竜人の、番
「ジリアンさん?」
後ろを歩いている男の足が止まったことに気付き、灰色の髪の青年は振り返って声をかけた。濃紺色の髪の男は、腕に抱いた女性へと視線を落としたまま、呼び掛けに答えた。
「気を失ったようだ」
「随分と憔悴されているようです。食事も碌に与えられていなかったのでしょう」
手枷を外した時に見た手首は、痩せ細っていて栄養失調のように見受けられた。体に力が入らないのは、魔力を行使しすぎているのと、栄養が足りていないからだ。あれほど強大な魔力を使えば、回復するまでに時間が掛かるはずだ。しかし、ありとあらゆる戦場へ連れまわされている彼女に、休む暇はなかった。戦闘が行われるたび魔女は現れていた。魔女が何人もいるわけではなく、どの戦場にもすべて彼女がいたのだ。
「魔女と言われている方が、こんなにも若い女性だったとは…」
「ああ…」
「こんな方が奴隷のように扱われて…許せません!」
彼女の頭に頰を寄せたジリアンを見て、灰色の髪の青年はふっと頰を緩めた。無表情が常の上司のこんなに優しい眼差しは初めて見る。彼の私生活側で仕えている兄に伝えたら、驚きと喜びで失神してしまうかもしれない。
「ジリアンさん、やはり?」
「ーーああ、間違いない」
唯一無二の存在。逢いたくて焦がれて、欲しくて欲しくて仕方のなかった、ただひとりの女性。魂が震えるとは、このことなのかとやっとわかった。
「……陣営に戻る。行くぞ、フェルツ」
「はい!」
ーー私の、番。
熱いスープに、柔らかいパン。清潔なシーツに、温かいベッド。相変わらず、監禁状態だったが、昨日までとは比べ物にならない待遇を受けていた。ーーしかし、助け出してくれた、あの濃紺色の髪の男はあれから姿を見せていない。
「…偉い人だったのかな」
もしも、将軍やら隊長やら軍の上に立つ人物だったのならば、忙しいのは当たり前だ。暗黒の魔女ーー自分が敵陣営から離脱したため、戦況は大きく傾いている。こちらの陣営が勝つのは時間の問題だろう。長かった戦争がやっと終結するのだ。
「…処刑されるんだろうなぁ」
温情。この待遇はそれだけだ。殺戮兵器である自分を敵が助けてくれるはずもない。仲間を同胞を、数え切れないほど殺した身寄りのない女を、生きながらえさせるほど国というものは優しくない。あるいは、また同じように殺戮兵器として、利用されるか。
「はやく、罰してほしい…」
殺して欲しいと願うのに、出された食事には手をつけるし体を清めたいと思ってしまう。矛盾しているが、どちらも本心だった。
言葉はわからないが、食事を持ってくる女軍人も、見張りも、皆とても丁寧に接してくれるので、勘違いしそうになる。ーー誰かがこの息苦しい世界から、助けだしてくれるのではないかと。
コンコンと戸が叩かれる。そろそろ食事の時間なので、いつもの女軍人だろう。
「*✳︎✳︎✳︎」
戸を開けたのは常とは異なり、手錠を外してくれたフワフワの髪の青年。白い盆の上には温かそうなスープとパンがのっていた。
彼はしばらく、彼女の食べる様子を見ながら、ニコニコと何か話しかけてきたが、言葉がわからずに困惑した表情の魔女を見て何か思い立ったようだった。手で待ってて、いうようにジェスチャーをした後、席を立った。
しばらくして、彼が持ってきたのは簡素な紙とペンらしきものだった。ーーああ、この世界にも“紙”はあるのだな、となんだかホッとしたような気持ちになる。こちらとあちらの共通点など見つけても、どうしようもないのに。
「✳︎✳︎✳︎✳︎、✳︎✳︎?」
「何を書けばいいの?」
ペンを持って何かを促されるが、生憎言葉がわからない。自分の名前でも書こうかと思ったが、この紙が何なのかはっきりとわからない。魔法があるのだから、名前を書いた途端に操られて、また殺戮兵器にされるかもしれない、と頭の片隅で思う。
早く終わりにしたい、と書き込んだ。戦いも、自分の命も、他人の命も、何もかも。
「✳︎✳︎✳︎✳︎…✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎」
書くように促されるので、とりあえず今の気持ちを書くことにした。
「…わたしは、これからどうすればいいんだろう?」