第六十五話:輪になって踊ろう
九尾の狐。
齢一万歳を越える化け狐であり、それはもはや『生ける時代』である。
エルフの長寿など、九尾の狐と比べれば一瞬の光の矢だ。
『森のピンチを颯爽と解決し、愛弟子と「ん~っ! チュチュ~!」するんじゃ』
九尾の狐はそう叫んで、空中に幾つもの火球や暴風、氷、雷の塊を作り出す。
王子の軍隊を九回は滅ぼせるその魔術が、まさに嵐となって襲い掛かる。
「その寸前に『魔力が切れた』とか、なにしてんのアンタ?」
「にゃーん」
「ブヒヒィ(鳴いて誤魔化してますよ、この駄猫)」
銀色の猫が前足で顔を洗っている。完全に猫と擬態していた。
「うぅ、また師匠を見失った……クィン、オマエだけだよ、俺と一緒に居てくれるの」
「にゃーん」
エルフ少女であるフィーオと、オーク族のピッグが、ギョロっと目だけでコンタクトを取る。
(もしかして、アイツ……猫の正体が『九尾の狐』って気付いてない?)
(ブヒヒィ(おもいっきり、九尾の狐から猫に変身しましたよね))
(てかあの狐が自分で『あ、ちょっと前に魔力使い終えたの忘れてた』とか言ってたじゃん)
(ブヒヒィ(なんか『もう歳じゃのぅ。若い頃のようにはいかん』ともホザきましたな))
(九尾の狐って、年取れば取る程に強くなるんじゃないの……)
銀色の猫に頬擦りして涙を流す魔術師の少年リュートは、その使い魔の猫にひたすら泣きつく。
だが猫は九尾の狐に戻る事は無く、蝶々を追いたげに少年の腕で前足をジタバタしていた。
「た、助かったのか? よくわからんが、助かったのだな」
「そのようですね、王子」
心労でゲッソリとやつれた側近の女性が、王子の前から再び背後に移動する。
王子と呼ばれた少年の顔にも、かなりのストレス疲労が見て取れた。
「ブヒヒィ(あー、テステス。マイクテスト。これがマイクに見える人ー)」
「どっからどう見ても、マイクだべなー」
「んだんだ」
王子の軍隊に居る歩兵達が、ピッグの持つマイクを見て頷き合う。
その結果に満足したのか、オークは満足気だ。
「ブヒヒィ(マイクテスト完了っ。これはマイクの『リアリティ』を持っていると決定)」
「音質じゃなくて、形状のテストって意味あるの?」
フィーオのその言葉に、突如ピッグが激高した。
「ブヒヒィ(マイク素人が、この私に意見するかぁ!? そうだ、味もみておこう)」
『ガリィィィィッ』
「あーー! 変な音っ、変な音がぁーー!」
「どこにスピーカー置いたのよ、あんたっ! さっさとスイッチ切りなさいっ」
耳を劈く不快な咀嚼音に、この場に居る大半が頭を抑える。軍隊も例外では無い。
押さえていないのは、王子だけだ。
真顔で手刀を直角に立たせて、そのままスッと腕を下ろす。
「取り押さえろ」
速やかに軍人たちがフィーオたちを簀巻にした。
「ブヒヒィ(いやぁー! マイクごと簀巻いやぁー! 変な所に入ってるのぉ!)」
「わっちゃー。やっぱ二度も三度も同じ方法は通用しないかぁ」
「聞いてクィンにゃーん。ちょっと言い難いんだけど、聞いてクィンにゃーん……」
師匠と呼んでいた九尾の狐が消えて、余程に堪えたのだろう。
囚われるのも気にせず、忘我のまま魔術師の少年はブツブツと呟いている。
「猫大好きって言われたの。聞いてくれてありがと、ペディグリーチャムファウ」
「名前変わってんじゃない」
エルフ少女の恨めがましい声も、全く耳に入らないようだ。
ともかく、王子の軍隊を取り巻く状況は無茶苦茶だ。
洞窟の奥にある森の抜け道を通れば、後は敵国の都まで目と鼻の先。
一気に奇襲して、この不本意な戦争を終わらせる。
なのに、洞窟を守るようにフィーオ達や九尾の狐が現れて、混乱をきたした。
「とはいえ、時間稼ぎの狙いが『九尾の狐』の登場だとしたら、これで奥の手は消えたな」
「王子、今こそ洞窟への突入命令を出すべきでは無いかと」
「うん。そうだな」
ようやく邪魔者が入らない。
安心して『戦争を終わらせる為の戦争』が出来るのだ。
幾ら絶対的優位の奇襲とはいえ、自軍にも死者は出るだろう。敵軍はもっとだ。
まして敵が居るのは『都市』である故、民間人の犠牲も絶対に有る。
「それでも、正面向いて削りあうよりは、よっぽどマシだ」
「王子、ご命令をっ」
側近の言葉に大きく頷いて、王子は突入命令を下した。
「全軍、突入せよっ」
「鬨の声を上げろぉおおおお!」
二度目の上官の命令に従い、一般歩兵たちが洞窟に向けて殺到する。
絶叫にも似た声が、軍隊の全員から上がるのである。
『ウボァアアアアアアアアッ!』
腐ったシチューを再度煮込んで沸騰させたような、絶望的な腐臭を感じる濁音。
勿論、王子の軍が放った鬨の声では、無い。
それは、人間の声帯が出していい声では無かった。
「うっわぁあーーーー!」
「今度は何だ……?」
濁音の大合唱は、洞窟を包囲する王子の軍隊の、更に包囲する形でうぞぞっと響く。
周囲を見回す。そこら中から見える、木立で怪しく光る目の輝き。
ずしゃ、べしゃ、という薄気味悪い足音を引き連れて、それらは現れた。
「ぞ、ぞ、ぞ、ゾンビィィィ!」
* * *
「完全に囲まれてるぞぉ! 冗談じゃねぇ、こんな森に居られるかっ、おうち帰るぅ!」
軍隊を十重二十重に囲んで黒い風を運ぶゾンビの群れ。
その中央に、一際巨大な人型ゾンビの前で仁王立ちする、全身に髑髏を装着した中年男性。
「復讐するは、我にアリィッ! エルフ狩りギルドを壊滅させた大罪人、俺が裁くっ」
死霊使いらしき男は、そう宣言してフィーオ達を指差した。
確かにエルフ狩りギルドを壊滅させたのは、彼女たちである。
でも、状況が分かっているようには思えなかった。
「あのー、すんませんのぉ」
「なんだ雑兵。今、啖呵を切る場だから短めにな」
歩兵の一人が、申し訳無さげに死霊使いへと話し掛ける。
「ワシら、全然関係無いんじゃなかと」
「無いな。ていうかオマエラ、何?」
いよいよ王子は頭を抱えた。
どうして、こうも次々と変人ばかり現れるのか。
この森でまともな人間は居ないのかっ。
「軍隊じゃのう」
「そうか、そりゃ気の毒に。まぁゾンビ映画では、ゾンビに負ける軍隊はお約束だしな」
「いやその、ワシらを無視してくれたら嬉しいんじゃが。目的はあの子らだけじゃろ」
その言葉に、死霊使いがハッハッハと大笑いする。
まるで「これだから田舎者は」と言いたげな失礼な笑い方を終えて、真顔で言った。
「前回の反省として、強い個体の対魔術障壁は対応され易いと判明した」
誰にも分からない反省を述べつつ、だから、と死霊使いは続ける。
「ほぼ全部のゾンビに障壁をつける飽和戦術だ。故にゾンビ軍団は全く命令を受け付けん」
『ウボァアアアアアアアア!』
「つっきゃああああああっ」
誰かが上げた悲鳴と同時に、そこら中でゾンビが暴れ出す。
あまりの多さに、誰も何も対応出来ない。
「なんかこのルイスって名前のゾンビ、足すんごく速いっ。速過ぎぃ!」
「こっちのゾンビは逆に、歩行器使う爺ちゃんより遅いぞっ」
「右腕上げてハイルなんたらーって叫ぶヤバ過ぎなゾンビが居るぅー!」
「襲うのに持て余したからって、裸で盆踊りしてんじゃねぇよーっ」
「あーもう、ちょっとはマシなゾンビ見ろ、オマエラっ! レコード投げんぞっ!」
見ろも何も、襲われる以上は抵抗するしか無い。
王子の「円陣防御ッ」というオーダーに従って、軍隊が整列していく。
実際に襲われる者こそまだ居ないが、暴走状態のゾンビだ。何が起きても不思議じゃない。
「クカカッ! みな、生き生きと暴れておるわっ」
「ブヒヒィ(ああいう台詞には、下手に構わない方が良いですね)」
「てか、アイツの傍に居る大型ゾンビに襲われてくれないかしら」
「聴こえたぞっ、我が宿敵ども」
死霊使いが大袈裟にマントを翻す。
髑髏のイラストが描かれたマントは、フィーオ達になんとも言えない哀しさを招く。
ああいうの本当に着ちゃう人なんだ、そうなんだ、と。
「こいつは我が最強の守護者。対魔術障壁を施しとらん。だからゾンビの中央でも安全」
見れば大型ゾンビは、近寄るゾンビを千切っては投げ、千切っては投げをしていた。
「なにそれズルーイ」
「クカカッ! この俺が策も講じず『二度も』暴走させるワケが無かろうっ」
「ブヒヒィ(ああいう絡んで欲しげな言葉とかも、積極的に無視して行きましょう)」
そんなフィーオ達は軍隊のど真ん中で拘束されている。つまり、円陣防御の中央だ。
自然、安全地帯へと移動した王子と隣り合わせになった。
「あ、馬鹿王子だ。やっほい」
「キミか……難儀な森だな、ここは」
げんなりとした様子の王子が、簀巻で挨拶するフィーオにそう返事した。
囚われの身にも関わらず、この明るい様子は何なのか、と王子は更に憂鬱となる。
「楽しくて良いじゃない。天よ、我に七難ハーロックを与え給え、っていう奴よ」
「違う、七難八苦だ」
「え、七つの宇宙で遭難した海賊って意味じゃないのっ!?」
「そんな役立たずを貰ってどうする」
「暖炉の上にでも飾るわ」
王子には、相変わらずエルフ少女の言葉は意味が分からない。
だが今はそんな些事に構う事無く、彼はこの窮地を脱せねばならぬ。
「あの死霊使いを倒すか。あるいはターン・アンデッドで一気に蹴散らすか」
戦略を整える王子に、フィーオが冷たい様子で言い捨てた。
「無理でしょー。死霊使いを守るあの大型ゾンビ、見た目なりに強いし」
「くっ。死なない戦士では、集団による攻撃も殆ど無意味……一撃破壊の力が必要か」
「後者のターン・アンデッドだって、そもそも対魔術障壁されてるのに無理よ」
ターン・アンデッドは神の力を借りる、とはいえ『神聖魔術』の名の通り、魔術だ。
当然ながら対魔術障壁を上回らねば、効果は現れない。
「あいつエルフ狩りギルドの腕利きだったみたいだし、そこらの魔術師じゃ難しいんじゃない?」
「じゃあ、どうしろというのかっ」
もう間も無くゾンビが王子の軍隊に絡みつく。
そうなれば、おしまいだ。
「僕はこんな事で、彼らを死なせてしまうのかっ……こんな事で、こんな場所でっ」
もはや戦争ですらない。ゾンビに襲われて、ゾンビになるのだ。
こんな屈辱的な敗北で人生を終える。
王子は、天を仰いだ。
「神よ、七難八苦を我に与え給え……彼らでは無く、どうか我に……」
仰ぎ見た木々の枝々の僅かな隙間。そこに浮かぶは、白い雲。
その雲海の向こうが神の神殿であるならば、どうか伝わって欲しい。
兵士たちに罪は無い。全て、評議会の私利私欲で始まった戦争だ。
それを止められなかった咎は、受けよう。
「だが彼らに罪は、無い。この戦争における罪は、決してっ!」
天に叫ぶ王子の視界に、ただただ木々の枝が絡み合う。応える神は居ない。
応えぬ天から目を離して、王子は自らの民である兵士たちへと視線を戻した。
彼らは、王子を見ていた。
「助けて下さい、王子……」
「いやだ、家に帰るんだっ」
「戦争じゃない、こんなの全然違うっ」
「王子、どうかお慈悲を」
どうか、どうか、どうか。
助けを求める合唱が、王子の前に広がっていた。
こんなにも誰かから求められるなど、彼の人生において決して無かった。
「っ! ……僕は、僕は……」
にも関わらず、何も出来やしない。
泣きそうになる王子の前に、哀しそうな顔の側近が立った。
王子の視界が、黒く閉じられる。
「目と、耳と、口を閉じさせて頂きます」
側近の声だ。
王子の頭を両手で覆い、胸の中に抱き締める事で口を閉ざした。
「馬鹿王子だ、無能だと言っておきながら、こういう時だけ頼ろうとする」
「ブヒヒィ(こういう時に頼りたくて、王子様が居るんだろ?)」
ピッグの言葉に「勝手な事を言うなっ」と側近が叫んで返事をした。
悲鳴にも似た返事は、王子の扱いを知る側近ゆえの苦悩と苦痛に満ちている。
それらの理解など、誰にも出来はしない。当事者である王子ですら。
今や暗殺されるのを待つだけの、王子ですら側近の苦しみは分からない。
「だから、みんな滅びてしまえぇ!」
それは側近の世界が王子のみの狭い物だからこその、絶望であった。
絶望をカバーする要素が他に何も無い。垂直落下だ。
「それを聴かれたく無くて、王子の両耳を塞いだのね」
嫌悪感すら滲ませて、フィーオはひょこっと立ち上がった。
簀巻にされたままだが、器用に膝立ちとなっている。
その表情は、王子や側近のようには哀しみに暮れていない。
「全く、少しは世界を信じてあげなさいよ。誰かが自分の為に戦っているって」
「ブヒヒィ(ですな。まぁ当人にそのつもりも無いかもしれませんが)」
「そりゃそうよ。私はそこまで傲慢じゃないわ。だから、信じるだけ」
ゾンビが、軍隊に襲い掛かってくる。
その最後の瞬間、フィーオは小さく笑った。
「戦えない私達も、時間だけは稼げる。それが私達の戦い。誰かが勝つと信じて、時間を稼ぐ」
信じるだけでは無意味である。祈りが通じる保証は無い。頼るだけでも助からない。
森で生きている事で、森の恵みを知る事で、それをフィーオは実感していた。
自然は脅威だ。だが恵みを与えてもくれる。知れば知る程に、応えてくれる。
その生き方こそが、今のフィーオに笑みを与えていた。
「出来ることを限界までやったわ。だから、後はお願いするだけっ」
フィーオは、そう宣告して、最後に言い切った。
助けて、マルコッ!
第六十五話:完
ゾンビ映画を制す者、映画を制す。(リン・ミンメイ書房)
と言える程、観ているワケでもありませんが、好きなジャンルではあります。
なんせ昔々のビデオテープのレンタル店って、人気作が凄くお高い。
でもゾンビ映画のような不○気作だと実に安い! つい借りちゃうんですよねー。
それでは、楽しんでいただけたなら幸いです。ありがとうございましたっ!
次回の投稿は、9月17日を予定しています。




