隻眼の男
ーーある日、突然現れた男は、獰猛な獣のような目つきをしていた。
「*****、****」
「***」
淡々とした抑揚のない低い声が紡がれる。隻眼のはずなのに、片方だけの瞳から放たれる眼光の鋭さに、身が竦むような圧を感じて、視線から逃れるように体をよじる。
共に来ていた白髪の男に腕を掴まれ、立つように促される。どうやらどこかへ連れて行かれるようだ。
天幕を出てしばらく歩いていくと、近づくにつれて鼻をつくにおい。鉄の錆びたようなこのにおいは、戦場で嫌になる程嗅いだむせ返る血のにおいだ。
「ぐっ…ひどい…」
どうやら連れてこられたのは怪我人を治療する天幕のようだった。地面に布を広げただけの簡易治療所にはたくさんの人が横たわっている。腕を引かれて連れてこられたのは、中でも特に重傷に見える男の前だった。
「***、****」
今にも命の灯火が尽きそうな年若い青年。顔の左半分が焼け爛れており、思わず目を逸らしてしまった。微かだが呼吸をしているのがわかるが、どこか苦しそうに鳴るヒューヒューという音が彼女の胸を締め付けた。
「********」
痛々しいその手を握るように促される。強く握るのも躊躇われ、優しく触れてみた。ふしぎと嫌悪感はなかった。
「…痛みが、和らぐといいけど」
傷になるべく触れないようにもう片方の手で肌を撫でる。人を屠るしか能がないが、気休め程度にはなるかもしれない。
しばらく手を握っていると、青年の表情が和らいだように思えた。それに比例して、体が重くなってくる。この感覚には覚えがある、魔力の使いすぎだ。
「……っ…」
目眩がしたところで、肩を掴まれる。顔を上げれば白髪の男が無表情でこちらを見下ろしていた。それから意識を失うまで、怪我人の治療を強要された。自分の行った攻撃で傷ついた人だと思えば、体が辛くても治すしかなかった。
「…これが罰なのかも」
それが一週間続き、これはおかしいことだと、違うのだ気付いた。天幕は三つあり、一つにつき十五人ほどが横たわっている。一人一人の治療をして意識を失う。それを毎日毎日繰り返しているが一向に怪我人が減る様子がない。
「戦争は…まだ続いている」
最初に治療したあの青年が三度目に現れたときに逃げよう、と決意した。怪我を治しても、また彼らは戦場へ行く。そしてまた、怪我をして帰ってくるのだ。否、帰ってくるならばまだいい。二度と戻って来ない者もいることは、彼女にもわかっていた。
治療を始めてから、見張りが緩くなっていることには気付いていた。治療が終わり天幕に戻されたあとは、意識朦朧としたままベッドに横になっていることが常なので、朝まで見張りは厳しくない。
「…!」
「****、***」
咎めるような声に、足を止める。いつも彼女がいる天幕の傍にいる男が、なぜかそこにいた。この男は盲目のようだが、相手の動きがわかるようだった。気配のようなものを察しているのか、日常生活を送ることに不都合はないようだった。
「(どうしよう、攻撃するか、それとも…)」
身構えた彼女をよそに、男は懐をガサガサ漁っている。そして、どさりと落とされたのは皮袋のようで、その開いた口から見えるのは銀色のコインのようなもの。
「お金…?」
「****」
落としたように見えたので、仕方なしに拾ってあげた。もしも、彼が自分を捕まえるつもりで落としたのだとしても、最悪魔法で縛り上げてしまえばいい。しかし、男はその皮袋を受け取ろうとはしなかった。まるでーー。
「くれる、の…?」
テーブルに置いた皮袋をこちらへと寄せる男は、どうやら女にそれを渡そうとしているようだった。もしかすると、脱走するのを見逃すどころか支援してくれるつもりなのか。
「あの、多分二度と会わないだろうし…お礼に目を治します。ーー治せるか、わからないけど」
目の辺りに手をかざせば、警戒するそぶりを見せたが、抵抗するつもりはないらしい。そのまま手の平に力を集中させれば、温かい光が灯った。だが、兵士たちを治しているときにある手応えのようなものが、彼には感じられなかった。
「…ダメか。先天的なものはダメなのかも…ごめんなさい。お金…ありがとう」
木々の間まで駆け抜け、暗黒の魔女はどこかへと「消えた」。気配を探ってみても、どこにも感じられなくなった。そして、親友に殴られる覚悟を決めた男はゆっくりと立ち上がり、一つ深い溜息を吐いた。