三話
「んあ……おお」
ハイロウは宿屋のベッドの上で目を覚ました。部屋には朝の日差しが差し込み、ハイロウの横顔を照らしている。無事ログインできた事に心底安堵する。
ニヤニヤしながら部屋を出て階下に降りる。一階の食堂ではケティが空の食器を片付けている所だった。
「あっ! おはよーございます!」
「おはよう」
「朝食今持ってきますねー。おかーさぁぁぁん! 一人前!」
「はいよー!」
ケティがカウンター裏の厨房に一声かけると威勢の良い声が返ってきた。
数分してケティが運んできたのは湯気の立つハンバーグだった。付け合せに四角いブロッコリーと人参が乗っている。
「朝っぱらから肉か」
「兎肉ハンバーグです」
「兎肉は初めて食べるな。けっこー美味い」
兎肉ハンバーグは肉汁たっぷりのミディアムで、あっさり風味のソースにからめて食べると肉と果物の旨みが合わさってコクのある味がした。付け合せの野菜も甘みが強く美味しい。
「や、それトガリネズミと牛の合挽きです」
「トガリネズミ……兎肉使ってねーじゃん。詐欺だ」
「昔は兎肉使ってたんですけどね。兎がトガリネズミに狩り尽くされて絶滅したので代わりにトガリネズミの肉をですね」
頭の中でトガリネズミが兎狩ネズミに変換された。
「トガリってそういう……なんか運営のネーミングセンス分かってきた」
「微妙なネーミング多いんですよねー。それなんて『ブロックリー』ですよ?」
「通りで四角いと思った」
名前はとにかく味の方は良かったので、残さず平らげた。メニューウィンドウを開いて時計を見ながら本日の予定についてケティに質問する。
「このゲームって確かモンスターいるんだよな?」
「いますよーわらわらと」
「草原歩いてれば遭遇する?」
「戦いたいんですか? なら笛持ってった方がいいですよ。村から遠ざかるほど出易いですけど、笛無いとなかなか会いません」
「笛ってなんだ」
「モンスターを呼ぶ笛です。私のあげます? お古ですけど普通に使えますよー」
「くれ」
「10c」
「だろうと思ったよ……」
10c払って『クトルフの呼び笛』を手に入れた。アイテム化すると出てきたのは何の変哲も無い横笛だった。材質は竹のようで、塗装も装飾もされていない。
「村の近くで吹くのは犯罪なので止めて下さいね。使う時は普通に吹けばダイジョブです。旋律はなんでもOK」
「ふーん……村の中で吹くのは?」
「それは無問題です。村には『サンクチュアリ』って魔法がかかっててですね、笛の効果が無効化されるんですよ」
「なる」
ハイロウは指の先でくるくると笛を回した。つまりエンカウント率上昇アイテムだ。
「あとですね、バトルの時はステータスバー出しといた方がいいです。いちいち残りHP確認するためにメニューウィンドウ開くのはめんどくさいでしょ? オプションから『ステータスバーの表示、非表示、表示位置変更』で出せます。自分の体のどこかにHP、MP、スタミナのゲージを表示できるんですけど、手の甲に出しとくと見やすいと思います。足の裏に表示とか背中に表示とかもできますけど」
「いや普通に手の甲にするわ」
オプションから操作して設定すると、右手の甲に三本のゲージが浮かび上がった。赤、青、黄の三色に色分けされていて、どれも満タンになっている。
「これは分かり易いな。助かる」
「情報代くれてもいいんですよ?」
「貧乏プレイヤー舐めんな」
「モンスター狩ればすぐに稼げますよ。草原にいるのは兎狩ネズミですね。おっきなネズミです。【筋力】1.0でも全力で蹴っ飛ばせば二、三発で殺れる雑魚モンスターです。死体は毛皮骨肉店に売ってもいいですけど、ウチに売ってくれれば兎肉ハンバーグ値引きしますよー」
「それいいな」
ハイロウは兎狩ネズミを狩ったら卸す事を約束し、宿を出た。
薄暗い小道を抜けて、ちらほらと人が行き交う大通りに出る。途中武器屋に寄って棍棒を買おうかとも思ったが、蹴るだけで倒せると言っていたのを思い出して止めた。いっそ武器を使わない格闘スタイルというのも悪くない。
東門から草原に出て、そのまま東へ歩いた。メニューに「地図」があったのを思い出して開くと、新しいウィンドウが出た。ほとんど真っ白なボードで、中心に赤い矢印があり、そこから少し左に黒い四角があって、矢印と四角が緑の線で結ばれている。それ以外は右上の端に方位記号が出ているのみ。ハイロウがその場で回転すると矢印も同調してくるりと回った。矢印が自分、四角がプレイリータウン、緑の線が草原を指しているようだった。
地図を埋めるためにジグザク歩き、ついでに薬草を探しながら村から離れていく。三十分ほど歩いたところでこれだけ離れれば大丈夫だろう、と判断して笛を出し、思いっきり息を吹き込んだ。甲高い音が草原に染み渡って消えた。
そのまま一分ほど待つと、遠くに点が見えた。点は草原を一直線にハイロウに向けて近づいてきて、段々と輪郭がはっきりしてくる。
それは丸々と太ったネズミだった。灰色の毛皮にちょろりと生えた尻尾。頭には丸耳がついていて、つぶらな瞳には敵意をみなぎらせている。角も無ければ牙も見当たらない。爪を隠している可能性はあったが、気にしなかった。蹴り応えが良さそうだったから。
小さな足で懸命に駆けて来る兎狩ネズミの速度は一定で、蛇行していないし上下にもブレていない。愚直なまでにハイロウに真っ直ぐ突撃してきている。ちょうどぴったりサッカーボール大という事もあり、ボールをパスされたような錯覚に陥った。
(確かに蹴るのが一番いいな)
棍棒ですくい上げるようにスイングしてもいいだろうが、蹴る方が狙いを付け易い。ハイロウはタイミングを合わせて片足を上げて振りかぶった。そして兎狩ネズミが間合いに入ると同時に振りぬく!
が、兎狩ネズミは直前で跳躍し、足をすり抜けて腹に着弾した。
「ほぶはっ!?」
分厚い辞典を二、三冊まとめて腹に投げつけられたような鈍い衝撃だった。ハイロウは空振りと腹への衝撃が合わさりバランスを崩して尻餅をつく。兎狩ネズミはすかさずマウントをとり、ハイロウの腹を齧りはじめた。
「てめっ!」
急いで兎狩ネズミの体を掴み上げ、投げ捨てようとした。しかし兎狩ネズミは激しく身を捩って手から抜け出す。そしてぽてんと腹に落着してまた腹を齧りはじめた。痛くは無いがくすぐったい。右手の甲を見ると赤ゲージが毒を受けたようにじわじわと減っていた。
横に転がって振り落とそうとしたが、今度は後ろ足でしっかりとしがみ付かれている。それならば、と兎狩ネズミの尻尾を掴んだ。思いっきり引っ張るとチュウチュウと悲痛な鳴き声を上げ齧るのを止める。ハイロウは兎狩ネズミを引き剥がしながら素早く立ち上がり、投げ縄の要領で振り回した。
「うらあ!」
充分に遠心力を加えてから力任せに地面に叩き付ける。追撃で踏みつけようとしたが、兎狩ネズミは素早く起き上がって一目散に逃げていった。ここで逃げられてたまるかと追いかける。
兎狩ネズミの足はハイロウよりも早く、ぐんぐん距離が離れていったが、ある程度離れると突然急停止し、向きを変えて最初と同じように突っ込んできた。これが兎狩ネズミの攻撃パターンらしい。
ハイロウは今度は待ち構えるのではなく、自分も兎狩ネズミに向かって走った。待ち伏せすると直前でジャンプされる。ならば自分からも近づく事でタイミングをずらしてやれば良い。
その予測は当たり、兎狩ネズミは怒りの一撃をまともに喰らって高々と宙を舞った。十数メートル先の草原に落ち、動かなくなる。
倒したようだ。最初の叩き付けが効いていたらしい。
ぐったりしている兎狩ネズミに歩みより、手を当ててアイテムボックスに収納する。
兎狩ネズミの死体(7kg・2mp)×1……サッカーボール大のネズミ。肉食で、兎や鶏などの小さな家畜・家禽を襲う。
妥当な重量だった。しっかりと死体表記されているのが細かい。
それから三時間ほどひたすらカウンターで蹴り殺すだけの簡単なお仕事に勤しんだ。数匹倒すと笛を吹いても現れなくなったので、場所を移動してまた数匹狩る。
兎狩ネズミは虚空から湧き出るわけではなく、草原に点在する巣穴から出てくる。一度巣穴を覗き込みながら笛を吹くと、弾丸のように巣穴から飛び出した兎狩ネズミに顎を強打されてHPを半分もっていかれた。
正午過ぎになり、状態異常に「空腹(軽)」が表示されたためネズミ狩りを切り上げた。わざと攻撃をもらってHPを減らし、回復させて上限を上げる、という行動を挟んでいたため狩ったのは九匹に留まった。攻撃を受けたせいか【防御力】が1.1に、【筋力】は1.2に上がっていた。上昇率が良いのか悪いのかは分からない。
草原を引き返し、プレイリータウンに戻る。宿屋に戻る前に道中採集した薬草を売ろうと道具屋に入ると先客がいた。濃紺のローブにゼンマイのような形の木の杖。いかにも魔法使い魔法使いした姿の長身のプレイヤーが店主と取引している。
ドアのベルを聞いてプレイヤーが振り返った。
「やあ、こんにちは。その格好、君もプレイヤーだよね?」
にっこり笑いかけてきたプレイヤーの顔を見てハイロウは青褪めた。
さらりと癖の無い銀髪に赤青のオッドアイ。高身長。引き締まった体格。中性的な美形。自信に溢れた嫌味のない笑顔。ハイロウは思った。殺す気か。精神的に。
「そうだ、私は今パーティーを募集していてね。こんな右も左も分からない前人未到のゲームだ、協力して事に当たった方が良いだろう? 良かったら君も――」
最後まで聞かずに逃げ出した。
全速力で大通りから小道に入り、走りぬけ、宿屋に転がり込む。荒い息を吐いて床にへたりこむハイロウを見てカウンターでコップを磨いていたハンナが目を丸くした。
「なんだい、どうしたね? ドラゴンにでも遭ったみたいな顔して」
「え? ああ、いや……ドラゴ……うん……あれは……あー……」
「まあ落ち着きな。息切れしてるってこたぁスタミナ切れるまで走ったんだね。何やってるんだか……ホラ」
ハイロウはハンナから水を受け取り一気飲みした。冷えた水を飲んで頭も冷え、冷静になる。ハンナは深く探る気は無いようで、我関せずといった風にまたコップ拭きに戻ったが、いたたまれなくなったハイロウは誤魔化すように別の話題を振った。
「あー、兎狩ネズミ狩ってきたんですけど。九匹」
「おっ、売ってくれるのかい? 助かるよ」
ハイロウはトレードウィンドウを出し、提示された金額に目を剥いた。
「え、まじで? 一匹7cすか!?」
「兎肉ハンバーグ注文した時にゃ1c引いたげるよ。九匹だから九回までね」
「うはっ」
実質一匹8c。8c×9=72c、時給24cだ。
「やだな~、最初っからこっちやれば良かったじゃないですかー。薬草チマチマ採るより断然率良いわ。一匹一匹真心こめて蹴り殺すだけだし」
「ん? ああ、運が良かったんだね。次からは気をつけな」
ニヤニヤするハイロウにハンナがさらりと忠告してきた。
「気をつける? 何に?」
「草原で笛吹くと時々大兎狩ネズミってのが寄ってきてね。兎狩ネズミを呼んで十数匹で寄ってたかって体当たりしてくるのさ。最低でも【防御力】2.0はないと間違いなくなぶり殺しだよ」
ハイロウの笑顔が凍りついた。
「ええええええええ危ねええええ!」
「死ぬとスキル下がるからね。勝てないと思ったら逃げるといいさ」
「そんな楽には稼げないか……ああそうだ、デスペナってスキル低下だけですかね」
「そうだねえ。特にそれ以外には無いね。基礎スキルは1.0以下にはならないから最初は死に放題って考えもできるよ?」
「それはちょっと」
金やアイテムをドロップ・ロストしないのは安心したが、折角上げたステータスの低下は痛い。なるべく死なないようにしよう、と思った。
昼食に兎肉ハンバーグを頼み、午後は職業見学に費やした。命がけで一攫千金か地道にはした金かよりは安定した職業についた方が良い。
まずは武器屋・防具屋の裏手にある鍛冶屋を尋ねた。鍛冶屋はガンガンと金属を叩く音と熱気に包まれていて、入り口で大声を上げると若い青年がタオルで額の汗を拭いながら金鎚を担いで対応に出きた。青年はハイロウをジロジロ見て言った。
「注文か? 一見さんはお断りだぜ。紹介状あるか?」
「いえ、職業見学をさせていただければと」
「……ふーん。【筋力】は?」
「1.2で」
「帰れ」
叩き出された。
門前払いされたハイロウは大人しくその場を去った。【筋力】1.2では見学すらさせてもらえないと分かっただけでも収穫だ。
工房を離れ、裏道を抜けるとプレイリータウンの北側一帯を占める農地に出た。広々とした畑には畝が連なり、果樹が植わっていたり、農具置き場があったりした。数人のNPCが鍬を振り下ろし、水をやっている。
手近な杭に両手を乗せその上に顎を乗せ、ぼんやりと農耕風景を眺めた。
農夫が鍬を振り下ろすと前方数メートルの土が波打ち盛り上がり、一気に耕されていた。そこに種を蒔いたり、肥料らしき土を混ぜ込んだりしている。また別の農夫は揺れる麦の稲穂の前で踊っていた。しばらく踊ると麦の稲穂が光り、別の作物の前に移動してまた踊る。二、三十分踊っていた農夫は一仕事終えた後の爽やかな顔で額の汗を拭い、水筒の水を飲み始める。その農夫が自分をガン見しているハイロウに気付いて寄ってきた。四十がらみの無精ひげの男だ。
「なんでえどうした? 見てて面白いモンでもなかろうが」
「職業見学です。割と面白かったですけど。踊りが」
男はあーあー、と納得の声を上げ、髭をさすった。
「ありゃ収穫量を上げるスキルの豊作の踊りだな。別に楽しくて踊ってるわけじゃねえでさ」
「なる。ところで農業って儲かります?」
「んあー……ま、そこそこってとこだわな。農家は基本出来高払いなんさ。丹精込めて育てりゃ高く売れるし、手ェ抜きゃ売れねえ。普通に働いて一月2gってとこじゃねえか? 農地面積にもよるが一日三時間も働けば喰っていける」
「ほー!」
一日の拘束時間三時間で一ヶ月2gは美味しい。大体時給22cだ。空いた時間で副業をすればもっと儲かるだろう。見ている限り農作業はそれほど大変そうには見えなかったため、ハイロウは喰いついた。
「おっ、その顔はやる気だな? 農業やるなら土地貸すぜ」
「おお! お願いします!」
「手付金1gな」
「ごめんなさい出直します」
げに哀しきは資金難。泣く泣く農業も断念した。
次に向かったのは訓練所だ。武器や場所を借りて案山子相手に練習したり、訓練官に試合を挑んだりできる。プレイヤー同士の戦い、PvPは専らここかフィールドで行われる。町中でもできるにはできるが、一瞬で騒乱罪で捕まる。
特筆すべきはここでモンスターハンターというモンスターを狩る職業に就ける事だ。モンスターハンターは毎月決められたノルマ以上のモンスターを討伐するだけの職業だ。モンスターとのバトルをこなせば自然にスタータスも上がっていくため、バトル指向のプレイヤーにとっては安牌な職と言える。
ハイロウは入ってすぐの受付カウンターにいたパッとしない眼鏡の中年職員に尋ねた。
「すみません、モンスターハンターについての職業説明をお願いしたいのですが」
「えー、はい、職業説明ですね。えー、モンスターハンターはですね、えー、その名の通りモンスターを狩る職業です。えー、ゲーム時間で一ヶ月毎に決められたノルマ以上のモンスターをですね、えー、狩って頂きます。えー、最低で一ヶ月200mpですね。mpというのはですね、えー、ご存知かも知れませんが、モンスターやアイテムに設定されている魔力量でして、えー、レア度や強さの指標となるものです。えー、狩ったモンスターの死体は訓練所に納品してもらうのですが、えー、その合計が200mp以上になるのが最低ノルマというわけですね。えー、最低ノルマで2g、2000mpで10g、10000mpで30gと給料は上がっていきます」
「ふむ。ノルマ達成できないとどうなるんですか?」
「えー、クビです。二度とモンスターハンターにはなれません」
職員は一本調子で淡々と言った。ハイロウは顔をしかめる。ゲーム内の時間の流れは現実の四倍。一ヶ月を三十日と考えると、その内四分の一しかログインしていられないため、実質七日弱で200mp分のモンスターを狩る必要がある。兎狩ネズミなら百匹を狩れば良く、三時間で十匹と計算すれば三十時間で済むが、ハンナが警告したように大兎狩ネズミが出る可能性を考慮すると達成できるとは言い切れない。
ノルマを達成できれば復職不可というのも不安材料だった。就職したその月にクビというのも有り得る。そうなるとNPC達のハイロウに対する心象は悪化するだろう。入社早々最低限の仕事の納期を超過するようなものである。無職のままというのも心象は良くないだろうが、稼いでいない訳ではないので一応はフリーターだ。
「厳しいなあ……」
「えー、はい、規則ですので」
結局モンスターハンターも保留にした。他にもっと良い職業があるかも知れないと思ったのだ。
しかしその後も大工や薬師、商人などの職業見学をしたが、基礎ステータスが不足していたり、拘束時間が長かったり、労力の割に給料が少なかったり、プレイヤーなんぞ信用できるかと門前払いを喰らったりしてどの職にも就く事は無かった。
「選り好みしなければいいのに。全てに満足できる職業なんて無いですよ」
夕方、すごすごと宿に戻ってきたハイロウの顔を見て結果を察したケティがお冷を渡しながら呆れたように言った。
「おいおい、就職は慎重にって言ったのはお前だろ?」
「そうでしたっけ?」
「そうでしたよ。ま、ネズミ狩りと薬草採集で食っていける事は食っていけるからな。また基礎ステータスが上がった頃に就活するさ」
あくせくする事は無い。どこまで行ってもゲームでしかないのだから、気楽にやれば良いのだ。
ハイロウは肩をすくめ、一日の終わりの夕食を注文した。