Ⅱ
「なールチ、ゲーセンのほかに行きたいとこは有るか?」
「んー、特にはないです」
校門を出たところでルチにそう問いかける。特にないかぁそう呟いて、まだ少し肌寒い通学路を歩く。ゲームセンターなら駅の近くに大きいのがあったはずだなんて考えながら。
最近はルチとあちこちを回って歩くのが日課になっていた。どうせ四月のうちは留学生を寮まで送り届けるのが俺の仕事なんだ。それなら淡々と送り届けて終わり、なんてつまらない。少しぐらい遊んだって文句は言われないだろう。
真面目な頭のお堅い連中は真っ直ぐ家に帰って勉強をしているようだが、俺にとってはどうでもいいことである。まぁ、確かにある程度の成績はキープしないといけないとは思うけれど。
ルチは何だかんだ言って授業でやったことは良く出来るし、それを応用して問題を解いたりすることもきちんと出来る。
しかしなぜかそれが日常生活に生かされていない。馬鹿、というのかは解らないが、とりあえず日常生活でありえない行動をするのは確かだった。
初めて会ったときなんて、携帯を見て酷く脅えていたし、一般常識なるものが極端に欠落しているのかもしれない、そう考えた。もっとも、その辺がどうであろうがルチを見ているのはなんだかんだで楽しいからいいけど。
俺については一応、優秀なほう。ある一教科を除いては上から数えた方が早い。だから今のところは机に齧りつく必要はなし。勿論復習ぐらいはちゃんとやるけど。
そんな事を考えていると、ふとルチの姿が消える。
慌てて辺りを見渡してみれば手に毛虫を乗っけて、こっちに向かって手を振っているのを見つけた。
……前言撤回、あいつは馬鹿だ。俺も虫自体は苦手ではないし触ることも出来る。しかし毛虫となれば話は別である。全部が全部といったわけでは無いが、中には毒を持っているような奴もいる。もっとも毛虫の毒程度で死ぬわけはないと思うけど。
それでもかぶれるのは嫌だ。痒いのとかイライラするし。
「ルチ、むやみやたらに虫をさわんな。特に毛虫は。毒持っているような奴だったらかぶれるぞ」
俺の言葉に驚いたかのようにした後に手に乗せていた毛虫を叩き落とすルチ。残念ながら俺はどの種類の毛虫が毒をもっているかなどの知識はほぼないに等しい。だから毛虫全体を避けている。まぁごく稀につまんだりするが多くは布越しだったりと素手で触ることはまずない。……本当に予防できているのかは良く分からないが。
しばらく毛虫を乗せていた手をブンブンと振り回すルチを眺める。なんと言うか幼い子供を見ているような気分だった。ルチが小柄なのもあるかもしれないが、別の何かがあるような気がする。
やはり、行動の面だろうか? 普段中々見ない行動をするルチが幼い子供と被って見えるのだろう。……後は一般常識とか? まぁ弟が出来たみたいで楽しいからいいや。同い年だけど。
俺ってつくづく失礼な奴だな。ルチの前で口に出したら真っ先に殴られるだろう、そう考えてただただ、苦笑いを浮べた。まぁ、殴られても全く痛くないけど。
「あれ? 雪、でしょうか?」
ふとルチが空を仰ぐ。何の前触れもなく降り注いだ白に手を掲げた。それは羽根。鳥のものとはまた違う、真っ白で大きな羽根。なんか巨大な白鳥でも居るのだろうか、そんな非現実的なことを考えて空を見上げる。
確実に、何かが落ちてきていた。それも凄いスピードで。落ちてきている物の正体を探ろうと目を凝らしてみた。
人、のように見えた。真っ白な何かを背負った人。アレだとちょうど俺の後ろ辺りに落下しそう。
ルチも驚いたように空を見上げていた。そりゃ空から人が落ちてくれば驚くよな。ルチが空を指差して口をパクパクと動かしている。とりあえず乱暴にルチの頭をなでて歩き出すことにした。
ああいうのに関わるとろくなことないし、無視したほうがいいと考えた。つか普通に助からないだろ。あれを見るところ絶対頭から落ちてるし。……見てみぬフリ上等。
驚いたように声を上げながらも俺の後ろについてくるルチ。キュッと俺の服をつかんで「た、助けないんですか?」と聞いてきた。残念ながら同性にそんなことをされてもどうとも思わないので無視して進む。小さな声で白状者とか言われたけど気にしない。
助けようにも手出したら逆に危ない気がするし。凄いスピードで落ちてくる人間を生身でキャッチするなんて俺には出来る自信が全くありません。絶対手とか潰れるだろ。アレが某天空の城の石を持っていれば話は別だろうけど。
不意に後ろから形容しがたい音が聞こえてきた。……お亡くなりになったな。街中でスカイダイビングなんてするから……。
「て、天使っ!?」
ルチが声を上げる。悲鳴にも近い声だったが、惨劇でも目撃してしまったのだろうか? 確実にトラウマ物だろうに……そう考えていたらルチがいっそう強く俺の服を引っ張った。なんか震えているような気がする。仕方なく振り返ってみればルチが一点を指差して震えていた。
これは絶対に惨劇だろ、見ちゃいけないだろ、モザイクだろ、そう叫びたいが、そんなことをすれば確実にルチが泣き出すだろうと考えて押さえ込む。
残念ながら見たものにモザイクをかけるような処理能力を俺はもっていない。とりあえず震えるルチを抱き上げて、その場を立ち去ることにする。
思っていたよりもルチは軽かった。それが酷く助かるところである。走り出そうとしたところで俺はあることに気付く。
「あれ?」
誤って、というかなんと言うか、視線を下に向けてみたが何も飛び散ってはいない。血か何かが飛び散っていると思ったが案外飛び散らないのだろうか? というかこの距離だったら俺も血を浴びてそうだけど……。
首をかしげているとルチが「て、天使が落ちてきた……」と呟いた。あまりのショックで頭がおかしくなってしまったのだろうか? 俺は直視してないから何とでもなるけどさ。ご愁傷様としかいえない。
まぁ関わらないに越したことは無い、そう考えてクルリと体の向きを変えた。
「おいおいおーい!! このきゅーとな天使ちゃんを無視とはいい度胸なの!!」
後ろから凄い勢いで襟首をつかまれた。やめろ、首が絞まる、死ぬ、死ぬって。気付けばルチを放り投げて自分の服の襟首をつかむ相手に抵抗するので精一杯になっていた。放り投げられたルチが恨めしそうに俺を見てくるが、今は無視。自分の命の方が優先である。どうにか襟首をつかんでいた奴を引っぺがした。
相手は小さな少女だった。流れるような太股まである金髪に透き通った宝石のような青の瞳、頭には光を放つ金色の輪、背中の真っ白な翼。……いつだかにルチが話していた天使のようである。
着ているのは短い真っ白なワンピースであった。左の胸元には小さな石の埋め込まれた十字架が輝いている。って、俺は一体何がしたいんだよ。何でこんなに小さい子をまじまじと観察してんだよ!? 明らかに変態だろ。危ない人の仲間入りだろ……。
とりあえずこの羽根は本物なのだろうか? そう考えて首を傾げる。背中から生えているように見えるから翼というべきなのだろうか? その辺は良く分からないが、見れば見るほどに不思議な子だった。抜け落ちた羽根はその辺の鳥とは違って真っ白で……。
ルチは怯えたように震えた後、鋭く女の子を睨みつけている。なんだかルチがそんな表情をするとは思っていなかったからか、俺もどうすればいいかわからない。
ルチのことだからやさしく接するだろうと思っていたのだが、どうやらそれは見当違いだったらしい。まぁ背中に翼が生えた怪しい子供ならば仕方がないのだろうか? 俺には良く分からない。
困ったものだった。元々小さい子の相手をすることがなかったこともあるが、何よりも相手は翼を生やしたいかにも怪しい子。下手に機嫌を損ねれば、なにやら珍妙な力で殴り殺されそうな気さえした。
白い翼と先ほど言った言葉に反せずに慈悲深いキュートな天使様なら大いに助かるのではあるが。……相手の口調から感じるにそんな希望は通らないようである。




