第三十五話:時計を使おう
携帯用の日時計。
森の中ではあまり役に立たない道具である。というのも、まず日向が少ない。
日差しを求めてウロウロしている内に、遭難するか足元の確認不足で怪我をするのがオチだ。
次に水平や垂直を調べるのに苦労する。水平器を持ち歩く手間も増えてしまう。
それ故に、森での時間管理は時間感覚を熟練させねばいけない。
失敗すれば、まぁ……。
「マルコォォ! 地獄にオークとは、まさにこの事だよぉぉ!」
それは嬉しいのか何なのか。
どちらかと言えば二重の災難を表す言葉だと、オーク族の俺でも思うぞ。
「オマエ、アレ程ニ『時計』ヲ持チ歩ケッテ言ッタロ」
日が暮れても戻らないフィーオを探し当てて、俺は肩を竦めるのだった。
未だに彼女は時間管理が下手で、森の散策中に日が暮れてしまうのである。
そうなれば、もう身動き一つ取れはしない。遭難である。
「時計と気軽に言うけど値段が高いのよ。買うなんて勿体無いじゃない」
「イヤ、本格的ナ奴ハ必要ジャナイ。コンナノデ良イゾ」
帰り道、薄暗い森をランプで照らしながら少しずつ進む。
その道中で、俺はフィーオに『時計』を見せる事にした。
見れば、形状はランタンとしか思えない。
しかし、その中身は渦巻きの形となった『お香』が入っている。
「ああ、コマーシャルの最後でメーカー名の花火が出る奴」
「違ウ」
「じゃあタイムトンネルとでも言うの!? どう見ても、うずしおでしょ!」
何を怒っているのか知らんが、これは立派な時計である。
ランタンの表面には、お香の一定区間ごとに数字が書かれている。
これの燃焼具合で『今は何時なのか』が分かるのだ。
「正午カラ、夕暮レマデハ持チ歩ケ」
「うぅー。面倒臭いよぉ」
ちょっと手間で助かるならば、率先して使って欲しいのだが。
森の民とはいえ、自然に対して増長すれば危険と背中合わせだ。
ブツクサ文句を言う少女の手を引きつつ、俺は森を進んでいく。
暫くして、小屋の明かりが見えてきた。
が、出る前に常夜燈しか付けていないのに、なぜか今は小屋中がとてつもなく明るい。
「そろそろ着きそうだねー。いやぁ、助かったぁ」
「ハテ、何故アンナニ明ルインダ?」
その理由は到着して分かった。別に火事とかでは無い。
誰かが小屋その物に『ライト』という魔術を掛けていたのだ。
太陽の如く煌々と輝いている俺の小屋。
まるでアホみたいだ。
「うっわー……なんか田舎の県境に必ず一店舗はありそうなホテルみたい」
「言イナ。入リ辛クナルカラ」
「とりあえず私、外で待ってるからねー」
そう言ってフィーオは、小屋の前にある調理場の椅子にちょこんと座る。
確かに子連れで、こんな所には入りたくないな。
俺は小屋の扉を開けて、一人で中に入っていく。
するとそこでは、黒いローブを着た魔術師がオーク二人相手に雑談していた。
「俺ノ小屋ヲドウシタインダ、貴様……」
魔術師の名はリュート。かつてエルフ狩りが本業だったが、今はどうなのだろうか。
捕らえられた師匠の保釈金を払ったなら、もうフィーオを捕らえて賞金を稼ぐ理由は無い。
もはやこの森に用事は無いはずで、別れ際も「二度と逢うまい」と言う内容だった。
目的が分からないし、我がもの顔でくつろいでいるのも不可解である。
「ん? 暗いから明かりをつけただけだぞ」
「ふんごー(エレクトリカルなパレードみたいっスねぇ!)」
「ブヒヒィ(いや、超時空要塞な都市だろ、これは)」
ただの小屋である。
オーク二人が喜んでいるけど、明る過ぎてこれはもはや光害である。
今晩、何処で寝れば良いんだよ。
「うっせーな。後でディスペルしてやるよ」
「ソモソモ、用事ハ何ダ?」
「御近所様に挨拶廻りってな。ほら、ツマラナイモノの引っ越し饅頭」
そう言って、小屋のテーブルにある白い小箱を顎で指す。
すっかり空箱になっているそれに、饅頭が入っていたのだろうか。
「持ッテキタ奴ガ食ッテンジャネェヨ」
「客に饅頭も出さねぇつもりか? てかお前の帰りが襲いから悪いんだろ」
「ふんごー(あと水掻きとかーるるいすも貰いましたよ)」
妖怪の里に捨てちまえよ、もう。
てかその話の流れなら腐ってたんじゃねぇの、饅頭。
「まぁ、また暫くは洞窟で暮らしてるって事で」
「師匠ヲ助ケルッテ話ハドウナッタンダヨ」
俺の言葉に、魔術師はため息混じりで答えた。
「保釈金は払ったんだけどよ……とっくに脱獄してた」
「サヨケ」
「師匠の行方を魔術で調べたら、なんかこの森に居るらしいんでな」
また変なの増えたのかよ、ここ。
今更、驚きなどしないけど、出来れば平穏に暮らしたい。
魔術師は「まぁそういうこった」と言って立ち上がり、魔術を詠唱する。
すると、馬鹿みたいに輝いていた小屋の光が、一瞬で消えさった。
「ブヒヒィ(ああ、悲しみの電気代滞納。水道なら少し待ってくれるのに)」
「役ニ立タナイ豆知識ダナ」
「じゃ、挨拶もしたし俺は帰るぜ」
立ち去る魔術師と入れ替わりでフィーオが入って来る。
明らかに不満そうだ。
「ちょっと、せっかく明るかったのにどうして消しちゃうのよ」
「夜ハ夜トシテ、子供ハ早ク寝ナサイ。背ガ伸ビ無クナルゾ」
「そんなの迷信だもーん」
「ふんごー(成長ホルモンは、夜に寝ると発生するって言いますけどね)」
「……オークの癖に、無駄に詳しいわねアンタ」
頬を膨らませて、フィーオが俺達を睨む。
全く、どうしてこう子供は夜更かしが好きなのか。
大人が嫌がったり困る姿を見て、喜んでいるんじゃなかろうかと感じるな。
* * *
翌日、昼前にフィーオが担当分の家事を終えて、遊びに出掛ける準備をしていた。
俺は小屋の周りの雑草を抜きつつ、少女に声を掛ける。
「時計ハ持ッタカ?」
「うん、それじゃあ、行ってきまーす」
香時計を下げて、フィーオが小屋を飛び出して行った。
よし、これなら間違いは無いだろう。
香は特殊な素材を燃やしているからして、跳ねて跳んだりする程度では消えない。
「いやー、フィーオちゃんは今日も元気ですねぇ」
「子供ダカラナ。無鉄砲デ暴レン坊ナノモ今ノ内サ」
どこか若さに憧れるようなヌケサクの言葉に、俺はそう答えた。
その無鉄砲さがあるからこそ、時計などを持ち歩いて貰わないと困る。
道具によって調子を整え、安全管理の基準を身に付けて欲しいのだ。
「もっと、ちゃんとした時計をあげたいものですな」
「シカシ時計ハ高価ダカラナァ」
懐中時計などになると、製造過程で魔術を利用した物となる。
とても一般人が持てるような代物では無い。
だがヌケサクは指を左右に振って、どこか自信ありげに懐から何かを取り出す。
それは懐中時計であった。
「オオッ。ソレドウシタンダ?」
「なぁにエルフ狩りギルドで、ちょいと拝借しましてね」
泥棒じゃねぇかよ。
ヌケサクが時計のゼンマイを巻き始める。
「よし、巻きましたよ。さて動くかな?」
時計の秒針がコチコチと振るえて、右回りに動き出す。
おお凄いっ。この懐中時計、ちゃんと動くじゃないか。
「ダガ、コノ時計ノ速度デ合ッテイルンダロウカ」
「基準がありませんしねぇ。一応、十二時間表記みたいですが」
試しに、フィーオにも渡した香時計と比べてみる事にした。
もしちゃんと計れているならば、夕方には五時か六時頃を指すはずだ。
「他にも色んな時計を持って来ましたよ」
そう言って、ヌケサクはテーブルの上にゴロゴロと無造作に取り出す。
トランペットを持った黒猫の置き時計、ピンク色の丸い時計、蜂の絵が描かれた時計……。
中でも目を引いたのは、なんと腕時計だ。
「凄マジク小型ダッ。腕時計トハナ」
俺はそれを手に取り、ゼンマイを巻いてみる。
その瞬間、時刻盤がヌケサクの目に向けて飛び出してしまった。
ヌケサクが「ぐぉぉっ」と叫んでうずくまる。
「それスパイ用のニセ時計ですよっ」
「イヤ、何故ニ時刻盤ヲ飛バス必要ガアル?」
「愚問です。スパイなら秘密兵器の一つや二つ持ってて当然!」
目を押さえつつ、ヌケサクが強く主張する。
おいおい、さっきの懐中時計も変なギミックが付いてるんじゃないだろうな。
まともな時計を探そうと、丸い置き時計を手に取る。
よく見れば、何やらピンク色の半魚人みたいな絵が描かれているじゃないか、
なかなか可愛い絵だ。フィーオも気に入る気がする。
「あ、それ気を付けて下さいね。時間が来ると……」
ヌケサクの言葉を合図にして、時計が甲高い音を立てつつ、俺の手から飛び出した。
丸い球体の至る所に切れ目が入り、そこが羽のようにパタパタと動いて暴れたのだ。
「……時間が来ると、逃げ出しちゃうんです」
「使イ物ニナランダロッ」
「いや、寝坊とかしなくて済むんですよ。追い掛ける内に目が覚めますし」
それ絶対に寝ぼけて踏み潰すと思う。
フィーオなら面倒臭がって、問答無用で叩き壊すだろうな。
「モット普通ノ時計ハ無イノカ?」
「関数計算が出来る腕時計とかありますよ。勾配の計算にどうです?」
「便利カモシレンガ、ソウジャ無クテダナ」
「じゃあ少し大きいけど、これなんかどうですか」
取り出されたのは、またもや腕時計。それ自体は普通に小さいのだが……。
「コノ、キーボードハ何ダ? 時計ノ数倍モ大キイノガ、腕ニ着イテクルゾ」
「それでプログラミングし、時計部分に表示するんです。格好良いでしょ」
「要ラヌ! 普通ニ時刻表示スルダケデ良イッ」
「じゃあこの蜂の絵の黄色い時計っすね。十秒間の連射速度を計れます」
あ、徹底して変な機能をアピールしてくるのな。
これはアレだな。たぶん、わざとこういうのばかり集めて来やがったな、コイツ。
「こっちも面白いですよ。ベル鳴らしながら溝の上を走るんです。時計機能は無いですけど」
「一番大事ナ機能ヲ無クシテドウスンダ、馬鹿野郎ッ」
レールの上を走るタレ目の絵が描かれた時計をひっくり返して、俺は叫ぶのだった。
* * *
夕方になり、俺は香時計と最初に渡された懐中時計の進み具合をチェックする。
どうやら普通に機能しているようだ。
「コイツダケハ使エソウダナ」
「うぅ……このコレクション価値を理解して貰えないなんて」
泣いている馬鹿を無視し、俺は懐中時計をテーブルに置いた。
フィーオが帰って来たら渡す事で、ヌケサクからの同意を貰っている。
高価な代物だが、使わなければ価値は無い。
使う上で最も必要とされるのが、この森の中ではフィーオだろう。
「子供は何かに夢中になり、うっかりすると日が暮れていますからねぇ」
「ウム。香時計ヨリモ時刻確認シ易イ懐中時計ナラ、モウ心配無用ダ」
「たっだいまー!」
噂をすれば影がさす。
ちゃんと夕方になる前に、フィーオが小屋へと帰って来た。
うむ、香時計でも結構いけるじゃないか。
「フィーオ、チョット来ナサイ。見セタイ良イ物ガアル」
「ん? なぁに、マルコ。まぁ私も見せる物があるんだけどね」
忙しなく俺の所まで走って来て、フィーオは腰から小さな薄い石版を取り出した。
手の平サイズのそれの表面に軽く触れると、なにやら複雑な絵が石版に浮かび上がる。
やや興奮しながら、フィーオが口を開いた。
「凄いでしょ? イシ・ポッド・タッチって言うんだって、これ」
「ナンダ、ソレ」
「時間表示に日付確認、スケジュール管理からゲームまで、これ一つで扱えるの!」
魔術師の奴が引っ越し挨拶にくれたの、と大喜びのフィーオ。
ああ、魔導具なのね。へー。
「暗い所でも使えるし、香時計よりスッゴク便利だわっ。いえ、懐中時計より凄いわ」
「オゥ……」
「そっすねぇ……」
「だから香時計は返すわね。これからはイシ・ポッド・タッチの時代よ!」
そう言って、フィーオは石版を腰に片付けた。
「で、見せたい良い物って何? 壺?」
「ウンイヤァ、マァ……」
「何なの、もう。まぁいいや、とにかく晩御飯、作るからねっ」
早く家事を終わらせて、またイシ・ポッド・タッチで遊ぶんだー。
などと心から楽しげな気分を声に乗せて、フィーオは調理場に走り去った。
俺とヌケサクが、テーブルの上の懐中時計をじっと見つめた。
「しゃ、社会人にもなれば、懐中時計くらいはちゃんと持てよなぁ!」
「アノ子、子供ダゾ」
せっかく手に入れて来た懐中時計も、イシ・ポッド・タッチの前では無力である。
おのれ魔術師、フィーオを懐柔しやがって。
見捨てられても静かに時を刻み続ける懐中時計。健気な奴である。
「折角だし、この懐中時計は兄貴に……」
「あ、マルコ! アンタの分も貰って来てるから、後で渡すわね」
「コレカラハ、イシ・ポッド・タッチノ時代ダヨナッ!」
ヌケサクが泣きながら「この懐中時計は良い物だー!」と叫んで小屋を飛び出すまで、あと二秒。
第三十五話:完
スパイグッズって、やけに拳銃になるギミックが多かった覚えです。
時計や無線機、果てにはタバコ型拳銃とかもあったような。
遊び心一杯だったスパイグッズも、今や盗撮の類義語になりつつあって悲しいですな。
それでは、楽しんで頂けたなら幸いです。ありがとうございました!




