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六話


 ハイロウとセイレンはスローライフベアの様子を木の陰からこそこそと伺いながら最終確認をする。スローライフベアが二人に気付いた様子は無く、のそのそとハチミツを手につけて舐めている。


「HPが危なくなった時は逃げていいけど、その時は一声かけて。私が声を出すから、3、2、1で攻撃を始めて」

「了解。いや待て、1と同時? 1って言った直後?」

「えっ? 321でだから……えーと、そこまで正確にしなくていい。好きにして」

「分かった。準備OK、いつでもドーゾ」

「3、2、1、祇園精舎の――」


 背後に詠唱を聞きながら、ハイロウは木刀を振り上げて飛び出した。緩慢な動作で振り向いたスローライフベアを縦に真っ二つにするつもりで脳天唐竹割りを繰り出すが、ゴムタイヤでも殴りつけたような感触で跳ね返される。流石に防御が高い。攻撃が弱いというのもあるが。

 木刀の連撃を受けながらスローライフベアはハチの巣を投げ捨てる。黒い瞳に敵意を燃やし、のっそりと倒木から滑り降りて立ち上がろうとしたところに一発目のファイアが着弾してよろめいた。


「がおー」


 スローライフベアは気の抜けた鳴き声を上げ、爪のない丸っこいファンシーな腕をぶんぶん振り回して襲い掛かってきた。幼児がダダをこねているような乱雑な攻撃で、避けるのは難しくない。早さも無い。しっかり見切って木刀で突いて牽制していると、二発目のファイアが命中した。

 順調だ、攻撃力が高くても当たらなければどうという事はない。

 などとハイロウが気を抜いた瞬間、鼻先を焦がしたスローライフベアがじろりとセイレンを睨み、見事な二足歩行で突撃し始めた。小走り程度の速度しか出ていないが、セイレンとの距離は七、八メートルしかない。すぐに捕まる。


「にげっ……いや! そのまま!」


 危なくなったら逃げても良いとは言われているが、まだHPは満タン。それに戦闘開始十秒程度でいきなり逃げたら囮役に雇われた意味が無い。なんとかしてスローライフベアの気を惹き、セイレンの邪魔をさせないようにしなければならない。金に釣られた傭兵任務だが、かといって仕事に手を抜くつもりはなかった。セイレンに向かっていくスローライフベアの背中を殴打する。


 Dream Worldに「敵対値」あるいは「ヘイト」といった数値は確認されていない。「挑発」などのゲームにありがちな攻撃を引きつけるスキルも無い。敵のターゲティングは極めて常識的に切り替わる。

 例えば鎧と盾でガチガチに防御を固めた騎士がいるとしよう。その前に拳を構えた全裸のモヤシ格闘家がいて、格闘家のさらに前にモンスターがいる。「敵対値」の概念が存在するゲームでは、騎士が挑発スキルを使うとモンスターは格闘家を無視して騎士に突っ込んでいく。格闘家にちょっとやそっと攻撃されても、騎士にターゲットが向いている限り無視する。現実的に考えてありえない。

 近い位置に弱そうな敵がいるなら、遠い位置の堅そうな敵に挑発されても近い方から殺る。だれだってそーする。モンスターもそーする。一瞬で頭がフットーするような物凄い挑発をしたなら話は別だが。


 つまり、ハイロウがスローライフベアをどれほどタコ殴りにしても何をしても、スローライフベアが「戦闘力たったの5……ゴミめ」などと判断すれば無視される。実際ハイロウの攻撃はまるで堪えた様子が無く、よろめかせる事ができたのはファイアのみ。標的は完全にセイレンに向いていた。

 背中に向かって数回木刀を叩き付けたハイロウは、これ以上木刀で殴っても何の効果も無い事を悟った。セイレンはまだ逃げずに詠唱している。

 一瞬の判断でハイロウは木刀を投げ捨て、拳を作ってスローライフベアの横に飛び出した。


(イチかバチか、DWのリアルさならいけるはず!)


 握りしめた拳を振りかぶり、ハイロウに目もくれない熊のマヌケ面に叩き付ける。そして! そのまま! 目の中に親指を突っ込んで殴り抜けるッ!


「がおー!」


 ハイロウの予想通り、眼球に指を突っ込む事で特殊なダメージ判定が発生した。スローライフベアは痛みに悶えてよろめく。若干気合いの入った咆哮を上げ、ぐるりと振り向いてアッパーを繰り出してきた。【敏捷】が低いスローライフベアは攻撃も遅い。普通なら難なく避ける事ができる。ハイロウはスウェーでかわそうとした。

 が、目を殴るためにスローライフベアの背後から横に急いで回り込んだハイロウは体勢が崩れていた。さらに崩れた体勢から攻撃したため、スウェーをしようと体を仰け反らせた途端に落ち葉で足を滑らせてしまった。爪の無い丸っこい拳がハイロウのみぞおちに深々とめり込む。


「うぼぁっ!?」


 スローなパンチなのにバッドでフルスイングされたような途轍もない衝撃だった。体がくの字に折れて視界がぐるりと回り、縦に二回転して吹っ飛んだ。頭から地面に落ちたハイロウは逆さになった視界に怒り狂って飛びかかってくる猛獣を見る。が、その腹にファイアが直撃して撃ち落とされた。その隙に跳ね起きて体勢を整える。


「あと一発!」


 背後からセイレンの声が飛ぶ。ハイロウは目線だけ動かして木刀を探すが、よりにもよってスローライフベアの足の下敷きになっていた。仕方なく両手を前に構え、格闘漫画で読んだボクサーっぽいうろ覚えのファイティングポーズをとる。

 頭頂の毛をチリチリと焦がしたスローライフベアが起き上がる。ファイアの詠唱にかかる時間は約五秒。熊が空中で撃墜されてから起き上がり突撃体勢をとるまでのこの瞬間までで既に二秒が経過している。あと三秒だ。三秒間にスローライフベアが繰り出す攻撃は多くて四回程度。


(四回なら一発もらってもHPに余裕は――――)


 ちらりと手の甲に表示したHPを見ると、一撃で半分強もっていかれていた。


「!?」


 異様なダメージだった。ハイロウの装備はちょっと頑丈な普段着程度の防御性能しかないというのもあるが。魔法型のセイレンでは一撃死も有り得る。もう一撃も喰らう訳にはいかない。

 スローライフベアが突進のモーションに入った。その目の前にはハイロウがいて、ハイロウの背後にはセイレンがいる。ハイロウが避ければセイレンに直撃する位置だ。

 組み合って止めるのは不可能。避けるのもNG。もう一度目を殴るのは成功するか疑わしいし、成功してもそのまま突っ込んで来そうな気迫があった。


「おらっ!」


 ハイロウはしゃがみ込み、落ち葉に手を突っ込んで前方に巻き上げる。目隠しだ。これで怯んで一秒でも稼げれば儲けもの。

 しかしスローライフベアは全く意に介さず、落ち葉のカーテンを突き抜けて突っ込んできた。

 もうぶつかるのは避けられない。足払いをかけても勢いのままセイレンに突っ込んでいくだろう。なんとかしないと二人とも轢かれる。ハイロウの顔が引き攣った。

 逸らす―――無理。防ぐ―――無理。避ける―――もう間に合わない。衝突する前に倒す―――ハイロウでは攻撃力が足りない。

 もうとれる行動は一つしかなかった。


「来いよ熊さん! かかって来げべっ!?」


 ほんの少しでも詠唱完了まで時間を稼ごうと、真正面で腕をクロスさせて踏ん張ったハイロウが撥ね飛ばされた直後、最後のファイアがスローライフベアに突き刺さった。












「あっぶねぇ……」


 地面に仰向けに倒れたハイロウは、数ドット残ったHPを見て冷や汗をかいた。危うく死ぬ所だった。

 最初のアッパーの時は鳩尾へ直撃し、頭から落ちたのでダメージが大きかった。突進はアッパーより強力な攻撃だが助走がほとんどついていなかったし、両腕でガードしていたのでダメージが少なく済んだらしい。


 スローライフベアに生半可な攻撃が通じないのは身をもって知った。アイアンアントを一撃で葬ったセイレンのファイアですら四発かかったのだから、半端な攻撃力で挑めば長引く戦闘の中でいつか強烈な攻撃を喰らい、体勢が崩れたところに追撃を貰って死亡コース一直線だろう。囮兼盾を配置し、大火力で一気に押し切るセイレンの戦法は正しかった。

 三十秒程度の短い戦闘だったためあっさり片付いたようにも思えるが、もし逃げ回りながら戦っていたらセイレンのMP切れと火力不足で撤退する事になっていただろう。止まって詠唱すると魔法の威力が上がるというセイレンのスキルの恩恵は大きい。


 休みながら考え込んでいると、プスプス煙を上げるスローライフベアに手を当ててアイテムボックスに収納したセイレンがおずおずと顔を覗き込んできた。


「えーと、お疲れ様でした?」

「乙。報酬期待してOK? 俺超頑張った」

「……逃げても良かったのに」

「う、や、まあ、あれだ、結果オーライ」


 もっともな台詞に顔が熱くなる。一発貰ったあたりから逃げるという選択肢が頭から吹き飛んでいた。仕事だのなんだのと騎士道精神を発揮してしまった自分に嫌気がさす。死にそうになったら一度逃げ切ってから仕切りなおせばよかったのだ。命をかけて依頼人を守る俺カコイイという自己陶酔があったのは否定できない。自己嫌悪で胃液を吐きそうだった。


 セイレンはぽすんとハイロウの横に座り込み、ハラーヘッターと賢者の石を開いて読み始めた。静かな森の中で森林浴をしつつ、ハイロウはHPの、セイレンはMPの自然回復を待つ。

 暇つぶしにハイロウはステータスの確認をした。


 基礎スキルが【筋力】3.3【防御力】2.9【敏捷】1.0【抵抗力】1.0【知力】1.3。

 技能スキルが【格闘】1.0【跳躍】0.1【口笛】0.1【激走】0.1【剣術】0.2【投擲】0.1【ドM】0.1。


 出発前と比べて【筋力】が0.2、【防御力】が0.4、【知力】が0.2、【剣術】が0.1上がっている。【筋力】と【防御力】はほぼスローライフベア戦のみでの上昇とみて間違いない。命をかけただけの甲斐はある上昇値だった。これに加えて仕事の報酬と採集アイテム収入があるのだからかなりの儲けになる。死んだらステータスが大きく下がるので同じ事を繰り返そうとは思わなかったが。


 一時間ほどするとハイロウのHPもセイレンのMPも全快したので、目的地である泉に移動した。ちょっとした温泉ほどの広さの澄んだ泉の近くにモンスターの気配はなく、セイレンが水草を採っている間にモンスターの襲撃は無かった。そのためにわざわざ泉を縄張りにしているスローライフベアを先んじて倒したのだから当然といえば当然だ。


 水草の採集を終えて陸に上がったセイレンは、ウィンドウを開いてトレードを申込み、ハイロウに報酬を支払った。護衛報酬5sに加えて達成報酬5s。合計1gだった。前金と合わせて1g5sの報酬を受け取った事になる。

 ハイロウは喜ぶ前に疑った。いくらなんでも高すぎる。特に達成報酬5sというのは色を付け過ぎではないだろうか。

 黙って懐にしまい込むべきか減額覚悟で突っ込んでみるべきか迷ったが、知らず知らずの内に変な事件の片棒を担がされていても困るので聞いてみる。


「妙に報酬が多い気がするんだがこれは? まさか口止め料なんて事は?」

「えっ? ……しっかり護衛してくれたし……この水草を使えば儲けは出せるし……水草の事、秘密にしてくれるなら助かるけど……別に、しゃ、しゃべっても、いい、かなあって……ご、ごめんなさい」


 ガンつけられたセイレンはおどおどと答えた。それを見てハイロウは肩の力を抜いた。純粋な善意だったらしい。

 報酬の出どころも水草の使い道も気になったが、これ以上深く追及するのはやめておこう、と思った。悪意が無いなら探りを入れる事もない。不用意に首を突っ込んで人間関係のしがらみを増やすのは嫌だった。臨時で雇われ、仕事をして、報酬を貰った。それだけでいい。


 報酬を支払ったセイレンはそそくさとプレイリータウンに帰って行った。スローライフベア以外の森モンスターならソロで対処できる。

 ハイロウはせっかく遥々森まで来たのでもう少しうろついていく事にした。もし別のスローライフベアに遭ったら逃げればいいし、それ以外のモンスターなら狩ればいい。スローライフベア戦を経てステータスが上がっているので、森突入前よりは楽に戦える、という計算もあった。


 泉の水草はセイレンに採り尽くされてしまったので、薄暗い森をウィンドウの地図を頼りに探索する。ヨウセイノコシカケとパンプ菌が二本ずつ手に入れ、二重奏でアメリカ国歌を奏でていたオペラグラス(10g・2mp)とラッパセリ(10g・4mp)を収集。オオオオオオカマイタチとも一回戦い、仕留めて死骸を手に入れた。平原よりもずっと実入りが良い。


 森の中をうろついている内に日が傾き始めた。ログインしてから約十二時間が経過している。

 森までの往路には四時間ほどかかった。復路にかかる時間も同程度なので、今から帰っても草原の真ん中で日が落ちる。明かりの無い草原を歩くのは危険だ。ウィンドウの地図を出せば迷いはしないが、転びやすいし、モンスターに襲われたら抵抗する事すら難しい。

 勿論ハイロウはそれも考慮している。十二時間のログイン時間を残して一度ログアウトし、現実時間の次の夜に回す腹積もりだった。

 六月九日の21:00にログインし、日付変更のログイン時間リセットと同時にこの日のログイン時間を使い切る。そうすれば九日から十日にかけて12+24=36時間の連続ログインができる。現実時間の21:00はゲーム内の12:00であるため、明るい太陽の下で余裕をもって帰還できるという寸法だ。


 一度立ち止まり、ウィンドウの時計で時間を確かめる。時間的にはちょうど良い。

 ログアウトしようと指を動かしたハイロウは、地図が真っ白になっている事に気付いた。


「あ?」


 バグったか、と一度地図を閉じて開きなおすが、真っ白のまま。ハイロウの頭の中も一瞬真っ白になった。

 地図が壊れたら深い森からの脱出は不可能だ。

 祈るような気持ちで急いで覚えている限り来た場所を戻る。


「電波か。電波が悪いのか。まさかこの地図圏外とかあんのか」


 運営ならやりかねない。その場でジャンプしてみたり、ウィンドウを上の方へ押しやったりしてみるが、地図はウンともスンともいわない。

 しかし不幸中の幸いで、十数歩戻ると地図の表示が復活した。ホッと息を吐く。ゲームの中で遭難は笑えない。


 一体なんだったんだと地図を見ると、ここまで歩いてきた地図はしっかりオートマッピングされていたが、非表示状態で進んだ地域は白紙のままになっていた。

 バグという可能性はもちろんある。運営曰くDream Worldは「夢」らしいが、ゲームでもある。デバックが不十分ならバグの一つや二つあるだろう。

 もう一つは故意の可能性だ。わざと地図に表示されない地域になっているのかも知れない。


 広大な森の中で、偶然、全く掲示板に情報が上がっていない非表示地域を発見する。そんな奇跡があるだろうか? いやない。何かのイベントが発生中ならそんな奇跡も必然にカウントされるが、ハイロウはそんなイベントに参加した記憶も巻き込まれた記憶も無い。強いて言えばセイレンの護衛を受けた事があるが、セイレンがNPCではなくプレイヤーだという事は確認済みだ。


「…………」


 一歩踏み出す。地図が消えた。

 一歩下がる。地図が戻った。

 もう一度踏み出す。地図が消えた。


「ふむ」


 非表示地域であるという事は確定した。選択肢は二つ。探索してみるか、ログアウトするか。空を見上げるとまだ日の光が消えるまで時間がある。三十分ほどなら探索できるだろう。進むか、引くか。

 迷ったハイロウはとりあえず当たり触りのない確認をしてみる事にした。消失地点の周辺を歩き、どこまで地図に表示され、どこから地図が消えるのかチェックしていく。

 すると地図消失の境界線が弧を描いている事に気付いた。何かを中心にして円形に白地図地帯ができている。そして弧から推定すると白地図地帯はそれほど広くない。精々半径三十メートルといったところか。地図に頼らず中心に辿りつくのも可能な距離だ。


 ハイロウはまた少し悩んでから、腰をかがめてそろそろと中心点に近づいて行った。好奇心には勝てなかった。もし死に戻りしても十分稼いだからそれほど惜しくないと感じたのも大きい。

 地図を無効化する魔法(そんな魔法があるのかは知らないが)を使っているプレイヤーがいるのかも知れない。超強力なイベントモンスターがいるのかも知れない。特に何も無いかも知れないし、デストラップが待ち構えているかも知れない。鬼が出るか蛇が出るかは運営だけが知っている。


 少しでも危険を感じたら即座に逃げてログアウトしようと後ろ向きな決意を固めたハイロウ。

 神経質なまでに慎重に警戒しながら中心点に向かうと、そこには――――苔むして蔦を絡ませた遺跡の入り口が、ひっそりと口を開けていた。


あからさまなフラグ一丁入りましたー


①チートフラグ。弱そうだけど実は無双できる職業や、死にスキルとは名ばかりの超高性能スキルが手に入る。

②ヒロインフラグ。モンスター娘かロボ娘、封印されていた古代娘とかなんとかそのあたりが仲間になる。

③死亡フラグ。夢の中は非情である

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