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風と静寂  作者: 佐竹武夫
第十五章
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第十五章 第八節

『人は集団から離れることを恐れる』


私はこのことを、実は体感的に感じたことがない。それはもちろん、一人で生きられると思っている、という話ではない。常にコミュニティから外されることの恐怖を背負い、周囲にお伺いという媚を行ない、場合によってはそのコミュニティを維持するため、スケープゴートを差し出して目を瞑りながら祈る。実は日々このような行動を強いられている、もしくは意識消極的な積極的行動を行なっている人たちが、実は社会の多くを占めている、そのように意識することは少ない。



『青の谷』の人は、薬を持ってきた集団が実は私の知り合いで、しかも絶大なる信頼と好意を持っていることを認識すると、あまりにもあっさり薬を服用することを了とした。中にはその味が気に入り、与えられたものよりも追加が欲しいとねだるものもあらわれた。薬の内容は流行り病にかかっている多くのものが、体がやせ細り、食が充分に取れていないことを考慮されているものらしい。食欲が増進されるもの、一般的に精がつくものが調合されている。これ自体が病気そのものにどれだけの抵抗力があるかわからないが、少なくともその病にかかっている者が不足しているものを、補う意味合いが強いと思われる。そうすることで、病に対して戦える体を作っていると考えられる。モノによってはまだ誰かの怨念や、力あるもの怒りとして病がとられているフシがある。もう少し人智の至るところで、病を防ぐことができるならば、不幸な人々を少しでも抑制していけるのだと思う。


「ビル、私たちは明日から何日かかけて、同じような防疫作業を行わなければなりません」


すでに夜になっている。ルシアンの姉であるジェヌヴィエーヴは『青の谷』の中央で、私に向かって話をした。どうやら彼女がこの検疫団の隊長であるらしい。


「本来であれば、どこかでごゆっくりと話をしたいのですが・・・」


彼女は本当に名残惜しそうに、言葉を一つ一つ置いていった。ただその中の表情は、本人が最も気にしていた私(シルバー先生も含めて)の生存を確認できたことに対する、安堵に包まれていた。彼女の想い中で背負ってきた部分を、ようやく下ろすことができたのだろう。


「じゃあな、ビル」

「ああ。またな、ルシアン」


このコミュニティを去っていく彼らの姿を改めて見てみると、その全身白づくめの格好と奇妙なマスクは、人々を畏怖させるのに充分だと思った。逆に言うと、実際の疫病が訪れる前に、人々がその『まがい事』を先んじて体験できる感覚があり、それはそれで意味があるものだと思ってしまう。


「すごいね、ビルは・・・・」


ルシアンたちを見送っていた人々の中に、エリナさんがいた。彼女が私の後ろでつぶやいた。彼女はそれ以上言葉を重ねない。しかしその言葉は、私がこのコミュニティに来るまでに何度も言われた言葉で(お世辞や励ましも含め)、そしてこのコミュニティきて、一度も言われたことがない言葉とニュアンスだった。夢や憧れに近い・・・


遠くの物を眺めて、ため息のように流れる言葉・・・・


その夜の『青の谷』は静かだった。夕方から夜にかけてルシアン達、検疫官が来てかなりの緊張感を持っていただろう。ずいぶん疲れたのか、人々は早めに床についた。わたしもその一人であったが、かなり眠りは浅かった。興奮していた・・・・?いや今から思い返せば、それともまた違った感覚だった。


さささささささ


風の音がする—————


普段であれば、少し遠くの方にある酒場で騒ぐ男たちの声が聞こえる。しかし耳をすましたが全く聞こえない。既に、そんな深い時間に入っているのか?私はベッドから体を起こす。そして、そのまま外に出た。月が出ている。月が出ているが、あたりは必要以上に暗い。


「少し話してもいいか?」


私の背中から声が聞こえた。ゆっくりと振り向く。予想通り?いや、予想はしていなかったが、声がかかる直前に感じたもの・・・・私の目の前にはセドリックがいた。何ヶ月間ここで暮らしたが、彼が奥の母屋から出たところを一度も見たことがない。私は彼があそこから出ることは、永遠にないと思っていた。なのに今の私は、ここで声をかけてくる人物が、彼以外には存在しないと思っている。相変わらず派手な布で、重ね着をしている。首や腕には、木や骨できたアクセサリーで埋め尽くされている。背が低く、髪や肌のつやの感じからその若さを感じる。


「セドリックさん・・・・」

「あ、先に用件を言っといたほうがいいかな。話し込んでしまうと忘れてしまいそうなので・・・・この街で君を知っている人間に、明日の朝迎えに来るように言った。ああ、確か『ティモ』といったかな。君がこのヘルヒンの街に来て、最初に会った男だよ。その男が『下界』に戻してくれる」


『下界』・・・か。

私はそれに対し口を開かない。これが、私がここに来て学んだことである。


まず、すべてを受け入れる—————


セドリックは一拍置いて、私のその態度を確信してから言葉を続けた。


「用件はそれだけ、いや・・・君の荷物は明日朝、バルドランから渡す。ここの連中に全く挨拶なしで去らせるつもりはない。まあまだ、この街にはいるんだろうから、全く顔を合わせない事もないだろうしな」


セドリックは小さく優しく笑った。私は彼の後ろに、皆が食事の支度をする炊事場を見つけることができた。彼と外で会いこのように会話をしていると、実は夢なのではないかという感覚に陥ってしまう。しかし見慣れた『釜』に、なんとか現実との橋渡しをしてもらえている。


「まあ伝える必要事項はそんなもんで、あと少しだけ話がしたかった」

「あの変な吸ってるものは持ってきてないんだな?」

「へんな?ああ、パイプの事か。あれはあの家に備え付けみたいなもんだし、それに、君と話をするのであれば『シラフ』の方がいいと思ったからな」


セドリックは近くに転がっていた椅子を起こして、そこに座り込んだ。


「君に贈り物と言っちゃなんだけど・・・・なんでここが『青の谷』って呼ばれているか・・・」


私は感情を動かさず、セドリックと向かい合う。


「このヘルヒンの街ができる前、少し西の方に集落があった。そこにいる奴らのことを『青の谷』って呼んでたんだ」

「私が何度か仕事で足を運んだところ・・・」

「そうだな、あの辺だ」


さまざまな死体を捨てにいったところ・・・


「この街から近いだろ。ここに街ができたとき、そこの連中はみんな殺された。俺の父親も母親も兄弟もすべて・・・・」

「それは・・・いつごろの話?」

「百年以上前だ」


なるほど・・・私の目の前に居るこの『セドリック』という男は、本当に亡霊かバケモノかもしれない・・・・私は目をそらさず彼を見た。彼の瞳の奥を見た。それはあまりにも深すぎる。戻って来れないくらいの深さであるが、私は目をそらさない。


「ははは・・・」


彼はまた軽く笑う。


「私があなたに会った時、ここに来る前の私だったら、無理やりあの部屋から引っ張り出したいと思った。理由なんかない。どうなるか見てみたかった。でもここに来たときの私は、そんな考えには全く至らなかった。そして今も」

「つまり昔の君だったら、ここで大声を出して、ほかの連中の目を覚まさせ、あの部屋から出ている私を見物させる・・・もしくは私をこれから街の中に引っ張り出す。とても興味深い、ではなぜ今はやらないのか、面白いから聞かせてもらっていいか?」

「私は今まで・・・」


少し空を見た。月が先ほどよりもひどく我々を照らしている。それに反比例するかのように、周囲が圧倒的に暗くなる。


「なるべく自分が野暮なこと・・・シラケたことをしないように気をつけてきた。どうも昔から協調性が薄く、頑張ってほかの人たちに合わせると、なんだか言葉が滑って笑われることが多かった。それはわかっていた。どこかでシラケていたからだ。・・・でもそれは良くないことだと思っていた。だから・・・なるべくそうならないように」


静かだ。先ほど部屋の中には風の音が聞こえたのに、今は全く聞こえない。やはりあの風は私を呼んでいたのであろう。ここへ—————


「でもここに来て、特にあなたと会って、シラケていたのは私の方ではなかったのではないことが分かった。連中はここに立ったとき、あなたの『何か』を暴こうとして動くだろう。自分たちのバカ騒ぎのために。実にくだらない・・・これ以上シラケる事があるか。シラケていたのは私の方ではなかった・・・・・・・・あなたとここで、この話ができる以上に素晴らしいことがどこにある?」

「ふふ・・・」


セドリックは今まで一番小さな笑いをした。


「なんでそう思うようになった・・・どうしてそう思う?」

「これも私がこれまで勘違いしていたが・・・・私はどちらかというと『今』を生きていることをバカにしてきた。人は常に『先』を考えるべきだと。私が師事していたシルバー先生も『物事はなるべく広範囲長周期で考える』おっしゃっていた。私の考えと一致していると思った。だがその意味は少し違った。今から考えてみれば・・・・」


私は言葉を重ねていても、以前とは違う感覚で話していることがわかる。以前は言葉と言葉がもっとバラバラ。論理と論理がすべて個別のもので、それを無理やり接続していた感覚がある。だが今は違う。すべてが緩やかな一本の川の流れの中にある。


「でもここに来て、『今』を生きることに集中してみると、今まで時折『今』を生きていると思っている感覚が、全くそうではないと思えるようになった。つまり多くの場合『今』を生きているのではなく、ある時点で思ったところを、ひたすら妄想の中で延長し、その感覚を保ち続けようとする・・・その時点で常に時は動いており、現時点での『今』が存在し続けているのに、そこから目をそらし、耳をふさぎ・・・・ずっと前の時点で思った『今』にすがり続けている・・・・誰も『今』なんか生きてない・・・・・」


シルバー先生の『物事はなるべく広範囲長周期で考える』はあくまで『今』という起点に立った状態からの『範囲』であった。でも私は、遠くだけを見ていた。そう、この街に来た時の私も。人々を下に見て、ティモを見下し、ルドを見下し、鉄環の誓団を見下し・・・・この街を『通過点』と見下し・・・・私の『妄想の延長』はどこから始まっていたんだろう。


サアアアアア


少し・・・・ほんの少しだけ風が流れた。


「君はここで『今』を生きれたか?」

「自分なりには————あなたの言う『下界』から見れば、私がここにきてやったことは、あまりに不整合で気持ち悪く、わかりにくく、受け入れがたい・・・そのことが証明してくれてる」

「君の師匠は・・・・本当に大したものだ。できるものなら一度は会ってみたいな・・・」

「まだこの先何百年も生きるんだろう?会えるんじゃないか?」

「本気でその言葉を言っている君が大好きだよ」


セドリックの瞳の奥が、闇の色から澄んだ湖のように感じた。


「君は話してて楽しい。だがどうしても、ここでは君を受け入れ続けることは難しくなった。このコミュニティの器は、君を受け入れほど大きくもなければ、強くもない」


『器』・・・シルバー先生から教わった、この世界を構成する三つの中の一つ・・・


「君はここが好きか」

「好きだ」


一切、間がなく答える。だがその瞬間、奥から涙がこぼれそうな感覚を・・・・これだけはぐっと抑えた。私はこの後『下界』に行く。その想いがそうさせた。


「だが私が、ここに居続けることができないことは知っている。あなたがここを出れないように」

「そうだな・・・・まあでも、君はあと一年以上この街になきゃいけないんだろ?何回か会うかもな」


私は小さく頷いた。セドリックはゆっくりと腰をあげ、「じゃあ」という感じで手を振りながら、奥の母屋に向かった。私は少しだけ見送ったが、すぐに自分の家である『エリナさんの家』へ戻り、ベッドに入った。


翌朝、本当に昨日のことが夢のような感覚で、このコミュニティの少し開けた中央で、私と皆が向かい合っている。


「じゃあな、ビル」

「またね」


『青の谷』一同が私を見送ってくれる。エリナさんとリシアもいた。もちろんセドリックはいない。


「ビル兄さん、元気でね」

「ビルさん・・・いろいろありがと」


こんなにも・・・・こんなにも何の前触れもなく別れが訪れる事が、『現実』を教えてくれる。私は髪をバッサリ切った。肩には、返してもらったリュックと月の模様の盾。


「こちらこそ本当にお世話になりました。リシア、君は私の命の恩人だよ」


リシアの表情がパーッと明るくなった。

反対側を見ると、少し離れたところに私のお迎えが来ている。ひとりはティモ、もう一人はおそらく奥さんだろう。一度討論会の場所で、ちらりとだけ見たことがある。随分としっかり者のように見える女性だ。


「じゃあ」


私は手を振りながらゆっくりと『青の谷』を後にする。みんなさほど悲観的な表情をしてないのが実にありがたい。泣かれたりするとこちらが困ってしまう。正直涙を抑える自信がない・・・


ティモの方にどんどん近づいていく。


「・・・・本当にビルさんだ・・・・まだこの街にいたなんて・・・」

「さ、さ、こっちへ」


ティモの奥さんが手招きをする。私は最後に、大きくみんなに手を振ってから正面向き直った。


「すいません、わざわざ」

「何を言ってるんですか、ビルさんは私たちの恩人じゃないですか」


『恩人』?そうだったっけ?


「いろいろあったんでしょう。詳しい話はあとで聞きます。とりあえずはうちに来てください。滞在できるように準備をしています」

「お気遣いありがとうございます」

「あああ、討論会での雄姿、まだ覚えてます・・・」


若い女性の方が私に向かって言った。


「あ、スミマセン。わたしの名前はリアンナ・ヴァルク、ティモの妻です」


やはりそうだった。


「あんな所にいて大変だったでしょ。とりあえず食事の準備をしていますので」


『あんなところ』——————


分かっている。彼女に悪気はない。それに一般の市民からすると彼ら貧民層は『あんなところ』だろう。彼らと交流があるわけでも、まして一緒に暮らすわけでもない・・・・分かっている


わたしは『下界』に戻ってきたのである。


もうすぐ冬だ—————











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