第十五章 第五節
この街に来てから、随分と時が流れるのが早い。私は新しい仕事について、もう何日か目の朝を迎えた。新しい仕事にも随分と慣れた。夕方から明け方にかけて、作業者であるドゥペルの為にお茶を入れる。本人にお茶のこだわりが強く、ゴルゲアン地方の甘みの強い『ヴェルシュ・シュガリーフ』、幻光の丘で採れる『ルミナ・ハニーテ』がよく指示をされて作らされる。
——————「お茶を入れるのであれば、味も少し分かっておいた方がいい」
ドゥペルは花柄に蝶の模様が付いたカップを、私の分も用意して、それぞれの味を確かめさせてくれた。『ルミナ・ハニーテ』はかなり高級らしいが、茶の味がわからない私でも、口に含んだ直後少し頬が緩んでしまった。故郷のアラモンでも、首都アゼネイエでもこれだけのお茶を飲んだことがない。ましてや、今私が住んでいる『青の谷』ならもちろんの事。
——————「・・・・・」
気が付きとドゥペルの四角い顔が、私をのぞきこんでいる。口元が緩んだのを見られたらしい。なんだか妙に恥ずかしかった。
あとは時々肩を揉まされる。作業が肉体的な労働を伴っているせいなのか、それなりに神経を使っているからかは分からないが、随分と肩がこるらしい。そう云う体質かもしれない。
——————「思ったより腕の力があるのだな」
頑張って揉んでいると、突然そのようなことを言われる。
「まあ、そんなに背中に筋肉をつけた人からすれば、私たちはひ弱に見えるでしょうけど」
嫌味でもなく、皮肉とも取らないで思ったことを口にした。
——————「見てみるか?」
ドゥペルは、肩口からエプロンのように垂れている上着を、下に着ていた麻の服とともに、腰を下ろしたまま脱いだ。なるほど、私が想像していたよりも分厚い筋肉。そして、いくつもの傷あと・・・・・それが何を意味するのか、分析も想像も何一つせず、その上から黙ってまた肩を揉み始めた。ドゥペルの作業と作業の合間に繰り広げられる、実に暇つぶし的な『お遊び』である。
——————「ありがとう。もういい・・・そろそろ仕事に戻らなければ」
これだけ身分が低い相手に、きちんと礼を言うのか——————ゆっくりと立ち上がり上着を着る。仕事はこの詰所の対面にある、鉄で出来た扉の奥で行われる。ドゥペルが詰所の木で出来た扉を開けて出て行き、鉄の扉を開けた瞬間に、向こう側で気を失っていただろう〈だれか〉の叫びが聞こえる
いやだ・・・もう勘弁してくれ・・・・俺はホントに知らないんだ!! 頼む!!
バタン
鉄の扉が閉まると、その声のほとんどが聞こえなくなる。しかし、それから後———その扉も突き通すほどの叫び声が聞こえてくる。私は黙ってカップを洗い始める。
がぁああ!!! があああああああ!!!!
「冬場、ここは寒そうだな・・・・」
私の口から不満の声がこぼれる
ひいいいい!! ああ、ああああ、ああああ!!!
「あ・・・そう言えば、お茶の葉が切れそうになったら、補充はどうすれば・・・」
ぃいいひぃいぃ・・・ いやぁぁ!!!
× × × × × × × × × × × ×
朝日が目に眩しい。『青の谷』と呼ばれるあばら屋の集合地域にたどりつくと、そのまま自宅に戻り、ベッドに横になった。一緒に住んでいるはずのエリナさん、リシアはいない。リシアのベッドを見ると、いつも着ている服が投げっぱなしになっている。つまり、今日はお気に入りの服を着て、花売りに出かけたみたいだ。そのまま瞼を閉じ、疲れを癒すためにベッドに体を沈めた・・・・・
ざわざわ・・・・
「・・・・・」
ザワザワザワザワ
「?・・・・・・」
大丈夫か! こっちだ!
何かあった?・・・
日の高さを見るとまだ昼にはなってない。意識がしっかりすると、コミュニティの中がずいぶんとざわついているのがわかる。ボケた感覚と別に、体を無理やり起こして玄関からでる。
「う・・・あぁううあああ・・ぁ・・お母さん・・・!!」
リシアの声!大きな泣き声!
「どうした!」
駆け足で、近くにいたケルンに寄って聞く
「あ、ビル・・」
ケルンは少し呆けた様な返事をした。私の視界には、泣きじゃくるリシアとその前に・・・抱え込まれながらも、自力で歩いているエリナさんの姿—————命に別状はなさそう・・・それに大きな怪我をしているようには見え・・・・
「襲われたらしいよ・・・」
ケルンが申し訳ななさそうな表情で、私に言った。数名の女性がエリナさんを囲ったままこちらに向かってくる。確かに服が汚れ・・・破れ・・・・私はその中の一人、ケルンの妻であるメアリアに目をやった。私は何かした方がいいのか・・・・彼女の深刻な眼差しを見ても、私は自分の行動を決める位置を見出せなかった。リシアには別の女性が肩を抱いている。彼女の服もヨゴレていた。私の目の前を通るときも、彼女は私の方を見ることはなく、泣きじゃくりながら家の中に入っていた。その日から数日、私はケルンの家に泊まった。逆にメアリアがエリナさんとリシアについていた。
「何かあったか?」
黄色い建物詰所の中。いつものように燭台の明かりが微睡んでいる。作業の休憩時間、お茶を淹れる私の姿を見て、ドゥペルが声をかけてきた。自分では表情には全く出しているつもりはない。いや、今の言葉は違う。以前は自分の感情をコントロールし、表情から声色まで相手に悟られないように意識をしてきた。しかし今は、言葉も含め自然と表に出している。隠さないので考えを読まれるのはもちろんだが、逆に今の自分が何らかの『心の大きなうねり』を持っていることを、ドゥペルに気づかされる。彼の言葉にどこか優しさを感じる。しかし彼がこのお茶を飲み終わった後、扉の向こうの人に拷問を始めることを私は分っていた。日数が経てばそれなりに情報が入ってくる。彼の役職は審議官。この街ヘルヒンで〈三つ目の審議官〉と呼ばれている。誰もが彼を恐れている。ある人は彼が公明正大に審議を行ない、ある人は拷問が趣味のろくでなしと呼ぶ。つまり、悪の芽を見逃さない『人ならざる英傑』としての〈三つ目〉と、『己の歪んだ癖』で人を苦しめる魔物としての〈三つ目〉、二つの意味があるらしい。元来彼の役職は人を裁く立場の人間ではない。彼が審議を行った(審議?この向こうで行われていることを審議と呼ぶのか?)人が、その資料を基に裁判が行われる。しかし形式的なところが多く、実質彼の審議がその決定に大きな影響を及ぼす。
「とくには・・・」
「そうか・・・・」
彼は私に無理やり内容を聞いてこない。その優しさは、何の優しさか全く分からない。もちろん分かろうとしない。私はここでも、自分の足元に一つ置いていく・・・・
以前私が明け方に運んでいたのは、ここで死んだ人か・・・・・
昔の私であれば、出会った時に推測しそうな内容。私はその思考を一切めぐらすことなく、花が咲き、蜜がとられ、草地に落ちる当たり前として、私の体の中を通っていた。シルバー先生といた時には無い感覚。先生との日々は、常に頭の中を先生の風が通っていた。今は・・・熱のようなものが、ゆっくりと広がっていく感覚。
体が疲れるが・・・
心地よい・・・・
ドゥペルはお茶を飲みほすと
「よし!」
と、珍しくわざとらしい声を出して、詰所の扉を開けた。これも、彼の優しさ・・・・木の扉が閉まり、さらにその向こうの鉄の扉が開くと、いつもの悲鳴が聞こえる・・・
私はここで何をし、誰と何を話し、何を思っているのか・・・・何一つ不明瞭で
心地よい・・・・・
「ビルさん・・・・」
いつものように明け方『青の谷』のコミュニティに戻ると、エリナさんの家(ずっと私がお世話になったところ)からメアリアが出てきたところだった。
「もうだいぶ落ち着いたから、大丈夫だと思うよ。声をかけてあげて」
「はい」
私は返事をして頷いた。これからエリナさんの家に自分は戻っていいのか、まだケルンとメアリアの家に世話になるのかわからないが、とりあえず目の前の言われたことだけ、ゆっくりと丁寧に行動して行く。
ぎぎぃぃ
何日かぶりにこの扉を開ける。
「あ、ビルさん・・!」
比較的明るい顔で私を出迎えたのは、エリナさんだった。
「ごめんなさいね、迷惑かけちゃって。でももう大丈夫だから。今まで通りこの家にいていいから」
無理のある笑顔。それの何が問題あろうか・・・・
「分かりました。あとでケルンのところに行って、荷物を取ってきます」
なんだか部屋が薄暗い。当然である。カーテンが閉まっているままだ。奥をみると・・・・・リシアが立っている。私はどこかでリシアが、私に一番に声をかけると思っていた。しかし彼女は上目づかいで、少し目の下に影がある感じで、白目が多い目で、私の方を見ていた。なんだか五つぐらい年を取ったような・・・・私は何も言わず彼女を見つめる。
「ごめんね・・・リシア・・・」
エリナさんが気を使って、何かその場の空気を変えようとするが、私とリシアは目線を合わせたまま。臭いのある空気が流れる—————
「ねぇ」
大人びた声で私に言い放つ。
彼女は何を見たのか—————
何を感じたのか—————
何を思ったのか—————
黙ったままの私に一切目線を外すことなく、彼女は言葉を続けた。
「あなたも、あいつらと同じ・・・・?」
「違う」
私は即答した。かつての私だと即答はできなかった。さまざまなことを考えた。何を聞かれるのか。何を答えるべきなのか。『利点』と『不利点』は、『器』と『傾き』と『法則』は・・・・『誰』のために、『何』のために・・・・・『不安』『不満』『不快』・・・美しい言葉を使わない、客観性とは・・・『三つの世界』、正しいとは、『悟性』、『生』は『死』、『死』は『生』、人は伝えることも、伝わることも難しい・・・・・
しかしこの『青の谷』で知ったことと、シルバー先生から教えられたことに、寸分たがわず一致するものがある。
————答えは自分の中にある—————
私にこれ以外、どんな返事があるというのであろう。これ以外にあるわけがない。
『彼女の母親を襲った人とあなたが、本当に違うと言い切れるか』
—————うるさい、黙れ
『彼女がその一言で納得できるか』
—————そんなこと知るか
『この後あなたが、変わってしまうことがあり得るのではないか』
—————それがどうした
私の一生でどうかは知らないが、この瞬間、私が目の前の人を大事だと思うのであれば、この瞬間その大事なものから目を反らして、どうするというのだ!
—————ビルよ、人は目あれど見ず、耳あれど聞かず
先生の言葉が横切っていく。だがそこに、冷たさはない—————
いや、温かさえ感じる—————
リシアの瞳を見れば、声を聴けば、体の震えを見れば・・・・
答えなど一つしかない
「私は、そいつらとは違う」
「ぅあ、ぅああ・・・あああぅぁぁぁああああ!!!!」
リシアが泣きながら私に飛び込んできた。顔を押さえつけ、爪が食い込むぐらい抱きしめてきた。私もリシアを、ゆっくりと・・・ゆっくりと・・・・優しく・・・生まれたばかりの命を包むように、引き寄せ・・・あたためた・・・・
彼女の体は・・・・あまりにも冷たかった・・・・・
彼女の声は当分の間『青の谷』に響きわたった。だがそれを聞いて、この家に飛び込んでくる人などいない。彼女の声を聞けば、助けを呼ぶ叫び声なのか、張りつめた糸が切れた瞬間、安堵からのこだまなのか、聞けばわかるからである。しかし、この世界から一歩外に出ると、誰もが相手を見ず、相手の声を聞かない世界へと埋もれていく。
「ぅぁぁ・・・・・ぁぁぁ・・・ぁぁ・・・・・」
少しずつ、慟哭の揺れ幅が、長く緩やかになっていく
「ぅぅ・・・・ぅ・・・・」
私はエリナさんを見た。彼女はいつの間にか、泣き終わった後だった。
「エリナさん、今日は本来、花を売る日です。集められた花が釜の奥に置いてありました。今日、私が売りに行きます」
エリナさんは明らかに理解して居ない表情をした。理解の必要はない。私が私の中の答えに、従っているだけだからだ。
「メアリアさんが花売り用の服を直していました。あれをかります。あと、櫛も貸していただけますか・・・」
私の中では答えが出ている—————
何をどうするかなど考えてない。ただ決まっていることを行うだけ。花売りの服を着て、身なりを整え、花を売りに行く。何の含みも何の計算もない。ただそれだけが決まっている。
私は外の水場に行くと、『青の谷』にきて、初めてひげを剃り始めた。




