深皿
新年明けましておめでとうございます。本年のお年玉企画は、狼は眠らない外伝です。今後、ぽよん様ご指名外伝、(締切:2019年10月30日)、葛城遊歩様ご指名外伝(締切:2019年11月1日)、ダダ様ご指名外伝(締切:2019年11月3日)も、ここに投稿いたします。
心地よい夜風が吹き、夜の空に雲が流れる。
ゆっくり、ゆっくりと、雲は押し流され、次の雲がやってくる。
雲はそれぞれちがった形をしている。大きさもさまざまだ。
月の光に照らされながら、雲はゆったりと空を行く。
窓から差し込む月と星の光は、雲にさえぎられ暗くなったかと思うと、次の瞬間には明るくなり、ゆらゆら揺らめきながら、静かな秋の夜長をいろどっている。
レカンの寝息は聞こえない。
この狼に似た孤高の冒険者は、寝ているときでさえひそやかであり、森に隠れる肉食獣のように、存在の気配を感じさせない。
隣の部屋にはエダが寝ている。
さらにその隣の部屋にはジェリコが寝ている。
お姫様は二人の勇者に守られているのだ。
もしもレカンが起きていて、その右目を開いていたのなら、遠くを往く雲と雲のあいだから、なにやらふわふわとただよって、天空を泳いで近づくものがあると、目ざとくみつけたことだろう。
しかしレカンは眠っている。
安らかに、安らかに眠っている。
その何かはますます大きくなり、今や姿を明らかにしつつある。
最初は鳥のようにみえたそのシルエットは、近づくにつれてだんだんと、明るく照らされ浮かび上がる。
人だ。
女だ。
一糸まとわぬ美少女が、夜の空を飛んでいる。
やがてヴォーカの町の上空に差しかかったその少女は、少し困ったような顔をして、あたりをきょろきょろ眺め回していたが、やがてにこりと笑いを浮かべ、ゴンクール邸に向かって下りてきた。
そのゴンクール邸の離れに、レカンは寝ている。本館の喧噪を嫌って、庭の奥の離れをすみかに選んだのだ。するとエダも同じ場所に寝起きするといい、当然ジェリコもついてきた。
離れにはいくつも部屋があったけれど、夜空のよくみえる窓の大きな部屋をレカンは選んだ。
空飛ぶ少女は、迷うことなくそこに来た。
レカンが眠る離れの部屋の、その大きな窓に向かって飛んできた。
ふわりと風をまとって速度をゆるめ、大きな窓の窓枠に、ちょこんと座り、小さな声でつぶやいた。
「レカン。やっと会えたね」
少しさびしげな笑みを浮かべ、少女は部屋のなかに降り立った。
もともとの肌が白いうえに、月光を浴びているものだから、その全身から光がこぼれおち、まるで妖精のようにみえる。
「どうして、ちっとも来てくれないの」
いくら小さな声であっても、臆病な狼は目を覚ましそうなものなのに、なぜか目覚めは訪れない。安らかに、安らかに、狼は眠り続ける。
「私は王都から離れられないの。だからあなたのほうから来てくれなくては」
起きないのは狼だけではない。隣の部屋に眠るエダも、さらにその隣に眠るジェリコも、この侵入者にまったく気づいていないようだ。
「シーラから聞いてるはずよ。私のことは」
少女の裸体は美しい。完成された造形だ。
「私があなたを待ってることを、あなたは知っているはずなのに」
少女が一歩前に進む。レカンの眠るベッドに向かって。
「どうして迎えにきてくれないの」
少女がさらに一歩進む。
「王都の私の部屋は冷たいのよ」
一歩、また一歩と歩みは続く。
「そして私は一人きりなの」
そして少女はベッドの横にたどり着く。
「私は祭壇に捧げられた供物」
少女はレカンをみおろしている。
「人々は私をあがめるけれど、決して近づいてこようとはしない」
少女は右手をレカンの胸にはわす。
「それを禁じる女がいるから」
指先が、さわさわと、レカンの胸元をすべる。
「私の力を知る者は私を求めようとするけれど」
右手は持ち上げられて、手のひらがぺとりとレカンの頬に当てられる。
「私に近づける者はいない」
すりすり、すりすりと、少女はレカンの頬をなでる。
「私の抱く大いなる秘密に、探求者たちはたどり着きたいと願うけれど」
なでる手を少女はとめた。
「その秘密を解き明かした者はいない」
そして今度は左の手をレカンの頬に当てた。
「あなたは知っている。それがあなたの子であることを」
両の手でレカンの頬を挟み込み、少女は不思議な笑顔を浮かべる。
「あなたと私の子であることを」
少女は身をかがめ、レカンの顔に顔を寄せた。
「その秘密が明らかになれば、世界が変わるということを」
そして静かに口づけをした。
「待ってるわ、レカン。これは約束のしるし」
ふわりと浮き上がり、少女は窓枠に止まって振り返った。
「王都で会いましょう」
すうっと少女は飛び上がり、高く高く飛翔して、雲のカーテンのあいだに消えた。
静かに、静かに時は流れ、やがて日が昇り、朝が来た。
「レカン。おはよー。どうしたの? 唇にさわって」
「いや」
「しかもその指をしげしげとながめて。何かついてたの?」
「ああ」
「えっ。いったい何が」
「これは、まるであれだな」
「あれって?」
「調薬したあと深皿に残る油」
(Fin)