第四話:沼の堰き止め工事で、安全確保
森の中でも、夕日が沈めば感覚で分かる。
赤く染まっていた木々が黒く移り変わり、やがて深遠の帳が降りるからだ。
故に、俺の目前でまさに薄暗くなっていく森の気配。夜の到来を意味していた。
「ガンダーラ……それは人類に残された最後のフロンティア」
「藪カラ棒ニ、何ヲ言イ出ス」
どこか虚ろな目で意味不明な言葉を呟いたヌケサクに、俺は疲れきった声で話し掛ける。
オークである俺は、見ての通りの大柄な体に蓄えた栄養素でまだ多少の元気はある。
だが、人間であるヌケサクには、かなり堪える環境であろう。
「そこではどんな夢も叶うというけど、どうしたら行けるのか誰も知らないんです」
「ジャア無インダヨ、ソンナ場所ハ」
「遥かな世界にあるという、この世の秘密を知るという、神秘のガンダーラ……知ってるかい!?」
「知ランガナ」
現実逃避しても仕方ない。
ここに在るのは、どうしようもない目の前に広がる現実だけ。
奥深い森の更なる深所。獣も近寄らぬ底無し沼地の多発地帯。
俺とヌケサクは、見事に『底無し沼の中央部』で腰まで埋めていた。
脱出不可能である。
「もう嫌だ! 俺は家に帰らせて貰うぜ!」
だから出られないんだってばよ、この沼からは。
「大キナ声デ騒グナ。騒ゲバ体力ヲ失イ、生存確率ガ下ガル」
「俺の願いは過去未来全ての底無し沼を消し去り、家に帰りたい! さぁ俺の願いを叶えてよ、ガンダーラ!」
コイツの狂気に染まった目つき。うーん、心の中に生きてる幻に語り掛けてるな。
俺は溜め息を吐いて、さてどうしたものかと幾度目かの思案をする。
そもそも何故、こうなってしまったのか。
原因を探るには、時間を少々遡る。
* * *
「沼ガ広ガッテイルナ」
俺は手元にある自作の地図を眺めつつ、そう呟いた。
数ヶ月前までは小さかった沼地の境界線が、楽観できない範囲に広がっていた。
これ以上の放置を続ければ、俺の住む小屋を飲み込む事は無いにしろ、生活範囲には影響を与えてくる。
「トナレバ心配ナノハ、アノ子ダ」
視線を地図から離して、小屋の中央に向ける。
そこではエルフの少女フィーオが、オークのピッグを相手にして遊んでいた。
方眼紙のような碁盤の目に、白や黒の石を並べている。
先に五つの同じ色の石を並べた方が勝つ『五目並べ』でもしているのだろう。
「私が先行ねー。神の一手」
そう言って碁盤の中央に四つ白い石を並べる少女。
「ブヒヒィ(さっすがフィーオの姉御ォ! ルール無用の残虐ファイトだぜ)」
対戦相手のオークが唸った。いやそれ、ゲームにならんだろう。
「さぁ、ゲームを続けるかね?」
「ブヒヒィ(神の一手は禁止しましょうや)」
「良いわよ。じゃあ勝利した私の先行」
白石をひょいひょいと掴み、それを十四枚並べる。
「ごめんねっ天和!」
「ブヒヒィ(初手天和・ビギニングオブザコスモス!? 夢だろ……これって……っ!)」
「ところがどっこい! 現実です……っ! これが超現実……っ!」
五目並べじゃないのな。もうよく分からん。
「ん? どうしたの、マルコ」
視線に気付いて、俺の名前を呼ぶ少女。
「イヤ、退屈ソウダナト思ッテナ」
「雨続きだしねぇ。外で遊べないなら、家で遊ぶしかないじゃない」
不満そうに頬を膨らませて、ジタバタと暴れる。やはり鬱憤が溜まっている様子だ。
外が晴れた時、その開放感で羽目を外し過ぎて酷い目に遭うのは、もう見えている。
この地図に見える底無し沼。彼女の絶好の遊び場になるであろう。
くるくると地図を丸めて、背負った革袋に入れる。今日もそろそろ出掛ける時間だ。
「いいなぁ。マルコは外に出られて。私も行きたいよ」
「遊ビデハナイ、周囲ノ探索ト採取ダ。ピッグ、コノ子ヲ頼ムゾ」
「ブヒヒィ(合点承知!)」
快諾するオークにフィーオを任せて、俺は雨合羽を着て外に出た。
ここ連日の雨は、やや緩やかになりつつも止んではいない。
だがそろそろ『作業』を進めなければいけないだろう。
俺は革袋の他にもショベルやハンマーを持って、沼地へと向かう。
「おやマルコ兄貴。やけに重装備でお出かけですね」
小屋から少し離れた所で、この辺りで唯一の人間ヌケサクが俺に話し掛けて来た。
元々はさっきのオークと一緒に組んで、エルフ狩りや野盗をしていたらしい。
だが俺に天誅を食らってからは改心したのか、今では森の居候と化している。
「ウム。チョット沼地ヲ堰キ止メニナ」
「沼地をですか? 軽く言いますが、かなり大変な作業だと思いますぜ」
「ダガ、誰カガ行ワネバナラナイ」
最近の偵察で地図は概ね固まった。
沼地全てを堰き止めるのは無理だが、広がる先を川の方角に変えてやれば水はけも良くなる。
大きくなり過ぎる前にその手を打たねば、それこそ手が付けられなくなる。
「ま、確かにフィーオちゃんがハマっちまうのは、分かり切ってますな」
「予見サレル危機ヲ回避スル。ソレモ大人ノ仕事ダ」
「沼地で遊ぶなって言っても聞く子じゃありませんしねぇ」
納得した様子でヌケサクは頷いた。
そして、俺の背中に差していたショベルを抜き取る。
「オイ」
「手伝いますよ、兄貴。ショベルは任せて下さいや」
「イイノカ?」
「どうせ食っちゃ寝の毎日ですしね。少しは身体を動かさせて下さいや」
そう言って、俺に着いて来るヌケサク。
この後にとんでもない悲劇が待っていると、俺は思いもよらなかった。
* * *
「ギャオオオオオ」
「のぉおおおおお」
頭部にショベルを突き刺した小型のブラックドラゴン。それに追い掛け回されるヌケサク。
酸のブレスが吐き出されて、彼の背中を焼こうとビシャビシャ背後に注がれる。
「うぉぉ、減速出来ませんっ。助けてくれぇ、兄貴ィ」
「ヌケサク。俺ノ装備ハ、対ブラックドラゴン用デハナイ。ダガ無駄死ニデハナイゾ」
藪に隠れて、事の成り行きを見守る俺。良かった、アレが俺じゃなくて本当に良かった。
なぜこうなったか。
沼に到着し、ヌケサクは手始めとして沼の底の深さを調べる為にショベルを突き刺した。
すると不自然に硬い手応えを感じ、額にショベルを刺したドラゴンが激怒して現れた。
以上。
実に簡潔な話だ。そして、俺はちっとも悪くない。
狙われるのはあくまでもヌケサク。俺は絶対なるセーフティー。
「逃ゲロ、ヌケサク。誰カノ為ジャナイ。自分自身ノ身体ノ為に」
「あぁ溶けるっ! 溶けちゃうの! このままじゃ溶けて、人に戻れなくなるぅ!」
かなり本気で怒っているのか、ドラゴンは執拗に彼を追い続けている。
仕方ない。なんとかアレの気を逸らさねばなるまい。
俺は杭を打つ用に持って来たハンマーを取り出すと、その柄にロープを括る。
それを太い木の根にハンマーが引っかかるよう仕掛けた。
そして、そこから伸びるロープで、ドラゴンの首が通る大きさの輪を作る。
うむ。これで良い。
俺はロープを足元に置いて、ドラゴンへ向けて強烈な咆哮をした。
敵の注意を集めるテクニックだ。案の定、奴は長い首を俺の方へと向けた。
「遊ンデヤルヨ。来イヤ、トカゲ野郎」
瞳をヌメヌメと光らせて、ドラゴンが俺の方へと矛先を変えた。
退化した翼を折りたたんで、二本の細く長い足で器用に沼を避けて走ってくる。
「オラヨット」
俺は足の指でロープを掴んだまま、前方の枝に向かってジャンプした。
そのしなる枝の反動を利用し、ドラゴンの頭の上を飛び越える。
「ギャオオオ」
首をグルリと廻して、俺の姿を視界内に追うドラゴン。
よし、今だっ。
「ギャオッ?」
ジャンプした頂点、ドラゴンの真上に位置した瞬間、俺はロープを足から外した。
その輪はドラゴンの首を通って、ストンっと肩口まで落ちる。
地面に着地し、俺はヌケサクに向かって走る。
俺を追いかけようとドラゴンも足を一歩踏み出した。
だが大木で固定したハンマーに結ばれるロープによって、それ以上は首が前に進まない。
酸のブレスを吐こうとしても、やはりロープが首を締めて吐き出せないようだった。
「うひょー。兄貴、流石っすー。助けてくれると信じていましたぁ」
「トニカク逃ゲルゾ」
ロープが切れるか、ハンマーが折れたらお終いだ。
ブラックドラゴンの怒る咆哮を背にしつつ、俺とヌケサクは一目散に沼傍の土手を走り抜ける。
だが土砂に勢いよく踏み込んだヌケサクの足が、ズブズブと地面に沈み込んだ。
ドラゴンがヌケサクを追い回している時に吐かれた酸で、土砂が液状化していた。
その土砂の底は、地表よりもダントツで強力な酸が煮立っているはずだ
「ひょぇえええ」
「ヌケサク、危ナイッ」
俺はとっさに彼を引き上げたが、その勢いが殺せずヌケサクごと土手へと転がり落ちてしまう。
丸い体型の俺はヌケサクを抱いたまま、土手の斜面でドンドン加速していき……。
「おわぁー、ホームランッ」
沼のど真ん中へと、その身を踊らせたのだった。
* * *
「ドウ考エテモ、オマエガ悪イ」
「いやいや、沼にドラゴンが棲んでるって、何で事前に教えてくれないんですか」
そんな事実、俺だって知らなかったよ。
知らぬものは備えられない。仕方の無い事なのだ。
「このまま沼に沈むなんて絶対嫌だぁ。死にたくねぇよ」
ジタバタと感情に任せてもがく度、ヌケサクの腰が沈んでいく。
「落チ着ケ。暴レテモ無駄ダ」
「これが落ち着いてられますか。せめてフィーオちゃんとならドロレスでもして、至福の心で死を迎えられるのに」
「舌噛ンデ死ネ」
「うぅ。死ぬ前に貴方のフィーオちゃんとドロレスしたいです、運命のおじさま」
「ヤカマシイ。死ネ」
既に辺りは真っ暗だ。俺は種族的に、ヌケサクは元野盗のスキル敵に夜目は利く。
だから夜である事に危機感を覚えてはいないが、沈み行く身体は如何ともし難い。
「あぁぁ。もう駄目だぁ、おしまいだぁ。底無し沼にしまわれちゃうんだぁ」
本当に煩いな、コイツ。
だが俺も無為に時間を過ごしていたわけじゃない。
時が過ぎれば状況は変わる。
「止ンデキタナ」
森の空を見上げると、雨の勢いはほぼ無くなっていた。
「雨が止んだから、なんだってんですか。真夏じゃあるまいし、沼が干上がったりはしませんよ」
すっかりふてくされたヌケサクを、俺は右手で掴む。
「はい?」
「イイカ、着地シタラ身体ヲ横ニ倒セ」
沼の表面を流れる水流は、雨が止んだ事で殆ど静止していた。
この状態ならば沼の上で身体を横にし、抵抗を大きくすれば沈みはしない。
「這ッテ滑ルヨウニ移動シロ。ソウスレバ助カル」
返事を聴かずに、俺はヌケサクを全力で持ち上げる。
「ちょ、ちょっとマルコ兄貴っ。そんな事をしたら」
あっという間に俺の身体が沈んでいく。
当然だ、沼と安定していた俺の重量が大きく増したのだから。
腕が沈む前に、土手に向けてヌケサクを投げつけた。
「兄貴ぃ!」
べチャリっと沼の表面に張り付くヌケサク。
彼は言われた通り、アメンボのような仕草で岸へと辿り着いた。
よし、これでアイツは助かった。
「プハッ! あ、兄貴? あぁ、もう首元まで沈んでいるじゃないですか!」
ヌケサクが悲壮な顔で俺を見る。
実際ここまで体が沈めば、もう引き上げる事など出来まい。
「気ニセズ帰レ。モウ助カラン」
「なに言ってんですか! 助けるに決まってんでしょ!?」
口ではそう言うが、そんな事が出来るはずなど無いと彼も理解している。
食いしばられた口元から、歯の軋む音が俺の所にまで聞こえた。
「フィーオヲ、エルフ族長ノ所ニマデ、送ッテヤッテクレ。ソシテ、済マナカッタト伝エテクレ」
「兄貴ィィィ!」
叫ぶヌケサク。もう俺の口が泥に埋まりかけている。
ここまでだ。
「ギャオオオン!」
その時、ドラゴンの鳴き声が響いた。
それと共に、奴が大木を引き釣りながらこちらに向かって来ているのが見えた。
「あんにゃろぉ」
腰を屈めつつヌケサクがドラゴンを睨みつけるが、奴は俺だけを見て突進して来た。
そして首に巻かれたロープも構わず、酸のブレスを俺に向けて吐き出す。
「グゥウ」
目を閉じて覚悟した俺の周りで、その酸が落着した。
ロープの引っかかったままでは目測が覚束ないらしい。
「……ナンダ、コレハ」
次の瞬間、沼の表面にボコボコと凄まじい量の泡が出て来た。
これは炭酸ガス?
「シメタ、浮力ガ増シタ!」
アルカリ性の沼とドラゴンの酸ブレス、混ぜれば化学反応で炭酸ガスが発生する。
沼の底まで落ち込んだ酸との反応で、沼全体が沸騰したかのようにボコボコと泡立ったのだ。
「兄貴、手をっ」
「オウヨ」
俺は泡立つ沼をなんとか前進し、伸ばされたヌケサクの腕にしがみつく。
「うぉぉ、ファイトォォ! いっぱぁぁぁつ!」
浮力にも助けられて、ヌケサクは一気に沼の岸にまで俺を引き上げた。
「ヤッタゾ。助カッタナ」
「ばんざーい、ばんざーい」
互いに喜び合う俺とヌケサク。今日ばかりはコイツの助けがあって良かった。
一人では流石に、この沼から這い上がれなかっただろう。
「ギャオオオン!」
「後の問題として、ドラゴンをどう凌ぐかですが」
二人の正面で吠える奴を見て、笑顔から急に真顔へと戻るヌケサク。
だが、もはやコイツは俺の敵じゃあない。
「ワザワザノ助ケ、御苦労。ソシテ、サヨウナラ」
俺はドラゴンの首を巻くロープ、その先にある大木を蹴り飛ばした。
それは沼の真ん中に落ちて、一気に沈んでいく。
生物である俺やヌケサクの体は、大部分が水分だ。故に比重として炭酸ガスで浮き上がる。
だが大木ではそうはいかない。幾ら浮力があれど、それ以上の重さで沈んでいくだけだ。
「グギャァァ」
沼へと引きこまれていくドラゴンが、首を振って抵抗する。
しかしそれも虚しく、爪先で岸をガリガリと削りながら、やがてその全身を沼へと沈めていくのだった。
敬礼のポーズを取ったまま、神妙な顔でそれを見送るヌケサク。
「さらばドラゴン。だが、これが最後の一匹だったとは思えない。人類が驕り高ぶる時、彼らは再び現れるのだ」
オーク族の俺は、とばっちりじゃねぇか。
どっと疲れが体を襲い、俺は大の字に寝転がるのだった。
* * *
「晴れたー! ねぇねぇマルコ、遊びに行っていいかな?」
「オウ、気ヲツケテナ」
朝日を浴びながら、元気良く出掛けていくフィーオ。
雨が止んだ途端、やはりというか当然というか、彼女は待ちきれない様子で森へと駆け込んだ。
遊びたい盛りの子供に、何も無い小屋暮らしは耐えられまい。
「いやー、ナイスタイミングの空模様ですね」
朝食であるバナナの実を齧りながら、ヌケサクは俺に声を掛けた。
「ウム。丁度、沼ノ堰キ止メガ終ワッタシナ」
俺達は数日を掛けて、簡単な水路を作った。
雨の中の作業は困難を極めたが、フィーオが沼で溺れるのを考えれば容易い事だ。
「とはいえ急造ですし、次の大雨までにしっかり造り直さないといけませんね」
頷きながら俺はその計画を立てるべく、地図を取り出そうと背中の布袋に手を掛けた。
……無い。
「は? 地図が無くなっている?」
「ウム。ドコニ置イタカ」
ヌケサクも知らない様子なので、たまたま見かけたオークのピッグにも聞いてみた。
「ブヒヒィ(地図ですか? 退屈凌ぎに小屋を家探ししてたフィーオさんが、そういや『宝の地図みっけた』とか言ってましたよ)」
重い沈黙。
それを破ったのは、顔を引き攣らせたヌケサクだった。
「……それ、兄貴の地図ですかねぇ」
「ダナ」
そして、宝の地図って事は……俺がアレに記したX印と言えば……。
「ブラックドラゴンの沈んだ場所じゃないですかぁぁぁぁ!」
「不味イ。アイツ、絶対ニ行クゾ! 追イカケロォ!」
俺とヌケサク、そしてついでにピッグも、あの沼に向けて限界全力で走り出す。
そんな俺達に間も無く「ギャオオン」という竜の咆哮が聞こえるのであった。
早かったなぁ、奴が再び現れるの……人類、驕り高ぶり過ぎだぜ。
第四話:完
「行っちゃ駄目」と言われたら、余計に行きたくなるのが子供の好奇心。
それを見越し、先に危険を排する親心。
しかし、それでも怪我をして帰ってくるのが子供ってもんですね、はい。
それでは、楽しんで貰えたなら幸いです! ありがとうございました。