第四十話:夜更かしをしよう
フクロウの鳴き声が響く深夜。夜空は満月、森は月光で銀色に照らされる。
森の神秘的な景色を眺めて、俺は夜の散歩を楽しんでいた。
「昼トハ違ウ神秘的ナ一面ガ、心ヲ清廉ニスル」
極力暗くしたランタンの灯りで足元だけを照らし、ゆっくりと歩く。
時間は幾らでもあるのだから、ノンビリすれば良いのだ。
夜こそは日々の生活に追われない、唯一絶対の自由な時間である。
「サテ、小屋ニ戻ッテキタナ」
さて忙しくも愛おしい日常との再会だ。
小屋の傍にある独立した寝所へと向かうべく、俺は小屋の周囲を一瞥した。
おかしい。
こんな夜中にも関わらず、小屋の扉が開いている。
「マサカ、フィーオガ外ニ出テルノカ?」
夜は彷徨くなと教えている手前、自分の外出を見られるのはマズい。
だが彼女が、もし一人で夜の森に出掛けたとしたら、それはもっとマズい。危険だ。
確かめねばなるまい。
夜中に女の部屋へと入る無礼は、まぁ相手が子供であるからしてノーカウントだろう。
「フィーオ? 居ルノカ?」
そう静かに声を掛けながら入った薄暗い小屋の中で、誰かがベッドを覗きこんでいる。
細い体つきからヌケサクを連想し「殴り殺そう」と決意して、俺はその顔をよく見た。
人影は全然見た事も無い顔で、だが八重歯が恐ろしく長く生えている。
しかも黒マントを着込んでおり、コウモリの如く布地を重ねていた。
アイツ、もしや吸血鬼かっ!
俺の存在に気付かないのか、そいつは腕を広げた。マントの裏地は鮮血の赤だ。
そして、ベッドで眠るフィーオに覆い被さろうとしている。
ほほぅ~。
「殺ス」
「むむっ? 私の食事を邪魔するのは……」
相手が何かを言い切る前に、俺は吸血鬼の背中に全力の正拳突きを叩き込んだ。
「ぐぇぇ!」
「サァイッ!」
逆くの字に背中を折り曲げながら、小屋の壁にビターンと張り付く吸血鬼。
その後頭部に、正拳突きとは反対の腕で掌底を叩き込む。
「ちょ、ちょっとタンマッ!」
「セヤァ!」
「おがぁぁぁ!」
ボッと空気を圧縮する音さえも生まれる重い右廻し蹴りで、彼の横腹を薙いだ。
ゴロゴロと壁を転がって、そのまま出口を取って小屋の外まで飛び出た。
「逃ゲンナァ、オラァ!」
「ふっ。この夜の貴族たる私が逃げるなど、あっ待って許しゲボォァァ!」
地面に寝る吸血鬼の両肩を掴んで引き起こし、そのまま腹に膝蹴りを何度も叩きこむ。
恩人から預かる大事なフィーオに手を掛けようとしたのだ。タダでは帰せない。
不死の王であっても半死半生にしなければ、ちと周りへの示しが着かないだろう。
「天誅ゥ~、天誅ゥ~……」
「いやぁぁあーー! ママ~~~ッ! ッッッママァァァーーン!」
「なによもう、騒がしいわねぇ」
とても詳細に描写してはいけない様子で気絶した吸血鬼の悲鳴で、フィーオが目を覚ました。
極めて好意的解釈と冗長性を保った表現で『ボロ雑巾』となった吸血鬼を見て、少女は唖然とする。
「なにそれ弐号機?」
「イヤ、吸血鬼ダ。オマエヲ襲オウトシテタ」
「はぁ……で、何をしているのよ」
アンデッドを半死半生にしている所である。
「それ半死にならないし、元から零死じゃないの。零を二で割ってはいけないのよ」
「言ワレテミレバ、折檻ガ終ワラナイナ」
呆れた様子のフィーオは、あくびをして椅子に座った。
水差しの水をこくこくと喉を鳴らしながら飲んで、落ち着いた様子で口を開く。
「半死の基準が分からないから、ま、瀕死になるまで殴れば良いんじゃない?」
「御意」
「うぎゃああああああ!」
彼女の宣言通り、ズシャズシャ、とひたすら拳を叩きつけられる音が延々と響く。
もはやフクロウの鳴き声も止んで、満月の夜とは思えない暗い気配が辺りを包み込むのだった。
* * *
「で、瀕死になった感想はいかが?」
「全然痛くない。ほんのちょっと、吸った血が漏れただけだ」
そう言って、俺とフィーオの前で正座する吸血鬼が開き直る。
全身から赤い霧のような物が立ち込めて、その度に傷口が閉じていく。
「へぇ。まるでマルコ兄貴みたいですねぇ、こいつ」
「俺ハ吸血鬼ジャナイゾ」
ヌケサクの感想を俺は即否定した。
結局、あの騒動でヌケサクやピッグも起きて小屋にやって来たのだ。
深夜にも関わらず、ご苦労さまな事である。
「落ち着いて寝てられませんって。地球が悲鳴を上げてるのかとドキドキして」
「ブヒヒィ(興奮しちゃいますよね。誰かが僕らを呼んでるのかと思って)」
「いやその、悲鳴で興奮しないでくれる……?」
フィーオの冷静なドン引き具合に、ヌケサク達は全く気付く様子は無い。
悲鳴聴いて助けに来るならまだしも、野次馬気分かよお前ら。
「貴様ら、アンデッドの王たる私にこの様な事をして、タダで済むと思っているのか?」
正座を全く崩さず、両手は開いて腿の上に置きながら、吸血鬼が吠える。
その姿、まさに飼いならされた室内犬の如し。哀れ。
「あれ? アンデッドの王ってリッチじゃなかったっけ。冥王でも良いけど」
「てか死神の方が偉そうですよね。なんせ神様ですし」
「ブヒヒィ(王権は神から付与された物ですし、死神に対して拘束される程度の能力)」
「オイ、死神ノ奴隷。ソンナニ泣クナヨ」
虚ろな目から滂沱の涙を流しつつ、吸血鬼は唇を噛み締めていた。
吸血用の牙が下唇に刺さって、とても痛そうだ。
「くくく、だが我は不死。いずれそこの乙女の血、貰い受ける」
「コノ状況デ、ヨク啖呵ヲ切レルナ」
「ふっ。私はいつでもウォッチング・ユー、背中から乙女を追い詰めるのだ」
うわぁお、ストーカーじゃねぇかコイツ。
「振り向いたら負けだし、振り向かなくても結局は狙われてるしで二重苦ですな」
「うぇー。やめてよぉ~」
フィーオはヌケサクの方を振り向いて、生理的嫌悪感を全開で拒絶する。
だがそれは吸血鬼に背後を見せる事でもあった。
「隙ありぃぃ!」
フィーオの首筋に、吸血鬼の口が取り付くっ。しまった!
彼女の白い柔肌を牙が抉ろうとした時、その鋭い歯はボロリと地面に落ちていった。
あ、殴られて折れてたのね。
「……なにすんのよ」
死体よりも恐ろしく冷たいフィーオの言葉に、吸血鬼は噛み付いた姿勢のまま凍りついた。
牙も無く、吸血鬼としてのアイデンティティを失った彼。
だがやがて、リアクションをしなければいけないと気付いたのか、言葉を捻り出す。
「いやー、まずはこう、舌でテイスティングしてから吸うのが最新流行なのだ」
吸血鬼がベロベロベロッと少女の首筋を舌で舐めまわす。
聴こえない音域での悲鳴を上げて、フィーオが吸血鬼の両目に指を差し込んだ。
「アレ? 目が、目が見えないよっ」
「離れろぉぉっ! この変態ぃ!」
奥歯をギリギリと鳴らしながら、フィーオの反則アイアンクローが炸裂する。
両目に指を差し込んで二倍の威力、更に両手を使って二倍、いつもの三倍のねじりを加えて……。
まさに十二倍のエルフ・パワーによる圧倒的破壊空間が彼女の掌に発生した。
「ブヒヒィ(姐御、マズいです。第二関節ですってソレっ)」
「引き離せっ。脳までイッちまうぞ」
わーわー騒いで、ヌケサクとピッグが吸血鬼を引き剥がす。
まぁ俺も手伝ってやるか。
「ああ、光が溢れて……」
「視神経ガ変ニナッタンジャナイカ、ソレ」
どれ見せてみろ、と吸血鬼を抱き抱えるピッグと一緒に瞳を覗きこむ。
すると、それの目が紅く輝いた。
「オット、目ニ埃ガ」
「隙ありぃぃ! くぅらぁえぇ、チャームゥゥゥ!」
ドタバタと暴れたから、埃が飛んでいたのだろうか。
目に妙な異物感を感じて、俺は思わず目を閉じてしまった。
なにやら吸血鬼が叫んだ気もしたが。
「ブヒヒィ(目と目が合うー、瞬間、スキトキメキトキス)」
「うわっ、チャームしたいのはこっちのオークじゃ無い! 離せ、離さんかっ」
なにかピッグが吸血鬼に熱烈歓迎している。いつの間に仲良くなったんだろうな。
「ブヒヒィ(もう戻れない二人、心は次の場所へ走り出したよっ)」
「やめろ、私にそっちの気は無いっ。どんなチャームの掛かり方をしたんだ、コイツ」
「うえぇぇー、首筋が気持ち悪いよー。マルコ、何か拭くもの無い?」
フィーオに布を渡しながら、俺は吸血鬼とピッグに向き直った。
まぁコイツがチャームの魔術に掛かっているのは、実のところ知ってる。
「くそ、だが貴様の仲間を我が配下としたぞ。どうだ、攻撃できまい」
マントを翻して叫ぶ吸血鬼の前で、俺はピッグの頭を拳で殴った。
「あ、酷い! 私の大事な眷属に何をするっ」
「イヤ、攻撃デキマイッテ言ウカラ、出来ル所ヲ見セタクテナ」
「……お前、本当にアイツラの味方なのか?」
「ブヒヒィ(愚問ですなぁ、マスター。俺は俺の味方です)」
「くぅ~、なんて可哀想な奴だ。これからは私の眷属として共に生きよう。なっ?」
「ブヒヒィ(マスター……)」
変なピンク色の空間やバラの花びらを撒き散らすオークと吸血鬼に、頭痛がする。
いつの間にか濃いアイシャドーをした二人に、俺は面倒だが声を掛けた。
「デ、ドウスルヨ?」
「敵を知れば百戦危うからず。我が眷属よ、奴等の弱みを話してしまうのだっ」
おお、ちょっと頭を使い出したな、コイツ。
弱点と言えば、例えば俺は対魔力に著しく乏しい。
もし魔術による攻撃を受ければ、治癒の暇も無く倒されてしまうだろう。
その事を話されてしまえば、かなりマズい事になるっ。
「ブヒヒィ(フィーオ姐御は熱いのが苦手です)」
「ほぅほぅ、なるほどなるほど」
「ブヒヒィ(だから、右足からお風呂に入る癖があります)」
俺とフィーオとヌケサクの三人で、ピッグが動かなくなるまで殴り倒した。
「ああ、私の眷属ぅ……」
「後で灰にして川に流しておきなさい、ヌケサク」
「承知」
「やめろぉっ。吸血鬼だって、そこまでされたら甦れないんだぞ」
物言わぬオークとなったピッグを庇いつつ、吸血鬼は悲鳴を上げた。
コイツ、どれだけ眷属が少ないんだよ。
「モウ帰レッテ。ソイツ、アゲルカラ」
「くっ。眷属を倒して、私を追い詰めたと思ったら大間違いだぞっ」
話が通じないなぁ。
吸血鬼は全身から立ち上り続ける霧を、より激しく吹き出していく。
すると、彼の姿そのものが霧と変化して、小屋の周囲を薄暗く包んだ。
「わっはっは! これぞ霧変化。私に攻撃を当てる事は不可能だ」
俺はフィーオに渡した布を受け取って、全力で扇ぎ空気を掻き混ぜた。
途端に吸血鬼の悲鳴が上がる。
「ぐわぁ! 骨が、骨が折れるぅぅぅ! 皮が千切れるぅぅぅう!」
「まぁ霧の身体を撹拌されたら、そうなりますわな」
必死の形相で、吸血鬼が元の姿に戻る。うつ伏せのまま息も絶え絶えだ。
俺は殆ど何もしていないのに、このダメージ。弱い。
「ふ、ふふふっ。どうやら、本気で吸血鬼と戦いたいようだな」
「イヤ、戦ッタラ死ヌダロ、オマエ」
「ふふふふふふふふ、舐められたものだ」
「舐めたのアンタでしょうが」
心の底から嫌悪している様子のフィーオがそう言うのと同時に、吸血鬼は顔を上げる。
先程までの端正な顔では無く、凶悪な蝙蝠の造形となっていた。
そして、どんどん身体が膨れ上がって、その姿が小屋よりも大きくなる。
「これが、これが! 我が眷属が、身を捨てて守ろうとした俺の正体だ!」
「巨大コウモリカッ」
「で、でけぇっ!」
俺の巨躯でも見上げる程になった吸血鬼は、その全身が筋肉をはち切れさせている。
くっ、あまりに弱いから面白くなって、ちと追い詰めすぎたか。
身構える俺達に、吸血鬼が吠える。
「貴様らを擦り潰して、その血だまりから血を吸ってやるわぁ!」
大地が震えんばかり咆哮に、フィーオがあくびを噛み殺して口を開く。
「マルコ、何とかしておきなさい。私は寝るから」
「余裕ダナァ、オマエ」
「だって深夜からずっとこの騒ぎよ? そりゃ眠くもなるわよ」
ほらっとフィーオが空を指差す。
すると、彼女の指の先から光が溢れていた。
日の出である。
「太陽だって登り始めちゃうし」
「えっ!? 太陽ぉぉ?」
吸血鬼が大汗を流して、少女の指差す方向を見る。
その光を浴びた瞬間、彼の姿は砂へと変わっていった。
「しまったぁ! 気絶し過ぎて……」
一迅の突風が吹き、俺達は思わず目を瞑ってしまう。
次に目を開けたそこには、もはや後には何も残ってはいなかった。
「勝った」
ヌケサクの宣言に耳を貸す者は居ない。
俺は小屋の外の寝所に、フィーオは小屋のベッドに戻っていたからだ。
夜の帝王、吸血鬼。恐るべき睡眠の敵であった。
* * *
「クィーン、ほら魚だよー。美味しいよー」
洞窟の中で、黒いローブを来た少年の魔術師が、焼き魚を猫に見せている。
だがツーンっと首を横にしている姿に、彼はホトホト困り果てていた。
やがて決意したように、彼は「クィン、朝ご飯だよ」と言葉を絞り出す。
「にゃーん」
返事をしてくれたらしい。
焼き魚を猫に差し出しつつ、魔術師は顔に手を当てて泣いていた。
「うぅ……クィンって呼ばないと返事してくれないなんて、あの糞エルフめ」
彼自身はクィーンと名付けた使い魔の猫だったのだが、フィーオが改名してしまったのだ。
その煽りを受けて、彼でさえも「クィン」と呼ばねば返事もしてくれなくなった。
「やっぱりカトリーヌとかグランティスとか、そういう可愛い名前にするべきだったかな」
「ふぎゃー」
「いててっ! ごめん、ごめんよクィン。君の求める名前で呼ぶから許してぇ!」
などとイチャつく二人組の頭の上で、一匹のコウモリがぶら下がっている。
その顔は疲労困憊で、うわ言のように「オーク恐るべし」と呟く。
二人のあずかり知らぬ所で、いつの間にか居候が増えているのであった。
第四十話:完
吸血鬼といえば、血の代わりにトマトジュースを飲むのがギャグ漫画のシキタリです。
でも最近は輸血パックとかを飲んでも良いですし、それこそ再生医療で血液作っても良いかも。
選択肢の幅が広がっている吸血鬼ですが、最近はギャグ漫画にあまり出ない寂しさ。
……やっぱりアーカードの旦那が格好良過ぎたんでしょうかねぇ。
それでは、楽しんで頂けたなら幸いです。ありがとうございましたっ!
次回の更新は、7月8日を予定しています。




