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拷問

作者: 土屋正裕

ヒロユキとマユミは結婚13年目。ある日、ヒロユキが帰宅すると、彼の大好物のから揚げがあった。しかし……。

拷問



「俺のから揚げはどうなるんだ!」

ヒロユキは泣きそうな顔で叫んだ。

それはまるで暑い夏の盛りの午後に涼しい木陰でアイスキャンデーを食べていた子供があと一口か二口で食べ終えようとしたまさにその時、無情にもアイスの一片がポロリと地面に落ちてしまったかのような絶望と悲嘆の表情であった。

事の次第を最初からくだくだと述べてみても始まらない。

つまり、こういうことだ。

その日、ヒロユキは会社から帰宅すると妻・マユミの作った鶏のから揚げをいかにも美味しそうに頬張ったのである。

とても四十歳の大人の男とは思えない無邪気な表情を浮かべてヒロユキは愛妻の手料理に舌鼓を打ったわけだ。

ところが、である。

ヒロユキはアツアツのから揚げを一口噛んだところである“異変”に気付いたのだ。

「ない。皮がない……」

ヒロユキは鶏肉が大好きだ。特に鶏の皮に目がない。シコシコしていて噛むとジューシーな肉汁があふれ出すあの鶏の皮が大好物なのである。

いつだったかヒロユキはファストフード店でフライドチキンを注文すると、肝心の鶏肉には目もくれずに香ばしい揚げたての鶏の皮をさもうれしそうにかじりついて犬のようにハグハグやっているのを見て、

(まるで豚だわ……)

マユミは戦慄したものである。

なんでもヒロユキは子供の頃から肥満児で、母親がカロリーの高い鶏の皮を禁止していたため、その反動で異常なまでに鶏の皮に執着するようになったようなのである。

「偏愛性鶏皮症候群」とでも云うべきヒロユキの嗜好はともかく、マユミは結婚してもう12年にもなるのに良人のこの性癖だけはどうしても甘受できないのであった。

がさつでズボラでいい加減でテキトーなヒロユキと違ってマユミは潔癖で几帳面でクソ真面目で中途半端なことが大嫌いな性格だった。

休日でも毎朝6時には起きて炊事洗濯掃除を完璧なまでにやりこなしてしまうのだが、当人に言わせればそんなことは苦でもなんでもなく、休日ともなれば終日パジャマ姿で寝ころんでおせんべいやポテトチップスなどをバリバリやりながらだらしなくテレビを眺めてゲラゲラ笑いながら放屁しているヒロユキは「不真面目そのもので鳥肌が立つほど不快な存在」なのだそうな。

まあ、こんな天と地、雪と墨、月とスッポンほども性格の異なる夫婦であるから、まだ子供ができないのに別居も離婚もせず、これまでなんとかやってきたというのはある意味、奇跡ですらあったのである。

で、この日、マユミは腹を減らして帰ってくる良人のために好物の鶏のから揚げを作って待っていたのだが、最近また太ってきたヒロユキの健康を第一に考えて脂肪分を多く含む鶏の皮を丁寧に外してからコロモをつけて揚げたのである。

ヒロユキの好みで鶏肉にたっぷりと生姜とにんにくをすりおろして醤油と酒をふりかけ、よく味をなじませておいてから片栗粉をまぶしてサラダ油でカラリと揚げたのだ。

しかし、そんな良妻の気遣いなどまるで眼中にないヒロユキは“から揚げの命”と彼が信じる鶏の皮が外されていることに気付き、欲しいおもちゃを買ってもらえないで駄々をこねる幼児のように嫌悪と不快の表情を露骨に示したのである。

そして、こう言うのである。

「もう我慢できない。お前との生活は今年で13年目になるけど、さすがの俺も限界だ。まるで今の暮らしは拷問だよ」

「拷問?」

「そう。拷問だ。体に悪いからって好きなものを食べさせてくれないし、たまの休みの日も朝早くから耳元でガーガー掃除機鳴らしてゆっくり朝寝坊もさせてくれない。部屋の中でも暑苦しいジーンズを履かされるし、トイレは使ったら必ず蓋を閉めてあるか確認する始末だ。汚れるからってションベンだって便器に座ってやらされる。俺はオカマか?」

「は?そんなの常識でしょ」

「まだあるぞ。会社の健診で血圧が高いって言われたらなんでも減塩、減塩で、まるで水みたいな薄い味噌汁しか飲ませてくれない。朝は納豆にたっぷりと醤油をかけてごはんで食いたいのに和食は塩分が多いからって毎朝おままごとみたいなブレックファーストだ。シリアルに牛乳かけて果物たっぷりのヨーグルト?俺は子供じゃねえんだぞ」

「じゃあ、何?あんたは好きなもの好きなだけ食ってブクブクのブヨブヨの不健康なデブになって早死にした方がいいってわけ?」

マユミもカチンときたようだ。

「おう、俺は好きなものを好きなだけ食ってブクブクのブヨブヨの不健康デブになって早死にするぞ。お前は食いたいものも食えずに何でもかんでも我慢して、ヒョロヒョロのガリガリのおっぱいなんかどこについてるのか分からんモヤシ女になって仙人みたいに長生きすればいいじゃないか」

負けじとヒロユキも言い返す。

「へー。あんたのおっぱい私より大きいもんね。分かった。じゃあ、これからは毎日鶏の皮だけ出しますから、もう誰にも遠慮せずに好きなだけ召し上がってくださいね」

「おう、俺は鶏の皮を好きなだけ食ってやるぞ。お前のぺちゃぱい見てると鳥肌が立ってくるようだ。おお、怖。どうせ人間、いつかは死ぬんだ。生きていたって苦しいことばかりだ。同じ苦しむなら食いたいものを食えずに苦しむよりも、食いたいものを死ぬほど食わされて苦しんだ方がよっぽどマシだ!」



かのトマス・モア先生もこう仰られております。


「人生には若い頃の恋愛の半分ほどの楽しさもない」



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