第六十二話:川を渡ろう
キメラゾンビとの戦いを終えた俺は、取り敢えず身体の汚れを落とすべく、川へと向かった。
傷は治って消えても、戦いで染み付いた臭いは消えない。
今回は泥や傷の汚れのみならず、魔術による火球などの煤も付いてしまった。
「マルデ焼ケ出サレタ避難民ダ」
俺は服を着たまま川に入り、その水で全身を洗い流す。
ここは渡河に小舟を要する大きい川だ。
川底も俺の身長程あるので、あまり深入りすると溺れかねない。
肌の様々な汚れが、手で撫でる度に落ちていく。
つい先程、深い怪我を負ったなど思えない。まるで不死の怪物である。
「所詮ハ木偶、カ」
虚しい身体だ。
自分を見ないよう、俺はなんとなく視線を対岸へと向ける。
そして、それらが目に飛び込んできた。
何百人という武装した兵士達が、川沿いを静かに、だが一糸乱れず進軍しているのを。
* * *
「あら、お帰りなさーい。マルコ、どこ行ってたの」
「ブヒヒィ(もう先に昼飯は食べちゃいましたよ、兄貴)」
小屋に戻ると、フィーオとピッグがそんな事を話し掛けてきた。
一刻の猶予も無い。急いで準備しなければ。
「聞いて驚きなさい。ここに”オーク定食”は無いっ!」
「ブヒヒィ(兄貴の分も食っちまったよぉ。腹ぁいっぱいだぁ)」
「だから昼ご飯は、自分で作りなさいねー」
フィーオが絡んで来るが、今は彼女にどう話せば良いのか。
つい先日、軍隊が迫ると報告を聞いたばかりだ。それで今日の進軍。
まさかエルフの里が一瞬で制圧されるとは、考え難い。
贔屓目では無く、兵站の設置やゲリラ対策での無力化など、やる事は非常に多いからだ。
「オイ、ピッグ。オマエ、何カ武装出来ルカ?」
「ブヒヒィ(はい? 武装、ですか。そりゃまぁ、一応は剣くらい使えますけど)」
「何デモイイ。準備ヲシロ」
いや、フィーオに話すべきか悩んでいる暇は無い。
事ここに至った以上は、どこも戦場の成り得るのだ。
なんとか、彼女にショックを与えないよう、上手く話さなければ。
「なになに、本当にどうしたのよ」
「実ハ……」
「た、た、大変だぁーー!」
素っ頓狂な声が小屋の外から響き、入り口の扉をピッグが閉じて支える。
「ブヒヒィ(非常事態である。名を名乗れ)」
「俺だ、ヌケサクだよ。オマエの兄貴分のヌケサク兄貴だよっ」
「ブヒヒィ(本当に俺のあんちゃんなんだな? じゃあこの質問に答えてみろ)」
A:優しい風が集まって出来るモノ。
B:激しい波が重なって出来るモノ。
C:煌めく光が融け合って出来るモノ。
「レイアースのエッチな同人誌」
「ブヒヒィ(あんちゃんだぁぁぁぁ!)」
扉を開けると、そこには全身に汗を掻くヌケサクが居た。
かなりの距離を走ったのだろう。膝がガクガクと震えている。
「大変です、兄貴ぃっ! 川の向こうに軍隊が来てますっ」
あ、拙い。
「しかもエルフの里からの道だ。もしかしたら、もうヤラレちまったのかも」
「は、はぁ!? そんな、バカな事あるわけ無いじゃないっ」
ヌケサクは、どうやら俺と同じモノを見たようだ。
しかし、彼は気が回らなかったのか、フィーオを前にしたままソレを言ってしまった。
小屋を飛び出そうとする少女を肩に抱え上げて、俺はヌケサク達に声を掛ける。
「準備ヲシロ。小屋ヲ出テ避難スルゾ」
「俺はこのまま周りの連中に知らせます。とにかく、ここを離れないとっ」
「ブヒヒィ(あわわ、物置から武装を持って来ます)」
食後にある昼下がりの気怠い気分も吹っ飛んで、俺達は忙しなく行動を開始した。
だが納得など全く出来ない子が、ここに居る。
「なんで? どうして、逃げるのよ! お父様達を助けに行かないと……」
「軍隊相手ニ何ガ出来ルッ」
「マルコ達って強いじゃないっ。強いなら弱い人の為に戦わないと、意味が無いわよっ!」
意味が無い。確かにその通りだ。
どれだけ個人が心技体を鍛えても、集団の力には到底に敵わない。
俺が一人を殴って倒す間に、数十人から剣や槍や矢が飛んでくるのだ。
その幸運にも全て避けて、再び一人を倒せたとしても、それを数十回繰り返すのだ。
「俺ガ強イ事ニ、意味ハ在ル。里ヲ助ケラレナクテモ、オマエ達ナラ守レル」
「嫌よっ。エルフの里が、私の故郷が無くなったら、そんなの私を守ってる事にならないわ」
「ブヒヒィ(フィーオ姐御、お言葉ですが……ではどうしたいんですか?)」
物置からナイフや胸当てを持って来たピッグが、いつになく険しい顔で口を開いた。
フィーオを下ろせない俺の手の代わりに、彼は防具を装着させながら言葉を続ける。
「ブヒヒィ(里に向かえば皆捕まります。助かる可能性はゼロです)」
「そんな事、行かないと分からないじゃない」
「ブヒヒィ(捕まります。鼠一匹逃さない、その為の高いコストを払う軍隊行動です)」
「ソウダ。ソレニ、マサカ里ヲ焼ク事ハ、アルマイ」
そう言いながら、俺はぞっとする想像に至った。
確かに通常の作戦行動なら、兵站や武装解除は時間が掛かる。
だが「全てを奪い、焼き払って」しまえば、そこのタイムロスはゼロである。
まさか、な……。
「うぅ……でも、私はエルフの里に戻りたい、よぅ」
ポロっとフィーオから涙が溢れる。
そりゃそうだろう。親も居れば家もある。何があっても戻りたいはずだ。
俺は、今にも声を上げて泣きそうな少女に、ゆっくり話し掛けた。
「状況ガ変ワレバ、里ニ向カオウ。捕マッテイル村人ガ居レバ、助ケヨウ」
「ほ、本当にっ?」
「アア。今ハ無理ダ。ダガ敵ガ手薄ニナレバ、俺達ダケデモ出来ル」
これが精一杯の譲歩である。
少女の父親である、エルフの族長ならば「余計な事をせず、隠れていて欲しい」だろう。
子供に危険が及ぶ事ほど、親にとって恐ろしい事態は無いからだ。
「約束だからね。絶対、絶対に助けに行くって」
「任セロ。俺達ハ、エルフ狩リギルドヲ壊滅サセタンダゾ」
とは言え、アレは数十人程度だったが、今度は桁が違う。
その差の事実は、あまり考えないでおこう。
「ブヒヒィ(しかし逃げるとしても、川を渡られたら厄介ですよ)」
「軍隊ガ行軍スル以上、行商用ノ道ヲ使ウダロウカラナ」
そうすれば、この小屋まで一直線である。
彼らは森に隠れ住むモノ達の不意打ちを受けぬよう、斥候を次々と出すだろう。
下手に動けば見つかりかねない。フィーオを連れて逃げても、速度に限界がある。
「天ニ運ヲ任セテ隠レル、カ」
『あるいは、川を渡らせないか、って所ですかねぇ』
女性の声が聴こえて、俺は小屋の外を見た。
そこには一人の美女が、全身を井戸水で濡らして微笑んでいる。
クラーケン、か。
『ヌケサクさんから聞きました。この森の客人として、協力しましょう』
「シカシ、敵ハ軍隊ダゾ。一人二人、戦力ガ増エテモ……」
『軍隊だから、です』
美女は恐怖と畏怖すら与える、モンスターとしての壮絶な笑顔を見せた。
水属性の怪物として、上位に君臨するクラーケンとしての。
『大勢を運ぶなら、船なり橋なり必要でしょう?』
それは宣言する。
人の身にはどうしても抗えぬ、海の災厄の女王として。
『大丈夫。一人も川を渡らせませんよ。ええ、渡れるものですか』
* * *
森の進軍は、足が蕩けそうになる程に遅い。
奇襲による待ち伏せの心配こそ少ないものの、病気や怪我などの危険は少なく無い。
今はまだ士気も高い軍勢だが、いざ脱落者が出始めればどうなるか。
「王子、私の傍を離れないで下さい」
「ああ。分かっている」
離れるも何も二人は同じ馬だ。胸の中に少年を抱き抱えるようにして、女性が言っていた。
その周囲には重武装の兵士が固め、更にその後ろには綺羅びやかな馬車が続く。
何も知らぬ者が見れば、この馬車が『王子』の車だと思うだろう。
実際は軽装のまま馬に乗る少年こそが王子であり、最低限の武装をした同乗者が彼の側近だ。
「おっと、馬がよろけちまった」
わざとらしくそう言いながら、重武装兵の一人が馬の頭を王子達の馬に向ける。
彼は側近の背中をいやらしく撫でると、ゲラゲラ笑って離れていく。
「こいつら、王子を守る気があるのかっ……」
あるはずが無い。
親衛隊とは名ばかりの監視役であり、待遇は捕虜の様な物だ。
この軍勢の指揮権は、後方の馬車に居る評議会の議長にこそある。
今は『将軍』としての地位を得て、軍隊を統率していた。
「汚い泥で靴を汚し、僕に舐めさせると言っていたが」
馬車に乗るならば靴など汚れようも無い。
結局、その意図する所は『王子の謀殺する瞬間』を見る為に他ならない。
「大丈夫です、王子。私が命を賭けて守ります」
「いや、僕の命はもはや無い。無いモノに賭ける必要など」
「在ります。王子の命は、今、私の腕の中に在ります」
言っても聞かない頑固さで、側近は王子の言葉をピシャリと断ち切った。
好きにすれば良いだろう。そう王子は投げやりに思った。
自分の立てた侵攻作戦通りに進む軍隊の動きすら、煩わしく感じる。
「大軍でエルフの里を囲みながら交戦を禁じ、彼らを釘付け。別働隊が迂回して森に浸透」
「森の『アノ場所』で拠点を築き次第、内外から一気に里を挟撃。流石は王子です」
名ばかり将軍ならば、軍事的な合理性に欠いてエルフの里を焼いていたはずだ。
無駄なリソースを使わず、戦わずして勝つ事こそ戦術の至上である。
作戦は、上手く行くだろう。
「後は、いつどこで、僕が殺されるかだな」
自分を抱き締める側近にすら聞こえない声で、王子は呟く。
そんな彼の目前で、複雑に曲がりくねった木々の森が開ける。
川が、見えてきた。
* * *
『指揮車一。人型三。タンクもどき三……一つは、真下かぁっ!』
何か意味不明な事を叫び、クラーケンが本当の姿を顕現させて川へと突っ込んでいく。
配備された渡河用の数人が乗る小舟をなぎ払い、次々と兵士を載せたまま転覆する。
「オォイ、ヤリ過ギンナヨ」
「ふんごー(峰打ちです。その証拠にホラ、ぷか~と力無く浮いてますよ)」
「ブヒヒィ(死んで土左衛門になってねぇか、それ)」
「少なくとも『浮いたから魔女』って事が分かったわね。石投げてやりましょ」
森に隠れながら、好き勝手言ってるポーク達。
大体、船を襲うのに峰打ちもクソもあるもんか。
『あっはっは、水際で私に勝てると思っているのかしらかしら、そうかしらっ?』
「ブヒヒィ(こりゃ勝てますね)」
「でも他の所で船を渡ったりしないの?」
森の川というのは、案外に接岸し難い物である。
だから「船を使うならばココ」というポイントは、非常に限られているのだ。
船で渡る以上、何が何でもココを奪取するしかない。
「ふーん。じゃあ小舟でクラーケンと戦わないといけないのね。かわいそー」
「ダガ、敵モ馬鹿デハ無イヨウダ」
「魔術師隊、弓兵隊、前へっ」
敵の銅鑼が鳴り響き、川岸に並ぶそれらがクラーケンに遠距離攻撃を仕掛けた。
だが水の怪物王であるクラーケンは、ウォータースクリーンの魔術を本能的に発動できる。
巨大イカの正面に水壁が立ち上がって、それらの攻撃を全て迎撃していた。
「うぉぉ、駄目だっ。全く通じないぞ」
「なんでこんな川にクラーケンが居るんだっ!? 大海の怪物だろうがぁ!」
ご尤もである。まさか旅行中だったとは思うまい。
次々と渡河用の船が触手に巻かれて砕かれて、浮かぶ兵士がポイポイと岸辺に投げ返される。
敵の場当たり的な戦術では、クラーケンに傷一つ付けられそうも無い。
「やったぁ! この調子なら、船なんて皆壊れちゃうわ」
「ブヒヒィ(武装したまま兵や馬や荷物を渡らせるなど、まぁ無理ですな)」
戦闘は圧倒的だ。元より地上戦を考えての編成だったのだろう。
まさか川でクラーケンに襲われる事を想定し、準備する事などあるはずが無い。
俺は頼もしい気持ちで彼女の無双を眺めていた。
「……ン、気ノセイ、カ?」
「どうしたの、マルコ」
俺が違和感を覚えたのに気付いてか、フィーオが話し掛けて来た。
それに答えるべく、俺は指差す。クラーケンや軍隊では無い。川そのものだ。
「水位ガ下ガッテイナイカ?」
「んー……どの辺りを見たら分かるの」
「川岸ノ木ヲ見ロ。濡レタ根ガ大キク露出シテイル」
先程まで川辺の木の根は、幹まである川の水で隠れていた。
だが今はその絡み合った姿を全体の半ばまで見せ、水位が下がった事を示す。
「でも川が蒸発するワケも無いし、気のせいじゃない?」
「ウム。ソウダ、ナ」
俺が答えた瞬間、異変は発生した。
『調子ニ乗ってんなよぉ? タコ野郎がっ』
聞き覚えのある声。昔から何度も聞いて、その都度に反吐を吐きそうになる罵声。
罵声の主は、オーク族だ。それも俺の知るオークの中でも最悪の奴、パゴット。
かつて同じ修道院で幼年期を過ごし、袂を分かった悪魔……。
それは『俺達の居る川岸』から聴こえた。
『おらおら、さっさと撃てやクズどもっ』
パゴットの合図と同時に、何十人もの兵士が森から現れてくる。
その全員が弓矢や魔術師の杖で武装していた。
馬鹿な。なぜ『川を渡っている』んだ? 船が接岸できる場所など、そう無いのに。
「挟撃しろ! ウォータースクリーンの張れない背後を狙えっ」
『くっ。これは……』
先程まで圧倒的優勢だったクラーケンが苦しげに身体を捻らせる。
弓や魔術の一撃一撃は軽くとも、重なれば確実にダメージは蓄積される。
最強に見えた水の怪物王が、その水辺での戦いでさえ苦戦に顔を歪めていた。
これが『軍隊と個体の戦い』である。
「あぁ、クラーケンが……」
「ピッグ、フィーオヲ連レテ逃ゲロッ。マダ今ナラ間ニ合ウ」
「ブヒヒィ(え、はいっ。でも兄貴は?)」
「イイカラ行ケェ!」
俺に一喝されて、フィーオを抱き抱えるピッグ。
逆らおうとする少女を連れたまま、彼は一目散に逃げ出した。
「俺ハ、ヤル事ガアルンダ」
彼女を、クラーケンを見殺しには出来ない。だがその前に、確認しなければ。
俺は大木を駆け登ると、川を俯瞰して睨んだ。
すると、かなり上流でそれは起こっていた。
「川ガ……堰キ止メラレテイル?」
本来、水流のある川を堰き止めるには、巨大なダムか水の迂回場所が必要だ。
しかし、上流ではダムも川の氾濫も無く『川底が見える一本の道』が対岸を繋げていた。
その川底に出来た道を通って、何人もの兵士が今も渡っている。
「アノ渡河部隊ハ、陽動ダッタノカッ」
更に目を凝らす。どうやって川に道を作ったのか。
すると、川上の水が川底の土の下に出来た、巨大な穴で消えているのが見えた。
同時に道を作った後の川下で、同様に巨大な穴から水が噴出して流れている。
「地下トンネルヲ、魔術デ作ッタカッ」
これならば橋も船も必要無い。堰き止めたり、川を氾濫させてしまう事も無い。
だがこれ程に大袈裟な魔術では、軍隊を渡らせる程の道も、また作れない。
故に、大軍は船で渡河させるしかない。
だが少数精鋭が『渡河阻止部隊の背後を突く』だけならば、充分な道である。
「ヤラレタナ……」
重装備の兵士たちに続いて、豪華な馬車が川の道をゴトゴトと進んでいく。
あの中に居る奴が考えた作戦であろうか。だとすれば、いずれ必ず倒さなければならない。
しかし、今、俺が戦うべき相手は、アイツじゃない。
『パゴットォォォッ!』
俺は雄叫びを上げて、大木のてっぺんから飛び降りた。
着地し、その勢いを殺さないまま、俺の巨体を魔術師部隊に向けて前転させる。
「うおぉぉ!」
最も厄介な魔術師達を跳ね飛ばし、俺は立ち上がってパゴットを睨みつけた。
奴は俺が来るのを分かっていたのか、ピクリとも表情を変えない。
狂った笑みが、張り付いたままだ。
『よぉ、兄弟。遅かったじゃねぇか』
「クラーケンッ、ココハモウイイ。逃ゲテクレッ」
『うぅ、ごめんなさい』
俺が魔術師達を倒した事で、攻撃に穴が出来た。
クラーケンは素早くその隙間に飛び込むと、そのまま下流に向けて全速力で移動していく。
「追え、追えー! トドメを刺せー!」
『おうおう。対岸の馬鹿指揮官は勇ましいねぇ。もう戦力外だから、ほっときゃ良いのに』
パゴットの周りに居た弓兵達も、クラーケンを追って下流に走って行く。
だが対岸に居る大多数の歩兵達は、残った小舟で渡河を優先するようだ。
それを許すワケには、いかない。
「パゴット、下ガレ。趣味ノ殺シ合イナラ、後デシテヤル」
『悪イが、これは趣味じゃなイ。仕事なんだよ。渡河作戦を完遂させろってな』
「戦争ノ犬カ? 飼イ主ヲ噛ミ殺シタ貴様ニ、最モ相応シク無イ仕事ダナ」
パゴットの背後に、ぞろぞろと重装備兵達が現れる。
その中央の馬上には、いつかエルフの里で見た馬鹿王子の姿があった。
となれば、恐らくはこれが精鋭部隊か。あの馬車に居るのは将軍クラスの指揮官と観た。
……だがなぜ、王子が最前線に来るんだ?
『マルコォ、余所見シてんなよ』
戦う合図も無く、パゴットが縮地で俺の傍まで近づく。
その勢いを乗せた正拳突きに、俺は相手の肩口への突きで攻撃を阻害した。
ほぼ同じリーチである以上、胴を狙うパゴットよりも、肩を狙う俺の拳が先に当たる。
はずだった。
『愚かぁっ』
「グゥッ」
パゴットは拳を解いて、指先を伸ばした。それでリーチは伸びる。
そんな状態で殴れば指の骨折は免れないし、強打にも至らない。
しかし、腹部を焼くような鋭い激痛は、確実に俺の身体に届いた。
奴は、拳の中にナイフを握りこんでいたのだ。
「貴様、暗器ヲ……」
『甘イんだよ兄弟、興醒めだ。俺と同ジスペックなんだから、頑張ってくれよな』
構えを解いて挑発するパゴットに、俺は再びファイティング・ポーズを取る。
パゴットを倒し、その背後に居る精鋭部隊を倒し、馬上の王子を倒し、馬車に乗る将軍も倒す。
その後、渡河してくる部隊をも倒す。
これら全てを果たせなくとも、半分もこなせばフィーオ達が逃げる時間は稼げるだろう。
俺の運命は絶望的でも、彼女達の希望には、なれる。
『何、笑ってやがる、マルコ』
「笑ウ? ソウカ、俺ハ笑ッテイルカ」
パゴットに指摘された、自分が浮かべる笑み。
それを自分自身で見れない事だけが、俺の心残りになりそうだな。
第六十二話:完
ちょっと文章が長くなってしまいました、すみません。
さてレジャーとしての川下りのカヌー、これがなかなか難しい。
石や木に近づいたら座礁し、それを逃げて岸に近づいても座礁。
まぁゴムボートだからかもしれませんが、私はまともに乗れた試しありません。(笑)
それでは、楽しんでいただけたなら幸いです。ありがとうございましたっ!
次回の投稿は、9月10日を予定しています。




