ。どこの店で聞いても、ちゃんとした鑑定士なら、そう答えるはずだ。
だが今回テルミンはティシモに、一段上の答えを期待した。そこにたどりつけなければテルミンの弟子である意味がない。
一週間後に、ティシモは二度目の鑑定書を持ってきた。耐久度は三十八としてある。
テルミンは、内心の興奮を押し隠しながら、静かな声で聞いた。
「ふむ。耐久度の数字が変わったな。この数字の根拠は何だ」
「はい。この剣の一生を考えてみたんです」
「ほう。剣の一生だと」
「はい。フリクスさんに、〈剛剣〉スザートの二番目の剣の話を教えてもらいました」
「な……に?」
「〈剛剣〉スザートが二番目の剣を買ったとき、使う前にお師匠様のところに持ってきたそうですね。そして、〈剛剣〉が王都にいるときには毎日お師匠様はその剣を鑑定し、研ぎに出したりしたときも鑑定し、盗賊団や魔獣の群れと戦ったあとも鑑定して、そして最後には折れる寸前と、折れた直後にも鑑定したと聞きました」
「む。それで?」
「お師匠様は、その剣が生まれてから、活躍し、衰えていき、そして折れるまでの、その一生をずっと鑑定し続けたんです。それがお師匠様が剣の鑑定の奥義に目覚める出発点だったんだって、フリクスさんは言ってました」
「あいつめ。まあ、いい。だからどうしたのだ」
「剣の鑑定というものは、その剣の一生を思い描いて行うものだ、ってフリクスさんは教えてくれました。だから、ぼく、考えたんです」
「何を考えたのかね」
「すごく丁寧に使われてきた剣の耐久度が三十七にみえたとして、それは乱暴に扱われてきた剣の耐久度三十七と、まったく同じなんだろうかなって」
「ほう。それで?」
「で、この剣をもう一度隅から隅までよくみてみたんです。すると、刃が欠けたりしたときには、ちゃんと手入れしてあるのに気付きました。あんまり上手じゃないけど、研ぎも時々入れてます。そんなことを考えながらこの剣をみて、命の全部が百として、今どこぐらいなんだろうって思ったら、ふと三十八という数字が頭に浮かんだんです。それであらためて鑑定してみたら、今度は耐久度が三十八って読めたんです。すごくうれしかったです。でも考えてみると変なんです」
「何が変だというのだ」
「だって、剣の一生をみわたすといっても、この剣、まだ人生の途中ですよね。これからも丁寧な手入れをしてもらえるかもしれないし、ひどく雑な扱いをされるかもしれない。手ごわい敵に出会うかもしれないし、出会わないかもしれない。つまり先のことはわからないんです。なのに、一生のうちのどのあたりかなんて、どうして言い当てることができるんでしょう」
「くっ。はははは。うわっははは。面白いことを言うのう。よしよし。まず教えておこう。わしがこの剣を鑑定したら、耐久値は三十八と書く」
「えっ。ほ、ほんとですかっ」
「本当だとも。それからのう、鑑定の数字というものは、特に耐久度というものは、絶対値といえば絶対値なのじゃが、期待値でもあり、相対値でもある」
「は、はい」
「期待値というのは、人間でいえば、この健康状態ならあと何年生きられそうだというのと似ておるかのう。相対値というのは、鑑定してみえるもやもやを数字に直すのに、いろんな剣を比べて平均値を求めるようなものだといえばわかりやすいか」
「よくわかりません」
「要するに縦軸と横軸なのだが、今はわからんでよい。そう簡単にわかるものではない。そこを悩み続けるのが鑑定の修業なのだ。だが一つだけ手がかりを与えておく」
「は、はいっ」
「剣を持って戦う者にとって、鑑定の数値は生死を左右するものと心得よ。使い手は命がけで鑑定結果を信じる。鑑定はのう、命の道しるべなのじゃ。それを忘れずに鑑定すれば、おのずと数字は定まってくる」
「命の……道しるべ」
「そうじゃ。この課題は卒業とする。よくやったの」
「あ、ありがとうございますっ。あ、あの。お師匠様」
「何かな」
「お師匠様は、一日に八百回以上も鑑定できるって、本当ですか?」
「ああ。本当じゃ」
「どうしたら、鑑定回数を増やせるんでしょうか」
「わしは魔力量が、あまり多くない」
「えっ?」
「それで、極力魔力量を抑えて鑑定できるようなやり方を工夫した。そうしているうちに、魔力量を抑えたほうが、鑑定結果が鮮やかになることに気付いた。未熟な〈鑑定〉の使い手でも、たっぷり魔力をそそげば、実力以上の鑑定ができることはできる。しかしそのときには、大量の魔力によって、繊細な情報は洗い流されたり押し潰され、覆い隠されたりしていて、ぼやけた鑑定結果しか得られないのだ」
「鑑定結果が、鮮やかに」
「ティシモよ。今は魔力量のことは忘れよ。お前は若い。毎日鑑定をしておれば、自然に魔力量は増える。それよりも、よく兄弟子たちの鑑定を観察して、無駄のない魔力の使い方を工夫しなさい」
「はいっ」
「もう下がってよい。掃除に戻りなさい」
「はいっ。ありがとうございましたっ」
6
「師匠。お呼びですか」
「ああ、フリクス。よく来てくれた。実はこんな手紙が来てのう」
「拝見します」
手紙を読み終えたフリクスは、むずかしい顔をしている。
「手紙をお返しします。しかしまた、これは面倒ですね」
「うむ。王宮筆頭鑑定士殿からの依頼じゃ。むげにもできん」
依頼は、王宮筆頭鑑定士ダニエン・シォコブからのもので、息子のモモヤンを五年間弟子として鍛えてもらいたいというものだった。
「五年という期間がまた微妙ですね」
「うむ。これが一年とかいうのなら、本気で学ぶ気がないとわかるが、五年では」
「やる気はあるけど急いでいる、ということでしょうかね。モモヤン様というかたは、何歳ぐらいなのでしょうか。
「さあのう。はっきりしたことは知らんが、たぶん二十歳か、あるいはもう少し上か」
「よそに修業に出すには遅い年齢ですね。それで五年ですか。狙いはあれでしょうね」
「あれだろうのう」
ダニエンの父で先代の王宮筆頭鑑定士だったルミヤン・シォコブ師は、深度の読める鑑定士だった。王宮鑑定士の数は多いが、武器の鑑定をする者が筆頭の座に就くことが多い。ところがルミヤンが死去したあと、筆頭の座は装具鑑定を得意とする鑑定士に移った。王宮の人事の事情など、テルミンの知るところではないし興味もないが、風の噂で、ダニエンに深度が読めなかったのが筆頭に就けなかった理由だと聞いたことがある。のちにダニエンは筆頭鑑定士になれたが、歴代の筆頭鑑定士に比べると能力が低いといわれているらしい。
「深度を読むには、武器とその使われ方をよく知るのが早道なのであって、〈鑑定〉の技術だけをいくら学んでもしかたないのじゃが。ううむ。ルミヤン殿の孫のことだから、力になってやりたいが。どうするかのう」
貴族であるルミヤンと平民であるテルミンは、もともと面識がなかった。
ところがある貴族家で顔を合わせてしまい、鑑定について大議論になった。
以来、ルミヤンは、剣を一本か二本携えて、テルミンの店を訪ねてくるようになった。そして、鑑定をめぐって大いに議論を戦わせた。
鑑定についての考え方もやり方もちがい、顔を合わせれば喧嘩になる二人だったが、鑑定の見識と姿勢には、お互い敬意を抱いていた。そんな仲だった。若き日のフリクスも、ルミヤンにはずいぶん皮肉の雨を浴びせられた。それがまたとない勉強になったと、今では思っている。
「よし、決めた」
「お受けになりますか」
「うむ。ツボルト侯爵からの招聘をお受けする」
「はあ?」
「五年契約だったか、六年契約だったか。とにかくわしは数年間、王都を留守にする。そういう返事をツボルト侯爵に出してしもうたので、残念ながら、モモヤン殿のご指導はできん。そういう返事を王宮筆頭鑑定士殿に出す」
「逃げに入りましたね」
「高弟を何人か連れてゆく。先方のご要望なのでの」
「おおっ。いいですね。ツボルトは何がうまいですかね」
「お前は残れ」
「それは、ひどい」
「お前はわしの筆頭弟子だ。留守を預けられるのはお前しかおらん」
「筆頭弟子だったんですか? はじめて聞きました。一番古くはありますけど」
「今後鑑定書に、〈テルミン筆頭弟子〉と書くことを許す」
「心から喜べないのはなぜでしょう」
「王宮筆頭鑑定士殿には、わしの筆頭弟子でよければご子息のご指導ができます、と伝える」
「ちょっ。待ってください。それは困ります」
「心配するな。お前では相手が納得するわけがない。必ず断ってくる。わしは最大限の誠意を尽くしたことになる」
「ほんとに断ってくるんでしょうね。万が一私で構わないと言ってきたら、どうしたらいいんですか」
「そのときは指導しなさい。それも修業じゃ。あ、ティシモはツボルトに連れてゆく」
「いいなあ。ツボルトにはいい剣がいっぱいあるんでしょうねえ。鑑定したいなあ」
「お前はわかっとらん。人生の楽しみは、剣との出会いではない。人との出会いだ。それにお前、ツボルトの剣はけっこう鑑定しておるではないか」
ツボルトの鑑定士の手に負えなかった剣が、時々、テルミンのもとに持ち込まれる。そういうときには高弟たちにも鑑定させるようにしている。
「それにしても、師匠、丸くなりましたねえ」
「それはどういう意味だ」
「今回の申し入れなんて、以前の師匠なら、わしに弟子入りするなら最低でも十年はかかると思え!って怒鳴ってたところです」
「手紙に怒鳴ってもしかたあるまい」
「そこらへんですよ。弟子たちにも最近優しいし。私のときなんか、日に十回は怒鳴られてましてよ、この大っぱかもの!って」
「本気で怒りたくなるような才能を持った弟子がおらんのだ」
「ティシモはどうです?」
「あれは見込みがある。だが、心が弱い。スラバスの若芽より弱い。よくいえば繊細じゃな。怒鳴ろうものなら萎縮させてしまい、芽を潰す」
「ツボルトで怒鳴れる相手に出会えるといいですね」
「うん? ああ、指導契約のことか。ふん。ばかばかしい。五年や六年わしが少々助言したところで、大したことは覚えられん。ツボルトの鑑定士が鑑定書にわしの弟子と書くのは禁じる。それはツボルト侯爵にも納得していただく。そうすれば王都に入ってくる鑑定書には、わしの弟子とは書けんじゃろう。王都以外に行く鑑定書については、これはもうどうしようもないわい」
「そのへんが落としどころでしょうね」
この会話が、王国暦百十三年の四の月の二十九のことである。このあとテルミンは弟子たちを連れてツボルトに赴き、五の月の十四日から六年間の契約で、ツボルト迷宮の買い取り所で鑑定をし、またツボルトの鑑定士たちの指導にあたる。その翌年、王国暦百十四年の六の月に、レカンはこの世界に落ちてくるのである。
(了)