切り捨てる覚悟
ーー命の重さを、彼女は誰よりも理解している。
「無事だったか」
木に凭れ掛かり、目を閉じていたゼンフェイユの姿を認めた竜王は、大して感情を込めない声色でそう声を掛けた。彼は、この妹が負けるなどという心配は微塵も持っていなかった。
「……カエデは」
顔面蒼白になった幼馴染みであるジルの前に横たわるのは、彼の番である暗黒の魔女だった。ところどころ服が破れ、頰には擦り傷があり血が滲んでいるように見えた。
「カエデは心配いらない、気を失っているだけだ。ジリアンの方は大丈夫かはわからんが」
楓の手を握りしめ、必死に何か話しかけているジルはカイユザークが来たことに気づいていないだろう。番が意識を失い、最悪の事態に陥らないかと心配しているのかもしれない。
「フェイ、その腹の怪我は?」
ゼンフェイユの軍服の腹の辺りが真横にざっくりと裂けている。だが、服の間から見える筋肉のついた腹には傷は見当たらなかった。
「負傷兵を庇ってな。かなり深くいったが、すぐにカエデが治してくれた。そのせいで彼女は意識を失ったんだが」
傷一つない腹を撫でながら、ゼンフェイユが自嘲気味に笑った。楓の守護を任されていたのにという後悔の色が見える。この戦場に来てから魔力を酷使し続けた楓は、最後の力を振り絞ってゼンフェイユの腹の傷を治療したそうだ。
「陛下!状況のご報告を!」
木々を掻き分けて走ってきたのはジルと似た軍服を着た男だった。視線だけで先を促した竜王に、その兵士が口を開く。
「敵はおよそ500。斥候は防ぎましたが、侵入を許してしまい、兵士16名が負傷。医療従事者と動ける怪我人はゼンフェイユ様が誘導してくださったお陰で何とか無事です」
「…隊長、その報告は正しくないのでは?」
淡々と指摘するゼンフェイユの言葉に、隊長と呼ばれた男は唇をギリっと噛み締めた。一度きつく目を閉じた後、深く息を吸い込んでから彼は再び口を開いた。
「……動けなかった負傷兵6名は死亡。医療従事者と歩ける負傷兵はゼンフェイユ様の誘導で離脱するも、先回りしていた敵兵に囲まれましたが……暗黒の魔女が結界を張り守ったため、無事でした」
苦々しく告げられた言葉に、カイユザークは一つ溜息を吐いた。敵襲を見落とした痛手を非戦闘員である楓に救われるとは。
「カエデはきちんと役目を果たしてくれたらしいな」
「そうだな。ーー目覚めた彼女がそれをよしとするかはわからんが」
◆◆◆
目が覚めた時、楓は最果ての地の自室のベッドで眠っていた。
「………」
ぼーっと天井を見つめて、何があったのだったかとしばらく記憶を辿る。頰にはガーゼが貼られ、誰かが手当てをしてくれたことがわかる。
そうだ、怪我人の治療をしていたら急にゼンフェイユに腕を掴まれたのだ。敵襲を受けたから避難すると言われ、医療従事者と歩ける怪我人だけを連れて救護所から逃げ出したのだ。
救護所にはまだたくさんの人がいた。治療を受けてベッドに横たわる人、順番を待っていて治療を受けられず地面に座り込む人、医者に見捨てられ死を待つ人。
“自分たちは軍人です。覚悟はできています”
誰一人として置いていきたくないと言った楓にそう言って微笑んだのは、まだ年若い青年だった。そんな彼に、切り捨てられる覚悟なんてしてほしくなかった。
ーーああ、そうだ。私はまた、見殺しにしたんだ。
思い出すと同時に、涙が溢れてくる。
ーーなんて、無力なんだろう。
きっとこんなことを知ったら、ジルは楓のせいではないと慰めてくれるだろう、ゼンフェイユには偽善だと笑われるだろう。だが、それでも願わずにはいられないのだ。もっと自分に力があればと。
バレンツが部屋へ様子を見に来るまで、楓はしばらく涙を止められなかった。