最果ての地
「…結構ひどいですね」
思わず漏れたフェルツのその言葉に、三人は大きく頷いた。とりあえず領地の視察として数日分の荷物だけ持ち、着任地を見に来てはみたが、予想以上にひどい有様にすでに心が折れかけていた。
「人が住める環境ではないように見えますが…前領主が住んでいた屋敷はあれですかね」
バレンツが地図と現在地を見比べるが、何度見ても目的地はあの廃墟のようだ。ガラスが割れて蔦が生い茂るのはまだわかるが、壁が崩れている様子は、使われなくなって数百年は経っているようにも見える。
「今晩はどこかで宿を取った方がよさそうだな」
「そうだね。…宿があればいいけど」
領主の屋敷は街の中心から外れた高台にある。ここに来るまでに街中を通ってきたが、宿と呼べるような建物を見た覚えはない。
率直にいえば、木と布で雨風を凌ぐだけのテントのようなものばかりで、家と呼べるようなものはほとんどなかった。
「…野宿した方がましな気がします」
「言うな、バレンツ」
万が一、億が一に宿があったとしても寝泊まりしたいと思える場所であるか、甚だ疑問である。綺麗好きを自負するバレンツが、そんな場所にあるベッドで眠れるとは思わない。軍人であるジルとフェルツはどこでも眠れるが、女性である楓もあんな場所では眠りたくないだろう。
「そうですね…適当にこの辺りにテントを張りましょうか」
「うん、賛成」
ごろごろした石を避けるべく手を翳す。手の平がじんわりと暖かくなるのと同時に、石がひとりでに四方へ転がり出す。小石をきちんと避けておかないと、寝たときに背中に石が当たって、痛い思いをするのだ。
「魔法の扱いがうまくなりましたね」
「少し慣れてきたかな。みんなの役に立てるならこの力も捨てたものじゃないね」
今のところは魔法を行使して極度に疲労することもなかった。細かい作業はまだうまくできないが、力を使い慣れておくことは大切だろう。
「少し街を見てきます。風呂くらいはどこか使えるところがあるかも」
あらかた荷物を降ろし終えたフェルツが、剣だけを腰に佩く。来る途中に砂漠を抜けたため、砂ぼこりで体がべとべとだった。川で体を洗うより、街に風呂があれば借りたいところだ。
「私も行こう」
「いえ、ジリアンさんはここに。非戦闘員二人だけを残すわけにはいきません」
「そうか…それもそうだな」
剣が使える二人がこの場を離れては、何かがあったときに対処できない。バレンツはともかく、楓に何かあっては大変だ。
「だったら私が一緒に行くよ。ここに残ってもテント張りとか力仕事では役に立てないだろうし」
「わかった、頼む」
楓の頬を撫でたジルが、流れるように彼女の額に唇を寄せる。リップノイズに思わず赤面したバレンツは、見なかったふりをしてテント張りに取り掛かった。
「我が兄ながら、うぶですね」
「バレンツは可愛いよね」
くすくす笑う二人に文句を言ってやりたかったが、それを察知したのか早々にこの場から離れたようで、バレンツはどこへも向けられない怒りをしばし腹に抱えることになったのだった。
◆
「店がありませんね」
「だねぇ」
ぐるりと街を回ってみたが、期待した風呂どころか、商店すらなかった。たまに瓦礫の陰に隠れる人が目につくが、着ている衣はボロボロで瞳は虚ろ、この領地の領民とは言い難く、声をかけられなかった。
「ねぇフェルツ、この痕って…」
ふと地面に何かを引きずったような痕があることに気付いた。それは街の端から中心へと長く伸びていて、途切れることはなかった。
「恐らく魔物が這いずった痕でしょう。夜になると街中にも現れると聞きました」
この領地は元々、魔物の侵攻を抑える重要な土地だった。それが今や荒廃して、何の役にも立たない場所になってしまったそうだ。ここを立て直すのが、一国を滅ぼしたジルへの罰でもある。
「夜はジリアンさんと僕が見張りをしますから心配しないでください」
顔のひきつった楓に、フェルツは優しく微笑む。魔女と呼ばれていても彼女は一般人だ。得体のしれない魔物を怖がるのは当然である。
「毎日申し訳ないです…」
そうは思っていても、不寝の番なんてしたことがないので、どうすればいいのかわからないし、何かが起こっても役に立たないだろう。それはバレンツも同様で、夜の見張りはジルとフェルツが交代で行っている。
「いいえ、そのために来たんですから」
フェルツは気にするなとい笑うが、少しでも役に立ちたいと思うのは人の心理だ。
もし自分が結界を張れるようなら、テントに結界を張って皆が眠れるようになるかもしれない。あとで試してみよう、と思いながら楓は先を行くフェルツの後を追った。