四話
Dream Worldのサービス開始から一週間が経過していた。ハイロウもゲームに慣れ、順応してきている。
ハイロウの朝は早い。ログインするのは毎日リアルの1:15、ゲーム時間で5:00だ。朝食に兎肉ハンバーグを食べ、すぐに草原に出かける。
Dream Worldはフィールドが広大で、村の外にいると滅多に他プレイヤーと会わない。プレイヤーの多くはモンスターを狩って金を稼いでいるため、NPCはプレイヤーが来てからモンスターの間引きの手間が省けたと喜んでいる。が、どうせステータスが上がったらすぐ次の町へ進むんだろ、と達観もしているようだ。何か悲しくなるが実際その通りである。既にプレイリータウンの次の町への探索を開始したプレイヤーも何人かいる。
ハイロウはまだプレイリータウンに留まり、モンスターを狩り魔法購入に向けて金を溜めるついでにステータス上げをしていた。現在のステータスは【筋力】3.0【防御力】2.5【敏捷】1.6【抵抗力】1.0【知力】2.1。所持金は1g10c。運良く大兎狩ネズミに二度しか遭遇せず、またその時もなんとか逃げ切れたため、未だ死亡していない。ハンナやケティからは「何もこんな所で運を使い果たさなくても……」と哀れまれている。普通ならハイロウぐらいのペースで狩っていれば十回は遭遇しているという。
装備はTシャツ・ハーフパンツ・素手から、厚手の革の服(茶)・長ズボン(紺)・木刀に変更。基本的に巣穴から飛び出した兎狩ネズミを蹴り倒し、大兎狩ネズミが出た場合の乱戦用に木刀を持つスタイルだ。
宿で作ってもらった弁当を食べ、昼過ぎまで兎狩ネズミを狩ったハイロウは、村に戻って散策に出かけたり、読書をしたりする。プレイリータウン(草原の村)と呼ばれてはいるが規模は完全に町で、一週間経ってもまだ全てを回りきれてはいなかった。ハイロウとしては村の南の端にある色町が気になっているのだが、BBSで有り金を全て巻き上げられたという話を幾つも見て行くのは自粛している。気になってはいるが。気になってはいるが。目標としている魔法購入まで後1gで浪費するわけにはいかない。
ハイロウが魔法購入に邁進している間に当然他のプレイヤー達もそれぞれゲームを進めている。他のプレイヤーとの交流を持っていないハイロウにとってはBBSのスレッドが唯一の情報源だ。
BBSは一週間で充実してきており、NPC情報、モンスター情報、就職情報、食い倒れ情報、システム情報、スキル情報など更新速度が著しい。
例えば基礎スキルについて。これは低威力の攻撃を何度も受けるより高威力の一撃を受けた方が上がり易い事が分かっている。攻撃の場合は柔らかい相手を嬲るより堅い相手をド突いた方が上がりやすい。つまりプレイヤーAが高威力の攻撃を防御の高いプレイヤーBに打ち込めば効率良く【筋力】【防御力】を上げていけるのだ。訓練所の一部区画には嬉々として代わる代わる互いを鞭打つプレイヤーの姿があり、NPCにドン引きされているとかいないとか。
技能スキルについてもいくらか明らかになっている。基礎スキルが元から備わっているもの、魔法スキルが購入するものだとすると、技能スキルは身に付けるものだ。技能スキルは特定の行動で自動的に習得され(NPCや他プレイヤーから習う事もある)、習得数や熟練度に制限は無い。技能スキルはパッシブとアクティブがあり、どちらもスタミナを消費する。
例えば【跳躍】スキルはジャンプ時に自動的にスタミナを追加で消費し、跳躍力の底上げをする。ハイロウが持っている【口笛】スキルは口笛を吹いた時に自動的にスタミナを消費して『クトルフの呼び笛』の劣化効果を発現する。このようなパッシブスキルはOFFにできる。OFFにしておくと意に沿わず発動させてしまう危険性はなくなるが、熟練度の上昇はない。
アクティブスキルはキーワードを設定し、キーワードを唱える事でスキルを発現するものだ。キーワードはスキルによって文字数が設定されており、その文字数以上の文字数のキーワードならば自由に設定できる。三文字以上のスキルのキーワードにアブソリュートエターナルブリザードブレイカー、と設定する事も可能だ。もちろんアイス、とか、凍れ、だけでもいい。アクティブスキルには次の一撃の命中時に攻撃力を上乗せする【重撃】、次の一撃の命中時に追加攻撃(弱)を加える【連撃】、一時的に【筋力】【防御力】【敏捷】の底上げをする【練気】などがある。
勿論アクティブスキルもOFFにでき、うっかり唱えて発動させてしまうのは防げる。
ハイロウが習得している技能スキルは【格闘】2.0【跳躍】0.8【口笛】0.7【激走】0.3【剣術】0.3【投擲】0.1。アクティブスキルは一つも無い。
プレイヤー間で特定のグループができたのも大きな変化の一つと言えるだろう。現実でイケメンが爽やかで明るく楽しい青春グループを作り、醜男達がむさくるしい暗くじめじめした陰鬱グループを作るように、Dream Worldでも似た属性のプレイヤー達が集まって集団を形成していた。
あるグループは金を出し合って農地を借り、そこで作物を育てている。メンバーが時間をズラしてログインする事で水遣りや草取り、害虫駆除を丁寧に行い、品質の良い作物を育てる事を目標にしている。メンバーは全員現実でも農家や農学部らしく、仲は良い。
逆に仲が悪いプレイヤー集団の筆頭は魔法グループだ。
MPは魔法以外で消費する事はない。魔法が無ければMPは持ち腐れになる。魔法があればMPを消費して強力な攻撃や便利なサポートを使う事ができ、狩りや仕事の効率も上がる。従ってまずは数人で集まってお金を一人に集め、魔法を買い、一人が魔法を習得して効率良く金を稼ぎ、他のメンバーに稼いだ金で魔法を買い……という計画を企んでいたのだが。
あまりにもリアル過ぎて忘れるプレイヤーが多いが、Dream Worldはどこまで行ってもゲームである。現実のネットゲームで詐欺行為が起き易いと同じように、Dream Worldでも詐欺行為が起き易い。最初に魔法を習得したプレイヤーがさっさと姿をくらまし、魔法グループはそれが原因で仲互いし崩壊寸前だ。
ハイロウがどこのグループにも所属しないのはそういったイザコザに巻き込まれるのが嫌だという理由が大きい。ただでさえ現実的でシビアな問題が隙があろうとなかろうと容赦なく襲い掛かってくるゲームだ。人間関係の問題まで背負い込みたくは無い。
今日も今日とてハイロウはソロプレイだ。
「え、売り切れ?」
「ああ、売り切れだよ」
いつもの朝食時、思わず聞き返したハイロウにハンナは事も無げに言った。
ハイロウは節約のために基本毎食兎肉ハンバーグだ。しかし美味しい事は美味しいのだが毎日ハンバーグを食べても幸せに浸れるのはやんちゃ盛り食べ盛りの小学生くらいなもので、文化部系高校生は流石に毎食はキツい。アバターに栄養の偏りや肥満は起きないが、気分はよくない。
よって二日に一食は別の料理を頼む事にしていた。前回頼んだ魚介スープが美味しかったので今回も注文しようとしたのだが、返ってきた答えはこれである。二日に一度の楽しみを潰されがっくりと肩を落とした。
「食材採ってくれば作るけど?」
あからさまにショックを受けた顔をしたハイロウを見てハンナが提案する。
「ん? ……ああそうか、魚介スープも在庫があるのか」
兎肉ハンバーグが兎狩ネズミを使って作られているように、魚介スープも何かしらの食材を材料にして作られている。材料が切れれば当然料理は作れなくなる。逆に言えば材料さえ調達して来れば作れる。
「私ゃ海岸まで行くのも億劫でねぇ。ダンナは土いじりに夢中で村の外に出ようとしないし、娘はあんまり死なせたかないし」
「俺なら死んで良しって事ですか」
「そりゃそうさ。娘と客じゃあ扱いが違うよ。それにプレイヤーは無限コンティニューだろ? でもNPCは復活回数にストックがあってね、ストック使い切ると丸一年教会で眠らないと復活できないんだよ。しかもその間歳は取るからねぇ」
「はあ」
ハイロウは薄ぼんやりとした声を出した。理解していない風のハイロウにハンナは面倒そうに付け加えた。
「若い時に時間を無駄にさせたくないのさ。私みたいなトシ食ったオバサンなら別だけどね」
「ああ、なるほど」
「コンティニューどうこうはいいんだよ。それで採りに行くのか行かないのかどっちなんだい?」
「あー……海岸ってそんなに遠いんですか」
「徒歩三時間もあれば着くよ」
頭の中で海岸への好奇心と移動時間を天秤にかける。ただ広い草原の景色にも飽きてきた所だ。
「食材はやっぱりモンスター?」
「も、いる。お前さんぐらいのステータスがあれば死ぬこたなかろうさ。大体は砂浜の貝を採ってきてくれりゃあいいよ。釣具ないだろ?」
「ないですね」
「じゃあ魚はいいよ。モンスターと貝卸してくれれば色つけて買い取るけどどうするね?」
天秤の海岸側に硬貨が楽しげな音を立てて落ち、カタンと勢い良く傾いた。
「行きます」
「よしよし。海岸は草原をまっすぐ北に行けば着くからね。地図出せば迷うも何もないよ。何度も往復するのも手間だから一度に採れるだけ採ってきな」
アイテムボックス内では時間が停止するので、大量に仕入れてきても腐ったりはしない。
ハイロウはハンナから海岸について簡単にレクチャーを受け、弁当を持って意気揚々と出発した。
メニューウィンドウから『地図』を開き、口笛を吹きつつ、薬草を探しながら北へ北へ歩いていく。【口笛】スキルは熟練度が低く滅多にモンスターは寄ってこないが、今回はそれで良い。移動中の時間とスタミナを無駄にせず、熟練度を上げる事が目的で、兎狩ネズミが出たら御の字だ。
幸か不幸か一度も兎狩ネズミに遭遇せず、予定通り三時間で海岸に着いた。
「おおおお! おおおお……これはキモイな」
海岸線を見渡して呟いた。
燦々と輝く太陽の光を反射してキラキラと輝く青い海。爽やかに肌を撫でていく潮風。空にはちぎれ雲が浮かんでいて、砂浜の白さが目に眩しい。砂地と草地の境目にはヤシの木も生えていた。それだけならどこかのリゾート地のパンフレットにでも載っていそうな光景だったが、問題は砂浜にいるモンスターだ。
まず腰ぐらいまでの大きさの巨大なヤドカリがワラワラと砂浜に群れていた。黒や灰、茶褐色の巻貝を背負ったヤドカリはじっと日光浴をしたり、鋏で砂浜をほじくっていたりする。そのヤドカリの間をカサカサ横歩きで移動しているのはこれまた巨大なカニだ。体色は黒っぽく、時折ヤドカリに向けてハサミを振り上げて威嚇している。ヤドカリよりも二回りほど小さい。
ハンナから聞いた情報によれば、ヤドカリは『宿貸し』、カニは『若手ガニ』という名のモンスターだ。宿貸しはその名の通り宿を貸すモンスターである。宿貸しの宿の中には小さな蟹やエビなどが宿泊している。若手ガニも読んでそのまま若手のカニで、成長するとアーマークラブというモンスターに進化するとか。
草原とは段違いにモンスター密度が高い海岸に引いた。2Dのゲームの場合モンスターが密集していれば良い狩場になるが、3Dだと気色悪いだけだということを実感する。
ハイロウは砂浜に入っていった。宿貸しも若手ガニもノンアクティブモンスターだ。攻撃しなければ攻撃してこない。ただし一匹でも攻撃すると周辺のモンスターもアクティブ状態になって襲ってくるため注意が必要である。
モンスターとぶつからないように注意して移動しつつ、波打ち際で貝拾いをする。少し手で砂を探ればゴロゴロ貝が出てくるため、ズボンを膝までまくって夢中で潮干狩りをした。二時間ほどで得た成果は次の通りだ。
アサリ(12g・0mp)×140……普通のアサリ。淡白な味わい。
ホラー貝(20g・1mp)×1……夜になると薄ぼんやりと発光する人型の何かを呼ぶ。人型の何かは無害で、肝試しの演出に好んで使われる。
ガラス貝(55g・1mp)×3……ガラスの殻のカラス貝。もちろん殻は砂にこすられて傷だらけ。
オタカラ貝(40g・1mp)×2……殻の中に極小粒の宝石が入っている。殻は非常に堅く、中の宝石を取り出すのには労力がいる。
ナイスガイ(15g・0mp)×6……殻の模様がいい男に見える。収集家には高く売れる。
男爵イモ貝(105g・1mp)×5……毒矢を撃つ貝。非致死性の弱毒で、30℃で分解される。煮崩れしやすいが、ホクホクしていて美味しい。
ハンナが言った引き取り価格からざっと計算すると2sほどになる。
昼になったので弁当のサンドイッチを食べて休憩を挟み、モンスター狩りに移る。
海岸のモンスターを相手にする時、注意しなければならないのは囲まれない事だ。宿貸しも若手ガニも移動速度と攻撃力はないが、防御力が高く、倒すまでに時間がかかる。一体倒すのにもたもた時間をかけていると、周囲のモンスターに包囲され、寄ってたかって小ダメージを連続で叩き込まれて死ぬ。短期決戦で一気に倒しきり、素早く離脱する必要があるのだ。
ハイロウは海岸線にうじゃうじゃと群れるモンスターの内、はぐれているモンスターを探した。ハイロウの【筋力】は高いとは言えない。その分倒すまでに時間がかかるため、周囲のモンスターが集結するまでに時間がかかるはぐれモンスターをターゲットにする。
探索の途中でモンスターが集まってちょっとした小山を作っているのを見つけた。何事かと見ているとモンスターの殻と殻の間から一瞬人の腕が見え、すぐにまた飲み込まれていった。NPCかプレイヤーが埋もれているらしい。助けに行ったら間違いなくミイラ取りがミイラになる。殻と鋏がこすれるカチャカチャキチキチという音の合唱が煩く、悲鳴すら聞こえない。失敗すれば自分もああなるかと思うとぞっとした。
ハイロウは合掌して冥福を祈り、その場を立ち去った。
しばらく海岸を歩いていると、群れから離れ、砂浜と草原の境界付近で日光浴をしている宿貸しを見つけた。砂浜に脚を埋め、暢気に触覚を動かしている。
ハイロウはざくざくと宿貸しに歩み寄り、大上段に振りかぶった木刀で宿貸しの頭部に渾身の一撃を食らわせた。
「おらおらおらおらおらおらおら!」
そのまま木刀を振り回し、宿貸しの殻やら爪やら頭やらを手当たりしだいに滅多打ちにする。ハイロウに剣術の心得は無い。下手にフォームを意識するより、とにかく全力で振り、かつ手数を稼いだ方が良いと判断していた。
宿貸しもやられてばかりではない。鋏を振り回したり、体を大きく揺すって体当たりをしたりで反撃してくる。木刀のリーチが長かったおかげでそれらの攻撃は全く届かず、ハイロウの一方的な攻撃が続いた……
が、一向に倒れる気配が無い。木刀から伝わる感触は硬質で、小岩でも殴っているかのようだった。ハイロウは必死に宿貸しを殴り続けたが、全く力尽きる様子はなく、気がつけば他の宿貸し達が短い脚をせっせと動かして包囲網を固めつつあった。
あともう少しで倒せるかも知れない。ここで逃げたらあと一撃で倒せるという所で逃げるハメになるかも知れない。これだけ攻撃してそれはもったいない。まだか、まだ倒れないか。
焦って無茶苦茶に木刀を振り回したが、元々無茶苦茶なので大した違いはない。あと数発だけ、あと数発だけと退避を伸ばし伸ばしにするハイロウの脳裏にふと先ほど見つけたモンスターの小山が過ぎった。あのプレイヤー(NPC?)もあと少しあと少しと退避を先延ばしにした結果、包囲されてやられたのではないだろうか。
ハイロウから執着心と焦りがふっと抜けた。別にこのモンスターにこだわる必要性はどこにもない。
攻撃をやめ、ダッシュで宿貸しの包囲をすり抜けて草原へ逃げる。包囲はかなり狭まっており、宿貸しの殻にガンガン足をぶつけたり転びそうになったりすれ違い様に爪の一撃をもらったりしたが、なんとか脱出できた。
「ファック、倒せねぇ。ヤドカリのくせに生意気だ」
どっかりと草原に腰を下ろして悪態をついた。宿貸し達はハイロウ目指してわさわさと砂浜から草原に入ってこようとしたが、砂浜と草原の境界線で困惑したようにうろつき、やがて諦めたのか引き上げていった。
引き際を間違えなければ普通に逃げられる。が、倒せない。時間を浪費するだけで骨折り損のくたびれ儲け。これほど戦っていて空しい敵もない。
(……いや待てよ?)
ふと思い出してスキルウィンドウを開く。
【筋力】が0.2上がって3.2になっていた。
「ひょっ!?」
変な声が出た。堅いモンスターを攻撃すると【筋力】が上がりやすい。それを思い出してチェックしたのだが、まさか0.2も上昇しているとは思ってもいなかった。実質的な戦闘時間は長く見積もっても二分無かっただろう。一分0.1はカタい。一時間殴っていれば6.0だ。ステータスは上がれば上がるほど上がりにくくなるため、実際はそう上手くはいかないだろうが。
貝拾いで既に収入的には黒字になっている。ハイロウはモンスターを倒すのを諦め、スッパリ割り切ってステータス上げに専念する事にした。
立ち上がり、砂浜へざくざく踏み入っていく。適当に目に付いた宿貸しにおもむろに木刀の一撃を入れる。鋏を振り上げて怒り、体当たりをしようとする宿貸しを続けて二、三発殴り、身を翻して小走りでトンズラする。仲間を攻撃され、周囲の宿貸し達がアクティブ状態になるが、それも精々半径十メートル程度に過ぎない。ハイロウは逃げながら通り魔的に宿貸しを殴っていく。倒すつもりはなかった。攻撃するだけして逃げればステータスは上がる。十分ステータスが上がってから改めて討伐に挑戦すれば良いのだ。
海岸線を走りながら手当たり次第に宿貸しと、時々若手カニを殴打していくハイロウ。走りながらふと後ろを振り返ると、アクティブ状態になったモンスター達がうじゃぁぁぁぁぁあ、と群れて追ってきていた。
「うっげぇ……」
気色悪い光景に昼食が逆流しかけたハイロウは目線を前に戻して今見た光景を記憶フォルダから削除した。
デフォルメされたヤド☆カシのようなモンスターなら群をなして追ってくる光景にもまだ愛らしさがあったかも知れないが、Dream Worldのモンスターは100%現実準拠だ。甲羅や殻のテカリ具合から独特の磯臭さ、ギチギチという鋏や脚がこすれる音まで忠実に再現し腐っている。昨今リアルさが売りのゲームが多いが、リアルなら良いというものではない。
歩いているだけなら地平線の彼方まで歩いていけるが、走っているとスタミナを消費するため、いつまでも走ってはいられない。スタミナが切れると息切れがして一定時間行動不能になるのだ。よって十分ほど走ってから草原に駆け込んだ。振り返ると草原と砂浜の間でモンスターがすし詰めになっており、数匹押し出されて草原に転がり込んできたが、戸惑った様子でうろうろ歩き回り、トボトボと砂浜に戻っていく。モンスターの大集団は数分で警官に追い立てられた暴走族の如くサーッと散らばって引いていった。
スキルウィンドウを見ると、【筋力】は3.5になっていた。強烈な上がり方だ。
調子に乗ったハイロウは同じ事を三回繰り返した。二度目に3.8になり、三度目に4.0になる。海岸に来る前の約1.3倍になった。5.0ぐらいまでは勢い良く上がりそうだと判断し、あと数回マラソンを繰り返す事にする。スタミナも少しずつ上がっており、一巡で走る距離と叩くモンスターの数も少しずつ増していた。
それが災いしたらしい。
四度目、海岸を走るハイロウは途中で背後から迫る甲殻類共の音が遠ざかったのに気付いた。
「なんだ?」
疑問に思い、振り返る。すると追ってきていた宿貸しと若手カニが一箇所に集まって小山を作り、バリバリと殻を砕く音と共に圧縮し始めていた。
足を止め、共食いか? と訝しむ。殻が割れ、砕ける音は止まらない。百匹を超えるモンスター達でできた小山は段々小さくなっていき、なくなり、代わりに一匹のモンスターが現れた。
見た目はオウムガイか、アンモナイトのようだった。人間の腰ぐらいの背丈で、ぐるぐる巻きの殻の口から出た触手で砂浜にすっくと立ち、そのうちの一本で自身の身長の二倍ほどの長さの槍を持っている。触手と殻の境目付近についたキリッとした凛々しい瞳がハイロウをじっと見ていた。
ハイロウはそれをレアモンスターだ、と判断して喜んだ。海岸にこんなモンスターが出るとは聞いていない。恐らく特定の条件を満たす事で現れ
「は?」
突然鈍い衝撃に全身を貫かれ、呆然とした声と共に吹き飛んだ。目線を下に下げると、腹に槍が突き立っている。
「えええええええええええええええ!?」
何が起きたか把握する前に目の前が真っ暗になった。
次の瞬間、目の前に白い髭の神父が立っていた。自問する。一体何があった。
「おおハイロウよ、死んでしまうとは情けない。本当に情けない。実に情けない。ああ情けない」
神父は大げさに嘆き、指パッチンでウィンドウを開いた。そこに表示されている何かしらの文字群を読み、更に嘆く。
「なんと! 死因はアンモ騎士の槍を受けて即死! なんと愚かな! なんと身の程知らずな!」
どうやら死んだらしい。腹に槍が突き立っていて、凄まじい衝撃で体が宙に浮いたのは覚えている。知覚する間もなく槍を投擲されて吹き飛ばされたのだろう、ほとんど事故死だった。
ハイロウ、はじめての死亡。しかし痛覚は現実と比べて格段に鈍く、かつ一瞬の出来事だったため、あまり死んだという自覚はなかった。ステータスが下がった脱力感は感じていたが。
周囲を見回すと、神殿の内部のようだった。俗に言う死に戻りをしたのだ。壁も柱も白い石でできていて、内装はギリシア風。二人がいるのは教壇の正面で、背後には小さな噴水付の泉を取り囲むように横長の椅子が数列並び、NPCらしいご老人が数人そこに座ってうつらうつらしていたり、本を読んでいたり、祈っていたりしていた。窓は少なかったが、泉が神々しくやわらかい光を投げかけているため、暗さはない。
視線を正面に戻すと、神父はまだ嘆いていた。と、思ったが口元が哂っていた。
「【防御力】たったの2.5でアンモ騎士に挑んだプレイヤー! 無理! 無茶! 無謀! 無策! 無様! 無残! 末代までの恥! そして一撃死! 虚弱! 惰弱! 脆弱! 軟弱! 貧弱! アンモ騎士がこの大陸に自然発生するとは考えられぬ。どうせ百匹以上甲殻系モンスターを敵対状態にして融合をさせてしまい、挙句レアモンスターと勘違いして悠長に眺めていたのだろう?」
「見てたんですか」
「分からいでか! 神も呆れていらっしゃる! 『迷える子羊よ、貴様は救いようがない。永遠に迷ってろ』という声が聞こえてくるようだ!」
「傷口に塩すりこむのやめてくれます?」
「おお、愚鈍で愚劣なプレイヤーに神の御慈悲を! ラーメン!」
神父は言いたい事を言うだけ言うと、逝書を片手に抱えて奥の部屋にさっさと引っ込んでいった。
数秒呆然としていたが、ハッと我に返ってメニューウィンドウを確認する。デスペナルティの確認だ。
アイテムは丸々残っていて、所持金と残りログイン時間も変化なし。スキル熟練度だけが減少していた。だけ、とはいってもかなり大きい。減少後の熟練度は、
基礎スキルが【筋力】3.1【防御力】2.5【敏捷】1.0【抵抗力】1.0【知力】1.1。
技能スキルが【格闘】1.0【跳躍】0.1【口笛】0.1【激走】0.1【剣術】0.1【投擲】0.1【ドM】0.1。
ごっそりと下がっていた。基本的に死亡すると1.0減少するようだった。基礎スキルは1.0、技能スキルは0.1が下限らしい。
そして何か嫌な響きの技能スキルが追加されている。タッチして説明を読む。
【ドM】無謀な敵に挑み、惨殺された悔しさを快かnもとい、力に変えるスキル。最大HPの100%以上のダメージを受けて即死した場合、一定確率でデスペナルティのスキル熟練度低下を防止する。どのスキルの熟練度低下を防止するかはランダム。熟練度の他に死亡時の残りスタミナ量も発動率に影響する。
「微妙……」
効果もそうだが、名前もそうだ。他にもっと良いネーミングは無かったのかと言ってやりたかった。【不屈】とか。【七転び八起き】とか。【執念】とか。なぜよりにもよって【ドM】をチョイスしたのかと小一時間問い詰めてやりたくなる。しかし【ドM】が発動したおかげで【防御力】が下がらなかったようなので、一応感謝はしておいた。
いつまでも神殿に居てもやる事は無いので、ステータスの確認を終えたらすぐに外の中央広場に出た。道具屋に寄ってオタカラ貝、ホラー貝、ガラス貝、行きに草原で採取したモノ草を計1s35cで売り、そろそろ歩きなれてきた小道を通って宿屋に戻る。椅子の背に向かい合う形で正座して座り、暇そうに椅子をガタガタさせていたケティが疲れた顔で戻ってきたハイロウを見てちょっと驚いた。
「あれ、早いですね? まだ夕方ですよ? 夜まで粘ると思ってたんですけど」
「うるせえな死に戻りしたんだよ悪いか」
「えーマジ死に戻り!? 死に戻りが許されるのは」
「それはとにかく買取だが。ハンナさんどこ?」
「あ、私がやります。おかーさんまだしばらく帰ってこないですし」
ケティにアサリと男爵イモ貝を合計90cで売り払った。道具屋に売った分と合わせて2s25c也。大儲けの一日だった。ステータスは大損だったが。
やがて帰ってきたハンナに魚介スープを頼んで、所持金1g2s31c。ハイロウは魔法購入までに稼がなければならない総額を頭の中で計算しながら運ばれた魚介スープを貪った。アサリからにじみ出た旨みエキスが男爵イモ貝のほくほくの身と魚の白身に染み込んで、噛み締めるのが楽しく飲み込むのが勿体無いほどだ。ほど良い塩気が深みのある後味の良さを引き立てている。
夢中でスプーンを動かしていると、声をかけられた。
「ねえ」
顔を上げると隣に黒ずくめの小柄な人間が立っていた。時々宿屋で見かけるプレイヤーだった。今日まで話しかけられた事も話しかけた事も無かったが、一体なんの用なのか。声は十代前半の涼やかな少女だったが、もちろんゲームで声はアテにならない。ハイロウも現実とは声の設定を少し変えている。
「……俺?」
「そう。森に行った事ある?」
少女(仮)は挨拶も名乗りも無しに尋ねてきた。ハイロウはもごもごと口の中の具を咀嚼して飲み込む。
「ない。まず名乗れ。んでフード取れ。失礼だし室内だぞ」
「……ごめんなさい。セイレンです」
少女(仮)が名乗り、フードを取って顔を晒した。フードの下から現れた素顔を見たハイロウは驚愕した。
(こいつネカマだああああああああああああああああああああ!)
内心で叫び声を上げ、いたたまれなくなってそっと目を逸らした。
別にセイレンの顔にネカマと書いてあったわけでも、男臭く厳つい顔をしていた訳でもない。むしろ超常的と言ってもいいほどの美少女だった。年齢は十四か、五ぐらいだろうか。
容姿は眉目秀麗、容姿端麗という四字熟語の体言だ。肌はシミ一つなくなめらかで、黒曜石のような静かに澄んだ瞳がじっとハイロウを見ている。日本的な顔立ちで、稀代の芸術家が生涯をかけた絵画や彫刻でもここまで完璧なバランスにはならないだろうというほど整っている。長く艶やかな黒髪をポニーテルにしていて、無造作に背中に垂らしている。適当に写真にとって額縁に入れるだけで美術館に並べられていてもおかしくないものになるだろう。
なぜネカマと断じたかと言えば、その作り物めいた完璧さが理由だった。はっきり言ってあり得ない。これほど繊細にして完璧な顔の女が生まれるよりはネコにピアノの上を歩かせて偶然ショパンの名曲ができあがる可能性の方がまだ高いだろうと思えるほどだった。
となると話は簡単。作り物めいているのではなく作り物なのだ。
Dream Worldはネカマプレイが可能である。顔も自由自在に変えられる。男のハイロウはから見て「完璧」な顔なら、それは同じく男が「完璧」になるように精密に調整した顔なのだ。女が考える「完璧」ならば男のハイロウが思い描く「完璧」に合致するはずがない。醜男が理想のアバターを作るために相当頑張ってキャラメイクをしたのだろう、とハイロウはセイレンの苦労を偲んだ。
(でもさあ、頑張り過ぎてボロが出てるよ……ネカマってバレバレ)
目を合わせようとしないハイロウに不思議そうに首を傾げるその仕草があざとかった。現実でやられればハートを貫かれ風穴を開けられそうな仕草だが、残念ながらゲームの世界である。中の人を考えるとまったくときめかない。
「なに?」
「別に。どういうプレイしようが自由だから。うん。俺は非難しない。頑張れ」
「はあ……」
「あ、俺ハイロウね。それで何用?」
「依頼。森で採集するのを手伝って欲しい」
セイレンはポソポソと用件を話しはじめる。
「森で採集できるアイテムが欲しい。でもそのアイテムが採れる付近にスローライフベアが居座ってる。私一人だと倒せない。倒すのを手伝って欲しい」
森、というのはプレイリータウンの西、草原の先に広がっている文字通りの深い森だ。ハイロウは行った事がないが、草原の大兎狩ネズミよりも強いモンスターが何種類もうろついている危険地帯である。スローライフベアはその中でも特に強いとされているモンスターで、単独での狩猟報告はまだ上がっていない。
「あー、さっき死に戻りしてさ。ステ下がったせいで森のモンスター相手取るのはキツい」
「大丈夫。囮になって逃げてくれるだけで良い。スローライフベアは足遅いから、【敏捷】1.0でも追いつかれない」
「ふーん……なんで俺? 他にもっと強い人いるじゃん」
BBSによると、戦闘でDream Worldを楽しんでいるトッププレイヤー達のステータス(自己申告)はハイロウよりも断然高い。攻撃型で【筋力】9.0【防御力】6.0【敏捷】4.0【抵抗力】1.5【知力】2.0程度だ。中堅クラスでもトッププレイヤーには劣るが死んでステータスが低下したハイロウよりは確実に高いだろう。ソロで金策をメインに動いているハイロウが共闘相手に誘われる理由が分からなかった。
「……しばらく見てて、悪い人じゃなさそうだったから。知らない人に話しかけるの、怖い」
セイレンは殊更に小さな声で言った。
「あー……」
(コミュ障か。そりゃそのへんのプレイヤー捕まえて勧誘なんてできないわ。でも俺も人の事言えないな)
人付き合いに伴うゴタゴタを嫌って一匹狼をしているハイロウも同じ穴の狢だ。
ここでセイレンのお願いを聞くメリット。見た目だけ美少女と知り合いになれる。見ているだけで目の保養になる。デメリット。見た目だけ美少女と知り合いになってしまう。中の人を想像すると精神が汚染される。
眉根を寄せて悩むハイロウにセイレンはプッシュしてきた。
「依頼受けてくれたら報酬出す。拘束時間は一日だけ」
「報酬?」
「報酬。お金、欲しいんだよね」
「なぜ知ってる」
「ケティちゃんから聞いた」
隣のテーブルで聞き耳を立てていたケティを睨むとウインクしてVサインを向けてきた。
「セイレンさんはね、お金持ちなんだ。ハイロウさんと違って。お昼の時いつもデザート分けてくれるんだよねー」
「なるほど、それで口が軽くなったと。個人情報ダダ漏れ。いや口止めもしなかったんだけどさ。で、報酬ってなんだ?」
「現金」
「……いくら?」
「1g」
「マジで!?」
「前金5s、依頼後採集の成否に関係なく報酬5s」
「マジで!?」
「成功報酬もつける」
「マジで!?」
「受けてくれる?」
「受けさせて下さい」
「ありがとう。リアルの六月九日、午前一時三十分にここで待ち合わせ。ログイン時間は六時間全部残しておいて。前金は出発前に渡す」
金に釣られたハイロウの次回ログイン時の予定が確定した。