旅の同行者
朝、彼女が起きるとジルは部屋の中にはいなかった。彼の荷物らしきものはソファの横に置いてあるので、出て行ったわけではなさそうだが、眠りにつくときはいた人物がいないことに、少し寂しさを覚えた。
赤の他人と同じ部屋で過ごしたが、ぐっすりと寝てしまった。脱走してからいつもどこか気を張って過ごしていたので、熟睡することはあまりなかった。彼が命の恩人であることが気を許す要因なのかもしれない。
「んん、よく寝た…」
目が覚めてからも起き上がる気力がなく、ベッドの上でゴロゴロとしているとジルが帰ってきた。彼がいないうちに着替えておくべきだったかと思ったが、もう後の祭りだ。
「走りに行ってたの?」
「*****、********」
少し額が汗ばんでいるように見える様子に問いかけるが、もちろん彼からの返答がどちらなのかわからない。息が切れているようには見えなかったが、朝の鍛錬でもしてきたのだろうと彼女は思った。
「******、***?」
ジルとの会話は専らジェスチャーだ。今はどうやら朝食を食べに行こうと提案しているようだ。ぐっすり眠ったと思ったが、そこまで遅い時間ではないのかもしれない。
「着替えるからちょっと待って」
服を手に持ち、バスルームへと向かう。さすがに彼の目の前で着替えるのは色々とまずいだろう。
「言葉がわからないって不便…」
海外旅行でも言葉が通じないなんてことは多々あるが、英単語を駆使して何とか意思の疎通はできるものだ。だが、ここでは世界共通語である英語なんて何の役にも立たない。
ジルがこちらのしたいようにさせてくれているので、今は何とかなっているが、このまま旅に同行するつもりであるなら、自分がこちらの言葉を覚えないといけないかもしれない。
「英語だってまともに話せないのに、異国語覚えるとか一生かかっても無理な気がする…」
まずはあいさつ程度から覚えたい。そう思っても、ジルにどうやって聞けばいいかがわからない。記憶力がいいとはいえないので、紙とペンを購入するところから始めないといけないかもしれない。
「お待たせしました」
盲目の男から貰った金を使って生活しているので、服も2着しか買っていない。眠るときは軍の捕虜となっていた時にもらった白いシャツを着ているが、今後はジルの目があるので、買った服を1日ごとに着まわすのもどうかと悩んでしまう。
正直なところ年齢的に外を歩くのに化粧をせずにいるのは辛いので化粧道具が欲しいし、下着も服と同じように着まわしてるのでもう2~3着くらいほしい。そして肌寒い日もあるので上着もほしい。しかし、街から街へと転々としてる身分としては、あまり荷物が多いと旅がしにくくなるだろうし、そこは考えものだ。
「…いつまで逃げればいいんだろう」
ドアを開けて待っているジルが不思議そうにこちらを見る。何でもないよ、と首を振ってから、彼女もドアをくぐった。
◆◆◆◆
はっきり言うと、ジルとの旅はとても順調だった。どこから金が湧いているのかはわからないが、宿代も食事代もほとんどジルが出してくれたし、旅慣れているのか野宿も苦にならなかった。鹿のような獣を仕留めて肩に担いで帰ってきたときはどうしようかと思ったが、彼女の心配をよそに手際よく捌いて鍋にしていた。
こちらが困らないように一定の距離を保ってくれる彼の目的は、一体何なのだろう。
「あなたはどうして私と一緒にいるの?」
ソファでうとうとしているジルに毛布を掛ける。金に困っているようには見えないが、ジルは頑なに宿ではシングルの部屋しか取らなかった。一緒に旅をしてから、彼がベッドで眠っているのを見たことがない。
「やっぱり何かの任務中なの?」
任務中だからうっかり熟睡しないようにベッドで眠らないのだろうか。宿屋のベッドが横並びになっていることが原因だと彼女が知るのは、もうしばらく後のことだ。