罪と罰
澱んだ空気に薄暗く肌寒い牢にいると、こちらの世界に来たばかりのことを思い出す。人間の国で受けた恐怖心は、そう簡単には拭い去ることはできないだろう。
どこからか水滴の落ちる音がする。簡素なベッドに腰掛け膝を抱えて、ただ時間が過ぎるのを待つ。牢には窓がないので、どのくらい時間が経ったのか、昼なのか夜なのかさえ分からなかった。
「カエデさん」
足音が一切しなかったが、不意に声を掛けられ楓は緩慢に膝に埋めていた顔を上げた。そこに立っていたのはフェルツだった。
「ジリアンさんが身動きが取れないので僕が代わりに。…どうか、ここから出て一度ジリアンさんと話を…」
フェルツが懐から取り出したのは牢の鍵だろう。どこから入手したのかはわからないが、彼は規律を破ってまでここにいるのだということがわかる。
「フェルツさん、私の気持ちはあの時と変わってません。罰を受けたいんです…」
「カエデさん…」
「ジルにも伝えてください。私は逃げる気はないと」
自分で命を絶つのは怖い。それができたら一番いいのだろうが、そうする勇気がない。だから、誰かが罰を与えてくれるなら、それを甘んじて受けるつもりだったのだ。
「…これまでにしてきたことは、あなたの意志ではないのに」
「それでも、私がしたことは事実です」
真っ直ぐに見据えるその瞳に迷いがないことがフェルツは怖かった。彼女は軍人ではない一般人だ、それもこちらとは比べ物にならないくらい、平和な世界で、場所で、暮らしていたという。
ひと月、共に旅をしていたジルがとめられなかったのだ、きっと自分では彼女の気持ちを変えることができない。
――番を亡くした者が、心を病んで死を選ぶことは少なくない。このままではジルもどうなるかわからないのだ。
「嫌な言い方をしますが…」
処刑の日程はまだ決まっていない。人間の国で殺戮兵器として扱われていた【暗黒の魔女】に同情する者もいるため、話がなかなか進まないのだ。時間がたっぷりあるわけではないが、少し考える時間はあるはずだ。
「あなたが処刑された後、ジリアンさんの精神がどうなるか…彼が何をするかわかりません」
楓が連れて行かれた後、兵士たちを相手に大暴れしたジルは力づくで抑え込まれた。彼は戦争を終結させた英雄でもあるので、軍の規範を破ってはいるが大々的に罰することはできなかった。近いうちに軍法会議にかけられるだろうが、竜人であれば“番のため”の行動には甘いところがあるので、降格くらいの処分で済むだろう。
「あなたのために、ジリアンさんが人間の国を滅ぼしたことはご存知でしょう」
しかし、ジルの精神はすでに憔悴しきっている。番の命がいつ奪われるかわからないのだ。楓が処刑されれば後を追って命を絶つか、番を傷つけた国を滅ぼしかねない。
「………っ…」
かなり卑怯な言い方をして、揺さ振りを掛ける。後々、恨まれたっていいのだ自分は。彼の心が、その番が守れるのなら。
「……それでも、私は逃げられません。…ごめんなさい」
「…わかりました。今日は帰ります」
看守の目を盗んできたので、あまり長居はできない。力づくで楓を逃げ去ることもできるだろうが、彼女の意思を無視することは、フェルツにはできなかった。
「ごめんなさい…」
か細い声で紡がれる謝罪を背に聞きながら、フェルツは牢へ続く重い扉を閉めた。