第五十二話:パンを焼こう
食事を作る役割は、基本的に俺が大半である。
そんな訳で「たまには今日の昼飯くらい自炊してみろ」とフィーオに勧めてみた。
結果的に出てくるのが、以下のランチである。
『前菜:小麦粉をボウルに入れた物』
『汁物:水を煮たスープ』
『主菜:ポーク・ステーキ。ただし素材逃亡中につき未完成』
『デザート:塩』
一応言っておくが、俺は最低限の調理方法を見せている。
煮る焼く蒸す。貴重な油による揚げ物こそ滅多に無いが、前者の三つは普通に出来るはずだ。
神聖魔術を扱う者としてあまり推奨されないが、教育上の理由として魚や肉類の調理も教えた。
別に、それらを使って創作料理をしろ、とは言わない。
だが食材や調味料を皿に置いて『料理』と言い張るのは、流石に許されないだろう。
「ブヒヒィ(この前菜、すっごくボフボフしてとってもムフムフ)」
「単ナル小麦粉ヲ良ク食エルナ」
「なんか口ン中でノペノペと張り付きますな……なんの味も香りもしませんし」
ピッグとヌケサクが、律儀にフィーオの用意した昼飯に手を伸ばしている。
なぜに食うのだろうか、この二人。
「ブヒヒィ(愚問です。女性の手作り、それだけで命を掛ける価値があります)」
「頼ムカラ、哀シイ事ヲ大人ガ胸張ッテ言ワナイデクレ」
「お、お、お腹が空いたら、泥や砂や灰だって美味しく感じるんだな」
「古今著聞集ノ泥棒カ、オマエ。タラフク食エ」
というか、確か小麦粉って生じゃ消化できないはずだから、後で腹下しそうな気がする。
「そういう意味では、まだこの水スープの方が口と胃に優しくて良いです」
「タダノ、オ湯ダロ」
せめて塩スープなら塩分が取れるのだが、純粋に水を温めただけだ。
後に出てくる主菜が楽しみになれるような、そんな食欲増進には全く繋がらない。
「ブヒヒィ(いえ、これは白湯と呼ばれる健康食です)」
「意識高いボクサーだと、私はこの白湯しか胃が受け付けないのだよ、と言うとか」
「単ニ胃腸ガ弱ッテルダケジャネェカ」
「ブヒヒィ(喰らえ、チョムチョムと減量を組み合わせた全く新しいボクシング殺法!)」
なぜかピッグの背中に乗って、襲いかかってきたヌケサクをワンパンチでKOする。
あまりの空腹で脳が壊れたのかもしれないな。
「へへっ、へへへっ。やっぱりマルコ兄貴はスゲェや」
「食事時ニ暴レルナ」
「ブヒヒィ(しかし兄貴、ねじりん棒すら出ない食卓を、自分達も持て余しておりまして)」
むぅ。まぁ確かにこのまま待てど暮らせど、満腹に繋がる物は出そうに無い。
デザートとして出された山盛りの塩を舐めながら、俺達は事後策を相談していた。
「ともかく腹が減りました。あの小麦粉で惣菜パンとかどうですかね」
「発酵サセルノ面倒ダナ。フォカッチャナラ、短時間デ作レルガ」
「ブヒヒィ(あるいはポークを見つけて、俺達で料理しちまうかですな)」
「邪道喰いは、よせー!」
同族食いだから、邪道というか外道ではある。
まぁ、現状使えるのは小麦粉だけだし、それでフォカッチャが妥当だな。
「ブヒヒィ(てかフォカッチャって何ですか?)」
「なんだ、そんな事も知らないのかピッグ。ブルース・リーの事だ」
「ソレハ、ホアッチャ」
「嘘。本当は永遠のファースト・ラブ製造ゲームだ」
「ブヒヒィ(そりゃポヤッチオです)」
「まんぷくぷー」
ヌケサクの知能低下が著しい。
そういやとっくに飢餓状態だったっけな、こいつ。
「フォカッチャトハ、下味ノ付イタ平タイパンノ事ダ」
「ブヒヒィ(ああ、結局はパンなんですね)」
うむ。だがさっきも言ったが発酵せずとも作れるので、迅速お手軽である。
他にも厳密化すれば色々とあるだろうが、まぁ要は平べったいパンだ。
「じゃあ、炊事場のフィーオちゃんには、ご退場を願いますか」
「ソウダナ。トイウカ、アイツモ腹ペコダロウ」
「まぁ小麦粉をそのまま出すくらいですから、つまみ食いも何もありませんわな」
* * *
俺達は席を立つと、小屋から出て炊事場の方を見る。
そこには巨大なタコから、足を一本貰って火で炙っているフィーオの姿があった。
「うーん、美味しそう。早く焼けないかなー」
「ウォォォイ! 何シテルンダヨ、オマエッ」
「あら、マルコ。駄目じゃない、キッチンに入っちゃ。トニオさんもプッツンしちゃうわよ」
フィーオはそう言うと、空腹を抱えた俺達の前で、焼け出したタコの足をモグモグと頬張る。
おいおい、なに自分だけキチンと食える物を扱ってるのかね、この子は。
「てか、そこの巨大なタコはなんですかねぇ」
『私? そりゃもう、洗い場の井戸に住み着いたクラーケンです』
「ブヒヒィ(いよいよ不法占拠で居直りましたよ、どうしますマルコ兄貴)」
「モハヤ、ドウモコウモ無イ……」
それより思いっきりオマエ食われてるんだけど、そこはノーリアクションなのか?
『フィーオちゃん、酷いわ』
「ウム、抗議セヨ」
『私にも一口下さいな』
そんな抗議内容だろうとは思っていたさ。
自分の身体を食べようとするのは、ぜひ止めていただきたいな、うん。
物欲しげにタコを食らうフィーオを見る俺達に、少女はきょとんとした顔で口を開く。
「なによ、あんた達のランチは終わったでしょ。これは私のまかない飯よ」
「ブヒヒィ(明らかに客よりも良い物食ってますが)」
「知らない? 残り物には福があるの」
福が残るように操作し、利益を独占している少女が何か良い事を言っている。
ずる賢いというか、なんというか……。
「まぁフィーオさんの邪魔はしませんから、ちとフライパンを触らせて貰えませんかね」
「ん? なに、なんかご飯作るの? 私にも頂戴っ」
「教育的指導シタロカネ」
「ブヒヒィ(殴るのは駄目ですよ。指導は触ったり舐めたりしましょう)」
ピッグが言うと冗談に聞こえない。とりあえず、この変態は殴っておこう。
どうせ「ありがとうございます!」とか言って喜ぶから、あんまり指導にならんのだがな。
「パンヲ作ルダケダ。ナンセ何モ食ッテナイカラナ」
「あら、水スープって難しいのよ。器も歯も箸も汚れないスープなんだから」
「オ湯ダシナ」
「あのスープで満腹になったら、もう他に何も食べたくなくなる値千金のスープなの」
「そっすね。湯で膨らんだ胃袋が、心底ガッカリとした満腹感でいっぱいです」
カカカカッと笑うフィーオの姿は、まさに悪鬼羅刹の如し。
ああ、昼飯を作ってもらおうとしたら、なぜこんな事に。
「単に面倒だったからよ」
「知ッテタ」
「で、何を作るの。スーパーステーキ? スーパーアイス? それともスーパー刺し身?」
なぜ無用にスーパーをつけまくるかね。
至って普通のフォカッチャである。具材等は無いが、オイルや塩で充分に味はつく。
「じゃあ、プロテインを入れたらスーパーフォカッチャね」
「入レネェヨ」
「ブヒヒィ(今ココに、真のスーパーを決めるスーパーウォーズが開戦する)」
「負けたら悔し涙ですよ、マルコ兄貴。なんとしても勝ちましょう」
「うふふっ。勝てるかしらね、私のスーパー水スープに」
プロテイン入れたお湯なんか飲めるかっ。
凝り固まって、そりゃもう酷い物になるぞ。いますぐやめろ。
* * *
さて、炊事場を再占領した俺は、すぐさま調理へと入った。
と言ってもする事は多くない。
俺は小麦粉のボウルにお湯と塩と膨らし粉を入れて、そのまま混ぜる。
出来たネバネバの生地に布を被せて、数分だけ生地を冷ます。
後はフライパンに平たく伸ばした生地を入れ、穴ぼこを沢山作り、オイルを塗るだけ。
下準備、完了である。
「コレヲ焼ケバ、フォカッチャノ完成ダ」
「えー、本当にぃ?」
パンは休ませる時間が意外に掛かるので、割りと面倒臭い。
だから俺は速度を優先して、イーストよりも膨らし粉での調理を好む。
「ブヒヒィ(素人め。休ませないパンなど、我が美食倶楽部の丁稚でも作らんわっ!)」
「イヤ、ダカラ膨ラシ粉ハ使ッテルダロ」
「ブヒヒィ(わぁっはっはっはっはっ)」
なに笑って誤魔化してやがる。さては休ませる意味を分かってないな……。
パン作りで何十分も休ませるのは、生地に練り込んだイーストの発酵を待つからだ。
イーストが生む二酸化炭素で生地が膨らみ、いわゆるパン生地になるのである。
膨らし粉はその膨張を焼き上げる際の熱による化学変化で促す分、準備が素早いのだ。
「膨ラミハ今一ツダガ、フォカッチャハ元々ソンナニ膨ラマセナイカラ、充分ナノダ」
「へー」
フィーオが素直に感心しながら、一抱え程もあるタコ足の真ん中にモグモグと齧り付く。
その両端をクラーケンやヌケサク、ピッグも歯を立てていた。
もうコイツ等には、一片たりとて分けてやる気が失せてくるな。
「まぁまぁ、マルコ兄貴。とりあえず早いとこ焼いちゃって下さいよ」
「ブヒヒィ(そうです。早くパンを配らないとマリア姉さんの鬼畜ノルマが達成できませんっ)」
「長期休暇中の子供の半日をぶっ潰すとか、冷静に考えればブラックよねぇ……」
『ブラック率、75%オーバー』
「ブヒヒィ(マリア姉さんのパン屋は、痛くも黒くもねぇ!)」
『黒いです』
「ブヒヒィ(もぉっと頑張ぁれぇ……)」
なにやらパンで引っかかる所があったのか、変な盛り上がり方をしているな。
一人、ピッグが白目剥いているが、まぁアイツが変なのはいつもの事だ。
ともあれ、既に火は入っている。パンは仕上がりつつあった。
「ウム、完成ダ」
「ふーん、結構美味しそうじゃない」
食べ飽きたのか、タコ足を他の連中に譲ったフィーオが、俺の傍まで来る。
フライパンで作られたフォカッチャは、どちらかと言えばモチっとした感じだ。
そこはオーブンを用いない以上、仕方無い事だろう。
今は何より、手軽かつ即席に作りたかったのだ。
「ドウダ、一ツ食ベテミルカ」
「うんっ」
ナイフで切り分けた一切れを、俺はフィーオに渡してやった。
それをパクっと食いつき、焼きたてのパンをモニュモニュと味わう。
「うんっ、塩っぽい感じ。素朴だけど、続けて食べても飽きないかも」
「ブヒヒィ(お大尽様ぁ、こちらにも一撒きぃ!」
「あ、おっねだっり! あそれ、おっねだっり!」
『く、くれるのかー!?』
だから、子供の前で大人の情けない社会風習を積極的に見せるの、やめないかね。
俺は無言で彼らにもフライパンを持って行き、フォカッチャを分けてやる。
喜んで食ってくれるのは作り甲斐もあるが、俺の分のタコ足を残すという気遣いは一切無い。
「結局、オマエラッテ食ウダケダヨナァ」
「失敬ね。だって私が食べられない物を作っても、誰も食べないんだもの」
「ブヒヒィ(食べられる物を作ったら、誰もが食べると思いますが)」
『食べられない物出されても、我、シプースト』
「結局、オマエってイカなのかタコなのか……」
ヌケサクがクラーケンにそんな疑問を言っても、まぁ答えは出ないだろう。
どうせ日々をノラリクラリと適当に生きている軟体生物だしな。
ま、要は俺が料理を続ければ綺麗に纏まるのである。
フィーオもやる気さえ出れば、しっかりした料理を作った経験はあった。
今後は無理に作らせるより、その意欲を如何に刺激するか、それが大事だろうな。
「……」
などと考えていたら、唐突にヌケサクとピッグが動作を急停止させた。
顔色が一気に悪くなり、だらだらと冷や汗を掻いている。
「ナンダ? ドウシタ」
『しびれ草でも混ぜてましたか。ダメですよ、粉物は末端価格で儲かるからって』
「混ゼルカッ」
フォカッチャが原因か、と食べたフィーオやクラーケンを見ても、別に何の変化も無い。
俺自身も口につけているが、極普通に食えている。
うむぅ、手を洗わずに食べて食中毒にでもなったか。
「ブヒヒィ(いえその……心当たりといえば、あるにはありますが)」
「なによ。腐ったメロンかカレーでも食べたの?」
「恐らくは、あの、小麦粉をそのまま口に運んだのが拙かったかなぁ、と」
ヌケサクの言葉に、俺は思わず「あ~」と同意の声を上げた。
そういやコイツラは、なぜか小麦粉を貪り食ってたなぁ。
原因を聞いたフィーオが信じられないものを見た顔で、眉を顰める。
「えっ!? 小麦粉を食べたのっ? 馬鹿じゃないの、お腹壊すに決まってるじゃない」
「出シタノ、オマエダロォォッ」
切羽詰まってきた様子の二人に変わって、俺がフィーオの肩を揺さぶった。
「考えなくても分かるじゃない、飾りであって食べ物では無いって」
「メニュー表ニ書クナヨ……」
「もしかして、マルコも食べちゃってるの?」
そんなわけ無いだろ。馬鹿じゃあるまいし。
「でしょ? 馬鹿じゃ無いんだから」
『でも食べてる人が居るんですが、ここに二人ほど』
俺とフィーオとクラーケンの視線が、腹を押さえて内股の二人に注がれる。
二人は視線に気づくと顔を覆うように掌を当てて、キザったらしい顔つきで喋り出す。
「ふっ。小麦粉を胃に入れて、水スープで溶かし、塩で味をつける……」
「ブヒヒィ(我ら体内パン製造隊ぃ! そう、そのまま飲み込んで、僕のスティックパン)」
フィーオの料理に全力で付き合った結果、体調を崩しては意味が無い。
まぁ、これを切っ掛けにして、少しは食べる者に優しい料理を目指してくれれば良いのだが。
「マルコ、彼らの意思を汲んで、膨らし粉とかも食べさせましょうよ」
うん、無理っぽいな。
まぁヌケサク達を気遣う気が起きないだけ、かもしれないが。
俺はそんなドライな対応をするフィーオに続いて、溜め息混じりに口を開く。
「ナイス・アイディアダ。空ニ浮カブ程、膨ラマセテヤロウ」
腹痛で倒れていく二人を肩に背負い、トイレへと運びつつ俺はそう呟くのだった。
素材の信頼と食の安全、守りたいものである。
第五十二話:完
膨らし粉とは、ベーキングパウダーの事です。
ここに砂糖とか卵黄を混ぜて作っても、割りと美味しいですよ。
まぁ人、それをホットケーキと呼びますがっ。
それでは、楽しんで頂けたなら幸いです。ありがとうございましたっ!
次回の更新は、8月10日を予定しています。




