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風と静寂  作者: 佐竹武夫
第十六章
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第十六章 第六節

気がつくと、忘れていることがある。


ある時ある時点では、明確に置いているのに・・・いや場合によっては、強く認識しているのに・・・・・『日々の生活に追われる』とは少し違う。一々そんなことをすべて覚えていては大変(ここで言う覚えているとは、強く認識をしているということ)、それは分かる。だが目の前に、一枚の大きな赤い布が舞い降りてきた時に、人はそれを無視できるだろうか。この先はわからないが、今の私にとってその答えは明白である。


人は無視する—————


ここで云う赤い布を、今この時点での具体的な言葉で表するとすれば


『いい人はすぐ死ぬ』



エリアス先輩は、翌日には治安所に現れなかった。もちろんである。おそらく正規軍の建物のほうに移り、抑えようと思ってもこぼれてしまう笑みを、それでも抑えつつ、治安維持ではなく外敵からこの街を守り、この地域を守り、時として他国に攻め入る、その部隊へと編成されているのであろう。


「リオ、今日からお前がビルについてやれ」


治安所の朝礼で、隊長が琥珀の瞳で細身の男に声をかけた。余談だが、私はまだ隊長の名前を憶えていない。エリアス先輩についに聞きそびれてしまったからである。


「じゃあ持ち場につけ」


一同が解散すると、私のところに『リオ』と呼ばれた男が駆け寄ってきた。


「?・・・」


その男、ニヤついているとは言わないが、何か含み笑いをしている。「なんだ・・・?私を嫌がらせするために、隊長から送りこまれたわけでもなさそうだし、ひたすら目立つ行動をとってきた『私のファン』でもなさそう・・・」と思いつつ、どこかで見たことがあるような気がする。


「よろしくお願いいたします。ビルです」


毒にも薬にもならない挨拶をし、そこにある揺れ感知すべく、リオという男を観察した。


「リオっす。よろしくっす」


なんだか言葉で表現しにくい違和感を覚える。ジャック(鉄板の入ったリネンの上着)を止めるための紐を、継ぎ足してわざとだらしなくしている。本人はおしゃれのつもりだろうが、実際にそれが引っ掛かったり、取れたりすると戦闘が不利になることがある。さらに変な目立ち方は、本人の意志高揚感につながるかもしれないが、相手側からすると、目立ちイライラさせられることによって、標的にされることがある。今のところ平和な時を過ごしているこの街の兵らしいと言えばいえる。


「行きましょうか!どこっすか?」


はじめに感じた違和感が、彼の二言目でなんだかわかった。立場的にはどう考えても私の方が後輩で、彼の方が私を指導する立場の先輩である。なのになぜか彼の言葉は、私のほうの立場が上のような口ぶりで接してくる。


「西門の方に行きます。こっちです」


中央の大通りに入ったあたりで私が先頭に行くべきだろうと思い、少し前に出た。

先輩を引き連れて歩くような、奇妙な構図になっていることを感じながら、率直に持っている疑問をぶつけた。


「リオさん、前配置されたところは大丈夫なんですか?」

「あ?ああ、少し広めのところだったから三人配置されてたんす。でも基本は複数で巡回することになってるんで、エリアスがいなくなったんで、誰か来なきゃいけないんでまわされたっすね」

「でも私が来る前、エリアスさんは一人でやってたみたいですけど」

「あ・・まあ・・・その辺はいろいろあるんっすよ」


言葉を濁した。隊長によるイジメだろう。複数で任務をこなさないといけないのは、おそらく規定の中で厳格に決められていることであろう。だがあの隊長は、そんなことをいろいろ無視してきた。何もなかったら、私は一人で巡回させられていたかもしれない。しかし先日、法の番人であるドゥペル審議官が怒鳴り込んで来たことで、隊長はじめ治安所の面々は震え上がった。その直後に、規定を無視した配置転換を行える程彼ら(彼?)は肝が据わってはいない。


私は自分の手元に戻ってきた、頭にかぶるのが面倒くさいスカルキャップの鍔をもち、整えた。


「あの・・・」


『青の谷』の入り口あたりに来たときに、我慢しきれない雰囲気でリオがやはり、私に声をかけてきた。


「何ですか、リオさん?」


相手が上であるという、こちらの態度は崩さない。


「討論会で白いマスクかぶってましたよね?」

「!・・・・」


相手は私の反応で確信を持ったであろう。しかしなぜ知っている・・・


「やっぱ!オレあん時アンタから指示受けたんすよ!アンタは覆面の小さな穴から鋭い眼光で『領主からの伝言だ。この建物をありったけの兵で囲め』って言ったんすよ!」


ああ!あの時の・・・公会堂の中を警備していた兵。確かに私にも、この人物に既視感があった。リオは今まで黙っていた反動か(ひょっとすると私が治安所に来た時から、わかっていたかもしれないが)その興奮を隠さず、私に乗り出しながら話してきた。


「オレ今でもこの時のこと覚えてるっすよ!アンタの言葉が焼き付いたみたいに頭に残って、何度も何度も夢に見たんすよ!どっかの国の、参謀をやってるような偉い人が、オレに話しかけてきた。あの時だって、国民や領主を人質に取られて、いったいどうなるんだって、オレたち警備兵なのに何をすればいいんだって、もう生きた心地がしなかったんっすよ。そこにアンタが一直線に向かってきて、そりゃもう目つきが違うよ。その目がオレに近づいてきて、オレに言ったんっすよ!『兵を集めて囲め』って!いくらバカなオレでも分かったっすよ、それが領主の命令じゃないなんてすぐに、だって領主は敵に半泣きで捕まってるんっすよ。本当にすごい人がオレに命令してくれたって思ったら、オレあん時、体中が熱くなって、もう興奮して、死んでもいいからこの任務をやり遂げるって!建物から出て、すぐに上司も部下もなくみんなに命令したんっす!」


その時の熱が蘇ったように、リオは満面の笑みと腹の底からこぼれる声で、私に言葉を置いた。そうか・・・私があのとき『この男は命令を遂行してくれる』と確信を持った理由が、今初めてわかった。


「なんとか兵をたくさん集めて、じっと中の様子を見ていたら、占拠してた連中が建物の外を見る様子が見えて、そしたらすげー慌てて、『よっし!これはあの人の期待に応えられたな!』って、拳を痛いぐらい握りしめて・・・・・で最後に、みんなが開放されて・・・・オレすげー人に頼りにされたんだって、その後、仲間や家族みんなに自慢したっす!」


目の前の事実だけ言えば、たまたま彼が一番近くにいたから、声をかけただけだ。だがその運も含めて、すべてがそこに導かれている感じがする。彼が当てにならなかったら間違いなく別の者に声をかけていたからである。そういう意味で云うと、順序が逆だがあてになったことは間違いない。これだけの想いをもって受け止め行動してもらったことが、その結果に導かれていることは明らかで、自らの行動や作戦のみが良い結果を生み出してると思うのは、明らかに自惚れであり、たとえそれが今回のように明確な形で自分に届けられなくても、感謝の気持ちを失ってはいけないというのは、間違いなさそうである。


「あの時はありがとうございました」


私は素直に感謝の気持ちを述べた。この街に来たばかりの私では、出てこなかった言葉かもしれない。


「やっぱりあの時の人だったんすね!!」


どうも彼は、私がこの言葉を出す瞬間まで、『それでも違っていたのではないか』と思っているようだった。


「は・・・はい・・・」


私は後輩の立場の言葉遣いを崩さなかった。いつの間にか西門についていた。崩れたレンガの足元には、小さく黄色い花が咲いていた。


リオはもう五年ぐらいの仕事をしており、かなり手慣れたものであった。西側の警備に着くのは三年振りらしく、「この辺りは随分変わったっすね」などと、敬語かなんだかわからない言葉を、ずっと使い続けていた。私は気が楽になったことが一つある。リオが隊長から目をつけられておらず、彼が報告すると、どんなことも比較的すんなりと話が進むところである。


「そっちで勝手にやっておけ」

「はい、わかったっす!」


夕方になり治安所に戻って、リオが適当な明るい返事をすればその日の片がつく。もう一つ大きく変わったことが、仕事終わりに酒場に向かうことになったことだ。今まで遠くで耳にしていたバカ騒ぎが、急に身近になった。リオは毎日誘うので、私はすぐに常連の仲間入りをした。


「マーヤ!きたっすよ!」

「はいはい、いつものところあいてるよ、ビルさん相変わらずカッコいいね」

「あ、なんだよ、最近褒めるのはビルさんの方ばっかっすね」

「そりゃうちの常連さんになってもらって、ほかの店に浮気されないようにしなきゃね」

「ははは・・・」


すっかりおなじみになった一番奥の丸テーブルのところを、この酒場“カッパー・マグ”の女主人マーヤが指さす。私自身酒場に頻繁に通ったことがなかったので、お酒に強いかどうかは、わかっていなかった。周りと比べるとかなりお酒に弱く、二杯も飲めば充分に酔っぱらえる。テーブルは他に9くらいある。カウンターの席も10はあるのではないか。店の入り口から縦長に奥深い。その一番奥のテーブル席を確保できるリオは、ずいぶん前から常連なのであろう。


「いらっしゃい、リオ、ビル」


三つ編みをしていつも明るいリュミナが、二杯のビールを持ってやってきた。毎日来ているのに、いつも『久しぶりに来たので喜んでくれる』ような表情をする。接客対応とは思いつつも、少し嬉しくなってしまうのが、なんともこそばゆい感じがする。


「お、ビルさん!このリュミナはだめっすよ。男がわんさかいすぎて、誰が旦那かわかんないっすからね」

「ぎーー」


歯ぎしりする感じで、リュミナは思いっきりリオの足を踏む。


「あたたたた!!!」


いつもこのやり取りをやっている。よく飽きないなと思うが、意外と見てるほうも飽きない。何かうまくいった時にハイタッチのように、一定の決まり事でありながら、その必要性がなぜか存在する。まるで日常の挨拶のように。そんな姿を見ていると、また少しだけ「ずっとここにいたら」が横切る。最近飲みで帰りが遅くなると、家にいるティモ夫婦はどこか嬉しそうな表情をする。私がこの街になじむことで、一年後に去らなければならないという現実を、避けることができるのではないかと思っている雰囲気がする。何だか申し訳ない気がする。彼らはどこかで、それが絶対的に敵わないとわかっており、だからこそ何か淡い春の風のように、それがいつまでも続いてほしいと願っているのである。その香りを自分が感じた時に、ほんの少しだけ春の夢を見る。


「あんたたち給料入ったんでしょ?今日は南からいい魚が届いてるの、食べる?」


もうそのことが決定のように、この酒場のもうひとりの看板娘、ティナがさっき焼いたばかりの魚をもってくる。香ばしい匂いが鼻を捉える。


「ティナちゃんが言ったら断るわけないっすよ。ビルさんも食べるっすよね?」

「あ・・ええ・・・」

「あ!そういえばこないだの勘定間違えたっすよねえ?オレとビルさん、ピルさんの方が随分と安かったけど」

「当たり前でしょ、ビルさんの方があんたより随分給料が安いんだから」

「はあ?それ関係ないっすよねぇ」

「関係ありありよ、はい、ビル、これはサービス」


小さいお皿ながらも、明らかに無料で私にお魚を提供してくれる雰囲気であった。その皿を置くとき、彼女は私の目の中を覗き込む。何かを私の中に印象づけようとしている。その様子にリオは隠さずに失望の声を上げる。


「かーーーー、オレも独身すよ!将来有望っすよ!ビルさんはこの街を一年で出て行っちゃうんだから、貸しを作るんだったら俺のはずっすよ!」

「うるさいなーーーアンタはほっといたってこの店に貢ぐんだから必要ないの。どうせあたしでもリュミナ姉さんでも、アンタどっちでもいいんでしょ?」

「そ、そんなことないっすよ!ティナちゃん」

「案外とリオさんはマーヤさんでもいいんじゃないですか?」

「たしかにーーー」

「ば、ビルさん!」


ガタガタ


厨房の入り口が近く、荷物が運ばれるとすぐにわかる。私は一瞬だけ目線をそちらに向ける。日焼けをして真っ黒になった肌。どこかにぶつけるのだろう、傷ついた腕と足。作業の汗を拭くため首と頭に布を被っている。一見すると女性と認識されにくい彼女。


ノワ・シェイド


彼女はこの店で、ただひたすら奴隷のように働かされている。いや、中央政権が奴隷の制度をなくそうとして久しいが、その実、お手伝いを含め形式的にはたくさん残っている。(ちなみにこの地域は中央政権と対立しているので、もちろんその政策は及ばないが)彼女は、この地域に残る風習の犠牲者である。ここでは自らの家の裕福を願うため、捨てられた子どもを拾ってきて、その子供にその家の不幸を全て背負ってもらうという風習『エアクロ』と呼ばれるものがある。彼女はそれにあたる。


「!・・・」


小さい息がして、私はその方を見る。ティナは決して機嫌がいいとは言えない目をして、カタン、と小さな皿を置き、その場を去っていく。私はもちろん、その空気が変わったことを感じたリオさんが、彼女が遠くに行ったことをしっかり確認してから、私の方に小声で何度も言った言葉を繰り返す。


「ビルさん、前も言ったけどよくないっすよ。ここらへんじゃ『エアクロ』は俺たちと同じように扱っちゃダメなんっすよ。ビルさんはもともとよその人で、しかもアゼネイエで教育を受けてるんで、感覚は違うかもしれないけど、ここじゃちょっと気いつかってください」

「すいません・・・」


ものすごく丁寧に頭を下げられると、やはり人と云うものは弱いものである。彼は彼の立場、ここはここの社会がある。私がいつまでも彼女の動きを目線で追えば、ティナだけでなく、リュミナ、女主人のマーヤもいつか堪忍袋の緒が切れ、私は出禁を食らうことになるだろう。そうなると、リオのメンツも潰すことになる。ここまで良くしてもらっているのにそれは申し訳ない。私は一年後にはここに居ないわけだから、今このコミュニティを引っかき回す権利は、さほど有していないであろう。自宅に帰ってティモに一度このことについて聞いたことがあったが、『本来死んでしまうところを、拾って育ててもらったのだから』と、かなり肯定的な意見で捕らえていた。同じ地域出身でも、私と受け止め方がずいぶんと違うなと思った。それ以上にここのメンツとは感覚の差が大きく、彼女が『エアクロ』という虐げられた立場にいるということで、興味を持っているということならまだしも、どこか「一人の女性として」的なことを言えば、それこそとんでもないことになる。少なくともサービスの皿をくれた彼女に嫌な思いをさせるのは、何かが違うと私は思い、なんだか分からないが気をつけていこうと思った。ティナが横切るのを待って、彼女にお酒の追加を頼んだ。3杯目くらいで


「あれ?ビルさん、今日はやけに飲むじゃん!」


と、機嫌がいい返事をされたので、ひと安心した。その日はかなり酔っ払い、次の日遅刻しそうになってしまった。珍しくティモの奥さんに大慌てて起こされた。


「あああ・・・」


朝礼が終わって、なんとなく体がだるいまま、いつものように西門に向かった。そんなことはいけないが、気分的には『青の谷』に寄って水を一杯飲みたかった。いつもと巡回の方向を変えて、川に立ち寄ってもらおうかと思った。いや、少しだけ北側に入れば水車の水路があるからそこででもいい・・・


「ビルさん・・・・」

「あ、はい・・・?」


私の調子が悪そうなので、リオは気を使って声をかけてこなかったのではないか、と思っていた。しかし声が掛かって彼の顔をみると、彼と会った中で一番真剣な顔をしていた。


「?・・・・どうしました?」

「あの、ビルさん。これはまだ確かな情報でなく、噂で聞いたレベルなんですっすけど」

「はあ・・・・」

「ビルさんとはじめ組んでたエリアス・・・・死んだそうっす」

「え・・・・・」


ガシャガシャ


先ほどまで全く気にならなかった、自分たちの装備の音が嫌に耳につく。その分逆に、目の前の風景がなぜか白くなる


あ・・・そうだ


『いい人はすぐ死ぬ』


なんで忘れてたんだろう—————










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