第1話 黒龍ファブニル
そこは不思議な空間であった。
標高こそ10000mを超えている山であったのだが、ここ山頂部は通常の山の形としては決定的に違う点が存在していた。
この原始の山は常に分厚い雲がかかっておりどこからも全貌を見る事はかなわないのだが、もし雲が晴れて山頂部を見ることが出来たら誰もが唖然とするであろう光景である。
通常の山であれば程度差こそあれ山とは山頂が尖っているか、またはなだらかな傾斜となっているはずである。しかし、この原始の山はあろうことか山頂部を剣か何かで真横に斬ったかのような不自然にまっ平らな山頂となっていた。この原始の山の全貌を遠くから見ることが適えば、おそらく綺麗な台形の形をしているであろう事は容易に想像が出来る。
そして、そのような山頂部の戦闘フィールドの中央付近に小さな光の塊が唐突に出現した。
光は決して弱々しいわけではないが、ふらふらと揺らめきつつ力尽きる場所を探すかの様にとある一点へと向かって下降していく。
そしてそのとある一点――小さな魔方陣が設置されている転移ポイントへと着地し、そこで明滅を繰り返し数瞬の後に爆発が起こったのではという程の光量が魔方陣の周囲を支配した。
その光が収束するとそこには若干顔をしかめている黒衣のクロエと白銀鎧の汚っさんが出現していた。
「なんだ今の光は?」
「んーバグか何かですかね? 通常のエフェクトとかなり違ってましたし」
通常の場合、転移スクロールを使用すると視界がゆがみつつ転移が始まり登録されている座標へと転移するのだが、先ほどのスクロールは通常ではありえない方法で転移を開始していた為この様な事を経験したことがない2人は若干困惑していた。
「それと、だ。転移先はあっているみたいだが、なんで黒龍がすでに目の前にいるんだ」
そういいつつクロエが視線を投げかけている方に汚っさんが視線を向けると、そこには高さ50mはあろうという黒い岩の様なモノが戦闘フィールドの中央に鎮座していた。
汚っさんの視線を受けたからなのか、はたまた他の原因があるのか2人の目の前でその変化は起こった。
今まで岩のように見えていた黒い物体は、折りたたみ全身を隠していた漆黒の翼を左右へと大きく広げ、そして下がっていた頭をあげ、その鋭い眼光を2人へとそそぐのであった。その姿はまさに圧巻の一言に尽きるのであろう、体長は50mを超え人間など軽く潰せるであろう後ろ足を持ち、また体長程の長さを持つ尻尾がでかい体からもはみ出て背後に見ることが出来る。そしてなにより一番目を引くのが、体を先ほどまで覆っていた凄まじくでかい翼であろう。
まさに最強種や伝説、神をも体言しているかのような見た目であった。
しかし、その黒龍ファブニルを前にしても特に態度を変えもせずにクロエと汚っさんは先ほどからバグについての話しを続けている。
「登場のしかたもおかしいですね、これじゃあタイムを正確に測れやしない」
「それもあるが、まぁ見た目はこっちもかっこよくて好きだがな。それに今回は練習だ、終わってからGMコールでもすればいいさ」
通常の黒龍ファブニルとの戦闘はこの戦闘フィールドに転移してからきっかり5分後に空から黒龍ファブニルが降り立ってきてから戦闘開始となるのだが、設定が変わったのか、はたまたバグや何か他の要因があるのか定かではないが目の前の黒龍ファブニルは戦闘状態へと移行を開始しているのは火を見るよりも明らかであった。
「それにあちらさんは俺らを殺す気満々みたいだしな」
「みたいですね、とりあえず倒してから考えましょうか」
黒龍ファブニルはそのアギトを大きく開き魔力を凝縮させ始める。それを見ながら2人はなおも特に気負う様子も見せず自然体のままそこに存在していた。
魔力の凝縮が終了したのか黒龍ファブニルの口から直径10mほどもありそうな禍々しい黒色の炎で作られている黒炎弾が放たれる。
轟!
という音と共にその黒炎弾はクロエたちのもとへと高速で向かってくる。
黒龍ファブニルとの距離こそ200m近く離れていたがどうやらその程度の距離あってないようなものだったようで、たちどころにクロエたちのもとへたどり着きそのまま爆散するかのように思われたが、それよりも速くにクロエは行動を開始していた。
ただ立っていただけのクロエも黒龍ファブニルが口から黒炎弾を吐き出すタイミングでは既に右手を履いている黒刀へと持っていき自らへと近づいてくる黒炎弾へ向け抜き附けを行う、するとスキル<ソニックブーム>が発動し刀身の振りぬく速度で発生した衝撃波が黒炎弾へと凄まじい速度で向かっていきクロエの前方50m程の所で黒炎弾を爆散させた。
それを見てからの展開は素晴らしいものであった、黒炎弾とソニックブームが衝突した事で発生する轟音と砂埃や灼熱、また発射し終わってから発せられた黒龍ファブニルの咆哮を開始のゴングとし、汚っさんがファブニルへとLv100補正の身体能力をもってして両手に聖剣を持ち突進していく、その際ちゃっかりとクロエに
「遠距離からの攻撃はお願いしますね!」
と嬉々として言い置いて突っ込んで言ったのは余談であろう。
クロエにとっては多少不本意な形ではあったが役割分担が決まったので本格的に黒龍の討伐が始まるのであった。
◇◆◇
通常のプレイヤーなら黒龍ファブニルの見た目や火力、大きさなどいろいろな要因があり苦戦する事を免れないであろう神の化身黒龍ファブニル。
それを相手取りクロエや汚っさんはまったく苦戦することすらせず黒龍ファブニルを圧倒していた。
<アルカディア>は限りなく現実へと近づけるため、また戦争というコンテンツを抱えていたためHPがある限り動きが鈍くなるという事が無い前時代的なゲームなどとはかけ離れており疲労や足、腕に怪我をすると動きを制限されるというストッピングパワーシステムを導入していた。
もっともこれらはプレイヤーのみに有効ではなく魔物などにも有効となっている。
つまりどのような事かというと――
クロエは目の前を聖剣を担いで突進していく汚っさんを眺めつつボイスコマンドをつむぐ。
「チェンジ-弓使い-」
すると居合術で抜き放って右手に持っていた黒刀と鞘が光に包まれ形を弓へと変えていく、その弓の見た目は全長七尺三寸でありまさに和弓と言っていい形をしていた。
武器が弓へと変わった時に腰へと一緒に出現していた矢筒から鏃が黄色い矢を取り出し矢筈を弓の弦へとつがえ引き絞り、スキルを発生させるためのボイスコマンドをつむぎながら砂埃が晴れ良好となった視界で一点を凝視したまま矢を射る。
「ストライクショット!」
弓から射られた矢はスキル発動を感知し、先ほどの黒炎弾など非ではないほどの速度で黒龍ファブニルの顔の一点、左目へと突き刺さる。
自分へと向かってきている汚っさんへの迎撃へと意識を向けていた黒龍ファブニルはその予想外の一撃をまともに受け、汚っさんへと打ち込む予定だった黒炎弾の凝縮制御に失敗し顔面の前でそれを爆散させるととなる。
かなりの魔力が使われていたため黒龍ファブニルの表皮をもってしても防ぎきることが出来ずに、矢が刺さった事でのけぞり右顔面を突き出していた結果、右側の顔面をどろどろに焼けただらせていた。
結果としてたった一本の矢で両方の視力を失った黒龍ファブニルは平静で居ることができなかった。左目と顔面右の焼け爛れの激痛により理性を失いただ暴れるだけとなった魔物を御するのはこの二人にとっては至極簡単な事であった。
ファブニルへと接近していた汚っさんはクロエの攻撃で暴れだした黒龍ファブニルの足元を危なげなくそのまま走り抜け、その背後へと伸びる長い尻尾へと斬りかかる。
暴れるだけとなったファブニルで一番危険なのがこの振り回すだけでも凶器となりえる尻尾であった。
もっとも尻尾の付け根などは城壁もかくやという程の大きさなので汚っさんの装備である聖剣ですら一刀両断というわけにはいかない。なのでこの一撃は叩き切る事が目的ではなく尻尾に注意を向けさせ、振り回させるための攻撃であった。
ただでさえ顔面の苦痛で思考が混濁としている黒龍ファブニルである、尻尾への攻撃に過敏に反応してしまいその長い尻尾を当たりもしないのに振り回すこととなる。
汚っさんはその振り回しの速度が一番速くなるであろう場所へと既に移動を完了しており聖剣を大上段へと構え静止していた。
轟音と共にファブニルが汚っさんの元へ鞭のようにしならせた尻尾を叩き付けられようとしたその時、汚っさんがボイスコマンドを叫びつつ聖剣を幹竹割りの要領で上から勢いよく叩きつける。
「ぬおおおおおおお! ジェノサイドブレエエエエエエエエエエド!」
スキルにより魔力を帯びた聖剣からソニックブームの様に見えない衝撃波ではなく視覚化されている斬撃が黒龍ファブニルの尻尾へと接触する、そしてその接点から肉を引き千切る音と共に尻尾を中ほどから切断していた。
慣性により切断された側の尻尾は勢いよく後方へと飛んでいったが、クロエの居る方向ではないためクロエも汚っさんも最期まで見ることなく黒龍ファブニルへの攻撃を再開するのであった。
「うっし! クロ先輩! 尻尾は切ったんで近づいて増幅魔法で大ダメージ与えてダウンさせてください!」
「あいよー、ただ増幅魔法使うと魔力枯渇するから残りの後衛はお前にやらすからな!」
そう返事を返し黒龍ファブニルとの距離を縮めつつクロエは「チェンジ-魔法使い-」とボイスコマンドをつむぐ。
今まで手に持っていた弓が光に包まれ今度はかなり長い漆黒の錫杖へと変わるが、移動をやめて手にある錫杖をすぐにその場に突き立て両手を自由にすると懐からそれぞれ木・火・土・金・水と書かれた5枚の御札を取り出す。
そしてその5枚の御札をそれぞれ黒龍ファブニルの上空へとボイスコマンドをつぶやきつつ投擲する。
「ブースター設置」
すると黒龍ファブニルの上空で5枚の御札は等間隔を維持して空中で静止する、そしてそれぞれの御札を頂点とし、光り輝く線の様なモノが出現して御札同士を結び五芒星となり幻想的な輝きを持ってそれは展開された。
それを最期まで見ることなくクロエはまたボイスコマンドで弓使いへと戻り、矢筒から鏃が青い矢を取り出し弓に番え、それを五芒星へとなるように照準して静止する。
「準備完了だ! 汚っさん!」
「了解! 1秒だけ敵をスタンさせますよ!」
そういいつつ汚っさんは聖剣を地面へと勢いよく突き立てる。そうする事で発動する職業、戦士が唯一所持している対魔物用のスタン攻撃<リーシュ>が発動する。
汚っさんと聖剣を中心に鎖が地面から生え、その鎖はそのまま黒龍ファブニルへと絡みつくかのようにまとわりつき黒龍ファブニルの動きを完全に止めた。今まで暴れるだけであった黒龍も動きが阻害される事の恐怖があるのかすぐさま鎖を力ずくで引き千切るように翼や体を動かす。
しかし、そのたったの1秒。それだけでクロエのスキルが発動するのは十分な猶予であった。
汚っさんの周りから鎖が生え出した瞬間には既にクロエがスキルを発動させ増幅魔法である五芒星へと鏃が青い弓矢は吸い込まれていった。
「アローレイン」
そうスキル名を呟き職業弓使いのスキル<アローレイン>が発動する、通常であれば先ほど打った青い弓矢が20本程度に増えて降り注ぐ程度のスキルではあるのだが、そこで活きてくるのが増幅魔法である。
通常の増幅魔法とは魔法使いと弓使い、または他の職業とがペアで動いている時に使うスキルであり、相方のスキルを魔力を使った分だけ強化して打ち出したりする補助スキルである。
そして、そんな魔法を全職業でレベルをカンストしているクロエは魔力回復用の超高級ポットをがぶ飲みしながら一人で自分のためだけに補助魔法をがんがん行う事ができ、一人で通常の6人フルパーティーで行う戦術ができたりするため化け物だのなんだのと呼ばれているのは余談である。
そして、今回黒龍ファブニルの上空に浮かんでいる五芒星に含まれている魔力は<アローレイン>と前衛職のスキルが使える程度の魔力だけを残し展開されているため、おおよそクロエの全魔力の8割もの量が注がれていた。
当然クロエの魔法使いのレベルはカンストしているため保有魔力量も多いため、通常では20本程度の<アローレイン>もこの様な――10000本以上の矢の雨となって黒龍ファブニルへと降りそそぐ。
「うげ、クロ先輩どんだけ魔力込めてるんですか……翼膜どころか胴体までまでずたずたじゃないですか」
そういいつつ<リーシュ>を発動後すぐに範囲外へと退避していた汚っさんがまだ振り続けている<アローレイン>を横目にクロエの側まで戻ってくる。
「そうは言ってもなぁ……、いつもなら5000本程度なんだがどうしてだかこんな量になってるな」
油断なく黒龍ファブニルを見やっていたクロエではあったが、汚っさんと前衛と後衛をスイッチする必要も無いほど黒龍ファブニルに通常の<アローレイン>では有り得ない程のダメージが通った事に驚きつつも首を傾げる。
そして<アローレイン>中に立っている事が出来なくなった黒龍ファブニルの背中の中心へと最期の矢が突き刺さり、あとに残ったのはダメージを受けすぎて行動不能となり血だらけの芋虫のようにモゾモゾと動くだけとなった威厳すらない黒龍ファブニルのみであった。
◇◆◇
「うっし、これで終了っと」
体全体をずたずたにされモゾモゾと動いては居るがこのまま死を迎えるだけとなった黒龍ファブニルを眺めているなどの悪趣味なことはせずに、汚っさんが黒龍ファブニルの頭へと近づき、聖剣によってその首を解釈したのを見届ける。
「……お疲れさん」
「お疲れ様でしたー」
そういい黒龍ファブニルの首から視線を外しクロエへと向ける汚っさん、そこには何か煮え切らないようなものがあったのか顔を歪めているクロエが汚っさんを見ていたのでそのまま視線がぶつかる。
「さて、うすうすお前も気づいてるかもしれんがこの状態は明らかにおかしい」
「そうですね、いくらなんでもこれはバグの領域じゃありえないですからね」
そういい2人は汚っさんの体へと視線を走らせる、そこには黒龍ファブニルと斬りあって居たため全身真っ白な白銀鎧の聖騎士装備を赤い返り血で真っ赤に染めた汚っさんの姿があった。
「返り血自体は別に問題ないが、いつまでも返り血の色が残っている事が問題だ」
「それもですけど、あと斬り付けた時の感触が本物の様な感じでしたね。スキルもどうも火力が上がってるっぽいですし」
「あとは最初は気づかなかったが戦闘中に気づいた事として、そして現在周りを見ていて確信したのは解像度が段違いだって事だな」
通常ゲームの規格などで制限がかかる血のエフェクトはある程度は容認されてはいたが、現在のように付着したまま落ちなかったりすることはまず有り得なかった。それと同じで、いくら剣で斬りつけようと実際に肉を切る感覚が脳内チップを通してここまで生々しく把握出来るということも<アルカディア>では有り得ない事である。
また現在クロエたちの視覚情報からもたらされている世界の解像度も現実と誤差などないレベルとなっていた。
いくら現代の最先端技術であるダイブゲームであってもここまでの解像度を維持出来るサーバーをゲームなぞにあてる事は出来ない。ましてやつい1時間程前までの解像度と現在の解像度では天と地ほどの差が存在する。自分たちが黒龍ファブニルと戦っている間にアップデートがあったとしてもこのような激変は有り得ないことであった。
「それにさっきから尿意もあるみたいだしな」
「奇遇ですね、俺もさっきから感じてましたよ」
ダイブ中に尿意や生理的悪寒を感知するとダイブは強制遮断され現実へと戻される仕組みになっていたが、現在の状態を考えるとそれが機能していないのは明白であった。
「あとは、目の前にこのデカブツか」
「ええ……、戦ってる最中は脳内麻薬がドバドバでてるせいで全然気づきませんでしたけど……」
「そうだな……、すっげぇ血生臭いな。あと胴体は素材として剥ぎ取れる部分がないのにもかかわらず死体が消えん」
通常のゲーム時であれば、鱗などの素材部位が存在し、剥ぎ取る事で換金や装備にまわしたり出来るのであるが、戦い方によってはその素材が入手できないレベルで損傷することがある。
そんな場合はこの様に死体を永遠と残しておくことなどメモリを無駄に食うだけであり意味などなく、次の魔物がポップできるように光の粒子となって綺麗さっぱり消え去る事が当たり前であった。
「ブラクラのせいでこういう惨殺死体とか臭いとかには結構慣れてますけど、この大きさでなおかつ自分達で殺したモノが目の前にずっとあるとなると気分悪いですね」
「しかし、埋葬しようにもこの戦闘フィールドに穴は開かないしなぁ……どうするべきか」
そういいつつ5分ほど2人で唸って居たが妙案が浮かぶわけでもなく、先ほど話していた尿意に当てられ体が身震いする。
「まぁ取りあえず小便我慢するのも体に悪いし、フィールドの淵まで行って用を足すか」
「そうですね、とりあえず後で考える事にしましょうか」
そういい色々な事を棚上げにしてクロエと汚っさんはフィールドの淵へと歩いて行く。半径1km程度のフィールドのためLv100の身体強化の影響を受けているクロエと汚っさんは5分も歩かないうちに淵へとたどり着きそこから黒龍ファブニルを倒してから晴れつつあった雲の切れ目から眼下を眺め森や草原、湖などの凄まじい風景が永遠と続いている圧倒的な情景や風の匂いに、ここが0と1のみで構成されたゲームの中ではなく、紛うこと無き現実であるということをストンと理解してしまった。
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