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アマランサスの花  作者: 虹色写真
一章 ~魔獣の城~
6/8

#6名前のない物売り

誤字などがあれば教えてください。多いので

「眠そうだの、お前さんよ」

「はい。今日は、少し」

「ふむ。お前さんが睡眠をおろそかにするなぞ珍しい。何かあったか、ん?」

「いいえ何も。鍛練に興が乗って床につくのが遅れただけのことです」

「ほう。やはり腐っても騎士の端くれか。その熱は門番にも勿体無いとは思うがね」

「似たような台詞は今日で二度目です。私に門番をさせるのがそんなに嫌ですか」

「くっくっく。今やローラシアの村村の防衛や戦線の維持は軍が一手に担っておるゆえ、他の役職とて畑の管理が関の山だろうがな」


 昼間はまだ熱かろうが夜は急に冷え込むローラシアの秋。昼間から引き続き、雲一つない空を十字の星河が切り裂いている。昔の人はあの星々をつないで神や人や動物を創造(想像) したそうだが、私が試みるには少々星が多すぎる程度にはいい天気だ。

 正門の上。いつもは端から端までうろうろと歩きながら門前の異常を気長に探しているのだが、今日の私はどっかりと腰を据えて地平線を眺めていた。どうせ最近は魔獣の進行も緩やかで城までたどり着くことなどほとんどなくて、あったとしても群れから外れた小型のものが数匹平原をうろつく程度だ。こちらから手を出さなければ害はないので見逃すことの方が多い。少なくとも私の場合はそうする。

 そんな、半ば職務を放棄したいる私のもとに、同じく夜の門番をあてがわれた老人がのうのうとした顔でやってきて私の横に腰をおろして空を見上げている。

 老人の名前は知らない。おそらく聞けば教えてくれると思うけれど、私が人の名前を覚えるのが苦手なのと、単に興味が無いのが相まって名前は知らない。

 そう考えると以前に名前を名乗ってくれていても、私はそのことを覚えてはいないだけという事もあるかもしれないが、兎にも角にも、私は彼を白髭殿と呼んでいた。

 この老人は門番となる前は私の養父の隊でコラプス戦線へ出向いたことがあるというのが十八番の自慢話だそうだった。


「それは、尚更勘弁願いたいですね」

「儂の父親がまだ幼い頃だと、騎士とは農夫との兼業だったそうであるから、あり方がもとに戻っただけとも考えられるが。それにしてもなぁ、今だ国には魔獣が蔓延っているというのに民を守れず何も出来ず。儂は何のために騎士となったのだ?」

「いいや貴方はそろそろ隠居しても歳では」

「歳を取ったからといって何だ。あの長屋の中に込もって他の者のように娯楽に興じることもなく笑うこともなくくたばれと云うのか?ええ?」

「そこまでは言いませんが、でもまあこの国の人は笑わないのは確かですよね」

「ああ、そうともさ。娯楽が無いのは確かだが、飯を食らって眠るだけがすべてだと考えては終わりだとも。戦場で死ぬことこそが名誉と謳うのもな」


 白髭を蓄えた老人はしゃがれかけた声で誰に説教をするでもなく言った。年寄りの説教は好きではなかったが、彼のそれはむしろ自虐か愚痴の様で聞いていて煩くなかった。


「人には感情がある。花を美しみ、愛を尊ぶことを忘れては残るものに価値などありゃせんわ」

「仕方ありません。こればかりは時代のせいです。一歩城の外に出れば魔獣の群れ、城の中は国防軍と騎士との軋轢のせいで息が詰まる。そのような国で自由を謳歌するのは困難でしょう。そういう白髭殿は最近酒をお持ちになりませんが、ついに秘蔵の樽は空になったので?」

「ああ。無くなった。いや嘘だ。まだわずかに残っておるのだが、あれはもう酢だ。とてもじゃないが飲めたものじゃない。しかし、もとが酒ならば…」

「いや、酢をそのまま飲まないでください。腹を下しますよ」

「やはりそうかのぅ?」


 まさかこの人物は「元は酒だった」の暗示で酢も飲み切るつもりだったのか。いくら酒好きのこの老人とは云えどその姿は想像できなかったが、いや、考えたが何かの拍子にやりかねないとも思えなくもなかった。


「やっぱり大事にしたいものって言うのは向こうから離れていくものなのですね。安易に国民らのことを理解できないと一蹴にするのも哀れです。あの白髭殿が酒を断つ時代ですし、同情の余地はありましょう」


 ちなみに我々がいう酒というのものはローラシアの南海岸に広がっている葡萄から作られる酒のことである。


「ともあれ、お前さんが年老いるころにはあいつらもおとなしくなればいいのだがな」


老人はそう言って顎で城の前の遥かな大豆畑を指す。遠くて分かりにくくはあるが、そこには赤い双眸をチラつかせている魔獣が二匹立ち止まりこちらを伺っていた。私は門番に渡されている槍を手に取ると立ち上がり、同じく睨み返す。すると私が原因かはわからないが魔獣は門とは平行になるように走り出し、波打った地形に隠れるように見えなくなった。


「最近多いですね。少数とはいえ、まさか門から目視できる範囲まで近づいて来るとは」

「ここにはうまそうな人間がたくさんいるからの。腹がすいたら立ち寄っても見たくなるのではないか?」

「呑気ですね。いつ彼らがこちらに攻撃するかわからないというのに。この城だって、大昔に建てられたものを再利用しているだけですし、今の彼らを防げるかどうかもわかりません。本気になれば簡単に落ち兼ねない」


 エリスは老人の態度にむっとして石の床に腰かけなおす。まるで魔獣二匹に気を張っている私が莫迦みたいではないか。


「この城の壁は石だけではない。我々騎士団にも勇猛な戦士はまだおる」

「その騎士団も今や飾りと変わらない。我々が真に力があるのなら骸島へ攻め入るべきでしょうに、それが出来ないのは残った人間たちも理解しているはずです。人員が軍に流れていくのがいい証明になる。おかげで騎士団には臆病者しかいないと思われています。真理ですね。国政を動かそうなどという血の気の多い人間はいませんから。彼らは皆、将軍の傀儡となってそして悉くが戦場に行って命を落とす。今の国民の信用や権力の采配が、すべてあの将軍の掌の上で転がされているようで気に食いません」

「止めておけ。いくら騎士とはいえど軍の陰口は聞かれると厄介だぞ」

「…分かっています」

「風当たりは今に始まったことではない。それに、我々は王に仕えてきたのだ。本来、王が革命で崩御(ほうぎょ)されたときに解体されるべきだった騎士団が今も残されているのはあの将軍の慈悲のおかげではないか。今はまだ国政も安定しているし、あれをそう悪くいうものでもない」

「けっ、慈悲なものですか」

「わからないでもないがな」


 老人は隣にいる私にも聞こえるか聞こえないかの声でそういった。

 彼は臆病に見えるくらいに慎重だ。軍の人間がどこにいるかわからないのだからそう臆病になるのもわかる。詳しくは割愛するが、彼らに彼らの愚痴が聞こえてしまえば面倒だと彼は言っているのだ。

 王族や有力な貴族が消えてからこの十数年、国を維持し続けてきたのは軍の方だった。騎士が権力を担うようにする声もあったようだが、王族が国民から信用を失っていた時点で王の持つ権力の一部であった我々が発言力を持つことは無理があった。

 そう私が顔をしかめていると老人は懐から何かの破片の様なのもを差し出してきた。


「ほれ。腹が減ったろう。くれてやる」

「これは、なんですか?」


 言葉から察するにそれは食せるものなのは分かったが、エリスにはそれを手にとっても何かは判断できなかった。

 表面は木の皮のようにごつごつとしていて軽く、砂のようにざらっと手に転がるものが付着している。

 私は再び私の横に立っている老人を見上げると、老人はその何かよくわからない木の皮のようなものを奥歯で噛みちぎっている。見た目の割に固いのか。私はおそるおそる老人の真似をして奥歯で挟んで引き裂いて咀嚼する。

 しょっぱい。舌に触った瞬間は表面に表面にまぶしてあった塩の粒の塩味しか感じられなかったが、咀嚼し、唾液と混ぜている間にその食材の味が口の中に巡りだした。


「うまい…」

「素朴なものは手の込んだ料理よりうまいもんだ」

「これは干した肉ですよねこんな高価なもの頂いていいのですか?」

(みな)には秘密だからな。とっとと食べてしまえ」


 私は残りの干し肉を口に投げ入れる。肉らしい脂身は当然のごとく無くなっているがそれでも咀嚼して唾液と混ぜていれば楽しめるというものだ。


「どこで手に入れたのです?」

「ちょっとな。知り合いから分けて貰ったのだ」

「嘘ですね。白髭殿は嘘をつくとき鼻をさわる癖がある。本当のことを言ってください」

「…皆には言うなよ?これはな、行商から買ったのだ」

「行商?」


 私は目を丸くする。このご時世で行商などという存在を、かたや言葉さえ聞くとは思わず面喰らって再度聞き返す。


「最近行商なんて者が城に入った記録なんて無かったはずですが」

「ああ。数日前に街を彷徨いているのを見かけてな、外見がまぁ怪しいんで声をかけたところこいつを貰った。毒が塗られているわけでも無いようだから非常食に携帯していたのだ」

「その行商というのは彼が名乗ったのですか?」

「ああ。名を聞いても名前は無いとの一点張りでな」


 老人は気が付いていないのか。はたから聞けば完全に存在を秘匿するための゛わいろ゛である。


「怪しいですよその人」


 ただただ怪しい、私はそう感じた。何故ってこの時代に行商というのは不自然だ。

 なぜこの国が貧困に苦しんでいるのか。なぜ数十年もの間、人間たちはことごとく城のなかに引きこもらなければいけないのかを考えれば当然導き出される答えなのだが、そもそも人間が城の外に出るというのは自殺行為なのである。

 魔獣の存在はローラシアの民に多大な影響や環境の変化を強いたが、食料や物資の輸入が満足にできなくなったのもその一つだ。

 先程酒が酢に変わってしまったと言っていた老人の話になるが、ローラシアと云えばと謳われた葡萄酒が消えたのも王国が管轄していた畑があった地域一帯が魔獣の魔力によって汚染されてしまい、草も生えない不毛の大地になってしまったと云う背景がある。

 同様にローラシアの国民の腹を満たしていた広大な穀物類の畑も四割以上が゛彼ら゛の縄張りになり、片や牧場も新たな家畜を生ませることすらままならず、今や国に届けられる食料は最小限で、食卓に並ぶにしても芋や豆などだった。

 この国の状況がある上で、老人が逢ったという人は何かしらの獣の肉を加工して持って来た。城の外で彷徨(うろつ)けるなら戦闘技術もあるのだろう。でなければ死ぬのが城壁の外の世界だ。

 騎士団が管轄している、作物以上に貴重な牧場の家畜を殺してこの干し肉を作ったなら、盗人が出たと我々にも報告が来るはずだし、今のところ牧場の警備が強化されたようには見えない。

 となれば考えられるなかで一番現実的なのは、


「たしか北西にまだ汚染されていない森がありましたよね?そこの動物を狩ってきたのでしょうか」

「まさか。北西と言っても距離は何千里も遠く地平線の彼方だ。そこから一人で来るのは不可能だろう」

「仮にですが、それができる人間がこの城の中に出入りしているというのは゛事゛ですよ。

 …ふと思いついたのですが、その行商を見逃した白髭殿におかれましてはちゃんと入城許可証は確認なされたのですよね?」

「さ、さあどうだったかのぉ」


 老人が白々しく目をそらす。嘘をつくにももっとやりようがあるだろうに。


「上に言えばどんな処罰があるか…」


 同じく門を守っている私もとばっちりを受けるのではと考えると、老人の軽率な判断に頭が痛くなる。


「所持品を確認はしたが凶器は何も持っていなかったのじゃ。身なりも物乞い同様であやしいとは思えんかったんじゃ!」

「はぁ。それが事実なら多少は不安要素が消えますか。今のところその行商が城内でなにかしらの事件を起こした様子も無いですし、次見つけたときは何を渡されても職務を全うしてくださいね」

「ああ、すまぬ…」


 老人の顔が途端に老けていく。いや、事実老けているのだが普段がああもはつらつとしていると元に戻っただけか。

 私は白髭の老人から視線を外して考える。仮に森から来たのならと簡単に言ったが私は森までの正確な距離を知らない。老人は地平線を越えた彼方遠くと言っていたが、その説明ではあまりに漠然としている。先ほど畑の中を横切ったいた魔獣がいたが、遠くへ行こうとすればするほど”野良”の魔獣と出会う危険性は当然増える。それらを退けながら旅ができるか。一人で?ソフィアのような化け物ならおそらくは。

 そう顔もわからぬ行商への興味を巡らせていると、


「なにやら騒がしいな」


 私の思考は老人のつぶやきで途切れてしまう。ふたたび老人を見上げると彼は辺りを見回しながら耳を傾けていた。

 耳をすませば確かに幾人かの叫び声が聞こえる気がした。


「まさか外でしょうか」


 私は立ち上がって門の外を見回す。もしも城外に住む人間が魔獣から逃げて城に向かっているのだとしたらと思い塀に手をつけ目を凝らす。しかしそこには魔獣の一匹も人影の一人も見えずただいつも通りねっとりとした空気が停滞しているだけだった。


「いや、(なか)だ」


 老人の確信を持った言葉に振り向き、今度は城の内側の異常を探す。

 確かに内側から人の声は聞こえる。むしろその音はだんだんと大きくなっているのもわかった。おそらく入り組んだ路地裏で何かが起きているのだろう。

 私はわずかな影の濃淡の変化も見逃すまいと目を凝らすと、それを見つけた。

 路地裏の中でチラチラと揺れる灯り。声もそこから聞こえている。


「何事でしょう」

「この時間だからな、出歩いてるものがいたのかもしれんな」

「よもや()の行商とやらでしょうか」


 老人が問いに答える前にその影は大通りへと身を現した。黒い外套に身を包んでいて輪郭まではつかめない。頭巾まで被られていると顔すらわからない。その人影が大通りを横切ってまた路地裏へ姿を消すとすぐ後を自分と同じ黒衣の制服を纏った人影が束になって追いかけてゆく。


「白髭殿、今のがそうでしたか?」

「暗くてよく見えないが、背格好は似ていたな」


 私は再度その影を見る。町の中を飛び回り跳ねるその影には一切のためらいが無く、追い手を振り切るのに有効な脇道の多い道を選んで走っていることは同じく入り組んだ路地裏に詳しい私には理解できた。

 この城内に詳しいものなのか?行商と言っていたし正式に商売を許されたものなのか、はたまた侵入者かわからないがこの城にはよく出入りをしていた人間でなければ不可能だ。この城に住んでいるものでさえすべての道を記憶しているか怪しい迷宮であるというのに。


「白髭殿。あのモノを捕らえましょう。」

「なんだと?」

「追い手は軍のものですが加勢するのは構わないでしょう。それに以前白髭殿が逃がした者と同一人物ならアレは立派な侵入者です。まさか止めませんよね?」

「あ、ああ。止める理由などないさ。干し肉をもらい一度見逃してやったのは確かでも、ここで騒ぎを起こしたのはヤツの責任だ。かばってやる義理もないさ」


 老人がきっぱりと断るのを聞いて、私は頷いた。


「それはよかったです。これ以上白髭殿が罪を重ねるようなことが無くて」

「罪だなんて大層な」

「どこの馬の骨かもわからぬ輩を城の中にいれたのです。罪は罪。もし行商と名乗った者が我が国の敵だったならそれを見逃したあなたも反逆罪で地下牢行きですからね」

「固いのぉ。わしとお前さんの仲だろう?」

「仕事なので」


 私はそれだけ言い残して物見台のから城壁へ降りる階段を下り、城壁の上へ着くとそこから城内の建物の屋根へ飛び降りた。

 この世にいる様々な種類の魔獣からの攻撃を防げるようにこの城の壁は他には類をみない頑丈さを誇っている。故に侵入口ないし出口は限られてくる。人の力では消して開くことのない正門は狙わないだろう。ならばどこか。私は路地の地図を想起し、先ほど見た標的の動きを予測する。演算に加え耳を澄ませば、いくら静かな夜に紛れようとそこにあるものが移動する感触はあるものだ。それらを駆使して標的を狙う。

 門に上り外に逃げやすい場所と言えば、この城塞へと上がる階段。そこへ追っ手を振り切って走り切るには私なら、


「上を走るか」


 私は得物の木製の槍を回し、刃を後ろにすると体を低くかがめ目をつむる。予測は十分にできた。この道を知るものならばそこを通るという確信をもって魔力から言の葉を織る。


『貫き 走れ 空の元素』


 創造するは手に持つ槍と同化した自分自身。それを圧縮した空気の球で包み込み、力を籠める。

 時を待ち、圧縮した空気を開く。

 私の体は弓にひかれた矢のように低空を跳び空中で体をひねって、瞬間路地裏の闇から月明かりに飛び出した影に魔力の加速を付けた刺突を撃つ。

 追っ手を振り切ったというしたり顔。下をみながらにやつくそのもの顔はこちらの空気を揺らす攻撃に気付き、刹那、腰から鞘ごと剣を抜いて盾して直撃を防いだ。

 やはり、ただの盗人ではなく武装した戦闘経験のある人間か。私の刺突を一分(いちぶ)たりとも猶予のない状態で防いだ動体視力は農夫や盗人のそれではない。

 剣で受け止められたとはいえ得物の威力は収まらず、路地から飛び出た逃走者を長屋の屋根に突き飛ばす。

 傾斜の付いた屋根の上を転がって勢いを殺すと男は起き上がる。いや、その者が男だと確信したのはもっと後だったか。長い前髪で顔の半分が隠れているせいか性別が特定しずらいのだ。顔の輪郭も細く、この時世でなければ彫刻の雛型となりえる顔立ちのように見える。その顔で笑みをたたえたのなら曲者には見えないのであろうが、残念だが私は捕らえるべき侵入者のようにしか見えなかったのだ。


「まさか待ち伏せされているとは思わなかったぞ。その制服、よもや騎士団の者か。いやはや驚いた。最近の使い物になる若者など軍に取られていると思いきや、いるものだな、騎士の中にもまともなやつが」

「その割に無傷とは。嫌味か?」

「いいや、結構効いてる」


 そういいながらも表情を変えずに男は立ち上がる。守りに抜いた剣を持ち直し両手に構える。


「血の気が多いのは結構だがその前に一つ聞いておきたい。そなた、あるものに行商だと名乗った者か」

「…まぁ間違いない。誰に名乗ったかは覚えてないが、俺がここで名乗るなら名前ではなくてそう名乗るだろうな」

「今の内に身分を証明するものがあれば内容次第で下の者の説得を手伝ってやらないでもないが?」

「あー、あいにく発行されてないな。身分が数年前から証明できないものでね。ご希望のものはどこからも出てこないよ」

「それは残念だったな。私はそなたを捕らえる理由ができてしまった」

「そんなんなくても黙って見逃してくれりゃあもう騒ぎは起こさないと誓うって」


 彼は飄々とした態度と言動で言い寄る。

 あくまで私個人の感想として、この類の輩は私の嫌いな部類だった。


「断る。私は門番なんだ。通さぬといったら通さぬ」

「そうかい。なら少々手荒らくいくぞ。殺しはしないが歯を食いしばっとけ」


 その言葉を合図にふたつの影は激突した。今度は魔力を織る時間すらなく、単純な腕力で槍を振り回す。

 剣の腕には及ばなくとも槍術の心得もないわけではなく、獲物としては十分だ。屋根の傾斜があるとはいえ、何ら支障はなくとめどなく攻撃を打ち出す。

 頭蓋を打てば脳が揺れるし、足を打てば機敏には動けなくなるゆえに捕らえるのが容易になろう。一振りの剣を()ねれば身軽な彼に武器は無くなるはずだ。私は狙いを絞っているのを悟らせずにけしかける。

 彼の持っている剣と言うのは長さ二尺ほどの脇差だ。短く殺傷能力も低いうえに私の獲物とではあまりに長さの有利が目に見えて明らかだ。明らかなはずだが、それを承知で彼は受け、いなし、軽い刃の利点を生かして俊敏に攻撃をよけ、隙があるとみれば懐に潜り込もうと距離を縮める。

 今度は私が守りの型に入る。男が跳び突進するのを槍の腹で受け止め、腕力で押し返す。

 その時私は彼の獲物の異常に気が付いて反撃の手を止め離れると、両者の間合いは振り出しに戻った。


「敵の得物に興味はないがその剣はなんだ?刃が無くては脅しにも使えまい」

「無いよりはましなのさ。ただの鉄の塊だって、人の頭に落とせば凶器だ。それに、こいつを研いだところで使わないからな」

「そんなもので荒野をさまよっているのか貴様は」

「それはまぁ、よそ様にはあまり聞かせられないものでね。聞きたかったらそこを退いてくれ。その礼にだったら次に来た時に子守歌代わりに聞かせてやるぜ?」

「この期に及んで軽口をたたく余裕があるとはな。もうすぐこの場所も仲間に知れよう。そうなれば貴様も逃げるのは不可能だぞ。投降するなら今の内だ」

「油断しているなら愚かだな。力量の分からない相手には全力を尽くせというだろう?あんたもいつまでも余裕こいてると足元すくわれるぞ!」


 突然彼は瓦を蹴り一直線に突進する。

 油断などしていない。先ほども老人に確認を取りこの者が荒野を渡ることのできる力があるのだということは理解している。だが、数度打って男を観察したが、服の下に暗器などが仕込まれている様子もなく、彼は本当になまくらの剣一本のみで戦っている。

 私は剣がどの方向から来るかを予測する。振るか、突くか。おおよそ二尺の刃でできる最大限の動きを予測してもそこに回避不可能な必殺の一撃があるとは思えなかった。

 彼は案の定、いや、逆に拍子抜けするほどに簡単な横払いの一閃を描いた。鋼に魔力を織っているわけでもなく、ごく普通の攻撃。私はそれを避けず、槍の柄で受け止める。私が次に考えるべきは自分の広い間合いの中心に突貫してきた彼を一撃で仕留める最効率を求める計算のはずだった。しかし、私の予定は大幅に覆ることとなる。間合いに入ったのではない。間合いを詰められたのだと、その時私は初めて知覚した。

 彼は、剣を、手放した。

 手放した剣は重力に従って屋根の上に落下する。男はそれを拾おうとも追おうともせず次の攻撃の準備に入り、放った。

 その速度たるや私の詠唱を含めた突撃の速度と変わらない勢いであった。

 拳を握り、打つ。文字に起こせばただそれだけの動作。


「しっっ!!」


 短く息を吸うとそれを肺から一瞬で吐き出す。吐く速度と同等の速度をもって体の側部で固めた拳を放つと拳は空気を割り自分の間合いに入っている標的を”破壊”せんと迫る。


「ぐっ!!」


 頭部に打たれた拳を紙一重で(かわ)したのは単に運がよかったとしか言いようのなかった。

 その時初めて目の前の男に対して『こいつは危険』だと体が震えたのを感じて何とか再び距離を取ろうと後ずさるが、しかし、剣を手放した彼の速さは私の後ろに下がった分だけ付いてくるのに余りある。

 詠唱は聞こえなかった。私が使った風を使って体を押すことで推進力を得る術のような不自然な気流もなかった。しかもあれは、直線などの大雑把な軌道でのみ使える魔術行使であるゆえに、まるで身体機能をがそのまま向上したかのようなに細かい動きに取り入れるのは現実的ではない。

 ならばやつを加速するのはなぜだ。息を吸うたびに、足を前に出すたびに私をあらゆる方向から食らいつく拳は速さを増すどころか、手数を増やし、宙に跳ぶと二連撃の蹴りを繰り出すなど重力を無視しした攻撃も取り入れ、それらが四肢から飛んでくるとするなら、これ以上は私の動体視力を持っても追いつけない。


(どうにか離れなければ!)


 私は猛攻の中私は一節の魔術を行使する。

 拳を槍の柄で受け止めると拳の威力を殺さず、身をずらして男の体の傍をすり抜ける。しかしその程度では視界から一瞬の間離れるだけだ。男は一秒も待たず振り向き次の攻撃を手に作ると容赦なく叩き込もうとする。

 私のとってはそれだけでよかった。一瞬目が離れるだけでよかった。

 魔術とは、自らの魔力を持って森羅万象に触れ制御する術である。

 詠唱とはその術を使うために五感のうちの触覚と聴覚から精神に、精神から魔力の器たる魂へと線を繋いで引き出すという流れを起こす手段なのだが、決まった文があるわけではない。人間がいる分だけ魔術の詠唱があるといっても過言ではなく、人間はそれぞれ魂の型が異なるため、人によって魔力を体外に引き出す言葉に違いが出るのは必然だ。

 ゆえに、一つの魔術を起こすにしても詠唱には個人差が出る。大量に魔力を引き出したいのなら平均して詠唱は長くなるが、短い簡易な魔術であればたった一言で済ませることのできる人間がいる。

 例えば自分が。例えば火花を飛ばすなら一言だ。


「弾けろ!」


 男が振り向いた瞬間、黒い外套とつながった頭巾の中の目と目が合った刹那、手を前に翳し叫ぶように唱える。(てのひら)から炸裂する火花が目に映る。

 瞬く火花はこの夜の中、私の姿を眩ませるのに十分だった。今までの攻撃の手も速度を落とす。

 その隙で私ができる事は二つ。後ろへ下がり応援を呼ぶか、門番に与えられた拘束術式が描かれた札を取り出し使うかの二つだが、答えは二つに一つだ。

 懐にしまわれた拘束術式は二枚。詠唱が口にすることで魔術を起こす手段なら、術式は視ることで魔力を引き出す事が出来る手段のことを云う。長い詠唱で時間を取られる事が無く、短時間での発動が困難な魔術を使うときに選ばれる手であるが、それを押し当てればどんな人間だろうと体の自由が許されない状態となるはずだと、きっと彼も例外ではないと期待して私は札に手を伸ばす。

 しかし、その希望的観測は試す間もなく否定されるとは、その時の私は、この期に及んで彼を甘く見すぎていたようだった。

 男は確かに目を閉じたし、拳の突きをあきらめ速度を緩めていたが、それは別段隙などではなかったのである。

 その前へ突き出された右手は私の胸倉を捕まえていた。そしてその手を右へ捻り外れないようにすると引き寄せ、私の左肩の下へ左手を滑り込ませたかと思うと、次の瞬間私の体は重力を忘れ上下が反転し、長屋の屋根へと叩きつけられていた。


「もっと後ろへ逃げられていれば手は届かなかっただろうから正直賭けだったが、勝負あったな」


 一体何が起きた?

 上から押さえつけられ動かせる場所と言えば首と足だけ。腕は背中に周っていて動かせない。

 彼の手が私を捕えてから瞬きもする間もなく、息つく間もなく、気づけば全身に痺れるような衝撃が支配する。


「体術だよ。武器が手から離れたときの防衛術。対人用だから魔獣としか戦わない昨今の騎士様は知らないんだろうけど、こういう時には役に立つ」

「はっ、はなせ!」

(ぬる)いな。相手が口を利いてくれる人間だからって甘いんだよ。俺が殺意を持っていればお前を組み倒したときに背中から刺し殺すことだってできるってのによ。騎士ってのはそうなのか?それとも、門番は特別か」


 その時だけ彼の声は妙に冷ややかに感じた。言葉だけでは感じられない冷え切った氷の入った身の内が若干の隙間から冷気を漏らしたように。

 私は自分は真の残酷を知っているとばかりの彼の態度に腹を立てたのか声を張り上げた。


「黙れ!騎士の矜持などはなから持たぬが、私が甘いなどと云う戯言は許さん!」

「その状態でよく吠える。だが安心しろ。最初に言った通り命までは奪う気は無い。少し記憶を消させてもらうだけだ」

「記憶を?それは…!」


 男はおもむろに懐から一枚の札を取り出した。


「あまり融通は利かないが、”今”よりやや遡った時間までの記憶を消去するだけの便利な代物だ。数が無いんで使い場所を考えて取っておいてよかったぜ。じゃあな名前の知らない門番さんよ」


 そう言い放つと札を私の頭へ近づける。

 異様な格闘術や記憶を消すなどと云う発言。彼のいうことが嘘でなければたった今からその記憶さえ消えてしまうというのに、私は背後にいる城の中では見たことのない未知が恐ろしかった。妹のような怪物じみた力などではなく、まったく別物の恐怖が、私の知らない場所にあったということがなにより嫌で嫌でしょうがない。

 それはおそらく山の頂上をようやく捉えたかと思えば更なる道が続いていたかのような虚無、そんな感覚。

 悔しいといえばそう、新たな”道”を、城の外から現れた強さを見てもそれを記憶し手を伸ばすことのできないと思うと、私は、悔しかった。


「がっ?!」


 不意に背後から素っ頓狂な声がする。声と同時に”ごつん”よりさらに鈍い音がして私は諦めて閉じていた目を開ける。

 後ろから押さえていた手の力も抜けて、それどころか馬乗りになっていた体重もぐらりと揺れて私の体の横に倒れこむ。


「怪我はないか?」

「白髭、殿?」

「そうともさ白髭だ」


 背後に仁王立ちで立っていたのはほかならぬ同じ門の上に持ち場を構えた顎下に髭を蓄えた老人だった。一刻も周っていないはずなのになぜか私は懐かしいとさえ思えた。見慣れた私の日常の中に住んでいる妖精がごとき容姿に安堵する。


「上で待っているのではなかったのですか?」

「二人がかりで出ていけば警戒されて戦う前に逃げ出されてもおかしくないと思った故、伏兵に徹したのだよ」

「…さすがです」


 私はそのとき初めて同職の老人に感心をしたかもしれなかった。

 それはもう「さすが」などと、私が滅多なことでは使わない言葉まで使うほどに。


「さて、こやつをどうしたものかの」


 老人は目線を自分の足元に落とす。そこには頭を抱えて口から苦悶の音を垂れ流して(うずくま)るった見るも無残な男の姿があった。


「や、やあご老公。ご機嫌いかがですかな?」

「まったく、次は見逃さんと言ったろうにぬけぬけと戻りおってからに」

「いやぁ、面目もありませんな」


 それを言い残して彼は伸び切ってしまった。組み付されていてもなお大きな音を奏でた打撲は大層効いたらしい。


「まったく」


 老人は繰り返してそういった。

 まだまだ日は昇りそうにない夜空の下での一悶着は閉まらない結果で幕を閉じたのだった。


 もしも私がこの時彼に出会わなければ、運命とやらは違ったのかもしれないとふと考えてみることがある。しかしそう思うたび、これこそが正しい未来だったのだと肯定してしまう自分、ほかの選択肢などなくて、遠回りしてもどっちにしたってそういう結末を迎えていたんだろうと思う自分がいる。

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