第八話:花に水やりしてみよう
十年月見草。
俺が小屋の裏手で植えている、淡く白い小さい花を咲かせる草だ。
普段は野に咲く雑草だが、たまたま風に吹かれて飛んできたのを植え直したのだ。
俺のようなオークの心も爽やかにしてくれる。
「アア、コノ慎マシサガ素晴ラシイ」
出来ればフィーオにも、こんな風に健気な心を知って生きて欲しいものだ。
「ふんごー(ぼぼぼ、僕は、お、お、おにぎりが食べたいんだな)」
「ウルセェゾ、ポーク」
花壇の裏手から、背中にリュックを担いだオークがブツブツ呟きながら現れた。
彼は、フィーオを狙っていたエルフ狩りの元野盗だ。他に二人の碌でもない仲間が居る。
「デケェリュックダナ、何ガ入ッテルンダ?」
「ふんごー(そりゃもう父さんのくれたナイフ、鞄を詰め込んだランプが)」
ランプにそんなもん入れてどうする気だ、コイツ。
母さんの「ああ、この子はアホなのね」という眼差しを感じるだけだぞ。
「ふんごー(失礼かみまみた)」
「ザケンナ、コラ。糞オークガ言ッテ良イ台詞ト思ウナヨ」
「ふんごー(マルコの兄貴も、俺と同じオークじゃないですかぁ)」
それもそうだ。
でも一発殴っておこう。
みぞおちに肘打ち、で姿勢を崩したポークの脇を、俺の肩口で押し当てての前ステップ。
「ふんごー(わぁあーー。一発って言ったのにぃぃぃ)」
ゴロンゴロンと転がって、茂みの中へと消えていくポークであった。
格闘技は「一発で何回有効打を入れられるか」を追求するものなのだ。
二回で許して貰えた事を感謝すべし。迷わず成仏しろよ。
ようやく心を落ち着けて俺はジョウロを探すと、いつもの場所にそれがない。
「ねぇねぇ。マルコが探しているのは、この綺麗なジョウロ?」
そう言って話し掛けて来たのが、件のフィーオだ。
エルフの尖った耳を、羽のようにピコピコと動かしている。
まだ少女のエルフ。しかし、俺が住むこの森の族長の娘でもある。
「それとも、そこの汚いジョウロですか?」
「あー、腹下し飲み過ぎたー」
元野盗の一味にして人間のヌケサクが、木に手を掛けてマーライオンしている。
うむ、汚いジョウロだな。てか一緒の名称を与えないでくれ。
「ソノ手ニ持ッテイル奴ダ。返シナサイ」
「正直者の貴方には、ジョウロを半分あげましょう。その汚いジョウロだっ!」
そう言って、こちらにベーっと舌を出して森の中へと走り出した。
……見ての通りに問題のある性格で、俺は族長から彼女の再教育を命じられたのだ。
果たせば、森の違法滞在を見逃してくれるという。
「ハァ。水ヤリ、マダ撒イテ無イノダガ」
「そして、そなたには復活の呪文を授けよう。ゆうていみやおろきむこ」
レベル1じゃなく、高レベルの勇者を召喚させてどうする。
てか、それパスワード間違えてるし。
ともかく、アレが無いと仕事にならない。
俺は溜め息を吐いて、彼女の遊びに付き合ってやる事とした。
つまり、追いかけっこである。
* * *
森の地面はジメジメと湿っている。梅雨時分だ、仕方あるまい。
俺は一歩一歩を滑らないよう注意して歩き、フィーオの後を追う。
様々な野生動物や土砂の崩れ、転がった石の後などで地面の肌は決して均一では無い。
森での追跡、それは足跡を探すのが最初のステップとなる。
俺は枝を拾ってその先で草や枯れ葉を払い、小さな窪みを見つけた。
その窪みと同じ大きさに小枝を折って、バカ定規を作る。
バカ定規をストッストッと差し込み、同じ幅と深さが連続する窪みを探した。
「フム……コノ歩幅ナラ子供ノ体格ダナ」
彼女の足跡は、土の上にしっかり残っていた。
どれが少女の足跡かが分かれば、後はそれを見失わず追跡すれば良い。
「グルット廻ッテ、小屋ヘト戻ルツモリカ」
俺は枝先で足跡を指し示しながら、森へと進んでいった。
相手の思考が読めた以上、なんなら先に小屋の傍で待ち伏せしても良いだろう。
だが、そんな遊び方をフィーオは求めていまい。
子供の暇つぶしに付き合ってやるのは、大人の役割である。
「ふんごー(小鬼じゃ、小鬼が居る)」
いや、確かにオークだけどよ。
さっき森へ吹き飛ばしたポークが、呑気そうに俺の傍へと現れた。
「ナンダ、何カ用カ? 飯ノ時間ハ、マダダゾ」
「ふんごー(なにやらお探しのようで。不肖ポーク、兄貴を手伝いやす)」
んー。まぁ人数多い方が、アイツも逃げててテンション上がるだろう。
俺はフィーオを探している事を伝えると、ポークは敬礼して俺に承服した。
「ふんごー(つまり、見つけたらフィーオちゃんをお嫁にくれるんですね)」
「スズメ蜂ノ巣ニモ穴ハ有ルンダヨナ」
「ふんごー(それ死人が出るじゃないですかぁ。やだー!)
全身をスズメ蜂に刺されて腫れ上がったオークなど、見るに堪えん。
ポークだと区別が着くように、首に天使の識別表でも着けておくか。
「ふんごー(それはともかく、どうやって追いかけますか?)」
「分カレテ探スノガ上策ダガ……オマエ、スカウトッテ知ッテルカ」
「ふんごー(キャンプだほいほいホーイ! マル書いてフォーイ!)」
うん、そのスカウトじゃないからな。似てるけど、ギリギリ惜しいけど。
あと後半は全然違うからな。死の呪いでも掛けられて死ね。
「……斥候トイウ意味ダ。フィーオヲ追跡シ、発見。ソノ後、挟撃シテ捕獲スル」
「ふんごー(承知っ)」
森で声を出せば、フィーオにも丸聞こえだ。
俺は簡単なハンドサインを幾つか教えると、即座に行動へと移る。
まずは足跡を調べられる俺が先行し、後方でポークが警戒。
もし俺の気配を察してフィーオがこっそり逃げ出しても、ポークが発見出来るからだ。
一定の距離が離れれば、俺の合図で合流させる。その後、再び俺は先行する。
これの繰り返しだ。
「ふんごー(地味ですねー。フィーオちゃん、飽きちゃいませんか?)」
「オマエ森ノ中デ、コノ森デ育ッタエルフノ子供ト追イカケッコスルカ?」
「ふんごー(無理ゲーっすね……)」
相手の足跡パターンは理解しているし、別に襲われる事も無いだろう。
にじり寄る事も無く、割と速度を出して追跡を始める。
もし彼女がずっと走っているならば、もはや追いつくのは不可能だ。
でも、そこそこ育った子供は、追う大人を待ってしまうものである。
そして、実に小賢しい罠で大人をからかおうとする。
「コノ窪ミ、他ノ物ヨリモ少シ深イナ」
縁もやや広がっており、土の底が他のより踏みしめられているようだ。
見れば茂みの横から、その裏手まで深い足跡は続いていた。
うーん、まぁよくある手だな。
おそらく茂みの裏手で罠を作り、そこから自分の足跡を逆に辿っていく。
後は茂みの横で思いっきり、隠れる位置へとジャンプ。
そうすれば、無警戒に足跡を追ってきた者が罠に引っかかる、という手だ。
「オイ、ポーク。先ニ行ケ」
「ふんごー(へいっ。分かりやした)」
「茂ミノ裏ニ居ルカラ、思イッキリ飛ビ掛カレヨ」
俺の言葉を聞いて、ポークは目をキラキラと少年の様に輝かせる。
表面上は綺麗なオークでも、その内側はドス黒い欲望でドロドロだ。
「ふんごー(そんなに疑わないで、安心して下さい。俺もKENZEN派です)」
この世で一番、健全さを信用できん言い方だな。
ポークはゆっくりと茂みの裏に近づく。あと一歩、だが小枝のトゲを踏んだ。
わざとらしく「ぐほぉっ」と叫び、一瞬で服を脱ぎ捨てイチゴパンツ一丁となる。
「ふんごー(鎧が外れたぁっ。でも行くっきゃねぇ、フィーオちゅわぁーん)」
茂みの裏にダイブしていく愚か者一人。俺は次に来る悲鳴へと祈りを捧げる。
予想通り、それは間も無く訪れた。
「ふんごー(スズメバチの巣!? いやぁ、ジャストフィットォ!)」
何がだよ。
スズメバチの暴れる凄まじいブンブン音が、逃げるポークを追って行く。
俺はそちらへの関心を一切捨てて、周囲の気配へと意識を集中した。
あの罠に引っ掛かる馬鹿を見たのだ。必ず動きはある、はず。
「くすくす……」
聴こえたっ。茂みの手前から、およそ十歩程離れた場所だ。
俺はそちらに目をやると、ガサッと木の枝が揺れた。
視線をそのまま上に向ける。
「あちゃ、見つかっちゃったか」
生い茂る木の枝に隠れて、フィーオが俺に降参の声を掛けた。
「発想ハ良カッタ。ダガ、追跡者ガ二人ナノハ誤算ダッタナ」
「まぁマルコが引っ掛かるとは思ってなかったし、面白い物見れたから良いや」
コイツ、本当に鬼畜だな。
どこかで「目がぁ! 助けてたぬきちぃ!」と聴こえたが気のせいだな。
さらば、どこかの誰かよ。君の事は誰も知らないから忘れる事も無いだろう。
* * *
ジョウロを取り返し、俺は十年月見草へと水をやる。
過剰な水分を必要とはしないが、この種に限って毎日の水やりは欠かせない。
フィーオはそんな俺の様子を観ながら、花弁をちょんちょんと触っている。
「ねぇ。こんな花を咲かせてどうするの? 食べられるの?」
「命ヲ実感スル為ダ。何カヲ育テルト、自分ノ命ガソコに吹キ込マレル様ニ感ジル」
「単に水を無駄にしてるだけだと思う」
「ハッハッハ。無駄ナ物バカリサ、コノ世界ハ。今更無駄ガ一ツ増エテモ構ワンダロ」
そして無駄を無くして得られる物が何かと言えば、ただ他より少し生き永らえる事。
その為に一生の喜びを捧げるか否か、好みの分かれる所だろう。
エルフという桁外れに長寿の種族ならば、あるいは大きな意味を持つかもしれないが。
「ソレニ、素敵ダト思ワナイカ」
「この野草が? 全然思わないよ、こんなの。何処にでも無意味に咲いてるし」
「コイツハ『俺ノ為』ニ咲イテクレタ。ソノ健気サヲ、俺ハ愛オシク感ジルンダ」
オークの俺は、何処に行っても何をしても厄介者だった。
そんな厄介者の俺の世話でも、区別無くこの小さな花は咲いてくれるのだ。
そう言うと、フィーオは目を丸くして俺の顔を見た。
「ナンダ」
「……んーん、別に」
フィーオはプイッと顔を月見草へと向け直す。
そして、またちょんちょんと花を触って、呟いた。
「誰が為に、花は咲くやと問うなかれ……汝が為に咲くなれば、か」
「フッ、良イ詩ダ。文学ノ目覚メノ鐘ガ鳴ルナ」
「う、うるさいわね! 聞くな、他人の独り言をっ」
蹴ろうとするフィーオの攻撃を、俺はヒラリヒラリと避ける。
ムキーっと逃げ去るエルフ少女に、俺は飯までには戻るよう声を掛けた。
そんな心優しい俺に舌を出して返事するとか、もう全く教育が行き届いていないな。
俺はジョウロに水を汲み直すと、更に奥の花壇へと向かう。
まぁそちらは花壇と言っても大した物では無い。十本も咲いていないからだ。
「……減ッテイルジャナイカ」
確かに十本くらいしか無かったが、今は目の前に三本しか生えていない。
いやいやいや、なんでだ。足が生えて逃げ出したのか? マンドラゴラじゃあるまいし。
混乱する俺の前に、気分の悪そうなヌケサクがヒョッコリ顔を出した。
「ああ、兄貴。そこの腹下し、ちょいと使わせて貰いましたよ」
「腹下シ?」
「便秘に効くんですよ、月見草って。でも飲み過ぎると胃の調子が……うっぷ」
そこまで言って、ヌケサクはマーライオンする。
……うむ、人生最後のマーライオンを楽しんでくれ。
「ヨクモ、ヨクモ俺ノ月見草ヲ汚シタナッ!」
「ふんごー(出たぁ、マルコ兄貴の十年月見草パンチ。滅多打ちです)」
「返セッ! 返セヨッ! 俺ノ月見草ヲ、返セー!」
「ぐぇぇ、返しますぅっ。だからっ下から出るまで待って下さいぃ」
「ふんごー(レフェリー止めません。レフェリーも腹に据えかねたかっ。しかし当然の報いだー)」
全身を鯨の如く腫れ上がらせたポークが、実況をしている。
だがそれすら耳に入らず、俺は馬乗りになってヌケサクを殴る殴る殴る……。
そんな俺達の様子を、月見草は何も言わず静かに見守り続けるのだった。
第八話:完
タイトルと違って、結局森での追跡する話だったりする今日この頃。
まぁ中身が違う方向に行くのは、いつもの事ですね。はははっ!(駄目人間)
それでは、楽しんで頂けたならば幸いです。ありがとうございました!




