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人生が詰んだリアルな実態

作者: 上条 一

 私の青春には病気がついてまわった。

 この頃から既に将来どのような人間になるか薄々感じていた。


 中学時代に発症した過敏性腸症候群。

 これは分かりやすく言えば、お腹が弱いというのをとても酷くした日常的に付きまとう病気とだけ簡潔に説明しておこう。詳しく説明したい気持ちもあるが、人によって症状が違ったりメンタル面が大きく作用するため誤解を生みたくないのだ。


 とにもかくにも私の人生は、この過敏性腸症候群の発症から明確に転落し始めた。

 中学生で不登校になり、ゲームやアニメを漁る日々。生産性の欠片も無い。ネトゲにハマっていた時期もあり、典型的な社会不適合者オタクが出来上がりつつあったのだ。


 高校進学。過敏性腸症候群に耐えながら試験を合格して通うことになった。

 スタートダッシュは成功したかもしれない。心機一転と張り切ってクラスのカーストトップグループの末席も末席に加われたからだ。

 しかしそれも長くは続かなった。本当に短く、入学して一ヶ月後には不登校になっていた。

 イジメに遭ったわけではない。治っていない過敏性腸症候群のストレスに耐え切れず、中学同様に逃げる道を選んだのだ。

 この選択に後悔がないわけではないが、それ以上にストレスが勝っており、振り返ってみても同じ選択をしただろうなという気持ちになる。


 もう既に一般の道からは大きく外れているのが分かるだろう。

 結局、高校は半年で退学して怠惰で孤独な毎日を過ごしつつ高認の資格を取って地元の底辺大学へと進学することになる。

 大学という環境は、過敏性腸症候群を患う者にとって少しだけ過ごしやすいものだった。

 講義は自由な席に座れることが多く、途中の抜け出しも容易で心理的負担が軽かった。

 とはいえ全てがそうではないので過敏性腸症候群との闘いは続いており、単位を落とすことも多く、私の孤独な大学生活は半年留年という形で終わりを迎えた。


 就活はどうしたのかと疑問を抱いた人がいるかもしれないので答えておこう。

 エントリーシートなるものの作成には着手したが、これまでの学生生活は過敏性腸症候群に支配された空っぽの人間だ。特技もないし、人に語ってアピールポイントになるような経験もない。非常に難航して薄っぺらい人間性を書いただけのものが出来上がった。

 そして、それで終わりだ。どこの企業にも応募することなく、就職説明会に行くこともないまま卒業した。

 半年留年者の卒業は九月だった。


 そこから約半年、無職の状態が続いた。

 空っぽの人間であることを自覚していた私は企業面接に強い恐怖を抱いており、就職活動は行っていなかった。

 しかし無職でいることの肩身の狭さに耐えかねて近所のスーパーで短時間の品出しバイトを始めることにした。

 この時はこれが大きな一歩のように感じられ、ゆっくりでも構わないから社会と向き合っていこうと前向きな気持ちを抱けた――ような気がする。


 すぐにそんな気持ちは消え失せた。

 長年の過敏性腸症候群との闘いの日々で体力気力ともに擦り減っていた私には短時間バイトでも疲弊して、正社員フルタイムで働くのが無理なことに気付いてしまった。

 学生バイトでももう少し稼げるだろうという収入で実家暮らしを送る日々が数年続く。


 ここからは去年の話になる。

 ある日、今までのドロップアウトが霞む事件が起こった。


 私は奥歯の隙間の痛みが一向に消えないことから通っていた歯医者から紹介状を書いてもらって総合病院を訪れたのだ。

 正直に言って当日の記憶はあまり覚えていない。受付を済ませて廊下の座席に腰掛けたところで記憶が完全に途切れている。

 何故なら心肺停止に陥り、意識を失ったからだ。


 目が覚めたのは集中治療室であるICUだった。

 身体に力は入らず、目の前で多くの医者や看護師が動いているのをぼんやりとした意識で見つめている時間があった。

 それがどれくらいの時間だったのかは分からない。長かったような、短かったような……次第に身体の感覚を取り戻していき、ナースコールのボタンを押せる程度には指先に力が戻ると、食事も少しずつ出来るようになっていった。


 ある程度、体調が回復したところで検査をすることに。

 ベッドに寝かされたまま病院内を移動した際のことはよく覚えていて、初めてICUから出たのもあり見慣れぬ風景に戸惑った。

 元々、紹介状を書いてもらって訪れた病院とは明らかに違うと分かる綺麗な病院だった。ベッドを押してくれていた看護師の方にここは何という病院か質問したら初めて聞く名前で、後から調べたら紹介状の病院より高度な医療が可能な病院らしかった。

 外来の患者もいる中を若い男性がベッドで運ばれる姿は衆目を引き、あちらこちらから視線を感じたのも覚えていて、辿り着いたのは心臓を検査する場所だった。


 結果、判明したのは遺伝性の不整脈だ。

 ここでは具体的な病名は伏せておく。


 集中治療室からHCUという場所に移動になった私に担当医は除細動器を植え込む手術の話をしてきた。

 除細動器というのはAEDのようなもので、不整脈が起きたら電気ショックを与える精密機器だ。手術の話の際には両親も同席しており、私はその場で除細動器を植え込む決断をした。

 難しい判断ではなかった。今回は病院内で心肺停止に陥り、素早く救命措置が取られたから命が助かったが、自宅で不整脈が起きていたら間違いなく亡くなっていた。

 そんなことになるのを今後防ぐためには手術を受け入れるしかないのは明らかだった。


 無事に手術は終わり、HCUで数日過ごすと今度は一般病棟へ移ることになった。

 リハビリや病院食、日替わり担当看護師との日々が今は懐かしく思う。私の人生において短期間の内に何人もの人と関わる濃密な時間を過ごしたのはいつ以来か。

 心肺停止で倒れてから退院まで、おおよそ二週間であっという間の出来事だった。


 そして現在である。

 二十代で亡くなる運命から逃れ、今を生きられていることは嬉しいものの人生は詰んでいる。

 バイトは入院中に電話で辞める話をして無職な現状。

 厚生年金に加入しない学生バイト以下の収入しか得ていなかったことが響き、障害年金の三級受給資格を有しておらず完全な無収入。

 仕事探しも除細動器には重いものを持つことを避けたり、電波や磁場の強い場所を避ける必要があることから難航している。

 元々正社員フルタイムが無理だと思っていた社会不適合者なのに更に生きづらい枷を得てしまった。

 ハローワークの障害者雇用求人を見たりするが、地元の求人は全然なかったり単純に無能な自分には難しそうだったりと打開策はない。

 一般求人の場合は、まず障害者であることを告白するところから始めなければならず、病気の説明、万が一の時は救急車を呼んでもらうなどのリスクの受け入れがある。


 どうしようもなく人生が詰んでいる。

 せっかく生き延びたというのに孤独で部屋にこもる日々、そして眠れないからと真夜中にこの駄文を書いた。




 誰か助けて欲しい。

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