違う! そいつは犯人じゃない
「殺人犯がいるかもしれないのに一緒になんていられるか! 俺は部屋に戻るぜ」
それが俺の最後の言葉になった。
あーあ……これで終わりかあ。
俺の人生、あんまりいいことなかったな。
激しい嵐に閉ざされた屋敷で、目を見開いたまま倒れてる俺と、真っ赤になったナイフを握りしめて荒い息をするアンテを俺はただ眺めていた。
◇
俺、ビタメイルのところに一通の手紙が届いたのは一か月前のことだった。
『例の屋敷で待っている。あのときの話をしようじゃないか』
差出人はデメル……昔の知り合いだが、この時点でもう既に嫌な予感がしていた。
無視してしまおうかとも考えた。
だが、奴には弱みを握られている。
それに、興味もあった。
この手紙が届いているのはおそらく俺だけじゃない。
怖いもの見たさとでも言うのか、10年前のあの日以来一度も会うことのなかったあいつらが、いったいどんな人生を歩んでいるのか……ちょっと見てみたい気がしたんだ。
◇
屋敷は山の上にあった。
あの生ゴミみたいな街から、この建物を何度見上げたかしれない。
デメルによって屋敷に集められたのは俺を含めて6人。
リンツ……駆け出しの建築家だ。
修行中の身らしいが、最近やっと設計が認められてきたとか。
メアリー……郊外の小さな町の主婦だ。
化粧気がなくて、服装も髪型も地味にしているが、やはり美しい。
この2人はおそらく俺と同じようにデメルの手紙で呼び出されたんだろう。
あとの3人は初めて見る顔だった。
ハチマン……まだ若い男だ。町で探偵をしているらしい。屋敷を売りに出すから内覧のために呼ばれたと言っていた。
探偵っていうとなんかこう……頭の切れそうなやつを想像するけど、全然そんな感じがしない。俺には言われたくないだろうがバカっぽい。
案外こういうやつの方が探偵に向いてたりするんだろうか。
コカルド……壮年の牧師だ。屋敷を買い取ったあかつきには孤児院にしたいらしい。
口数は少なく物腰はおだやかだが、妙に鋭い目つきをしている。
なんかたまに含み笑いとかしてるし不気味で、正直あまり関わり合いになりたくないタイプだ。
最後はアンテ……屋敷の案内人の少年だ。今回の内覧のために雇われたと言っていた。
そして、こいつが俺のことを殺した犯人だ!
なんてことしやがる……いったい俺になんの恨みがあるっていうんだ。痛かったぞ。
思い出したらムカついてきた。死ね、いや、捕まれ。そして罪を償え!
そんなこんなで館に集められた6人の前に現れたのは、惨殺されたデメルの姿だった。
◇
窓の外の嵐は止む気配がない。
自分の死体と同じ部屋にいるってのも落ち着かないな。
でも、ドアを開けられないいま、この部屋から出ることもできない。
もしかしたら壁抜けとかできるのかもしれないけど……怖い。
だって、途中でひっかかったりしたらどうなっちゃうの?
はやくだれか来ないかなーと思ってたらドアが開いた。
「そ……そんな、ビタメイルさん!」
ドアを開けたのはハチマンだった。
◇
「みなさん落ち着いて……いまからアリバイを確認します」
悲痛な面持ちでハチマンが言った。
俺が死んだことを悲しんでくれているのだろうか。
ちょっと好感度が上がった。バカとか言ってごめんね。
「私はあのあと部屋でひとりでいたわ」
メアリーが蒼白な顔で言う。
無理もない……デメル、俺ときたら、次に狙われるのはメアリーかリンツだ。
「俺も部屋にいた」
リンツもおびえていた。
俺はデメルが殺されたとき、少しリンツを疑っていた。違ったんだね、ごめん。
「僕もひとりでいました……台所で、みなさんの朝食の準備をしていました」
はい、こいつ嘘つきです! こいつ俺の事殺してましたー!
なんだよ朝食の準備って。もっとマシな言い訳しろよ。
「私も、ひとりでいましたが……」
コカルドがなにやら含みのある言い方をする。
おまえ……犯人じゃないのにそういう態度とるなよ、疑われるぞ。
「それにしてもこの傷……」
まだなにかしゃべるのかよお前。
「ひどいな、急所に全然とどいてないし、おそらくろくに手入れもされてない武器を使ったんだろう……かわいそうに、痛かっただろう」
小声でブツブツいいながらコカルドは目を閉じて十字を切った。
うん、痛かったんだ……怪しさマックスだけど、祈ってくれたからちょっと心が温まったよ。ありがとう。
もしかしたら、この世界に本当に悪い人なんていないのかもしれない。
「何故そんなことがわかるんですか?」
不思議そうに訊ねるハチマンにコカルドは目を伏せて言う。
「ちょっと、昔……な」
お前の悲しい過去とか興味ねえよ。
頼むから犯人じゃないやつはおとなしくしててくれ。
「俺も部屋にいたんだけどさ、日課の体操をしてたら壁に穴開けちゃって……」
ハチマンが言った。
なにやってんだよお前……バカか。
「アンテさんを呼びに行ったんだけど……そのときは台所にはいなかったような」
アンテの顔に動揺がはしる。よし、これで解決だ。
ていうか今気づいたけど、俺が部屋にもどった後、みんな解散してるんじゃねえか。
なんだったんだよあの茶番は。
「その時は……食糧庫に行っていたから」
アンテが苦しまぎれに言う。
「ククク……食糧庫にね……そりゃあいい」
コカルドが含み笑いをする。
食糧庫くらいでいちいち笑うなよ……もうなんなんだよお前。
お前が意味深ムーブすることによって捜査がかく乱されて犠牲者が増えるんだ。
助かる命が助からなくなるんだぞ!
「それではみんなアリバイはないようですね」
ハチマンは気味悪そうにコカルドをチラ見して言った。
いや、嘘ついてるやついただろ、もっと突っ込めよそこ。
俺の願いも空しく、その場は解散になった。
◇
せーの……それっ!
思い切って勢いをつけると、壁の向こうに出ることができた。
めちゃくちゃ怖かった……まだドキドキしてる。
薄い壁ならこうやって通り抜けられるみたいだ。
よかった……これで部屋の外に出られる。
窓の外は相変わらず嵐だ。
屋敷の外に出てみようかとも考えたが、ちょっと怖いのでやめておいた。
万が一成仏とかしちゃったら目も当てられない。
とりあえず、何ができるかわからないけど、このまま自分が殺された部屋にいるのも気が滅入るだけだ。
俺はとりあえずメアリーの部屋に行くことにした。
途中コカルドの部屋を通ったら、刃物を研ぎながら外国の子守唄を歌っていて死ぬほどビビった。
なんなのあいつ……本当は犯人なんじゃないの?
怖いのでダッシュでコカルドの部屋を通過してメアリーの部屋に行くと、メアリーとアンテが対峙していた。
◇
「ここ、私の部屋だったのよ」
メアリーが静かに言う。
何やってんだよ! 逃げろ! 殺されるぞ。
「あんたの親父、早かったから楽でよかったわ」
アンテはナイフを握りしめたままメアリーをにらみつける。
「うるさい!」
メアリーはアンテをまっすぐ見ると、不敵に笑った。
ああ、やっぱり美人だ。
「あんたのことも覚えてるよ。大きくなったねえ」
「やめろ!」
アンテは何かを振り切るように首を振る。
「お前達のせいで親父は……俺の家族は……」
「私の親父は私のこと売り飛ばしたけどね……まあいいや、比べるもんじゃないし」
すっかり奥さまらしく落ち着いてしまったと思ったけど、こうやってみるとやっぱりメアリーだ。
皮肉っぽい物言いは変わってない。
「ちょっと、場所を代わってもらっただけじゃない……えぁっ」
アンテのナイフがメアリーを刺し貫いて、俺は思わず目をそらした。
痛そうで見てられない。
「あああああ! 痛い、痛いいいい!」
メアリーの悲鳴を後にして、アンテは暖炉の中に消えていった。
◇
窓の外は相変わらず激しい嵐で、雷が鳴っている。
「僕は……朝食の準備をしていました」
アリバイを確認するハチマンに、アンテがすっとぼけて言う。
あれれー? おかしいぞー?
朝食の準備をしてたわりには、シャワーでも浴びたみたいにやけにさっぱりしてるよ?
まるで、髪や肌についた血を洗い流したあとみたいだね。
ていうかいつまで朝ごはん作ってるんだよお前。
アンテの言葉は怪しさマックスだったが、ハチマンは軽く流した。
もっと怪しいやつがいたからだ。
「コ……コカルドさん、あなたは、その、何をしていましたか?」
震える声でハチマンが言う。
無理もない、コカルドの姿はヤバかった。
全身ずぶ濡れで、靴は泥だらけ、しかも手にはナイフとロープを握っていた。
もう本当になんなんだよお前!
さっきまで部屋にいたじゃん!
なんなの? 事件解決後も準レギュラー枠としてちょいちょい出てくるつもりなの?
「少し……外の様子を見に行っていました」
そう言ってにやりと笑うコカルドを、そこにいる全員が不気味な目で見ていた。
◇
「くそっ……メアリーさんまで、いったい、犯人は誰なんだ」
ハチマンがベッドに腰掛けて拳を握りしめる。
「やっぱりコカルドさんなのかな……でも下手なこと言って俺が殺されたら嫌だし……」
証拠がないとかじゃなくてそこかよ。
まあ、確かに怖いけどさ。
「犯人はコカルドじゃないぞ」
そう言ってハチマンの横に腰をおろすと、奴は意外そうにこちらを向いた。
「じゃあ誰なんですか?」
「え?」
あれ、なんだ……あんまり普通に返されたから、こっちが動揺してしまった。
「え、あの、犯人はアンテなんだけど……お前、俺が見えるのか?」
「あれ? そういえば、ビタメイルさん殺されてましたね。実は生きてたんですか?」
ハチマンは不思議そうにこちらを見る。
「それとも……双子だったとか?」
俺はぶんぶん首を振る。
「違う! 確かに殺されたんだけど……なんかまだいるんだよ」
「ふーん、まあ、よかったですね」
何がいいのか全然わからないが、ハチマンは笑った。
とにかく俺とメアリーが殺されたときの状況をハチマンに説明した。
「なるほど……煙突を使って屋敷を移動していたのか」
「ああ、リンツが危ない! 急ごう」
ハチマンは力強く頷くと言った。
「聞こえるぜ……地獄の煙突掃除夫の呼び声が!」
◇
暗い部屋、窓を叩く雨の音だけが静かに響く。
「牧師さま……あの、聴いていただきたいんです……10年前の、罪を」
リンツが震える声で言った。
部屋にいないと思ったら、まさかコカルドのところに来ていたとは。
「ほう……」
コカルドがにやりと唇を歪めた瞬間、窓の外で雷が轟いた。
◇
10年前、俺とリンツとメアリーはドブの臭いがする湿った路地裏で、常に腹をすかせながら汚ならしい空を見上げていた。
「お腹すいたよぉ」
どこが目かわからないくらい真っ黒な顔でリンツが言う。
火のついた煙突を掃除させようとした親方のところから逃げてきて1週間……いまだに全身煤と火傷だらけだ。
「ネズミの方がマシなもん食ってるわよ」
メアリーが死んだ魚みたいな目でぼやく。
メアリーは汚い路地裏で労働者を相手に街娼をしていた。
俺もなんか言わなきゃいけないのかなと思ったところで、声をかけられた。
「君たちにちょっと頼みたい仕事があるんだ」
背が高くて物腰の柔らかい中年男性……デメルだった。
デメルが持ちかけてきた計画は、山の上の屋敷を乗っ取って財産を奪うことだった。
まずはメアリーが旦那に近づいて家に入り込み、頃合いを見て旦那を処分する。
あとはデメルが旦那の居場所を知ってるとかなんとか適当なことを言って奥さんを誘いだしてどこかに売り飛ばす。
やさぐれてていつもすえたような臭いがしていたメアリーは、身なりを整えたら驚くほど美しくなった。
俺とリンツは、メアリーを襲う暴漢に扮したり、メアリーが泥酔させた旦那を川に投げ入れたり、牧師の格好をしたデメルの横で聖歌隊の振りをしたり、とにかく大忙しだった。
デメルから報酬を受け取ったあと、俺たちはひと言も口を聞かずにこの町を離れた。
もう、2度と会うこともないはずだった。
◇
「そのときのお金で俺は学校に行って、こうやって建築家になれたんです……でも、ひとつの家族の生活を奪ってしまったことが、ずっと心に引っかかっていて」
「じゃあ死ねよ」
リンツの話は急に聞こえた声に遮られた。
声のした方をみると、ナイフを持ったアンテが暖炉から這い出してきた。
「そうか……君、あのときの」
リンツの言葉で俺も思い出した。
この屋敷には幼い子供がいた。
煙突掃除夫として売り払って、もう生きてはいないものだと思っていたが……
「お前で最後だ! 死ねえ!」
そう言って向かってきたアンテの手から、コカルドがナイフを払い落とした。
床に落ちたナイフを蹴って部屋の隅に飛ばすと、コカルドは悲しそうな目で言った。
「ダメですよ……復讐は何も生みません」
そのとき、ドアが開いた。
「皆さん! 犯人がわかりました」
ハチマンが元気に入ってきた瞬間、屋敷が大きく揺れた。
◇
「いかん! 急いで屋敷から出るんだ」
コカルドが大声で言った。
なんだよ、お前普通に喋れるんじゃん。
「どういうことですか?」
ハチマンの問いにコカルドは冷静に答える。
「この雨で地盤がゆるんでいたんだ。さっき応急で固定してはいたんだが」
ああ、それで外に出てたのか。
ちゃんと言えよそういうことは。
全員が出口へ向かう中、アンテだけ屋敷の中で立ちどまっていた。
「何やってるんだ、君も早く!」
ハチマンの言葉にアンテは静かに首を振る。
「僕はいい……この家と運命をともにする」
3人が屋敷の外に出た瞬間、屋敷は音を立てて崖下に崩れ落ちていった。
◇
嵐は去って、雲の切れ間からは朝日が差し込んでいた。
「私はもとは軍人でして」
崖下を見ながらコカルドは静かに言った。
「ゲリラ掃討中、ある建物を襲撃したんです。情報では軍事基地という話だったんですが……実際は学校でね」
コカルドは悲しそうな顔でため息をつく。
「国に帰ってから、軍人を辞めて牧師になりました。これからは子どもたちへの供養と、償いのために生きていこうと思ったんです」
そう言って彼は十字を切って祈った。
「なあなあ、ハチマン」
俺は小声でハチマンに話しかける。
「なんですか?」
眠そうにコカルドの話を聞き流してたハチマンがこっちを見る。
「俺、そろそろ行こうと思うんだ。短い付き合いだったけど、元気でな」
「ああ、はい。ビタメイルさんも元気で」
のんきな声に思わず笑ってしまった。
死んでるのに元気もないだろう。
「じゃあな」
俺は3人に向かって手を振ると、雲の切れ間から差し込む光へ向かっていった。
◇
ところ狭しと調書が収められた部屋の中には、コーヒーの香りが広がっていた。
「ハチマン!」
壁抜けもすっかり慣れたものだ。
「お帰りなさい、どうでした?」
テーブルに向かっていたハチマンがこちらを向く。
「例の銀行員の奥さん、クロだったぞ。3番街のホテル、今から出口で張ってれば一発だ」
「マジか……今からケーキ食べようと思ってたのに」
コーヒーとチョコレートケーキを前にしてハチマンはため息をついた。
あの日……なんとなく成仏できそうな雰囲気だったのに、俺はこの世界に残ったままだった。
そして、今のところ俺の姿が見えるのはハチマンしかいないみたいなんで、こうやって探偵の仕事を手伝っている。
姿を見られることなくどこでも自由に動き回れる俺は、ハチマンからしてみたらチートを手に入れたようなものだろう。
「ビタメイルさん、今度行くときは、ついでに写真も撮ってきてくださいよー」
「無茶言うな、ほら行くぞ」
コーヒーとチョコレートの甘い香りを残して、俺とハチマンは雑踏へと出ていった。
おしまい
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