Ⅲ
「天使……か。ルチどう思う?」
すっかり険しい表情のルチに話を振ってみる。ルチはすっかり不愉快そうな表情で腕を組んで「天使はもっと落ち着いていて気高いものだと思います」と言い放った。ルチ天使とか神話とか好きそうだしな。目の前の自称天使さまは気品とか全く感じないし。ただの羽根生えたガキだ。
ある意味予想通りの反応だった。どうしたものかと頭を抱えていたら少女がニコッと明るい笑みを浮かべた。
何を考えているのか、そんなことは俺には分からない。超能力者なら別なのだろうが、おあいにく様そんな非科学的なものは信じないしな。見たことない物をどうやって信じろって言うんだ。
だから天使や神なんていうものも信じていないのだが、場合によっては天使の存在を信じなくてはならなくなる。それは目の前の少女次第だが。見えてしまったら信じるしかないから。
少女は一呼吸置いて、胸元に手を当ててぺこりと頭を下げた。何をするつもりなのだろう。そう考えていると少女は口を開く。ゆっくりとした調子だが、別に苦になるほどのものではない。ここで聞かないで後々困るのも嫌なのでとりあえず黙って聞いておくことにする。……関わらないつもりだったのにどうしてこうなった。
「ボクはステッラ・スペランツァっていうの! 君たちは?」
どうやら名乗ろうとしていただけらしい。にしても言いにくそうな名前だな。早く名乗れよとでも言うような視線を向けられて、俺はため息をついた。まぁ、相手も名乗ったのだから仕方がない。
「櫻井葵。……一応よろしく」
頭を下げる必要はないかと思って、真っ直ぐ相手、ステッラを見つめてやる。しかしそんな熱い視線を無視してステッラはルチのほうに顔を向けて、早く名前を言うようにと笑顔で促している。なんていうか妙な威圧感を感じるのは俺だけなのだろうか? なんというかゴゴゴゴゴなんていう効果音が似合いそうである。
「……ルチアーノ。ルチアーノ・クローチェ」
ポツリ、酷く素っ気無く呟いた名前。なんかここまでルチのテンションが落ちてるのって珍しいな。初対面の俺にだってやたらとハイテンションで話しかけてきたのに。それに、普段のルチは基本的に笑みを浮かべているし、それが嘘だろうと相手に悟らせないようなところがある。しかし今回はそれが感じられなかった。
いつでも他人に気を遣っているルチが本気で不快感を露にしているのである。ルチも人間だ。完璧ではないし、隠し切れないことがあるであろうことも認める。
ただ、あまりにもいつもと違うルチに驚いたのは事実であった。そんなこと知ってか知らずか、ステッラは満足そうに笑った。それはもう子供のような無邪気な笑みだった。
ステッラは言う。自分は天使で、探し物をするために来たのだと。やって来たと言うよりは落ちた、ように見えたが本人は断固としてやって来たと言うのだからそこに突っ込むのもやめた。なんというか面倒だった。
天使だ、と言われても信用できないことがある。それこそコスプレなんていうようなものみたいに、実際は違うのにそれになりきっている可能性も否定できないのである。確認すれば良いと言うが、さて、どう確認すればいいのだろうか? それが分からずにただただ首をかしげた。この際、翼の付け根を見れば早いのだろうが、なんと言うか気が引けるのだ。……と言うか俺、何でコスプレを例に出したし。
……ああ、でも、街中スカイダイビングで無傷なのは一応証拠になるか。
「天使だと言う証拠は? それなりのものがあるんですよね?」
ルチの語調が少しだけいつもよりきつい。そこには不審以外に何か別の感情があるような気がした。それが何か俺には分からないけれど。
ルチの言葉に、ステッラは笑みを浮かべて、その翼を広げ程浮き上がった。大体俺の身長の倍ぐらいの高さで、規則的に翼を動かしてその場に留まっている。
降り注ぐ羽根はまるで雪のように見えた。トリックがあるのではないだろうか、そう考えて空を見上げるもヘリコプターやワイヤーなどはない。
と言うよりそんなもので浮いているとしたら相当揺れて、その場にとどまることなんて出来ずにぐらぐらと揺れているのだろう。しかし、ルチは納得していないようだった。まるでそれぐらい誰でも出来るとでもいうかのように鼻で笑った。
俺はまずあんな高くまでジャンプできないし、留まることなんてもってのほかだ。他の人間でも身長の倍以上飛んでそのまま空中に留まっているようなやつは見たことがない。こうなると信じるしかないのである。
それにほら、街中スカイダイビングのこともあるし……。俺の基準が低いだけかもしれないけどな。現にルチはまだ疑ってるみたいだし。
「まだ、足りない?」
ニコッと笑うステッラに、ルチは目つきを鋭くする。それを見れば、ステッラはふわりと手を動かした。現れたのは無数の光。 そして、その光が俺に触れた瞬間、ブワリと体が浮いた。飛ぶというよりは、見えない何かに持ち上げられているような感覚。
ふと横を見れば、ルチも浮んでいた。その目はただただ真っ直ぐとステッラに向けられている。
ふわり、ステッラが手を動かすと、俺たちは静かに地面に下ろされる。ステッラの背中の翼も静かに折りたたまれる。
「信じられない、というよりは信じたくないって感じだね? 天使って存在を」
ステッラもルチに負けてはいなかった。鋭い目つきでルチを見ればそう言ってふわりとルチの前へ。さっき降ってきたときとはまるで別人のように、静かに地面に立つ。なんだか俺、蚊帳の外。
すでにルチとステッラの睨み合いが始まっている。どうやら俺のことなんて気にも留めていないようだった。ルチをおいてさっさと帰るわけにも行かず、じっとその光景を眺める。
やがて、フッとステッラが笑った。ゆっくりと俺の方を見るその目に心の底を見透かされたような気がして、背中に悪寒が走る。
俺の胸元に突き出したステッラの手が淡く光った。逃げたい、そう思っても不思議と足が動いてくれることはない。まるで縫いとめられたかのように、ただただ俺の胸元で光る手を見つめていた。
気持ちが悪い、そう考えたところでステッラの手が光を放つのをやめた。淡い光はまるで吸い込まれるように消えていく。
何のことだかまったく分からないで固まっているとステッラはまた、屈託無い笑みを浮かべて「まぁいいの。ルチ兄にはいま興味は無いの」なんて冷たい言葉を放った。ルチもそれを聞いて僅かに表情を緩めたようだった。それでもいつもと比べると大分警戒の色が見えてしまっているのだが。
ルチがステッラや天使にどんな感情を抱いているのかそれが良く分からないが、良くは思っていないようだ、と勝手に解釈しておく。ステッラは再び話を始めた。




