第1話 宴会と別れ
既に日は登りきりほぼ真上に位置しようかという程である時間だがクロエは未だに床の中でぬくぬくと安眠を貪っていた。
時はクロエとシロがこちらの世界へと転移してから半年もの月日が流れていた。
クロエ達はこの玉藻が統治する妖狐族の里についてからというものも言語習得と自己鍛錬、この里での農作業や妖狐族の若者達への訓練などをしながら日々何事も無く過ごしていた。
そしてこの玉藻が住むお屋敷の一室を間借りして寝泊まりしているクロエであるが、その部屋の襖の前へと身軽な足音が近づきそこで停止する。そのまま一拍を置き襖の前からロキス語で中のクロエへと声がかけられる。
「クロエさん、お目覚めになられましたか?」
しかし昨夜の酒盛りで呑み過ぎてしまい未だに起きる気配が毛程もないクロエである。ややためらうかのような雰囲気の後、襖が横へと静かにずれそこから綺麗な白髪をした少女、葛葉が部屋の中を伺うように顔を出すのであった。
「クロエさん? まだ寝てるんですか?」
そう言い極力足音を消して未だ布団の中で爆睡しているクロエの元へと近寄る葛葉。しかしクロエは起きる気配が全然ないままであった。
「クロエさん、もうとっくに日が登ってますよ」
布団にくるまっているクロエを揺すりながら声をかけるも微動だにしないクロエの瞼であった。この世界の時間は48時間で1日となっている、つまり朝方まで飲み明かしていたとしても既に12時間以上寝ているのでクロエは寝過ぎなのであるが。
「うー、玉藻様に呼んでくるように頼まれたのに」
そういい涙目になる美少女は凄まじく情欲をかきたてるものであったが向けられている当の本人はもったいない事に未だに寝たままであった。
しばしの間クロエを起こそうと優しく揺すっていた葛葉であったが10分もその行為を繰り返し起きる気配がないクロエに呆れつつ玉藻にそのように報告をすべきかと立ち上がると丁度この部屋へともう1人の来客者が訪れるのであった。
「あれ? 葛葉ちゃんこんな所でなにをしているんだ」
その人物はここ妖狐族の里の住民が身に付けているような簡素な和装で身を包んだシロであった。
「シロさん、丁度いい所に」
「あー、何だ。クロ先輩がまだ惰眠を貪ってるのか」
そういい呆れた表情になりつつ葛葉が寄り添っている布団の側まで近づくと確かに未だに爆睡したままのクロエがそこにいる。
枕元で会話している人が居るにもかかわらず起きないクロエは豪胆なのかあるいは馬鹿なのかわからないが、確かにこの人を起こすのは厄介だと大学時代を思い出し頭をかくシロであった。
「葛葉ちゃん、クロ先輩起こすからちょっと離れてもらっていいかな」
そういい葛葉をクロエの側から遠ざけつつシロはクロエへと人差し指を向けスキルのワードを呟くのであった。
「<エアハンマー>」
魔法触媒を持っていないため威力はそこまでないが空気の塊を敵にぶつける中級スキルの<エアハンマー>がクロエの無防備な腹へと突き刺さる。
「ぶふぉえあ!?」
カエルの潰れたかのような声を上げつつくの字に折れ曲がるクロエをビックリした面持ちでシロと交互に見やる葛葉。
「だ、大丈夫なんですかこれは」
「平気でしょう、これも既に何回もやってますしね」
そんな事をシロが話している間に苦悶の表情で咳き込んでいたクロエがシロへと非難の視線を向けつつに起き上がる。
「お前さすがに酒呑んで寝たんだから腹への攻撃はやめろよ! 朝からえらいことになるだろうが!!」
「だったらとっとと起きてくださいよ、第一こんな美少女に起こされて、起きないとかオタクの風上にも置けませんよ」
「ぐぬぬ」
美少女などと言いながら葛葉の頭を撫でているシロとそれを恥ずかしそうにされるがままにされている葛葉を悔しそうに眺めるクロエであった。
「ってこんな事してないで、玉藻さんが呼んでましたよ」
「そうでした、私もそれで起こしに来たんでした」
そこでようやく気づいたかのように葛葉もまたクロエへと要件を告げる。
「クロエさん、玉藻様がお話があるので来てくれとのことです」
「なんだ珍しい、あいつが要件ある時は自ら俺を起こしに来るってのに」
そう言い首を傾げるクロエであったが、行ってみればわかることかと考え、着替えを始めるのであった。
◆◇◆
玉藻の執務室へとシロと共にクロエが赴くとそこには珍しく玉藻以外の人物が室内に存在していた。
その人物の見た目はまさに翁であった。服こそ他の妖狐族と似たり寄ったりの和装であったが若い見た目の者が多いこの里では異端なほど年老いた顔つきをしていた。
そしてまた彼の腰には驚くべきことに尻尾が葛葉の5本よりも多く7本も存在していたのだ。
「おや、これはこれは」
そう言い、くすんだ金髪の間から見えている細長の目でクロエとシロを品定めするかのような視線を走らせるも、それはすぐに霧散してしまう。
「なんだ爺さん、俺達の実力がそんなに気になるか?」
「ほっほ。はて、なんのことやら」
ニヤリと笑いつつ翁へと話しかけたクロエであったが、翁もまた惚けたかのように返答するだけに終わる。
「こら源蔵、貴方も歳なんですからもう少し落ち着きなさい。クロエ様も挑発しないでくださいな」
「ほっほ。玉藻様に歳の事を言われるのは心外ですが、確かにかの御仁とワシでは実力差がありすぎるみたいですの」
そういい好々爺の如く笑う翁であったがその瞳は闘志の炎に燃えていたのはここにいた全員が知る所であった。
「で、結局何で俺達を呼んだんだ?」
「そうでした、以前話しましたがこの翁が行商をして里に足りない物資などを購入してくる役割を担っていた源蔵です」
「ああ、この里で玉藻さんの次にLvの高い人のことですか」
「てことはだ、ついに出発の時って事か」
それはクロエと玉藻が戦った時の話であった。クロエに完敗を喫したことで玉藻はまたクロエの元で修行をつむことを決意するものの現在この里にはLvの高いものがそれ程存在していないとのことであった。
葛葉はLv280に達してはいたがまだまだ未熟でありとても里の管理をさせるわけにはいかないとのことで、言語習得までの時間も結構かかると考え行商の旅へと出ている7尾の源蔵が帰還するのを待つとの話であったのだ。
「何だかんだでこの里に半年もいついちゃいましたからねぇ」
「まぁここは日本を彷彿とさせるものが多かったからな」
そう言いつつしみじみとするクロエ達であった。
「けど玉藻を連れて行っちゃって本当に大丈夫なのか? 源蔵が行商に行けないと物流面で困ることもあるだろ」
「なに、そちらは大丈夫じゃ。これでも7尾の源蔵と呼ばれてますからの、Lvも470ありますからな。行商もワシはそろそろ引退して葛葉達若者へ行かせようと考えていたところだからの」
「ええ、なので私が居なくても里は平気でしょう。それに私もほとんど隠居していたものですからね」
苦笑を混ぜつつ2人はその様に述べるのであった。
「んーじゃあ出発日はいつにするか」
「俺達はいつでもいいですよ、あくまで居候ですから」
「そうですね、今日一日もあれば大丈夫だと思います」
少し考える仕草をしてからそう答えるを返す玉藻。
「じゃあ明日出発って事でいいですかね?」
「いいんじゃないか? じゃあ今夜は宴会ってことにするか!」
その言葉にシロは呆れつつ、また玉藻は優しい目になっているがクロエの知る所ではなかった。
「まぁこの半年で仲良くなった人も居ますし反対はしませんよ反対は」
今夜も呑むぞ、などと戯けた言葉を残しつつその場は解散となるのであった。
◆◇◆
「かんぱーい!!」
既に今夜何度目になるかわからない乾杯の音頭が取られる。
妖狐族の里へと連れられて来られた日に通された御簾がある大広間には100人近い妖狐族がところ狭しと座り込み各々が持ち寄った酒や料理を堪能していた。
この部屋以外にも同じ規模の部屋が3つ程ありほぼ全ての妖狐族がクロエやシロ、またここの長である玉藻の旅立ちを祝し大宴会を開くこととなったのであった。
「っはっはっは! 酒持って来い酒!」
そういい猪口があるにも関わらず枡のまま日本酒と同じ製法で作られた酒をかっくらっているのはクロエである。昨夜も呑み明かしていたにも関わらず今日もまた呑んでいるのは、元の世界でも大酒くらいだったクロエはこちらに来ても健在のようであった。
ここ妖狐族の里は桜花がそうであるようにゲーム時代の流れをそのまま継いでいるのか、米っぽいものや醤油やら味噌など日本では当たり前に存在していた調味料などが存在しているため非常に和風な飲み会と相成っていた。
「まったく、昔からクロ先輩はこれだから……っと有難う御座います」
行儀よく猪口についだ酒と料理をチビチビとやりつつ、猪口が空になると横に座っていた妖狐族の女性が頬を赤らめつつも酒を注がれているのはシロである。
「ふふふ、ですが種族を気にせずにああやって盛り上がれるのは素晴らしいことですよ」
そう言いつつ優しい目でクロエを見やっている玉藻である。手元にはしっかりと猪口が握られている。
「おっとっと、玉藻さん猪口が空いてましたね、すいません」
お盆の上にある徳利を手に取り酒を玉藻の猪口へと注いでいく。
「あら、有難う御座います」
そう言い猪口を両手で持ちチビチビと舐めるように呑む。そして視線をクロエの方へと向ければそこではクロエへと葛葉が勝負を挑みかけていた。
「クロエひゃん! 勝負れす!」
既に呂律も怪しい状態ではあるが妙に座った目でクロエを見やり、そして右手には枡を握り締めている葛葉であった。
それを受けクロエもまた挑発するかのように葛葉へと返事を返す。
「はっはっは! まだまだお子ちゃまのお前に負けるクロエ様ではないわ!」
「にゃにおおおお!」
そう言いまだ開けたばかりの酒樽へと近づき升一杯に酒を掬い取り、そして葛葉は酒を盛大にこぼしつつも一気飲みするのであった。
それを受け、観衆は大いに盛り上がる。普段であればここまで乱れる事のない葛葉が乱れている貴重な姿という理由も多分にあるのであったが。
「いい飲みっぷりじゃねぇか葛葉! 負けちゃいられんな!」
手に持っていた一升枡をお盆に置きクロエはそのまま何を思ったのか五升枡へと手を伸ばす。そして呆れることに五升枡で酒樽から酒を掬い出し一気飲みするのであった。
「しょれなら私だっれ!」
そう言いクロエが陣取っている酒樽とは別の酒樽まで寄っていく葛葉、そしてあろうことか彼女はそのまま頭を酒樽の中に突っ込む。
「うお、ちょっ。それは流石にまずいだろ! おいお前ら笑ってないで助けてやれよ!」
暴走した葛葉を助け出しつつ尚も酒を呑んでいるクロエであった。
そしてそれを遠目に見ていたシロと玉藻であったがシロが呆れつつ言葉をこぼす。
「どうせそこまで酔ってないんでしょうけど、それ以上にあの水分をどうやって胃に入れてるんですかあの化物は」
「本当にあれはどうやって呑んでいるのでしょうね。あと葛葉も今夜は無茶をしますね」
「しばし玉藻さんとお別れですし寂しさを紛らわしてるんじゃないですかね」
「そうかもしれませんが、あれでは今夜の記憶は飛んでそうですけどね」
そう言いつつ微笑んでいる玉藻であった。
そしてその様にして葛葉は早々に潰れてしまったもののこのクロエによる狂喜乱舞の宴会は夜が更けるまで続くのであった。
◆◇◆
まだ外は日が昇っておらず暗いままであったが、あと4時間もすれば日が昇るであろう時刻まで宴会は続いたのであった。
そして現在宴会場に使われていた大広間は死屍累々の状態となっていた。
アチラコチラで妖狐族の若者達が酔いつぶれ唸るように寝ているのである。そして現在起きているのはそんな彼らを優しい目で眺めている玉藻と未だに枡で酒を煽っているクロエと何やら話しているシロと源蔵だけであった。
「宴も酣ってな、玉藻もう1杯どうだ?」
そう言い枡ではなく猪口を玉藻へと差し出しつつ話しかけるクロエ。それを受け取りクロエの横へと腰を下ろす玉藻であった。
「では、失礼して」
徳利から注がれる酒を猪口で受け止めそしてそれをまた舐めるように呑む。そして枡に入っている酒をまた一飲みするクロエである。
「それにしても酒がうまいな。それでもパッシブの<毒抵抗>で酔えないのはつまらんけどな」
「やはり酔っ払ってはいなかったんですね」
肩をすくめつつ話すクロエに薄々感づいていた事を述べる。
「まぁでも雰囲気には酔えるからな」
「そうですね、あんなにはしゃいでいる葛葉は初めて見ましたよ」
そう言いつつクロエと葛葉の一気飲みを思い出したのかころころと笑う玉藻であった。
そんな和やかな雰囲気のまま決して不快ではない沈黙がしばし振りかかる、そして何事か一区切りつけたのかクロエが唐突に立ち上がり玉藻へと視線を向けるのであった。
「玉藻、本当に俺らに付いてくるんだな?」
「はい、私は昔と同じでクロエ様、貴方にどこまでも付き従います」
真摯に答える玉藻を見やりクロエもまた何かを決めたのか唐突に装備を呼び出す。
光に包まれてクロエの左手に出現したのは赤色の装飾を施された鞘に入った刀であった。
「クロエ様、それは?」
「これは俺が黒刀を使う前に使用してた刀だ、名は火之迦具土」
そう言い刀を鞘から抜き放つとその赤みがかった波紋のある刀身を中心に温度が上がる。
「まぁ早い話が炎属性の刀だ」
手に持っていた枡の中身をすべて飲み干し空にした後それを空中へと放り投げる。それと同時に神速の斬撃が枡へと叩きこまれ、枡を細切れにするのであった。
そしてあろうことか細切れになった枡は空中で発火し跡形もなく枡は燃え尽きた。
「まぁこんな感じだ」
刀を鞘へと戻し、そしてそれを玉藻へと差し出す。
「一応Sランク級の武器だ、これをお前に渡しておく」
恐れ多いものでも触るかのように恐る恐る炎刀へと触れる玉藻、彼女の手に渡ったのを確認するや自分から手を離しゲーム時代であれば譲渡をした事になる動作を行うクロエであった。
「これで恐らく玉藻の物になったはずだ」
「有難う御座います。この炎刀にて必ずやクロエ様のお力に」
「そう畏まらんでもいいけどな」
そういいこれまでの真剣な表情を崩し、またそこらに落ちていた枡へと手を伸ばすクロエであった。
「あ、あと爺さんちょっといいか?」
「なんじゃ?」
シロとずっと談笑していた源蔵であったがここでクロエに呼ばれこちらへと意識を向ける。
「いや、葛葉にも装備を残していこうかと思ってな。玉藻に渡した炎刀ほどではないがAランク級装備でも渡そうかと」
と、そこでクロエの声に反応してこちらを見たシロが玉藻の手元にある炎刀を見て言葉を漏らす。
「ありゃ、火之迦具土なんて懐かしいものをよく持ってましたね」
「なに、俺の原点だしなずっと武器変更マクロの中に登録してあったのが幸いしたよ」
そう言いシロへと返事を返す。火之迦具土はクロエが初めて手に入れたSランク級の固有武器であり死線を共に掻い潜った愛刀でもあったためシロは若干の驚きも含んでいた。
ここで述べている装備のランクとはLv100の標準プレイヤーが装備する物がおおよそAランク級でありSランク級ともなると運営側の行うイベントなどの商品であったりするのである。ちなみにクロエの装備している黒衣と黒刀やシロの白銀鎧と聖剣はExランク級というぶっ千切った性能を持っているというのは余談であろう。
「して、葛葉へと渡す武器とやらはどれなのかの」
「これだこれ」
そしてまたクロエの左手へと装備が光に包まれて出現する。今度は綺麗な桜色の装飾を鞘に施された刀が姿を表す。
「ほう、綺麗な刀じゃの」
「まぁこっちはそこまで強い装備じゃないが、まぁ黒刀とやりあっても簡単には折れないだろう。ちなみに名は卯月だ」
先程玉藻へと行ったようなやり取りで源蔵へと卯月を渡す。等級の低い装備なら一度こちらの世界の住民へと渡ってしまえば恐らく所有権は有耶無耶になるであろうと予測しての行動であった。
「じゃあこれを葛葉が起きたら渡してやってくれ、どうせ今日一日は起きれないだろうしな」
「ほっほ、確かにあれだけはしゃいでおったら今日一日は無理というものじゃ」
玉藻と同じような事を言うものだなと苦笑しつつ受け渡すクロエであった。
「じゃあこんなものかな、シロは何かあるか?」
「これといっては特にないですね」
「あれだけ妖狐族の女の人たちに詰め寄られてたのに薄情なもんだな」
「そうですよ、私の部下でもある女中達にあんなに詰め寄られていたのにそれはひどいのではないですか?」
ニヤニヤとしつつクロエと玉藻がシロに尋ねる。
「あんたらわかっててやってるでしょうが……」
そう言いつつため息をつくシロを見て更に笑を深くする2人であった。
「まぁ最初に遭遇した人が妖狐族でよかったかよ、最初こそ薙刀やら刀をつきつけられて葛葉にゴミ虫言われたが」
「そういえばそうでしたね」
思い出し笑う2人。ちなみにクソ虫騒動については葛葉へと話、意味を教えたので恐らくもう間違える事はないであろう。あの場面でクソ虫とクロエ達を呼んだのは過去に玉藻が人族の使者相手に言い放った言葉であり、クソ虫が人族を古代語で言い表すものだと勝手に勘違いしたとのことであった。
「じゃあ、とりあえず今日は夜明けまで仮眠を取るとしよう。夜明けと共に出発という事で平気か?」
「了解です」
「わかりました。では源蔵。私はクロエ様について行きますので里の事くれぐれもお願いしますね」
「ほっほ、わかっておりますとも。この7尾の源蔵、玉藻様が帰ってくるまで里を守りぬいて見せますからの」
他に何もない事を目で確認しクロエは宴会最後の締めを行うべく声を出す。
「じゃあ今日の宴会はこれで終了ということで、一本締めといくか」
そう言い、まだ夜中の大広間にて4人分の一本締めの音が響くのであった。
誤字・脱字、不明な点やアドバイス等ございましたらお願い致します。