うん、ちょっと黙ろうか。
ご自由に突っ込んでください。
外から差してくる日差しが心地いい。
窓越しに空を見上げると、雲一つない晴天だと気付いた。
どこからか吹いてきた風が、髪をそっと揺らす。視線をめぐらせてみると、教室の前の方の窓が開いていた。その前では新しいクラスメイトが数人、各々の話に花を咲かせている。
教室の最前にあるのはまだ使われていない、綺麗な深緑色の黒板だ。
新学期が始まって最初の朝。始業式の始まる前。春休み明けのこの独特の雰囲気は、何ともいえないけれど、とにかく柔らかくて僕は好きだ。
机に肘を乗せたまま頬杖をついていた僕は、ぼんやりと眺めていた青空を心に焼き付けるように目を閉じた。
再び吹いてきた風に髪がもてあそばれるのを感じつつ、口元に笑みを浮かばせる。
あぁ、なんてうららかな春の一風景だろう。
――その時突如として、教室の扉を全力で開けた音が聞こえなければ、完璧だったのに。
「おっはよー! まさ――ふげっ!」
「おはよう雅史くん。今日もいい天気だね!」
「おまっ、今足引っ掛けただろ! 顔面からいきそうだったじゃねぇか! つーか俺じゃなかったら確実に地面とキスしてただろーが!」
「そのままキスでもなんでもしてればよかったじゃない。むしろどうしてしないの? 教室の床があなたの熱烈な抱擁を期待してるよ?」
「してねぇよ! むしろ全身にお断わりの視線を受けてるよ! 俺が手をついて床に倒れこまなかったことに感謝されまくりだよ!」
「うっわ、床を擬人化した上視線とか感謝とか……引くわー」
「いやお前から言い出したことだろ!? なんで俺が引かれてんだよ!」
「………え?」
「え、て………え? なんでここでそんな可哀想な奴を見た、みてぇな目されなきゃいけねぇんだ?」
「……頭、大丈夫?」
「お前がな!」
あー……うるさい。
突如として現れた二人組は、現れた瞬間から教室中に騒音を撒き散らした。そのせいでほら、さっきまでの心地いいざわめきが聞こえない。すっかり静かになっちゃってる。
教室中の注目は、今や登場した二人組に向けられていることだろう。そして二人組は、その視線を気にも止めないでひたすら言い合いをしているに違いない。まぁ、わざわざ確認する気もおきないけど。どうでもいい。
僕は頬杖を解かないまま、再びぼんやりと窓の外を眺めた。視線の先にある桜の木が、ちらほらと花を咲かせ始めている。もうしばらく待てば満開かな…? 花見したい。どっちかというと花より団子派だけど。
そんなことをつらつらと思いつらねていた僕には、教室内の騒音も、もはや意味をなさないBGM同然だ。
春の暖かい日ざしが、窓ぎわである僕の席に直に当り、どうしようもない眠気を誘う。
眠いな。寝ようかな。
春はどうも眠くて困る。でも好きだ。
春のうららかな日差しが導くままに、僕はそっと目を閉じた。
……しあわせ。
と幸せを満喫していた数秒後、いきなり背中に圧力がかかってきた。と、同時に頬杖がずり落ちて、そのままの勢いで机に額を強打する。
「無視すんなよー雅史ーおはようって言ってんだろー」
「……」
「いってぇ! なんで無言で殴ってくるんだよ香奈! 怖いから止めろ」
「うるさい。早く離れろよ馬鹿。雅史くんに引っ付くとか……妬ましい」
「こっわ……へっ、いーだろ。お前はこんなことできないもんな? 存分に羨ましがればいいさ。まぁ、だからといって雅史は離さないけどな!」
「……うざ」
「ってぇ! 蹴るなよこの暴力女!」
「なに? 無知で低能な平凡にすら達することのできない単細胞生物もどきが、私に口で勝てると思ってるの? どこまでもおめでたいんだね」
「……うわーん雅史ー、香奈ちゃんが僕をいじめるよー」
「気色悪……違うよ雅史くん。ただちょっとこの人弄りがいがありすぎて――あ、これも違うか」
「え、ちょ、おま、そんなふうに思ってたのか……!?」
背後でかわされるマシンガントークを聞き流しつつ、鈍い動きで机についていた顔を引き剥がす。
じんじんと次第に増していく熱を額に感じて、僕は眉を寄せつつそこを押さえた。
地味に痛い。
「雅史ー、まーさーしー。聞いてるー?」
「……」
そう言いながら後ろからぎゅうぎゅうと締め付けてくる力を感じて、眉間のしわが深くなる。
さっきまで、背中に寄りかかられていただけだったのに、いつのまにか腕が身体に巻き付いていた。
なにがしたいんだ、こいつ。
「……なんだよ」
僕はめんどくさく思いながらも口を開いた。
それに対する食い付きは、想像以上によかった。
「え、雅史ちょっと不機嫌? まじか。やべぇ、俺殺されるかもしれねぇ」
「え、やった。ついに司が。このうるさい司の声を聞かなくてすむんだ。でもそう考えるとちょっと寂しいな。うん、最期の言葉ぐらいは聞いてあげるよ?」
「…お前…地味に傷つくからやめろよな……」
「……」
……寝ようかな。
迫りくる睡魔に身を任せる。さっきは頬杖をついていたせいで額を思い切り打ち付けたので、今度は大人しく机に伏せることにした。すぐそばで聞こえる話し声はBGM……いや、いっそ子守唄にしてしまおう。
日差しが暖かい。眠りに誘われる。
すぐそばの声さえ子守唄にしてしまえば、後は話す人がいないため、睡眠には最適だ。
さっきはさっきでざわめきが心地よかったけど。……あれ、何で今は静かなんだっけ……ああ、こいつらがうるさい、からか………
徐々に意識が遠退いていく。春の温もりに包まれながらゆっくりと微睡むのは、僕にとって至福の一時だ。
やっぱり春はいい。これほど睡眠に適した季節はない。
ふんわりとした思考。しだいにそれも薄れていく。そんな、僕が本格的に眠りに落ちる一歩手前で。
「え、ちょ、――寝るな雅史!」
耳元で大音量で叫ばれたりしたら、さすがに僕でも眠気が吹き飛ぶ。
「――チッ」
「え? 舌打ち? 雅史舌打ち?」
「なんだよ。用件さっさと言って帰れよ。くだらないことだったらただじゃおかないからな」
「え、……え?」
イラつく。
揺すられて起こされるのならまだ許せるけど、こういう起こされ方は物凄く不愉快だ。
睡眠を邪魔されただけでも嫌なのに、今のでせっかくあった眠気が全部飛んでしまった。春は眠るためにあるようなものなのに。始業式が始まったらずっと寝ていようと思ってたのに。このままだと真面目に起きてないといけないじゃないか。
しかもこいつ、今ので邪魔したの二回目だし。
「さっさと言えよ。人の睡眠妨害するなんて、余程の理由があるんだろうな?」
「え、と、その………ははは」
「なに」
「え、と、ほら、雅史と話したいなー……なんて」
「……へぇ?」
「だ、だって春休み中全然会えてなかったじゃねぇか! だから教室でお前見たら、つい――」
「うん。分かったからちょっと黙ろうか」
意図的ににっこりと笑みを浮かべると、司は一歩下がって僕と距離をおく。残念ながら僕は椅子に座っているため距離をつめることはできない。なのに僕が司の目をじっと見つめると、司はまた一歩下がった。顔色が真っ青だ。
なにをそんなに怖がる必要があるんだろう。ただ僕がちょっと怒っただけじゃないか。
「司」
僕はにっこり笑いながら立ち上がった。とたんに司の肩がびくりと震える。
「今すぐかえれ。あそこから」
それを見てから、僕は窓を指差した。
「……え、あの、雅史さん?」
「なに」
「ここ、三階ですよね?」
「だから?」
間髪入れずに返すと、司は数秒間呆然とした後、物凄く焦りだした。
手を意味もなく体の前で振っている。挙動不審だ。
「いや、無理! 無理だって! 二階なら辛うじていけそうだけど、三階は無理!」
「やれるやれないじゃないんだよ。やれっていってんの。お前が出来ないんなら僕が突き落としてやる」
ため息をつきながらも近くの窓を全開にすると、悲鳴が上がった。
「ほ、本気だよこいつ! 目がいつになくマジだ! 何この子超怖い! 鬼畜! 助けて香奈ちゃん!」
「……いや、無理かな」
「香奈ちゃぁぁぁん!」
うるさ。
思わず眉をひそめると、それをきっかけにしてか、はたまた司の迷惑な大声のためか、今まで静観してたのか硬直してたのか判断のつかないクラスメイト達が騒ぎだした。
「お、落ち着けよまさし君!」
「そ、そうだよ早まるな! ちょっと深呼吸してみようか!?」
「えっと、まさし…くん? やりすぎじゃないかな…?」
と言うようなことを、何故か、僕に。ほぼ全員が僕を下の名前で呼ぶのは、新学期になったばかりで僕の本名を知らないせいだろうけど、主に司が僕の名前を呼びまくったせいだろうけど、……なんか釈然としない。
僕はこの上もないほど落ち着いているんだけど。なぜみんなそんなにも僕を宥めようとするのか。むしろみんなのほうが焦ってるよね。
「大丈夫だよ。ちょっとこいつが調子に乗っていたことを思い知らせてやるだけだから」
できるだけ柔らかく言ったつもりだったのに、クラスのみんなは全然落ち着いてくれなかった。
「だ、だめだこいつ……!」
「早くなんとかしないと……って違うわ!」
「なにネタ披露してんの! そんな場合じゃないでしょう!?」
「と、とりあえず逃げろ!」
「そうだ! えっとそこの何とかさん、逃げろとりあえず!」
今日出来たばかりのクラスなのに、みんなが一致団結している。珍しいこともあるものだ。
なんてしみじみと見ていたら、みんなの視線の先にいる司は、若干涙声になっていた。
「いや、逃げるのだけは無理なんだ……。もし逃げたりしたら次会ったとき何倍にもなって返ってくるんだ……。今逃げたら俺、雅史に生きたままのサソリを食えとか言われちまう……」
「あ、それもいいかもね」
「「「えええええええ」」」
異口同音に同じ言葉を発するクラスメイト達。本当に珍しい。
というか、今の文脈で「えええええええ」とか言う要素あったかな?
「だから俺……逝くよ。……ありがとうな、みんな!」
「ちょっ、今“いく”が不穏な言葉に聞こえたんだが!」
「え、マジか? マジなのか!? やめろ! 思い止まれ!」
「三階だよ!? ここ三階だから! 無理でしょ常識的に考えて!」
「いや、大丈夫だ。今なら俺、飛べる気がするぜ!」
「……」
……なんか、すごく…茶番を見ている気分になってきた。
ため息を一つついて、足を踏み出す。そのまま少し涙目になっている司のそばまでくると、その腕をとってぐいと引っ張った。
「え、ま、雅史さん?」
「覚悟出来たんだろ? ならさっさといけよ」
「え、今感動の場面――」
「必要ないから」
「ほ、ほんとに本気ですか? いや、むしろ正気ですか?」
「冗談は言わないのが僕のポリシー……正気ってなんだよ」
「今ばかりはそんなポリシーいらねぇ……あとそこは深く突っこむな」
司を全開にした窓のそばまで引っ張っていく。そこで少し勢いをつけながら離すと、司は数歩たたらを踏んだあとに窓から顔を出して地面をじっと見つめた。そのまま何となく待ってみる。
五秒経っても司は地面を見つめたまま。
十秒経っても司は地面を見つめたまま。
二十秒経って少し頭が上下に動いたのが見えた。
三十秒目でふと思いついたように空を見上げている。
四十秒目でまた動かなくなった。
五十秒目で動かな……っておい。
「いつまでやってんだよ」
「いや、今ちょっと走馬燈が見えてて。ほら、今五歳のときの幼稚園の遠足の場面だからもうちょっと――」
「遅すぎるだろ」
どれだけ鮮明に幼少期の記憶思い出してんのこいつ。
「……いいよもう」
「まじで!? ありがとう! おまえほんといいやつだな!」
「そんなに怖いなら僕が突き落としてやるよ」
「今度なんか奢ってやるからな! って、え……――」
司の目の前まで歩を進めて、少し高いところにある司の目に僕の目を合わせる。司の顔からは冷や汗らしきものが止めどなく溢れていた。……こんなに冷や汗を流す人、初めて見た。
目を合わせながらさっきと同じように口元をつり上げてみせる。目の前からひくりとのどを鳴らす音が聞こえた。
「歯、食いしばれよ?」
と、目の前にある司の上半身を思いっきり押した直後。
キーンコーンカーンコーン
チャイムが鳴った。
そしてそれが鳴り終わるか終わらないかのタイミングで、絶対廊下でスタンバってただろうと言うタイミングで教師が入ってきて。
「おーおまえら席つけ-。つーかどうしたんだ、そんなにみんなで一カ所に集まって……っておまえらなにやってんだ! 危ないことしてんじゃねぇよ! さっさと席戻れ!」
と、学校で割と有名な不良教師に怒鳴られた。
ちなみに司は両手で窓枠を掴んでいて落ちていなかった。
そういえば始業式の前にSHRなんてあったな。
ふと思い出してさっきの無駄に長い走馬燈は完璧に時間稼ぎだったと悟る。
思わず少しも心中を取り繕わないままに目の前の司を睨みつけていた。
心にわだかまったもやもやが全然晴れない。
完全に不完全燃焼だ。どうしてくれよう。
「……司」
「いや、ごめん。まじでごめん。でも俺も命は惜しいんだ」
「……」
「……」
周りに集まっていたクラスメイトたちが少しずつ席に戻っていく。それを視界の隅で捉えながら依然司を睨み続けていると、顔がだんだん強ばってきたのでさりげなく視線を外して盛大にため息をついた。
なんかもう……いいや。
「司」
「……お、おう」
「今度なんか奢れよ」
「え……お、おう!」
「とびっきり高いの奢ってもらうからな」
「え……出来れば俺の財布事情も考慮してもらえると――」
「知るか」
司に奢りの約束を取り付けて、僕もみんなの流れに乗って席に戻る。と言ってもすぐそこだけど。
担任になったらしい不良教師の連絡事項を聞き流しながら、僕は頬杖をついてまた外を眺めた。
ちらほらと花が咲き始めた桜の木を見て思う。
少ししたらクラスのみんなで花見でもしたらおもしろいかもしれない。
超突発ものです。構想? え、そんなのあったっけ?
そんな状態なので、当然のように書いていくうちに方向が百八十度変わりました。え、なに、こんなんでいいの?
ネタ古かったらごめんなさい。
キャラ設定↓
雅史:究極の自由人。昼寝大好き。
香奈:口達者。雅史らぶ。
司 :お調子者。雅史らぶ。
↑が、なけなしの 初 期 設 定 。
香奈の出番が全くなかった。上から二番目なのに。
あと、“らぶ”は恋愛的なあれじゃないです。愛してる的なあれじゃないです。大好き的なあれです。なんだあれって。
あり得ないほど書きやすかったです。
気が向いたら続編書くかもしれません。気が向いたら。
2012.4.14 ほんのり修正




