第十五章 第六節
私はここに来て、随分と髪が伸びた。その長さは、腰のあたりに届くくらいだった。私はその髪を丁寧に櫛で通す。何度も何度も・・・・ゆっくり立ち上がる。そのまま、『花を売る時に着る服』を修繕しているメアリアの家に向かった。
コンコン
普段はノックなどしない。不躾に大きな声で呼ぶのが、普通である。
「なんだ・・・えっ」
中から出てきたメアリアは、私の顔を見て息を詰まらせた。
「なっ・・・なんだビルさんか、驚いた、どうしたんだ」
「『花を売りに行く時の服』直しましたよね。あれを貸してもらえませんか」
「え、まださすがに・・・あの子は・・・」
「売りに行くのは私です」
「え、あ・・・ああ・・」
何をどう受け取っていいのかわからない表情であった。だが、『青の谷』の人々のいいところは、余計なことを聞かないところだ。ダメなものはダメ、良いものは良い・・・・
メアリアはそのまま奥に入り、修繕が済んでいる『パフスリーブで首元が少しあいた上着』、『大きく横に広がったスカート』を持ってきた。元々この服は大きめにできており、腰のところで絞り込んで、誰でも着ることが出来るようになっている。私はその服を着るとコミュニティの中央に置いてある花を両手に持ち、ヘルヒンの街の中へと入って行った。
ウゥワウウワッウウワ
ザザアアザザ
カカンカカカンカカアアン
久しぶりに聞く喧噪——————町の中心部に向かうのは久しぶりである。この辺りは二階の建物が連なっている。道幅が広く土煙が舞う。シルバー先生たちと此処を訪れた時は、私が今住んでいる所から、ずいぶん東の方で活動をしていた。逆に言うとそちらに向かうとなれば、顔見知りに会うことが考えられる。しかしあれから随分と月日が経った。私と顔を合わせても、分かる人はほとんどいないだろう。しかも髪の毛はずいぶんと伸びており、目下女性ものの服を着ている。
私はいつも花を売っているという、ほんの少しだけ広場になった十字路のところに来た。思ったよりもすぐに、私のところに花を買いに来る者が現れた。どう考えても男の私がスカートを履いているのである。人が寄ってこないと思ったが、男性の中ではどちらかというと細身の部分に入る私が女性の服を着ていても、遠目に違和感がなかったのであろう。近くにくるとさすがに気づいたみたいであるが、
「あ・・いつも売ってる人じゃないんだね」
青い上下の服を着た身なりに整った男性が、声をかけてきた。大き目の赤い花を二本持って行く。この辺りの花は名前を全く知らないことに、今気がついた。
「あれ、アンタ『青の谷』で見たことあるよ」
と言いながら、明らかに何らかの作業をしていた女性が、私の顔を見ながら花を買っていく。選んだのは小さな黄色い花の束。
「いつも買っていくから、今日も買うよ」
少し歳の男性。「ありがとう」と一言いう。
「あんたその服、意外と似合ってるじゃないか」
と、ニヤニヤして去っていく者もいる。言葉の真意は分からないが、「ありがとう」と一言いう。その後も思いのほか売れていくが———ただ誰も、先日花売りに対して暴行があったことに関する言葉は、何一つ耳には入らない。もちろん、その犯人を捕まえようと思ってここに来たのではない。では何をしにここに来たのか。理由?理由など何もない。ただ私はここに来るべきだと思った。しかもこの格好で———地面に舞う砂埃を見ながら、そんなこと思っている。
「半分売れている」
私は静かな音を口からこぼした。何もなかったように時間が過ぎていく。売り方も声の掛け方も知らないが、人々からもらった小銭を適当に受け取る。値段設定もこれでよいのかどうなのかわからない。受け取った小銭をどこに貯めるのかもわからず、スカートのポケットの中に入れて行く。あの日、私がリシアに会った時のように、花を売るときはコミュニティの人々が朝、森の中に取りに行く。私はただそれをこの場に持ってきて、人々の渡すお金を、何も考えず受け取るだけ。これでこのまま 、今日が終わるのであればそれでよい・・・・
「あんた、男か?」
明らかに暴力的なものを生業としている者たちが、五人来た。何もないまま、終わりそうではなかった。
「この前の女達と同じ桶を持ってるな」
五人のうち一人が、私の足元の桶を見て言う。そうでないかもしれない、しかし、エリナさんに暴力を振るった連中かもしれない。
「おまえ気持ち悪いな、なんだその恰好?頭おかしいのか?」
これまで私の格好に何かを言った者は一人もいなかった。
「なんだかなあ・・・」
ガン
別の男が、花の桶を軽く蹴った。明らかに本気では蹴っていない。男である私が、どのように反応するか試しているのだ。私は伏見がちで周囲を見渡した。
ザザアアザザ
周囲の人はざわつく。まだ大して何も起きてないのに、この反応は過剰だ。つまり先刻の状態に何かが近いのだろう。やはりこの連中なのであろうか。
「邪魔なんだよ!」
ガン!!
今度は大きく桶が蹴飛ばされ、花が周囲に散った。蹴った瞬間男たちは、私が何らかの反撃を試みるのではないかと一瞬構えた。周囲はさらにどよめきの音を高めた。やはりこの感じは、この情景を始めて見たものの反応ではない。私は黙って花を拾いはじめた。
ガコ!
花を拾っている私の横腹に、ケリが入った。
「ウグッ」
私は腹を抱えて倒れた。その瞬間五人組の男は、私の反撃が完全にないと思ったらしい。今までの警戒感が消え、反動で一気に私への攻撃を強めた。
ガン!!
ガン!
ガン!!
「グッ」
私は腕でなんとか頭部への攻撃を抑えたが、足と腹にくらい、もんどりうって倒れた。周囲小銭が飛び散る。
「なんだこいつ!男じゃねぇのかよ」
「いや、どう見ても男じゃね?」
男たちはそう言いながら、攻撃の手を緩めない。横になって倒れた私を、思いっきり蹴りつける。
なんがっいぇあれつおいおい
うわおおいだいだれか
まんあいつらこないだ
男たちの蹴りの強さと同じように、周囲のざわめきがどんどん大きくなる。
「おいおい、お前ら、そこ開けろ!」
五人の中の一人が大声を上げた。その声が聞こえた直後、私の周囲で私を蹴っていた人物たちが掃ける。木の棒を持った男が振りかぶり、私にそれを叩きつけてきた。
バゴ!
「うぎいいぃ」
痛い・・・さすがに痛い・・・
「いぎいぃい、いぎがいぃぃ」
「なんだこいつ泣いてるぜ!」
「ホントだ、ひでーな」
私は体を抱え込む。涙が・・・涙が止まらない・・・
「やっぱこいつ女じゃねーの」
「違うって、ぜってぇ」
うあわなにあれえひどい
おいだれかまたなんかうわあ
さらに周囲の声が大きくなる
「おまえ気持ち悪いんだよ!」
ガコ!
頭を蹴られる。
「うぎぃぃ」
「ハハハハハハ!」
男たちの嘲笑。周囲の落胆と蔑み。おそらくこの男たちは、先日のエリナさんたちがやられたことに対して、何らかの復讐が自らに降りかかると思っていたのであろう。それが彼らの、初めの緊張感に現れており、今ここに至って、それがないとわかったことによる開放感。そして周囲の人たちはそれと全く逆。このスカートを履いてきた、長い髪の男が何らかの勧善懲悪を達成し、この暴力的な連中を痛い目に遭わせてくれるという、期待感から始まり、現在に至る失望。ただ蹴られ続け、泣き続ける目の前の男に対する失望。
「う、うぎぃぃ、ぃぃいいいぃぃ」
涙が止まらない。涙が止まらない。私は生まれて初めて、自分のことでない事で、泣いていることを実感している。私は今までずっと、最終的に自分のことで泣いていた。自分のつらさ、自分の情けなさ・・・・だが今この瞬間の私は・・・・エリナさんの苦しみ、リシアの恐怖と叫び・・・・そしてそれは、この周囲にいる人々から守られることはなく、『青の谷』の誰かが来るまで続いた公開の屈辱・・・誰も止めることができない・・・・・こんなことが日常で、どの街でも、どの国でも・・・・・私はただ、今その事実を受け止めるだけ・・・・復讐もない・・・反撃もない・・・・
ガコ!
ガコ!
誰も止めない・・・ある者がある時、突然この穴に落ちる・・・・決して抜け出ることができない・・・・そんなものが、この世界中に・・・・
「ううぅわああ・・ああぁあああ・・うあああぁあああ」
天にも届く声で泣き続ける。
「うるせんだよ!」
ガコ!!!
「なにやってんだーーー!!」
ザワザワ
周囲の声が変わる。
「おい!ビル————!」
「おまえら!!!」
おそらく『青の谷』の仲間だ・・・・足音からすると、かなりの人数が来てくれている・・・これは女の人たちもいるな・・・
「いこうぜ」
5人組の中の一人がそう言うと、駆け足で去っていく。それとは入れ替わりに、みんなが来た。
「大丈夫か!ビル!!」
「やべ、スゲー血が出てんじゃん!」
そうか・・・そんなにひどい状態か・・・
「意識はあるか?」
「ビルさん!!」
私は涙でぐしゃぐしゃな顔をみんなに向ける。何も反応ができない。だが一つだけわかる。彼らは私を誰も責めない。「なんで反撃しないんだ」「なんで一方的にやられてるんだ」「なんで逃げないんだ」「そんなことやってなんの意味があるんだ」「戦わなかったのか」彼らはそんなことを何一つ言わない。目の前の状況と、目の前を私だけを見ている。
ザワザワザワザワ
私は、町の人々のざわめく中、誰かの肩を借りてコミュニティの方へと引きずられながら戻っていく。周囲の反応は、期待したものが見ることができなかった、失望への声だけである。それらも段々遠くなり霧散する。
「大丈夫か、ビルさん!もう少しで着くからな」
「しっかりしろよ!死ぬんじゃねぇぞ!」
死にはしないよ。歩けもしないし、声も出せないけど、その点は大丈夫だ・・・・
「ビルさん!!」
「ビル兄さん!!」
エリナさんとリシアの声が聞こえた
これはしまった————
彼女たちに心配をかけてしまうこと・・・そのことを全く考えてはいなかった。物事を考えず、目の前に感じたことだけをする・・・・そのせいで、 2人に要らぬ心配をかけてしまうこととなった。これは少し申し訳ない・・・・
「ああ‥あ・・ビルさん、なんでこんなひどい目に」
私はさすがに申し訳なくなって、痛めつけられた手を少し上げ「大丈夫ですよ」的に、無理やりにこやかな顔をした。私はそのまま自分のベッドへと届けられ、いつも間にか、眠ってしまった。
× × × × × × × × × × × ×
運が良かったのが、私の体調が優れないということで(細かい事情を説明してないが)ドゥペル審議官が仕事の日程をずらしてくれたことであった。多少融通が利くのは分かるが、どうも私のことを痛く心配してくれたらしく、 3日間その仕事が行われなかったらしい。 4日目には私も完全に・・・とは言わないが、普通に仕事ができるまでにはなっていた。その間、町ではずいぶん謎のうわさが流れたらしい。
淫妖で美しい花売りが街に現れ、街の乱暴者がその妖女を棒で叩くと、水になり消えていったという————
話の筋だけ聞くと、何が面白いのかわからない・・・・噂というものは不思議なものだ。現実にあったことと、ずれる理由は何なのか・・・・人々は何かを求めているとよく言うが、なぜこのような話になるのか、求める理由は何であろうか?
「もう体の具合は大丈夫なのか?」
久しぶりに黄色い建物に夕方訪れ、いつもより少し早めに準備をしようとしていたら、まったく予想していなかった状態だった。ドゥペル審議官が私よりも先に、木の扉の中の詰所にいて、椅子に座っていた。少し夕日が入り込むその部屋で、この男と顔を合わせたのはこれが初めてではないか。そして彼の目は・・・彼の瞳の奥には、まるでぶれることない『一点』が存在した。私はそこに違和感を持った。『青の谷』に来てから、私は思考的シミュレーションをほとんど行ってない。以前であれば違和感を受け止め、そこから物事を分析し、自分の目的ルートへと導く考察する。つまり今私が持っている違和感は、以前とは違うもので赤いものを赤、青いものを青と呼んでいるだけである。
「お前は聞いたか?『花売りの妖女』の話を」
私はまた違和感を持った。話のスピードが速い。ドゥペル審議官は以前、もっと物事を噛みしめるように捉えてから、ゆっくりと慣れるように言葉を発していた。瞳の奥にある、動かない『一点』と早い言葉・・・・私はまだ何も言葉を発しない、にもかかわらずドゥペル審議官は、何かの衝動を抑えられないように、言葉を続ける。
「妖女の泣き声は周囲の人間の心を抉り、その妖しさと美しさに狂った男たちが木の棒で殴りつけると、水のように飛び散った。そう聞いている」
私はその時、少しだけわかった気がした。なぜ私は今、このようなことを言われているのか。同じだ・・・ここに来た時・・・ある時から私は一つのことを決めている・・・すべてをあるべきところに・・・・
「私です・・・・」
「!・・・・・」
ドゥペル審議官の奥にある『一点』が、明確にその幅を広げた。何の理由も考えない。何の状況も分析しない。しかし私の持っている答えが、現実と大きく乖離してないことを、私の体の反応が示している。このままほって置いたら、相手は何と言うのだろう。しかし余計なことはしない。私は必要な言葉を、必要な分だけ言う。
「そうです、それは私です・・・・」
今までに無理をしていたのか、その時初めて『一点』が微妙な動きを見せた。その点は私の後ろ髪をとらえた。
「そうなのか・・・?」
また時間が経過する。それはとても短くもあり、とても長くある。ただ言えること。私は何もその場の流れをコントロールしたり、主導権を握ったりしようとは考えない。あるべきところを感じ続けようとした時、思うこと。何人も実質的に裁き、何人もこの向こうの・・・鉄の扉の向こうで・・・時に死に至らしめる。そんな男が、「そうなのか・・・?」こんなとぼけたことを言う。
「そうです・・・・一度帰って、その身支度をすれば、それが本当かどうかはわかるはずです」
私はそう言いながら扉に向かった。そしてそのまま、建物の外に向かう。あえて相手の言葉はまたない。答えはわかっているからである。
「今日の審議はなしだ」
背中で声が聞こえる。私に言っているのか、ほかの誰かに言っているのかわからない。そのままツカツカと歩いて外に出る。そのままツカツカと歩いて『青の谷』に向かう。
「ビルさん?」
夕日が沈みきったところ、私が急に帰ってきたので、エリナさんは随分と驚いた表情をした。リシアは出かけているらしい。難しい説明をしなくて助かった。
「どうしたんだい、何か忘れ物?」
「エリナさん、花売りの服をお借りしたいです」
「え、あ、ああ」
エリナさんは奥の部屋に行き、すぐにその服を取ってきてくれた。私がボコボコにやられてから、また改めてメアリアが修繕してくれた。
「これも借ります」
私は机にあった櫛を手に取ると、髪を梳き始めた。その時、エリナさんは私がなぜ今帰ってきて、私が何をしていて、そして何をするのかを理解した。
「ビルさん・・・・」
エリナさんは急に涙声になっていた。
「ビルさん・・・・あんたが、なんでそこまで・・・・そんなことを・・・」
私は黙って髪を梳く。
「ビルさん・・・どうして・・・・」
「私は・・・・」
久しぶりに、体の中に風が通る。以前ずっと通っていた『風』が・・・・
「私は、誰のためでもない。いつでも、どこでも、私のために今を生きています。私は至るところに、落ちていこうとしている。そうでないと、なぜ私は先生にこの街に置いていかれたのか、ロランはなぜ死ななければいけなかったのか・・・・私はどうしてもそこに至りたいと思っている」
しゅあぁぁぁ
しゃあぁぁぁぁ
「なぜこのコミュニティの長であるセドリックさんは、何か問題があっても顔を出してこないのか・・・・私が出会った、道の向こうから歩いてきたソレは何なのか・・・・・」
丁寧に髪を梳かす。艶の出るように。ろうそくの明かりに妖しく揺らめくように。
「うぅぅ・・・うぅぅ」
エリナさんが泣いている。何故泣いているか私にはわからない。聞けば分かる。聞かないとわからない。それが人だ。人と人との関係だ。聞かないで分かるなんて、そんな超人的なことはありえない。予測はできるが、大概真実からは遠い。そのことで誰もが私を批難し、罵り、蔑む。
『そんなことをする必要がどこにあるのだ』『明らかに害悪だ』『異常だ』
——————だからなんだ。
彼らが私の面倒を見てくれるのか?彼らが私の状況をどうにかしてくれるのか?一日も経たず、彼らは私のことなど覚えていない。勝手に想像し、勝手に解釈し、勝手に納得する。すればいい、私はそれを止めない。気にもかけない。私は『私の答え』に従う。
「あたし・・・どこかで夢を見てた・・・・ビルさん、あなたがここにきて、ここでずっと暮らして・・・・いつか、リシアの父親に・・・いや、リシアの夫になって・・・・・そんなことを夢見てた・・・・そう・・・あなたはそうでないと・・・分かってるのに・・・・分かって・・・いるのにぃぃ・・・・」
彼女の涙が床に落ちる。
私は感じるままにここへ導かれ、ここに留まった。そして、エリナさんは私がここを離れていくことを、決してここに留まり続けることがないことを感じて・・・・分かっている・・・
エリナさんは、花売りの服を着るのを手伝ってくれた。
「もうすぐリシアが帰ってきます」
「はい」
私は返事をすると、すぐに『青の谷』出た。スカートの為、少し足元が涼しかったが、それが逆に、自分の体の熱さを感じさせた。少しずつ、少しずつ私が至るべき場所へ。
ロランはなぜ死ななければならなかったのか——————
久しぶりに頭の中に風が通る。先生から学んでいる時、何かを行動するのと同じくらい、行動しないことが大事だと教わった。どこかに行くのと同じぐらい、どこかで待つことが大事だと学んだ。それが表裏一体。表のカードと裏のカードの関係。片方をひっくり返すと必ず片方になる。同時は決して存在しない・・・・・『生』と『死』も決して同時には存在しない。懐かしい。先生に教わったことを、無理に考えないようにしたわけではない。それ証明するかのように、今止めどなく先生の言葉が、風が通り抜けていく。
光と闇——————
先生は、ほぼすべてか『闇』とおっしゃった。それは夜空を見上げわかると。表と裏は半々ではないと。片方が圧倒的に、いやほぼ全てを占めており、もう片方がすぐに消えてしまうほど小さい。偶然そのような時はあるが、全体の比率はそうでないと・・・・
全ては『闇』、全ては『死』だから・・・だから自分の『光』を、自分の『生』見失うことはあってはならないと・・・・
「はぁ・・・はぁ・・・」
遠くに黄色の建物が視界に入ってきた。まだ風が通り抜けている。
もしかして、思考と感知は表裏一体ではないか・・・・感知を蔑ろにすることを、多くの人は『良し』としないが、『待つこと』の重要性が認識されないくらいに『感知』は・・・感じることは思考より疎かにされているのではないか。目の前で起きたことに反応だけしてしまうのは『感知』ではない。口に含み、味わう・・・・甘いものも、苦いものも・・・・思考はその後に始める・・・・・
今、私は、思考を、理論を、感じながら、味わいながら、ゆっくりと・・・・生まれて初めて
————『風』を『感じて』いる
「はぁ・・・はぁ・・・先生・・・そうだとすると『待つ』ことも・・・・『感じる』ことも・・・・『闇』と同じで・・・・全てを覆っていて、だから・・・はぁ・・はぁ・・人に意識されていないんですかね・・・・・シルバー先生・・・・・」
篝火の点いた入り口を抜ける。衛兵が何も言わないことが、全てを物語っている。そのまま奥の部屋に入る。木の扉を開ける。そこには『一点」の瞳のドゥペルがいる。
「ぁ・・・・・・」
私を見たドゥペルは、小さな抑えた感嘆を漏らす。
全ての答えはそこにある。ドゥペルの目。ドゥペルの表情。ドゥペルの声——————
他人の答えなど知らないし、どうでもいい。いや、この場に実際に立っていない連中に、『感知』の共有を試みようともしない輩に、助言ではなく『真実』を語られるなど、何の意味があろう・・・この瞬間、遠くに置いておいたシルバー先生の言葉が、現実と肉薄し始める。
私は息を整えてから、口を開ける。
「こっちの部屋ですよね」
鉄の扉を指す。ドゥペルは驚きで瞳孔が拡がる。否定はしない、すなわちそれは肯定である。私はゆっくりと鉄の扉に手をかける。
ギギギギィィィィィィ
スカートを靡かせ、私はその部屋に入った。




