第三章 第一節
ボケールの城壁はかなり前から見えるほど高かった。メヌーの街から南に下りてくると、ルーラ川を渡れる大きな橋がボケールの街にはある。今私たちが歩いているちょうど東側に川があり、その橋は東西にかかっている。現在の中央政権がこの辺り一帯を治めるまで、この街は戦略の要所としていつも争いに巻き込まれていた。多少補強はされているとは言え、基本的にはずっと昔からの城壁と橋である。城壁の中の町の面積はそれほど広くはなく、ぎゅうぎゅうに詰まった感じで建物が並んでいる。彼らは皆、自らの財産と命を守るため、どうにかしてこの城壁内に移り住み、その結果4階建てや5階建てがざらにある街並みになっている。この周辺では、巨大なルーラ川を渡る橋はここしかなく、行き来する人々の数もかなりの数である。そのため要所として厳しいはずの検問も、検査がさばき切れず意外と緩めである。その代わりこの門を通らずに橋にたどり着く方法はない。城門の前に立ってその城壁を見上げると、とてもではないがここを登ろうとは考えられない高さである。
「先生はボケールの街にこられたことはあるのですか?」
「いいえ、初めてです。」
「私も初めてです。首都アゼネイエに向かうために、東の方には行くことが多かったのですが、西の方には来る機会がありませんでした。」
我々がそんな会話をしている間にも、ルーラ川を超えるために次々と旅人や馬車などが我々を追い越して行く。白く巨大な岩でできているその城壁は、百年前に作られたということにとても説得力をもつ重厚な作りとなっている。私と先生が城門の方に向かう。衛兵たちは入り口で監視をしているが、ひとりひとり細かく検査をしている様子はない。戦争状態などで警戒が上がっているときは違うのであろうが、中央政権の統率がとれている今の状態では、細かく監視をする必要性はないのかもしれない。我々はあっさりと場内に入れた。
「今日中に橋を渡り、さらに南に降りると良いですね。」
「はい。」
私は同意をする返事をしたものの、先生はこれからどこに向かわれるかわかっていない。
大きな人波は北の門から南に続いている。両サイドに3階以上の建物が並んでいて、奥の方に二つの塔が見える。おそらくそれが、橋の入り口にあたるのであろう。私はなんとなく横目でそれを視界に入れながら、先生から離れないように後をついて行く。ここまでスムーズに来ている。おそらくこのまま橋をうまく越え、先生の思う流れで先に進めるのではないか。
「ビル!ビルじゃないか!」
突然私の背後で大きな声が聞こえた。私は思わず振り向く。そして周りを見渡す。周囲にあまりにも人が多く、目を細めて右に左に手前に奥に視線を動かす。
「こっちだ!私だよ」
帽子についた青い羽がひらひらとこちらに近づいてくる。すこし釣りあがっている目、四角い顔。
「ビル、久しぶりだな!」
「ルシアンじゃないか!」
リネンのシャツと、深い青のダブルット。金色の縁取りのされたチュニックに黒革のブーツ。彼の名はルシアン。私が首都アゼネイエにてアカデミーに所属していた時の同期生である。
「こんなところでどうした、ビル。アラモンのウルビス(市政官)として赴任をしたと聞いていたが、何か用事があってこのボケールに来たのか?俺はデレゲ・デタ (国家代表)でここにいるんだが。」
「私は・・・」
あまりにも突然声をかけられたので頭の中で整理がつかなかった。自分の状況を説明すればいいのか、いやシルバー先生をはじめに紹介するべきなのか。前を見るとシルバー先生が少し離れたところでこちらを見ている。
「ちょっと待っていてくれ。」
私はそういうとルシアンを置いて先生のところに駆け寄った。
「先生、申し訳ありません。実はアカデミーの同期生に今偶然出会って、声をかけられまして」
「そうですか、私の方は大丈夫ですよ。これも何かの縁があってのこと。必要な分だけお話しされてきて問題はありません。私はこの辺りを少しぐるりと回ってきます。そこの・・・」
とシルバー先生は杖で、建物の前にあったお店を差された。石でできた小物のようなものを売っているアクセサリー屋と思われる。
「ここで再び落ち合いましょう。」
と言われた。
「大変申し訳ありません。ありがとうございます。」
先生は私の言葉を聞くと、そのまま杖をつきながら人ごみの中に消えていった。私は再びルシアンの元に戻った。
「わるかった。すこし、先生には時間をいただけた。そこまで長くはできないが、話をすることができるよ。」
私はにこやかに彼に向かって話をしていたが、彼はいつの間にか非常に険しい顔をしていた。
「?・・・どうかしたか?」
「先生って誰だ?」
彼はその不機嫌さを隠すことなく、私に問いただした。
「ああ、ちゃんと説明していなかったな。あの方はシルバー先生と言って、お前も聞いたことがあるんじゃないかと・・・」
「プラノピトンか⁉」
う・・・
私の言葉が詰まった。思い出した。ルシアンは大のエンドロゴス嫌いであった。一般的にシルバー先生のような思考哲学者のことを『エンドロゴス(深い思索者)』と呼ぶ。それに対し彼らのことを軽蔑している人たちは『プラノピトン(言葉で惑わす者)』と呼ぶ。久しぶりにその侮蔑を示す言葉を聞いた。
「あ、まあ。あれだ・・・」
「お前プラノピトンの弟子なんかになったのか!アラモンのウルビス(市政官)はどうした?」
「あ、ああ、それは」
「やめたのか⁉何をやってるんだお前は!あれだけ志願して地元に錦を飾るために赴任させてもらったのに!!」
なんだか非常に面倒くさいことになった。ついこの間までの私であれば、これだけ人の話も聞かず次々と大声で怒鳴ってくる人物に対しては、逆に怒鳴り返していたであろう。だが、先生の弟子になって幾日か経たないが、随分と私なりに相手の言葉を冷静に受け止めている。まず彼は私の話など碌に聞こうとしていない。次に私の人生なのであるから、他人にとやかく言われる筋合いはない。しかも、彼は私の為に言っているのではなく、明らかに『エンドロゴス』嫌いの苛立ち(不安、不満、不快でいうところの不快)を私にぶつけている。さらに細かいことではあるが、私は最も望まない自分の故郷への赴任(アラモンのウルビス(市政官))を命じられた。それがいつの間にか私が望んだことになっている。誰からそんなことを言われたのか知らないが、本当のことなど、どうでも良さそうな感じがしている。
「お前はアカデミーでもトップの成績だった。ただ少し人の良さそうなところがあった。なんというか、すぐに人を信じてしまう。」
「はあ・・・」
「今でもそんな生返事しかできない。だからあんな輩に騙されて、大事なお勤めも放り出しこんなところに居るんだ。」
大分面倒くさいことになってきた。まさかこの男は私に「弟子はすぐにやめろ」とても言ってくるのではないか。
「いいかビル、今すぐにあんな奴の弟子なんかやめろ。そしてすぐ地元に帰り、頭を下げて元の役職に戻してもらうんだ。」
私は日々先生と話をしている時「人は必ず自分の都合のいいように考え、自分の都合のいいように言動を行う」との言葉が蘇ってきた。怒られるかもしれないが、これであれば、盗みを行っていた領主アルフレッドの方が、まだ会話のやり取りができそうな気がする。私は一瞬どうすればと頭の中が煩雑な状態になった。しかし、すぐに持ち直した。これも先生が旅の途中におっしゃっていた、『大事なこと』の中の一つである。
『何のために、誰のために』
シルバー先生が物事を考える起点となるべき方法の一つとおっしゃった。「もちろん他にも様々な考え方があります。しかしまずは、この考え方を身につけてみてください。『何のために、誰のために』———を明確に設定することで、自分が乗っている船が、どの島に向かっているのかを明確にすることができます。そこを基点に思考を始めてみるのです。」
私は、私自身に身の危険が及ぶことはやぶさかではない。しかし先生に何らかの危険が及ぶのであれば、そのことはどうしても避けたい。「わかった、弟子をやめる」とあっさり言ったところで彼は納得しないであろう。ここで彼を振り切って逃げたところで、私が先生を見つけられなければ、先生はここに戻ってくる。そうすれば先生に危害が加わるかもしれない。『何のために、誰のために』
私は『先生の安全のために』を起点にして思考を始めた。
「ルシアン、落ち着いて聞いてくれ。私が望んだとか望んでないとかそういうことではないのだ。だからひとまず大丈夫だ。」
「お前は何を言ってるんだ?」
確かに。我ながら何を言っているのかよくわからない。自らの思考の起点を定めたからといって、そんなに簡単に頭の中で論理が形成されるわけではない。箱をひっくり返したような感じの言葉になってしまった。
「もしもお前が言いにくいようだったら、俺が言ってやる。」
話がどんどん進んでいく。
「私は今の状態で何ら問題はないんだ。」
うむ、またイマイチのことを言ってしまった。
「お前は信じ込みやすいからダメなんだ。第一お前、さっきの老人をあたかもすごく有名で優秀だと思い込んでいるだろ。じゃあ聞くが、さっきの人間が、その有名な人物と同一人物なのかどうやって証明できるんだ。」
確かに。
そんなこと考えたこともなかった。アラモンの街に先生がおいでになられてから、ずっと『智慧の篝火』と呼ばれるシルバー先生であるという前提で、私は全ての行動を起こしてきた。考えてみれば今まで、先生が本当にシルバー先生など、そんな証明は一つたりともなされていない。確かに私の接している先生は、間違いなく素晴らしい人物だと思う。だからといってそれが、この国で高名なシルバー先生であるという証明には決してならない。
「それはそうだが・・・」
「ほら見ろ、すでに心が揺らいでいるだろ!」
なんとも痛いところを突いてくる。ルシアンはため息を一つつき、憐れむような目で私を見た。
「ビル・・・仕方がない。私はお前をアカデミーに居る時からずっと心配していたんだ。俺がどうにかしてやるよ。」
「どうにかするって何を?」
その時である。遠くの方から杖を突くシルバー先生の姿が見えた。すると、ルシアンは先生の方に駆け足で近寄って行った。私も慌てて後をつけた。ルシアンは先生の前に辿り着くとわざとらしいくらい深々と頭を下げた。
「先程は失礼しました。私の名はルシアン・デュボア。ビルと首都アゼネイエにて、共にアカデミーで学びました同期生です。先ほどビルと話をしたところ、大変高名な先生とお聞きし、そうとも知らず先生を待たせさせてしまい、大変失礼いたしました。お詫びと言っては何ですか、ぜひ我が家においていただき、体を休めて旅の疲れを取っていただければと思います。また、大したものではございませんが、晩餐の用意させていただき、我々無学なものに少しでもご教授お願いできればと思います。」
シルバー先生は初めこそ驚きの目を押されていたが、話を聞いている間に時々見るあの眼になった。あの目は先生が集中された目なのか。瞑想されている目なのか。それはわからないがいつもと変わらず答えられた。
「わざわざありがとうございます。ビルの旧友となれば彼ともいろいろお話したいこともあるでしょう。お言葉に甘えさせていただきます。」
「ありがとうございます。ではこちらへ。」
そういってルシアンはこちらを向くとニンマリと笑った。私は言葉にならない(あきれでも怒りでも諦めでも驚きでもない)感覚になり顔の筋肉が緊張した。その私の表情を見て、ルシアンは満足した表情をした。そして、私の横を通り過ぎ、彼の屋敷へと向かって歩いて行った。




