獣の血を継ぐ者
買い出しがてら、街を見て回っていた楓とバレンツは、人だかりができているのに気付いた。隙間から様子を窺えば、どうやら誰かが喧嘩をしているようだった。
「盗んでません!これは別の店で買ったものです!!」
「お前が鞄に詰め込んだのを見てたんだよ!!」
若い女の声と、店主らしき男の声。どうやら女性の方が店のものを盗んだと、疑惑がかけられているらしい。
「あの人、頭の上に耳が…!」
隙間から一瞬見えた女性の頭には、灰色っぽい少し毛の生えた小さな耳がちょこんとついていた。
「ああ、獣人ですね」
「獣人…」
竜人がいるならそりゃいるか…と納得しつつ、バレンツに腕を引かれてその場から離れる。可哀想だが、楓もあまり目立つことはできない身である以上、関わり合いになることは得策ではなかった。
がたいのいい店主とか弱い女性が対峙していると、つい弱い方を助けたくなるが、どちらが嘘をついているのか判断がつかず、周りも成り行きを見守っているようだった。
「あの耳はネズミ…ですかね」
「ネズミ…」
【獣人】は犬や猫、虎や鳥など動物の血が入っているらしく、身体能力は竜人には及ばないがとても高いそうだ。
「獣人は王都ではたまに見かけますが…ほとんどが小間使いですね」
ジルの治めるこの地ではあまりいなかったそうだが、領主が代替わりすれば街に住む人々も変わる。今後はこの街にも獣人が増えるだろうとバレンツは言った。
「…他国でもよくあることですが、自分たちの種族が最上種であって、他の種族を見下すことが多いんです」
つまり、あの獣人の女性はそのせいもあり、揉めていたのかもしれない。
「奴隷とまではいきませんが…それに等しい扱いを受けている者もいると聞きます」
闇市場では人身売買が横行していて、他種族が取引されることもあるそうだ。力のない人間は売れないらしくほとんど出回らないそうだが、獣人はとても多いという。
「基本的に竜人は“弱いものは守るべき”という気持ちが強いので、あまりいないと信じたいですが…」
この国の内情を聞きつつ、夕食の買い出しを済ませた二人は、屋敷へ帰ろうと道を戻る。その途中で見かけたのは道の端にうずくまる先ほどのネズミの獣人だった。
「バレンツ、あの人…!」
彼女の周りには買い物バッグが転がっており、中身が散乱していた。
「大丈夫ですか!?」
近くにあったバッグを広い、土のついてしまっている魚の包みを拾う。少し離れたところに転がっていた数個のレモンはバレンツが拾いに向かった。
「だ、大丈夫です…どうもすみません…」
「あ、血が…」
ポケットからハンカチを出して、口の端から流れる血を拭ってやる。まさかあの店主はか弱い女性の顔を殴ったのだろうか。
軽い治癒を魔法をかけてやれば、頬の腫れはすぅっと引いていく。急に痛みが引いていくことに驚いたのか、女性はしきりに瞬きを繰り返している。
「レモンはダメですね…潰れていました」
バレンツが手に持ったレモンは誰かに踏まれてしまったのか中身が出ている。
「そんな…高かったのに…」
絶望を滲ませたネズミの獣人は、どうしよう…と小さな声で呟いた。
「あの、もしよければ、オレンジなら差し上げられますが」
もし料理に使うのなら、レモンの酸味をオレンジで代用することは可能だとバレンツは言う。この国のオレンジはとても酸っぱいのだ。先ほど果物屋でオレンジを5個ほど買っていたので、よければ譲ると申し出たが、彼女は緩く首を振った。
「ありがとうございます…でも旦那様はレモンのスライスがお好きなんです…」
一瞬、新しいレモンを買ってあげるべきか迷った楓だったが、財布はバレンツが持っている。どうしようかとちらりとバレンツを見ると、彼はひとつ頷きを返した。
「あ!いえ、大丈夫です!お金はあるので、また果物屋さんへ行ってみます」
楓とバレンツの目配せを見ていたらしい女性が慌てて立ちあがった。高いレモンをダメにしてしまったことが悲しかっただけで、買う余裕がないわけではないらしい。
「あ、そうなんですね…お気を付けて…」
「ありがとうございました。本当に」
ぺこりと頭を下げて、女性は足早に去って行った。
「なんか…やるせないなぁ」
「………そうですね」
もっと何かをしてあげるべきだったのか、揉めていた時に口を挟むべきだったのか。
もやもやとしたこの感情をぶつける先もなく、ひとつ溜息を吐いて、楓とバレンツは再び帰路についた。