第四十七話(前):木苺を採ろう
「時は梅雨明けっ。まさに僕の木苺が芳醇の時を迎えるっ」
「別ニ貴様ノ物デモアルマイ」
雨上がりの緑と風と虫が、まさに我が世と瑞々しく生命を発散させている森の中。
俺はヌケサクと木苺狩りに出掛けていた。
エルフ少女のフィーオも同行していたが、途中で友達のマンドラゴラと出会って分かれたのだ。
「ああ、そうだな。なら海賊らしく、頂いていくっ」
「ダカラ、海賊デモアルマイ」
森なのに海がある訳ねぇだろ、この馬鹿。
「宇宙と書いて『うみ』と読む如く、森林と書いて『うみ』と読めば良いんです」
「ソウイウ物カネェ」
「まぁ森林の場合、海は海でも『腐海』って感じですけど」
腐った海賊か。ある意味でヌケサクにピッタリの称号である。
俺の言葉に「いや、自分はノーマルですよっ」と意味の分からん反論をする。
馬鹿は放っておいて、今日中に木苺をカゴ一杯には摘みたい所だ。
「ジャムでも作るんですか?」
「ソレダト保存ガ難シイ。ドライフルーツダナ」
「なるほど。保存食ですか」
「イツデモ甘味ヲ味ワエルノハ、子供ニトッテ嬉シイダロウ?」
わーわーぎゃーぎゃーと騒ぐ時、ポイっと与えてやれば泣いた烏もスグに笑う。
つまりフィーオの喧しい口を閉じさせる為、甘い物が必要なのだ。
叱るだけでは反感を買うばかりだからな。
「わっかりました。ではここにある木苺、全て採ってしまっても構わんのだろう?」
「駄目ニ決マッテンダロ、馬鹿野郎」
一箇所で全部賄うのでは無く、少しずつ摘んでいかねば生息地が激減してしまう。
また動物たちの食べる分も残しておかないと、生態系や生息域のバランスも崩れるのだ。
「だから森の奥へ奥へ、と進んでいるんですね」
「ウム。群生地モコノ先ダシナ」
そこでなら少し多目に採っても問題無い。
フィーオも連れて行ってやりたかったが、友達と遊ぶ方が楽しい年頃である。
また次の機会としても、構わないだろう。
「遊びながら採取しているかもしれませんし」
あと二人の居候であるオーク族のピッグとポークも、途中で合流すると言っていた。
それにしては遅いから、フィーオ達の方と一緒になったのかもしれない。
だとすれば、ヌケサクの言うように木苺採取をしている可能性はある。
「となれば、長靴いっぱい食べられますね」
「変ナ計量ダナ」
「それ履いていれば、八十日間世界一周する時の非常食になるんですよ」
「食イタクネェナァ」
言いながら俺は、赤く熟れた木苺を積んではカゴに入れていく。
引っ張ってスッとヘタから抜ける物だけを選ぶから、カゴからは甘酸っぱい匂いが香り立つ。
わさわさと実ったそれらは、触れるだけでも落ちそうな程の完熟だ。
「どしたのワサワサッ!? なんでもナーミンッ!?」
「仕事シロ」
たまに発狂するのを除けば、こいつも真面目な眼があるんだが……。
ともあれ想像以上に採れた為、カゴは既に大半埋まっていた。
これなら、わざわざ群生地まで行かなくても良いかもしれない。
「せっかくだし、俺は赤い群生地を選ぶぜ」
「イヤ、モウ普通ニ集マッタゾ」
「さっき長靴いっぱい集めると言ったでしょ? 長靴は二つで一足、バロロームでしょうが!」
「何ヲ言ットルンダ」
「まだ片足分しかありませんよっ。一足分になるよう、張り切って集めましょうっ」
こいつ、単に自分も腹いっぱい食いたいだけなんだろうな。
まぁ甘い物の貴重な森の生活である。その気持ちは分からなくも無い。
少し欲張りな気もするが、群生地まで行くとするか。
その判断、後で思えば、間違いであったのだ。
* * *
群生地に入った瞬間、俺は唐突な殺気を感じた。
それはモンスターや森の動植物が放つ雑多な感情では無い。
明らかな敵意。
「ヌケサクッ」
「あいよぉ!」
持っていたカゴを彼に投げつけて、俺は木苺の藪の裏に蹴りを貫かせた。
潰れた木苺で、俺の足が真っ赤に染まる。
「避ケタッ?」
そこから確かな殺気を感じるにも関わらず、手応えならぬ足応えは無かった。
代わりに、藪で隠れて見えない俺の足に激痛が走る。
「グゥッ」
『名乗リもせずニ蹴るなんて、酷イじゃねぇか』
嘲るような口調のそれは、俺の蹴りの先から聞こえてきた。
『ま、オマエの蹴リは見切ってるけどな』
「貴様ッ……」
聞き覚えのある訛り。そして、忘れもしない声。
俺は足の痛みを無視して、そのまま直上に蹴り上げる。
藪から抜けた足の甲には、一本のナイフが足裏にまで貫通して刺さっていた。
その貫通した刃先をぶつけるように、声の元へと振り上げた足の踵を落とす。
「ヌゥン」
『ほィっ!』
今度こそ足から鋭い衝撃を感じ、同時に生まれる激痛で顔を顰めてしまう。
だが声の主は、堪らず木苺の藪から飛び出してきた。
「ヤハリ貴様カ!」
それはやや巨躯である俺と、ほぼ同体型のオーク族だ。
見るからに野盗と言った出で立ちのソイツは、肩の切り傷から溢れる血を意にも介していない。
不敵な笑みを浮かべるその顔は、かつての記憶通りの形で俺の前に存在していた。
燃え上がる修道院、逃げ惑う子供達、そしてシスターの赤い紅い手。
俺の背中から腹まで突き出た剣の刃先を、そのシスターの手が抑えている。
俺は血の泡を吐き、それでも自分を殺す奴の顔を見ようと振り向いた。
そこにある顔こそ……。
『懐かしイなぁ、この貫イた感触の味。思イ出すよぉ』
「パゴット、死ンデナカッタカ」
俺の問いに、パゴットはケラケラと笑う。
千年にも渡る愚問と出会ったかのような、嘲りと侮蔑の混ざった感情だ。
『トリックじゃねぇぞ? てか死ぬ訳無いだろ。俺もオマエもあの時、一緒に居たんだからな』
「クッ。ヤハリ、貴様モ、シスターノ……」
『ウダウダうっせぇな。ここで生キてんだから、それで全部だろうがぁ!』
パゴットの貫手が俺の左肩口を掴もうとする。
カウンターで左腕を交差させて、相手の肩口を強く押した。
上体だけが離れた瞬間、俺は足を引かずそのまま蹴りを放つ。
『ヒュゥ』
が、同時にパゴットも俺の残した軸足を踏みつけ、俺の体を地面に拘束させる。
交差させていた左腕を、更に巻き込んで俺の顔面に肘打ちをぶつけた。
俺は蹴りの姿勢を崩されて、かつ軸足を拘束されたまま、重心移動も出来ず背後に倒れる。
「マ、マルコ兄貴ッ」
切羽詰まったヌケサクの声が俺の耳に入る。
くそっ、パゴットめ。
『エルフ狩リギルドをやったオーク族が居るって聞イて、楽シミだったが……』
俺は顔を両腕で守ると、ほぼ同時にその腕の中央に蹴りが踏み込まれた。
何とかして、軸足の拘束を解かねばマズいっ。
『あんまり上達シてねぇなぁ! 雑魚のままじゃねぇかぁ!』
「野郎、兄貴から離れやがれ」
ヌケサクが鉈を抜いて、パゴットに斬りかかる。
だがその鉈の刃先を殴り飛ばされて、更に顔へ高速のパンチを受けた。
僅かな一瞬で数発の攻撃を同時に放つ、訓練された動きだ。
「ぐぁっ! いってぇ」
『どイてろクズ。俺は旧友と遊んでんだよ』
「貴様ニ友ト呼バレル筋合イハ無イ」
首を振って、パゴットは寂しそうに涙を浮かべる。
心の底から残念だ、意外だとでも言いたげな哀しい顔だ。
『実は俺だって、チっとも友人と思っチゃイなイ。気が合うねぇ?』
「パゴットォ……」
『でも同ジ修道院で育った兄弟同然ジゃなイか。もっと仲良くしようぜぇ』
俺を踏みつけようとする足首を、俺は両手で掴む。真上に跳ね上げて、俺はチャンスと動く。
だがその俺の顎を、さっきまで軸足を押さえていた残りの足で蹴り上げた。
両足を浮かせたパゴットは、そのまま空中でクルッと一回転する。
顔を押さえて転がる俺の傍に、まるで何事も無くスタッと立った。
「グゥゥッ」
『はっはっはっ。兄よリ優れた弟など居ねぇってこった』
「俺ニ兄弟ハ、モウ居ナイッ!」
俺は倒れたまま横転し、木苺の藪へと転がり込んで立ち上がる。
お互い、出血と熟れて潰れた木苺の果汁とで全身が真っ赤だ。
しかしパゴットは肩口の傷以外、少しの怪我もしていない。
反面、俺は全身を打撲で腫らせており、蹴りを受け続けた腕もジンジンと痺れている。
『冷たイ事を言うなよ、兄弟ィ~?」
「ナラバ……コレカラ居ナクナルッ」
俺の出す左右の拳の連打を掻い潜って、パゴットが裏拳を放ってくる。
頭を引いて避ける事で上体の少し反った俺の腹に、奴は裏拳の腕を折りたたんで肘打ちを放つ。
それを上から両手で押さえつけるが、パゴットはその両腕の隙間から俺の顔に頭突きを合わせた。
避けられないっ。
「クゥッ」
俺は敢えて、自分の額をその頭突きにぶつける。
顔面で最も硬い部分で受け、俺とパゴットは二人とも脳震盪で倒れそうになった。
『やるねぇ。昔のオマエなら、怖がってシなかったはずだ』
「ガァアッ!」
ふらつく頭を堪えて、ハンマーの如く更に額を打ち付ける。
ズシャッと膝を地面に落とし、パゴットの身体が少し揺れた。
俺は相手の肩と、折りたたまれた肘の延長にある拳を上から抑えている。
完全に身体の軸を支配して奪っている以上、効果的な動きは出来ないはずだ。
「トドメッ」
『ははっ』
パゴットは、地面に落ちた膝を滑らせて、押さえつけられた身体を下半身から先に外へ逃した。
鉄床を失って、俺の攻撃は強く打ち込めずに力を流される。危うく転倒しそうになる。
その崩れる姿勢を制する為の反発を利用し、奴はまんまと俺の拘束から抜け出した。
しかし、パゴットの頭部からは血が流れ、目も虚ろに泳いでいる。効果はあった。
「兄貴っ、しっかりして下さいっ」
「ウヌッ……」
だがそれは俺も同じだ。足元がふらつき、奴の姿が何重にもブレる。
こうなれば、どちらの身体が先に『復元される』かの勝負であろう。
「今なら、俺だってやれるっ。くらいやがれぇ!」
それはヌケサクの裂帛の気合だ。
拾った鉈を振り上げて、その峰をパゴットの頭に叩きつけようと振り下ろす。
いや、拙いっ。そこを攻撃されても奴は怯まないっ。
「待テッ、ヌケサクッ!」
止めるのは、間に合わなかった。
危惧した通り、奴はニヤニヤと薄ら寒い笑いを浮かべながら……。
猛スピードで降ろされる鉈の峰に、全力の頭突きを合わせた。
それの未来が、どれほど悪意と絶望に繋がるのか。
撒き散らされた血飛沫がその道筋となって、俺達の前に広がっていくのだ。
暇さえあれば木苺を食べている季節であります。
ただ漆とかも多いんで、藪に入るなら気をつけないと酷く皮膚がかぶれます。
ヘタすれば腕が木苺みたいにボコボコの真っ赤っかになったり……痒いぃ!
後半に続きます。投稿は本日の13時を予定しております。




