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風と静寂  作者: 佐竹武夫
第十五章
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第十五章 第七節

「みんな!ビル兄さんが帰ってきたよ!」


最近『青の谷』に私が戻ると、リシアがコミュニティのみんなに声をかけることが、日課となっている。夕方になると随分と気温が下がる。もう少しで冬が訪れる。私はあの日以来、黄色い建物に入ってない。別の仕事を割り振られ、南から運ばれる魚を、この街の市場まで持ってくる仕事に変わった。その際に不要になった魚の部分をお裾分けしてもらえる。袋に入ったそれを、コミュニティのみんなで分けるのである。


「あら、今日は随分とたくさんあるね。塩漬けにして置いておくと、冬を越すのに助かるのよね」


中央の炊事場に、六人くらいの奥様方が集まって、私の持ってきた、魚の不要部分をさばいていく。いつも不思議に思うのが、誰かが分配することに対して、誰一人として不満の顔をしない。


足りないものに不満を持つのではなく、有ることに感謝を持つのです—————


シルバー先生からそう教わったことがある。そんな世界はどこにあるのかと思っていたが・・・


「ああ・・あああ、みんな・・・」


ふと気がつくと、このコミュニティの世話役である、偉そうなおじいさん、バルドランが杖をつきながらこちらに向かっていた。


「バルドランさん、どうしたんです?」


すこし困り顔をした彼に向かって、リシアが聞いた。頭をポリポリかきながら、少しだけ言いにくそうなそぶりを見せたが、「まあ、言わないわけにもいかない・・」という表情をして、正面を向き、口を開いた。


「なんかの・・・地域統括所から人が来ての・・・・疫病に対しての薬を飲むらしんじゃ・・・」


そこに居る一同が、全員顔を合わせる。正直、バルドランが何を言ったのか、理解をしている人は一人もいない感じだ。どうもここは、私が聞かないといけないらしい。


「このあたりで疫病が流行ってると?」

「そうみたいじゃ。まだそこまで広がっておらんが、東のほうじゃ少し流行り始めてるらしい。それを広げないためにも、薬を飲んで予防するみたいじゃ・・・」


やはりほかの人たちは、何の話をしているのか全く分からない様子だ。なぜならば、このような内容は貧民層にとって、一番距離が遠い話である。通常自分たちのところへは、病気になっても薬が回って来ず、常に金持ちだけ助かる。そして自分たちの多くは、次々と死んでいくことがほとんどである。つまり、このような防疫に関わったことがない故、経験も知識も全くない。


「変な質問で申し訳ないですが・・・そのような薬はまず、金持ちか一般市民の所へ行くのでは?」

「普通はそうじゃな・・・だがよくわからんが、聞いた事をそのまま言うとじゃな、その薬を配ってくれる一団が『貧しいところの方に疫病が流行る。そこに配るのがはじめであるべき』と主張したらしんじゃ」

「なるほど・・・」


至極真っ当である。論理的にまっとうということは、現実的ではない。この世の中でそんなふうに、物事が『正しく』動くこと自体が間違っている。


「じゃが、当然この町の有力者たちが『自分たちが先だ』と主張したみたいなんじゃ」


まあそうだろう・・・・


「ところがじゃ・・・審議官であるドゥペルが、それに強く反対したみたいじゃ・・・・『弱きものがはじめ』だと・・・・」


ドゥペル審議官・・・・あの日以来・・・私は彼と一度も会っていない。あの日私は、自宅に帰る明け方・・・・彼は初めて私を見送った・・・・『花を売る服』を着た私は、薄く朝日が照らす中、振り向いて彼を見た。私は今でも彼の表情を覚えている。私は彼の表情を表す言葉を知らない。


後悔・・・哀しみ・・・虚無・・・


違う・・・やはり言葉では表せない、遠くを見た表情。その彼に私は一言だけ言った。


「裁くべき人は他にいます。その責務にないあなたが、それを担わなくても良いのでは・・・?」


私のその一言を聞くと、彼の瞳の奥の小さな点が、少しだけ広がった。答えなどは必要ない。私はただ思ったことを口にした。

 そして次の日、バルドランから別の仕事を言い渡された。南から魚を運んでくる仕事。特別待遇の仕事だと『青の谷』の人から後で聞いた。仕事の報酬ももちろんだが、決して貧民層の行う仕事ではなかった。それをドゥペル審議官が用意してくれたかどうかは私にはわからないし、特に知りたいと思わなかった。


「まあ、昔からドゥペル審議官は『正義の人』と呼ばれていたからな、そのようなことを言うのはわからんでもないが・・・」


バルドランが苦虫を噛み潰した感じで話していると、一同もなんとなく不安な表情で、目が泳いでいる。私はこの度の、『薬を優先でもらえること』を非常に大きな〈特別待遇〉だと思ったが、バルドランがあまり乗り気でないのがよく分からなかった。


「我々に優先して薬を配ってくれるなんて、ありがたいことじゃないですか?何がそんなに引っかかるんです?」

「変な噂が流れとる」

「変な噂?」

「その配られる薬は毒じゃないかと・・・」


みんなが一斉に引きつった顔をした。私は正直全体の状況が把握できてない分、なんとリアクションをとって良いのかわからなかった。


「本来わしらに回ってこないもんが、回ってきてるのはおかしい。つまりその薬が怪しいから、わしらは毒見のために飲まされるのではないかと・・・」


ザワザワ


集まっていた女性陣が一斉にざわつく。リシアが不安な表情をする。不信が蔓延し、伝染する・・・


彼らの反応を見たことで、体に『風』が流れた。


この感覚・・・・・


かつては当たり前だった感覚。常に状況を不安に感じ、他人を疑う。この『青の谷』にきてから私の中で取っ払った感覚・・・・ゆっくりと自分の中で理解がにじむ


感覚だけで済ますのは難しいのか・・・いや、当たり前だ。そんなことはわかっている。私は私の中で大きく左に傾いていたものを、ここに来て右に傾き直していただけだ。だからといって、右側の感覚だけで・・・右足だけを出すだけで、前に進めるとは思ってはいない。


思考—————


『思考が必要な時』・・・・今思い返してみると、そんなことを考えたことは、一度もなかった。ほとんど思考の中に身を置き、物事の反射だけで生きている人々を、あまりに拙い生き方だと思ってきた。ここにきて、シルバー先生にここに残されて・・・・私は一度その感覚を捨てた。感じるままに、ほぼ思考のない状態で過ごしてきた。


心地よかった—————


だがいつかまた、それでは成立しない日常がやってくる。いやあるいは、ここのところ行われた営みにも、本当は必要な時があったのかもしれない。だが必要最低限、いやそれすらも放棄して、右足を続けてきた。だがある臨界点に達するとき、その世界は崩れてゆく・・・

私は一瞬だけためらった。だがすでに、ここに残り続けることができないことは、『明らかな』ものとなっていた。


私は一つ深呼吸をする。完全に戻ることはない・・・・しかし、ゆっくりと以前の私を・・・・


「リシア、みんな。不安なのは分かる。だから私が確認してみるよ」

「・・・・・」


一同の不安の顔は消えない。当然だ、まだ何もそれを除くための術を行っていない。



ザ、ザ、ザ、ザ、ザ


数人の足音が聞こえた。私も含め全員が振り返る。そこには、この街の地域統括所の役人に引きつられてきた別の街の住人、おそらく彼らが検疫官であろう。だが私の目の前に現れたのは明らかに『青の谷』の人々が恐れる集団であった。彼らは頭を重厚な頭巾で覆っており、ガラスで丸く作られたノゾキアナからあやしげな目が、ぎろりと見える。全員の顔が伏せられており、不気味だ。さらに、異様に白い防護服と長靴。さらに分厚い手袋。防疫のためとはいえ、あまりにも異形であり、人を怯えさせにはこれ以上ない姿をしていた。


「どうした!」


コミュニティの奥から次々と人が出てくる。男たちの中には、手に武器を持っている者もいる。


マズイ・・・


「リシア!」


エリナさんもその異様な雰囲気に気づき、家から出てきた。


「お母さん!」


リシアはエリナさんの懐に駆け込み、すぐに後ろに隠れた。『青の谷』の人々は感覚が研ぎ澄まされており、逆に言えば空気に流されやすい。少なくとも役人が主導しているものに対して、はじめから明確に敵対するのは得策ではない。だが私が見たことがないぐらい、『青の谷』の人々は恐怖と敵意を身に纏っている。


ザ、ザ、ザ、ザ、ザ


一団がこちらに近づいてくる。


「今日来るとは聞いてなかったんじゃ・・・」


そう言いながら、バルドランも後ろに下がる。いつもは偉そうにしているが、杖を持った老人に、この事態を収集しろと言っても難しいだろう。せめてセドリックが出てきてくれればいいが、あの男は一番奥の母屋からでることはないだろう。皆が身を引く中、私だけが前に出た。


「大丈夫、まずは話を聞きます」


背中越しに言った。皆の表情が見えないが、私を全面的に頼りにしているのは感じる。マスクの集団は思ったより多い。作業に人手が必要なのかもしれないが、十人以上はいる・・・


ザ・・・・


一団が止まる。私の前、十歩先で—————


「ああ・・」


先頭歩いていた地域統括所の役人が、口を開く。


「通達はしていたと思うが、これから貴様らに、疫病にならないための薬を飲んでもらう」


ザワザワ


私の背中で感じるのは、彼らの天を突くような不安の気・・・・すぐに抑えないと


「ちょっと待ってください!」


私は明確に正面の検疫官に対しても、後ろの『青の谷』の人々に対しても「待て!」を掛けた。


「⁉・・・・なんだ?」


『細身の役人』が不満な顔をした。マズイか・・・・いや、ここで愛想笑いするわけにはいかない。これだけ不信を持った状態で、誰だかわからない連中に、なんだか分からないものを飲まされる行為を強引に行えば、間違いなく暴動や逃亡になる。


「まず状況を確認させてください」


言葉は丁寧に言うが、一歩も引かない意思を示す。


「!・・・・」


『細身の役人』の後ろにいたマスクの一人が変な動きをした。一歩前に出ようとした。『なんだ?強硬策に出ようというのか?やはり善意の集団ではないのか?』


ザザ


『細身の役人』が私と応対することを少しは待つと思ったが、なんとそのマスクの男、突然『細身の役人』より前に出てきた。


「なんだ・・・」

「ヒ・・・・」

「ぅ・・・・・・」


明確に私の後ろから恐怖の声が聞えた。奇異な行動は『青の谷』の人々さらに怯えさす。


「あ、どうしました」


『細身の役人』も慌てている。よその街の検疫官が怒ったと思い、なだめようとする。しかしその時間軸とは全く別で、男はぐいぐいとこちらに近づいてくる。なんだ、なんなんだ・・・・


私の三歩前で止まった。そして・・・・・マスクを取る・・・・・


「ビル・・・・・ビル・フィッツジェラルドじゃないか・・・・」

「え・・・」


知り合い・・・?


「私だよ!ルシアンだよ!ルシアン・デュボアだよ!!」

「え・・あ・・・ルシアン?アカデミーの同期生の・・・?ボケールの街にいた・・・?」

「そうだよ!どうしたんだ、こんな所で!すごく髪が伸びたな!雰囲気が変わってたから全然分からなかったよ!」

「あ・あああ…お知り合いで・・・」


『細身の役人』は困った笑顔で、ルシアンに言った。


「そうだよ、アゼネイエのアカデミーで同期なんだよ」

「はぁ、首都アゼネイエでのアカデミー・・・・え・・・」


『細身の役人』は口には出さないが『なぜそんな人が貧民層に・・・』という表情をしている。ちらっとだけ後ろを見ると、『青の谷』の人々が先ほどまで持っていた、恐怖と敵意は消えていた。常に〈感覚〉を重んじる彼らは、目の前に来た怪しい集団が『信頼する男』の知り合いであり、気を許せる仲であるということに対して、ひとまず胸をなで下ろしている感じであった。エリナさんとリシアも完全に緩んではいないが、とりあえず『自分たちが最悪の状態にはならないだろ』という表情にはなっている。


「姉さん!ビルだよ!」


ルシアンは振り返って大きな声で言った。奥にいた一人がマスクを取る。それはルシアンの姉、ジェヌヴィエーヴ・デュボワ。その特徴的な少し釣り上がった目が、女性医師としての高いプライドを感じさせる、彼女自身を象徴する・・・・・?・・・泣いている?


カタ・・・


彼女がマスクを落とす。

・・・?・・・・・


「あ・・あああ・・・・」

「?・・・あ、お久しぶりです・・・」

「ああ‥‥生きて‥‥‥生きていたんですね・・・・」


彼女の両目から涙があふれ出る。


「いき・・・・あ、」


そうだ、私は完全に忘れていた。彼女と別れの時、


------「次に会うときはより美しき花を見せてもらうぞ!」——————


彼女に向かってそう叫び、シルバー先生を抱えて川に飛び込んだ・・・・いやあの時は興奮していた。しかも、追っ手に追いつめられた私たちを見て不安な表情の彼女に、シルバー先生が『気の利いたこと』を言うようにと煽られた(?)


私は急に顔が赤くなった—————


その時の自分が恥ずかしくなった。だがこの状況は、美しい女性と再開をして、顔を赤らめている男にしか見えないはずである。


「あ・・あああ・あああああああぁぁぁぁ・・・・」


ルシアンの姉は駆け出し、私の胸に飛び込んできた。もちろん避けるわけにはいかない。私は受けとめるしかない。


「あああ・・あああ・・あああああ・・・・・」


私の胸で号泣するジェヌヴィエーヴ・・・事情を知らない人たちは、どう考えても『愛しい人』との再会に見えてしまう・・・・私は・・・・ゆっくり・・・・後ろを見る・・・・・


エリナさんとリシアの目が怖い







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