第五話:山菜を摘んでみよう
「ふんごー(山菜の採取、ですか)」
元野盗であるオークのポークは、そう言って俺の荷物を覗き見た。
「そうそう。果物や木の実ばかりじゃ栄養が偏るしね。やっぱりビタミンも取らないと」
「ふんごー(それは分かるんですが、フィーオさんも一緒に着いていくのは?)」
「うーん、なんか山菜の採り方を勉強しなさいって」
「ソウダ。食ベテバカリデハ駄目ダ」
俺はそう言って、フィーオの頭を軽く握った拳でグリグリと押す。
「いてててっ、痛いってば。マルコはオークなんだから手加減してよ」
オークである俺の手は、エルフや人間のそれと比べてかなり硬い。
軽く握っただけでも、この子の躾け用の鞭としては充分にプレッシャーとなるだろう。
「ふんごー(まぁ、この辺りは自然が豊富ですし、その勉強は悪くないですね)」
ポークが俺たちの周囲をクルッと一瞥する。
かつてエルフたちの住んでいた森。今、彼らはこの地から立ち去って久しい。
……別に森が汚れたとか、危険であるという立派な理由では無い。
森の手前で『エルフランド』というエルフの里を経営しているからだ。
「山菜なら里でも採ってたから、もう勉強する事なんて無いよ」
エルフランドの族長の娘である、エルフ少女のフィーオ。
俺はこの森に住む権利を得る代わりに、彼女の再教育を命じられていた。
「ソレダケガ学ブ事デハナイ」
例えば、今は熊の活動期だ。
この季節の彼らの主食である木苺やセリを摂り過ぎれば、当然ながら彼らも飢える。
すると、少なくなった食料を求めて俺たちの生活圏まで移動してくる可能性があるのだ。
「ふんごー(へー、知りませんでした。でも俺たちが食うぐらいで、そんな影響を与えますかね?)」
「与エル。コイツミタイニ、無計画ニ根コソギシテイタラナ」
「根こそぎなんてしてないもん。根っこごと引き抜いたもん」
河原一つ分、根絶やしとした馬鹿の言う事に耳を貸す必要は無い。
「ふんごー(そりゃまぁご苦労さまです。あっしらは小屋の周りの掃除でもしてますよ)」
「頼ンダゾ」
「行ってきまーす」
そう言って、俺たちは森の採取ポイントへと出掛けた。
……しかしあのオーク馴染んでいるけど、このままずっと居候する気じゃなかろうな。
* * *
清流の川辺。俺は適当な土塊に腰を掛けつつ、川ではしゃぐフィーオを見ていた。
「ミズナ、採ッテミロ」
「そんなの簡単過ぎぃ。もっとキチンと教えてよ」
「黙ッテ採取シロ」
俺の言葉にしぶしぶ従って、フィーオはミズナの茎に両手を掛ける。
「そいやぁー! 地獄・アンド・極楽ぅ!」
そしてそのまま根っこにまで指先を突っ込んだ。
「このままっ! 親指を! 突っ込んで……抉り抜けるっ! ヒィーット、エンドォォ!」
「ウン、全然駄目ダワ」
根っこから爆散したミズナを見て、俺は頭を抱えた。
あのエルフの族長、こいつに何を教えていたんだ?
「オマエニ足リナイ物ハ、常識、慈愛、敬意、畏敬、気高サ、優美サ。ソシテ何ヨリモ」
「加速装ぅ置ッ!」
奥歯を噛み締めて、勢いよくミズナを引っ張り上げていくフィーオ。
「ふっ。これで速さが足りないとは言わせないわよ」
「知能ガ足リナイ」
俺は溜め息を漏らしながら、散らばったミズナを集めていく。
彼らの繁殖力は決して強く無い。この調子で彼女の好きにさせれば、来年は死の川原だ。
「えー。だって森の自然で育つ山菜だよ?」
フィーオが不満気にぶーたれる。
「人間に甘やかされた農作物より、よっぽど丈夫でしょ? 繁殖力も凄そうだし」
「馬鹿者。ミズナハ多年草ダ。ソンナ抜キ方ガアルカ」
根っこさえ残っていれば、確かに彼らは生き延びる。
抜き方の見本として、俺は一つ一つの動作をゆっくり見せる事にした。
「マズ、土ノ元デ茎ヲ摘ム」
人差し指と親指で、根と茎の間を掴む。
力を込めつつ横にひねると、軽い「クキッ」という音がした。
そのまま根よりも上の部分だけが折れて、見事にミズナの食べられる部分だけが採れる。
以上である。
皮が千切り難い時もあるので、手で折らずにナイフで根本を切るのも良いだろう。
「すごーい。そんなゴツイ手でよく細い茎を摘めるね」
「ヤカマシイ。今度ハ上手ク、ヤッテミロ」
俺が促すと、再びフィーオはミズナの前に立つ。
そして中指と人差し指を折り曲げて、裂帛の気合と共に第二関節でミズナを挟んだ。
みしりぃ……。
「秘剣・星流れぇ!」
嫌な予感がしたから、これ以上の野草の犠牲を避ける為、フィーオの頭を蹴飛ばす。
「いたぁい! ぬぅ、やってくれた喃」
「何ガ『喃』ダ」
「イェス」
「(喃としか言わないはずっ!?)」
……シリアスな馬鹿だったのな、アイツ。
「ちゃんと『みしり』って音が鳴ってたじゃない」
「『クキッ』トイウ音ダ。全然違ウダロウガ」
怒鳴る俺に曖昧な顔でとぼけるフィーオ。口笛まで吹きやがって。
山菜の摘み方くらいは、エルフならば知っていると思ったが……。
どうやらコイツ、とことんに甘やかされて育ったようだ。
こりゃ今日の教育は長くなるなぁ、
そう思いながら、俺はミズナを採取するフィーオを眺めた。
* * *
他の場所でもノビルやウドといった山菜を幾つか採取しつつ、森の奥へと進んでいく。
夢中で山菜を集めるフィーオを先導させながら、俺は黙ってその後ろを追い掛けた。
これがモンスターの出現する地域に近づいているのを、勿論だが俺は理解している。
「ねぇねぇマルコ。こんな所まで入り込んでいいの? 危なくない?」
「オオ、気付イタカ。ヨシヨシ、ソレデイイ」
「出たー。指摘されたら『うん、それいつ言い出すか待ってた』風をする人だー」
なんだか嘲られている気もするが、自分で気付けたらならそれで良い。
そうなのだ。山菜摘みは、ついついと奥地へ進んでしまいがちだ。
慣れない者は、人の手が入った道から獣道へと知らず入り込んでいく。
そして、危険な目に遭っても助けすら呼べなくなる事が多い。
「危機感ハ、教エラレテ学ブ物デハナイ。自発的ニ気ヅカネバ、決シテ身ニツカナイ」
なんとなく危ない。なんとなく嫌な予感。なんとなく帰りたい。
そういった『気分』は、多彩な過去の経験や無意識下での判断力の蓄積で養われる。
俺という『安全』に守られた中で、本人が『危険』を学習していく。
これも今回の勉強の一環である。
「ふーん。でもまぁ、モンスターくらい私がぺぺぺーって倒しちゃうけどね」
「アノナァ」
シュバババっとパンチの連打をしつつ、フィーオが更に歩いて行く。
「オイッ。危険ダト気付イタノナラ、サッサト戻レ」
「でも、もうちょっと行けるって。ほら、あっちに花が咲いているよ」
そう言って、フィーオがドンドン進んでいく。おいおい。
「『マダ行ケル』ハ『モウ危ナイ』トイウ教訓ガ有ルンダゾ」
「大丈夫、リセットの神様が居るから大丈夫。なんならフロッピーを抜いておくもん」
意味の分からん事をブツブツと。
フラフラとした足取りで、フィーオは花の群生地に近づいていく。
……あれは、魅了の魔法にでも掛かったか?
「チッ。モンスターカ?」
俺は荷物を足元へと置き、身軽になってフィーオの傍へと跳んだ。
両腕で顔と胸をガードしつつ、その少女よりも一歩前に足を踏ませる。
『ウフフフフフ。アハハハハハ』
フィーオの声では無い。
やはり、モンスターの声が森の奥より聴こえてきたのだ。
俺は防御の姿勢を崩さないようにしながら、ゆっくりと背後のフィーオに振り返る。
魅了を使う森のモンスターは、ドリアードやフェアリーといった誘惑系だ。
肉体的な戦闘能力は低い。だから背中から襲われる恐れは無い。
それよりも彼らを直視した時に発動する魅了技能の方が、遥かに恐ろしい能力だ。
俺は両目をグルグルにしたフィーオを掴み上げて、両肩に背負う。
「てふてふー。ちょうちょー、ちょうちょー」
「完全ニ決マッテルナ、コレハ」
しまったなぁ。こんな所にモンスターが現れるとは。
予想では、後三十分は歩き続けないと遭遇しないはずだった。
ともかくこのまま、ゆっくりと離れれば問題無く逃げられるだろう。
『……そこの綺麗な子、汚い子』
「は~い。綺麗なフィーオちゃんでぇーす」
じゃあ無条件で俺が汚い方かよ。
思わず振り向いて文句を言いたくなるが、グッと堪える。
『せっかくのゴチソウ、行っちゃうの』
声音に不穏な響きが篭った。
おや? なんか様子がおかしい。
こんな風に恨みがましい声をする奴らでは無いはずだが。
『行っちゃ駄目……お腹ペコペコー!』
なんか、やばいっ。
俺はフィーオを抱え上げたまま、横っ飛びに回避する。無意識の判断だ。
瞬間、俺たちの居た場所をゴゥっと大樹の影が通り過ぎる。
これは、ドリアードだ。
木に悪心の精霊が宿って、人を襲うようになったモンスター。
魅了や誘惑で主に男性を樹木のウロへと引き込んで、その生気を啜る危険な存在だ。
ウロには美しい女性の姿が浮かび上がっており、直視すれば魅力状態に掛かってしまう。
しかし至高の快楽を味わえるという噂を信じ、彼女たちに身を委ねる男も少なくない。
「悪イガ、子供ガ見テイルノデナッ」
振り向いたドリアードから視線を逸らす。
彼女を直視すれば、オークとはいえ男の俺では誘惑に耐えられない。
「一円玉がぁ……リスの転がす一円玉が、あんな大樹に育つなんて……」
どんどん深い部分にまでキマって行っている。これは良くない。
うーむ、どうしてもフィーオはアレを見てしまうようだな。
仕方がない、早めに決着をつけよう。
俺はフィーオを肩から地面に降ろして、ドリアードを正面に捉える。
無論、顔は見ない。目を瞑ったまま、その大樹が動く振動だけを感じる。
『アハハハハ。食べ物たべものタベモノー』
半歩先から聞こえる声。
俺は右足を深く踏み出して、声の左側面へと踏み込ませる。
そして右腕を跳ね上げながら軽く触れて、突進する相手の姿勢と角度を理解した。
ドリアードは俺の体の右側面、そこを勢いよく駆け抜けようとしている。
位置を理解した俺は、体を左回転させつつ、敵に背中を見せる姿勢となった。
『隙好きスキだらけぇぇぇ』
が、それはフェイントだ。
「ヌゥンッ」
俺は腰の回転を利用しつつ、左肘を自分の『背後』に全力で打ち出していたのだ。
俺の背後、すなわちドリアードの居る位置である。
『きぁあああーー』
左肘に重い衝撃を感じると同時に、ドリアードの悲鳴が上がった。
ズシィンと大木の倒れる音。
だがジタバタともがいて、なんとか立ち上がろうとしている気配がする。
俺は目を閉じたまま、大木にしがみついた。
そしてウロの位置を探し当てると、自らの大きな腹部を押し当てたのだ。
『わぁぁぁ~。閉じ込められた、トジコメラレタァァー』
目を開けると、そこにはウロを俺の腹で完全に塞がれたドリアードの姿があった。
彼女の武器はウロの中に見える『女性の魅了能力』だけだ。
オークの巨躯を蓋に使えば、もはや恐れるべき敵では無かった。
『うわぁぁぁん。暗いよ狭いよコワイヨー』
枝をジタバタして嘆くドリアードが降参するまで、俺は蓋の役割に徹したのだった。
* * *
「空腹ニ耐エカネテ、モンスター圏ノ外ニ来タノカ」
『はいー。近頃じゃ誰も森まで来てくれなくって。もうお腹ペコペコー』
山菜が無くなって里に下りる熊とか聞いた事あるが……。
まさかドリアードも空腹で、人の生活圏内に来るとは思いもしなかった。
「お姉ちゃん、可哀想だねぇ。木苺食べる?」
フィーオから小枝に乗せられた木苺を、器用にウロへと放り込むドリアード。
まぁ幾ら木で光合成が出来るとはいえ、元々は悪霊である。
その性質は、他者の生気を吸わねば維持は難しかろう。
『最近は活版技術の大躍進で、人間の里ではエッチな本が大流行』
ウロからシクシクと女性の泣き声がする。
『若い滾りを抱えた紳士淑女が、ちっとも遊びに来てくれないんです。ヨヨヨ……』
それはまぁ、そういう側面もあるかもしれんが。
『このままだと空想の異性に満足して婚期を逃します。出産率も低下しちゃうかも!』
んなアホな。というか、ドリアードが心配する事じゃない。
「ソモソモ、オマエダッテ人間ノ出産率ニハ寄与シナイダロウガ」
『血ーすーたろか。血ーすーたろか』
誤魔化すんじゃねぇよ。それにオマエが吸うのは血じゃねぇだろ。
「ねぇねぇ? 何の話をしているの?」
「晩婚問題ヲ生物学的側面ト社会学的議論カラ考察シテイルンダ」
「えー、なんか難しい奴っぽい。そんな事よりお腹が減ったよ」
『お腹ペコペコー』
やかましい女どもだな。
まぁもうドリアードも悪さはしないと『約束』したし、そろそろ帰るとするか。
小屋に戻ると山菜洗いをフィーオに任せて、昼寝していたヌケサクへと声を掛ける。
「まじっすかっ。俺と付き合いたいって女が居るんすか。やったーーー!」
両手を上げて喜ぶヌケサク。
元野盗だった彼は、人間としてまぁ健康的な体をしている方だろう。
今はこの森の居候だ。だから『こういう事』で森に恩返しするのも悪くなかろう。
「アア。木ニ入ッテクレルナラ、ナンデモスルッテ言ッテタゾ」
「気に入るも、気に入らないも……乳、尻、太ももがあれば良いんです」
そうか。自分から木に入ってくれるのか。ありがたい話だ。
これでドリアードが悪さをしなくする『約束』が果たせそうだ。
「じゃあ早速行きます。貴女はとんでもない物を盗みました、俺のエロスです!」
なんか脳の病気が深刻そうだが、とりあえずドリアードの所に向かったから良し。
一応、殺さない程度に手加減するよう約束したし、まぁ大丈夫だろう。
「マルコー。山菜洗ったから、ご飯作ってよぉ」
「アイヨ。ジャア昼飯ニスルカ」
森の奥地を源流とする川原にヌケサクが流れ着いたのは、それから三日後だった。
しおしおに枯れきった彼は「今はこれが精一杯」と微笑み、長い眠りに着いたという。
第五話:完
田舎の家で山菜採りすると、高確率で鹿や猿を発見する私です。
最近は野生動物が増えているので、一人で山菜採りすると危ないですね。
でもドリアードとか出てくれるなら……ゴクリッ……。
それでは、楽しんで頂けたなら幸いです。ありがとうございました!