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風と静寂  作者: 佐竹武夫
第十四章
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第十四章 第十四節

何のために・・・・・


今から考えれば、それがわかる。それを思い出すだけで顔が赤くなる・・・・・


なぜ先生は、これまでその大きな羽を隠していたのに、この公会堂で建物いっぱいに、翼が天井を突くように拡げたか・・・・


まるで、幻と現実の間に光る・・・・風——————



「さあ、これで舞台が整いましたね。どうぞ、あなたの話をする番です」


あまりにも優しく、優しすぎる笑顔でシルバー先生はグラウに言った。


「・・・・・・・」


警戒なのか、戸惑いなのか・・・・グラウは目玉だけで周囲を見渡した。その瞬間もシルバー先生の呼吸は全く乱れない。お互いにマスクを被り、目だけ出した男が向かい合って立っている、奇妙な空間。隣には震え収まったものの、虚ろな目で床だけ見続ける椅子に座ったルド。


「我が名はグラウ————我が故郷キャステルは・・・・」


グラウはそう言いながら、顔を覆っていたマスクに手をやった。そして「こんなものは邪魔だ」と言いたげにそれを取り、床に落とした。


「この街ヘルヒンにもたらしている、豊富な水の水源にあたる街から来た。この街が豊かであるのは、我が故郷から流れる水のおかげ。しかしその利益を享受しているのは、この街の人々のみ」


グラウの口調は少し丁寧になった。しかし、その分重みが増していた。


「古来より水の利権は川上にある。我々は、本来享受するべき物として年間500万オーレンを、この街に水源代として支払うことを求める」


おぅぅぅぁ・・・・


観衆から声が漏れる。500万オーレンはかなりの大金だ。


「その約束ができないのであれば、この街に流れている水をすべて止める」


グラウはそういうと少し首を上げ、その先にいる自らの領主に視線を合わせた。その意味は「これでよいですね」ということなのか「私にお任せください」ということなのかわからない。


少し時間があく。グラウは余計なことは一切言わず、目的の言葉を短く相手と聴衆に聞かせた。シルバー先生は自分の番と受け取り、ゆっくり振り向くと、聴衆に向かって口を開いた。


「今日は・・・・こんなにたくさんの聴衆が来られております。折角なので皆様に僭越ながら、わたくしの『論』をお話ししましょう」


先生はグラウの方を向き直った。


「あなたの主張は・・・・この街はあなた方の街の恩恵を受けており、その支払うべき対価を払っていない・・・・そう言いたいのですね」

「そうだ」


さっ


シルバー先生は杖先をこの街の領主に・・・いや、その領主を逃げないように仕込み刀で押さえつけている、獣マスクをした男(敵側はすべて獣のマスクをしている)に向けた。


「あなたもキャステルから来た人ですね。このグラウという男が言ったことに同意しますか」


男は一瞬グラウに目線をやったが、すぐに答えた。


「もちろんだ!」

「では、立場が逆でもそうでしょうか?あなた方が川下にいて、突然川上からそのような要求をされても、当然として支払いますか?」

「!・・・・」


相手がこの『間』を一つ取った瞬間に、シルバー先生は言い放った。


「今、口ごもりましたね?つまり逆の立場だと、簡単には納得しそうではないですね」


グラウは「クッ」という表情した。私はその瞬間に理解した。この討論会が始まった時から、先生は何を見ていたのか。実はすべての観客を見ていた。そうではないか・・・・つまり先生は、観客のすべての表情を見ていて、彼らがこの場所を楽しみに来ているのか、何か思惑があるのか、それらに目を通し、重要な人物をピックアップしていた・・・相手の領主を取り押さえる役目には、必ず重要な人物置く。つまりそれはグラウの信用のおける人物。先生はあえてその人間を指名した。本来であれば、グラウは討論とは全く関係ない相手が発言に指名されれば、それを拒否するべきだ。しかし、なまじ信頼を置いている人物だったために、一瞬それを許してしまった。シルバー先生にそこを突かれた!


「討論の時は常に、客観性を重視されます」


先生は再び、観衆に向けて話を始めた。


「客観性とは『その盤面における力学』『立場において異なる視点』『時間の経過における盤面の変化』・・・・・彼らの主張は、今の立場であれば突き通すが、立場が変わればその限りでないということを示している。つまり彼らの主張には、客観性的整合が認められない」

「く・・・それがどうした。オマエらが何を主張しようが、我々が水を止めれば、どうやって生きていくつもりだ!」

「では聞きます、どうやって水を止めるのですか?」

「そんなのはいくらでも方法がある。貯水池を作り下流に流す水量を抑えたり、河川の方向を切り替えたり・・・」


先生は少し顔を下に向けられた。それは明らかに、嘲笑の顔を抑えるためのものだった。その行為に苛立ちを覚えたグラウは、言葉を止めてしまった。


「グラウよ、では貯水池を作るのにどれだけの予算がかかる?どれだけの人員とどれだけの期間が?」

「!・・・それは・・・我が故郷にもそれを積算する者がいて・・・」

「つまり、今のあなたは把握していない。おそらくあなたはここまで、今の主張をしながら領民を駆り立てて、この大掛かりなやり取りを計画したのでしょう。しかしその根幹をなす者が、決して計画的と言えず、『威勢のいい、言い切った言葉』だけで先導して、最後に明るい未来に導かれると思いますか?」


・・・・・


この静かな音・・・これは明らかに、この建物を占拠している『獣マスクをかぶった』人物たちの沈黙の音である。


「あなたの故郷の人物が、はたしてどれだけの施設を作ったことがあるのか。私は首都アゼネイエにおいて、河川工事はもちろん、貯水工事にも携わったことがある。この街に流れてくる3日分の水量ぐらいを貯める貯水池を作るのに、どれだけの人員とお金がかかるか」


先生は一瞬だけ目を閉じた後、再び目を開け


「費用は8000万オーラル、人員は延べ3万、日数は2年。当然規模が大きければ掘削困難な場所、高低差が取れない場所、壁が崩れて水底が埋まる場所などはもちろん、突然の嵐、水流停滞における感染病など、予想だにできないものがたくさんある。作業中に死亡する人数はおそらく・・・・100人以上」


すべてが具体的なものとして出てくる。本来そこに携わった者でないと、決して言葉に出すことができないものが・・・・


「あなたの領地は決して豊かではないはず、いや貧しいはず。それがどうやってそのような工事を行えるのか?それを行ったとしても3日間しか堰き止められない。 4日目には何事も無かった様に、この街に水が流れてくる」


・・・・・・


さらに沈黙の音が鳴る。先生は再び聴衆に語りかけた。


「『威勢のいいことを言う人間』にだまされてはいけない。彼らは決して『同じ洞窟』には入ってはくれない。彼らはその言葉を使うことによって、興奮し快楽を得る人物がいることを知っており、それを利用する手段も心得ている。自分たちが洞窟奥深く入って初めて、その『威勢のいいことを言う人間』が決して洞窟には入ってないことに気づくのだ」


シルバー先生は、今度グラウを見て言い放つ。


「たまにこの男がこの場に居るように、洞窟に一緒に入る人物もいるが、その多くが行き当たりばったりだ。物事は手前から思考したものと、出口から思考したものルートが一点で交差したものが『あるべき道』。それは実際の工事で、手前と出口から同時にトンネルを掘り進み、計算した通りにぶつかり合うここと同じ。手前が『求める強い意志』であり、奥から掘り進めるのが『徹底した細部を詰めたシミュレーション』。しかし『威勢のいいことを言う連中』は手前から掘り進めることしか知らない。もぐって掘っている間に、道に迷う。彼らは掘ることに快感と興奮を覚え、あるべき明るい未来のための出口などを求めていない。戦の時も同じ。戦う大儀と信念は必要だが、それを現実にするべき詳細なシミュレーションが逆方向から掘り進めていない限り、未来に続くトンネルが通過することは絶対にない」


会場はしずまりかえっている。皆がシルバー先生の言葉に耳を傾ける。おそらくここに居る多くの人が、先生の言葉の理解をこの場ではできないだろう。しかし彼らは皆、何かこの言葉を逃してはいけないと、大事な赤子を手に抱くように、丁寧であり確実に、その言葉を受け取ろうとしている。それは意外にも、自分たちの正面に座るほかの『鉄環の誓団』達もである。先生は喉が渇いたのか、ゆっくり自分のテーブルに戻り、水差しに手をやった、その瞬間私に小声で話しかけた。


『用を足したいと言いなさい。その際、他の人にも声をかけて、あと、建物の周囲に兵を集めるように』


早口で、しかし確実に私に聞こえるよう、先生はそれを言った後、水を飲んだ。グラウは少し興奮気味で、私と先生のやり取りに気づいていない。『感情的になったら勝負は負け』そんな世界中で言われている当たり前のことが、いかに難しいかを示している。


「だから・・・なんだというのだ・・・・我々がキャステルの兵をこの街に向けたらどうなる。この平和ボケした街の連中が、我々の軍とどれだけやり合えるのか・・・」

「はははは・・・・そのやり取りは、先ほどの討論でやったではありませんか。もしもあなた方がそうするのであれば、何も言わずに攻撃をしないと。『やるぞ、やるぞ』などとまぬけなことを言っておらず、実行するときは黙って実行する」


さっ


グラウの方を向いている先生は、後ろに手を組んでいた。私にわかるようにだけ・・・・人差し指を上げた


「あの・・・・!」


私はわざとらしく、大きな声で司会の方を向いていった。みんなが驚いた。何の脈絡もなく私が喋り出したからである。


「もう我慢できなくて・・・ちょっと用を足しに行っていいですか・・・・?」

「え・・・ああ、はい・・・」


司会者は突然振られたため、あっさり返事をしてしまった。まだこの瞬間に、グラウは先生が仕組んだものとわかっていない。本当に・・・本当に勝負になっていない・・・・私はその直後大きく聴衆に手を挙げながら、さらにわざとらしく言った。


「あのう、皆さんの中にも用をたしたい人が居るでしょう?」


その瞬間!わさわさわさと聴衆が動き始めた!多くのものが『逃げるのは今だ』と・・・


「な!」


グラウは慌てた。獣のマスクをつけた連中も、押さえ込んでいいのか行かしていいのか分からない。私はこの混乱に乗じて、ステージを降り、一番近くのヘルヒンの兵に目をつけた。先生から貰った、もう一つのミッションを伝えるためである。その時、私の後ろで

大きな声が響いた。


「女子供は逃がしてやれ!」


その瞬間グラウの声?が聞こえた。私は兵のところに行き小声で


『領主からの伝言だ。この建物をありったけの兵で囲め』


ヘルヒンの兵は見開いた目で頷き、急いで外に駆けていった。あの様子であれば命令を遂行してくれるだろう。私はゆっくりと様子を見ながらステージに戻る。会場が一瞬大混乱になるかと思ったが、グラウの一言で混乱はなく、女性と子供は無事会場から出られたような雰囲気だった。ステージを見るとグラウの顔は真っ赤になっている。異常な怒り方・・・先生は・・・我々の側のテーブル、しかもカミルの側・・・・・・!!!


あの声・・・カミルの声真似・・・・・!!!!


グラウは女子供を逃がすようには言っていない。あれはカミルの声真似だったんだ!もちろんシルバー先生の指示。おそらく全員が混乱しながら逃げれば、グラウは獣のマスクの連中に「外に出させるな」と指示を出したであろう。彼らは50人くらいいる。その中の誰かが刀を振って強行的に止めれば、ほかの50人も連動し始め、次々と民衆が殺されるであろう。しかし獣のマスクの連中が指示を求めた瞬間に、偽物のグラウの指示が聞こえた。しかも絶妙なのが「みんな逃がせ」となると、グラウがそれを否定するために大声を挙げた可能性が高い。だが「女子供を逃がせ」という、ある意味真っ当なことを言ったことで、グラウは否定しにくくなってしまった。(否定をしてしまうと、自ら進んで残虐行為に及んだ形になってしまう)


真っ赤な顔のグラウに、全く気にすることなく先生は近づいて行った。そしてまた、このステージにいる人だけに聞こえる絶妙な音量で言った。


「何か仕掛けるときには、決して予備動作を見せてはならない。あなたはあまりにも実戦経験が足りない」


会場に男たちだけが残った状態で(何人かの男は、どさくさに紛れて逃げたみたいだが)会場は静けさを取り戻した。先生はヘルヒン領主の方を杖で指した。


「人混みはなくなったので簡単に逃げれなくなりましたから、とりあえず領主は座らせてあげたらどうですか。ずっと立たせているのも・・・・」


獣のマスクを被った男は一瞬グラウを見るが、彼は反応をせず、とても不機嫌そうな表情をしてるだけだったので、なんとなく躊躇いながらも、領主を座らせた。


全てが一度落ち着いた状態になった。先生のそばに居ると、この静寂が何度も訪れる。先生は明らかに『動』ではなく『静』を操っている。


先生に言われたことがある・・・・

—————— 物事は『出し引き』が重要です。言葉も、行動も。そして、そのなかでも重要なのは『出す』ことではなく『引く』ことです。人がどうしても『出す』方に囚われてしまいます。出ないときは『出せない』ということが多いのです。つまり普段、最も意識するべき事は『引く』こと。どこで『引く』のか————何を『言わない』のか、何を『しない』のか・・・その熟練度が上がることで、ようやく次のレベルの技術、『出せない』時に『出す』ができるようになってきます・・・間違っても・・・間違っても『出したい』から『出す』は最もやってはいけない行為です。そのことで〈不可逆状態〉に入り込んでしまうからです・・・・



グラウは全く勝負になってない。そんなことは始めから分かり切っていた。それでもここまで圧倒的な差を見せつける先生を、私は一度も見たことがなかった。それは決して先生が手を抜いていたり、楽をしてきたりということではない。目に見えにくいだけである。予備動作が周囲に悟られない。先生はまだ、キャステルに直接行ったことも、キャステルの領主ヴァルド・グレイランと、街に戻ってくる車の中で直接話したことも、全く話題に出していない。つまりこの瞬間で、手持ちのカードがあまりに違いすぎる。


「さあ、先ほどの続きを始めましょう」


決して煽るわけではなく、先生は相手に進めるように促した。


「なるほど・・・確かにあんたはすごい人物だ。だが俺も引き下がるわけにはいかないんだ」

「ふふふ・・・懐かしいです。私は弟子に『美しく、それらしい言葉を使ってはいけない』と、何度も言いました。あなたの口から出る言葉は、常に物語の登場人物が口から出てくる言葉で・・・・よく弟子に、そのようなことを口にしてはダメだと言い聞かせました」


私が思わず赤面してしまった。明らかに私の事を言っている。


「それにあなたは今『引き下がるわけにはいかない』と言いましたね。物事は常に可逆性を持たないといけない。不可逆を持って言動を行ってはいけない・・・・これも弟子によく言っていました。」


そうだ・・・何度も何度も言われた・・・・


「壷をテーブルから床に置くときは、割れないようにゆっくりと丁寧に置く。そうすれば再びテーブルの上に戻すことができる。しかしあなたがやっていることは、テーブルの上から叩き落としている。


床の上で割れた壺を、どうやってテーブルの上に戻すのですか——————


すべての判断においてあなたがやっていることは、『興奮』と『曖昧』の中にある。だから判断という『左右に分かれた道』にたどり着いたときに、根拠なき選択を繰り返す。人生は選択の連続であるが故、その岐路を幾度となく通り過ぎる。しかしいざ『何かがおかしい』『このまま前に進んで大丈夫なのか』と思ったときに、どこで選択を間違えたのか、どこで道を間違えたのかの意識がないので、戻ることに対して恐怖を覚える。それぞれの岐路で明確に選択をしていれば『あの道が逆だったんだ』と分かって、すぐに戻ることができる。だが『興奮』と『曖昧』で突き進んだ道には、やり直すという知性が全く存在しない。そして今のあなたの様に『引き下がるわけにはいかない』などと、物語の登場人物のセリフを言い始める・・・・現実の戦において、負けが確定した将軍が使う言葉——————道はたくさんあった、それを捨ててきたのは誰なのか・・・・器が壊れる未来しか残されてはいない・・・・壊したのはあなただ」


先ほどまで真っ赤な顔だったグラウは、普通の顔に・・・いや、本人は認識していないかもしれないが、少しずつ血の気が引いている。彼は薄く口が開いているが、次の言葉が出ない。


「そこの人、窓の外を見てみなさい」


突然先生に杖で指された獣のマスクをした人物(おそらく数少ない女性)は、言われるがままに窓の外を見た。私は既に分かっているが、先生はその度ごとに自分に、有利な人物を指名する。欲しいリアクションがもらえる人を選んでいるのだ。すべてはこの討論会が始まったところからである。


「グラウさん!この建物が大量の兵に囲まれています!」


女性の大きな声が響き渡った。実によくできた音響設備である。ほかの獣のマスクをした何人かも窓を見た。全員がざわつく。すでにグラウの統率が効いていない。またここに居る者だけに聞こえるように、シルバー先生は言った。


「私は最大で5万の兵を率いたことがあります。あなたは何人の兵を聞いたことがありますか、グラウ? 50人といえども、統率はなんたるかを学んでいなければ、自分のして欲しい動きはしてもらえません」


グラウは一瞬自分の領主の方を見た。完全に動揺が見える。おそらく彼は初めて『とんでもない人物』を相手にしていることを認識し始めた。

キャステルの若き領主は・・・・比較的落ち着いている。


「ふふん」


鼻息が聞こえてきたのは、ヘルヒンの領主の方であった。全体的な形成が、相手に不利に働いていることが明白になったからか、急に態度が偉そうになってきた。全く、自分の立場がわかってない。今この瞬間も、隣に刀を持った敵方がいるというのに・・・


「グラウよ」


鉄環の誓団の一番左に座っていた『虚ろな男』は立ち上がった。そして彼もマスクを取った。


「ここに至って、我々の要求が通るとは思えない状況だ」

「おやじ・・・」


なんと、彼らは親子であったか・・・・


「それは違います」


え?


全員が声のする方を見た。もちろんそれは、シルバー先生から発せられた声であった。


「この街は、たまたま川の流れに対して非常に優位な断層が走っており、そのことで灌漑設備を充実させることができたのは、まさに土地の恩恵。それと同様に川上において、その権利の優位性がすべて剥奪されるわけではありません。先ほども、古来より川上にその権利があると言った通り。ヘルヒンは自分たちに有利な断層を手に入れたように、川上にキャステルの領地があることが、彼らの有利な条件の一つであるはず」


シルバー先生はここに来て急に、キャステル側の見方をした言葉をつなぎ始めた。ヘルヒンの領主は、明らかに焦った表情をし始めた。グラウとその父親は、何が起きているのか分からないような表情でこちらを見ている。


「ヘルヒンの領主よ。500万オーレンかどうかは置いておいて、やはりいくらかの水源の管理、整備の費用の名目でお金を払うというのがあるべき形と思いますが」

「ふざけるな!」


ヘルヒンの領主は急に立ち上がり、大声で怒鳴った。先ほどまで人質状態であり、泣きそうな顔をしていたはずだが・・・・周囲の獣のマスクをした人々が、強いや威圧を持って抑えることをやめていた。それはおそらく、シルバー先生が急に自分たちの味方をしてくれたという、何か心を許した部分があったのではないかと思う。それに対してヘルヒンの領主の方が、明らかに調子に乗った口ぶりをし始めた。


「そんなことをなぜお前に言われなければいけない!お前は外部の者だろう?そんなことを言い出す権利がお前にあると思うのか!」


なるほど・・・・これはやはり、あまりいい領主ではなさそうだ。シルバー先生はヘルヒン領主に聞こえない声で、微笑みながら言った。


「もし皆さんが、あの領主に対して『この男は何を言っているんだ、ここまで話をさせておいて』と思うのであればそれは間違っています。なぜなら、グラウも我々が外部のものだと言いながら、私がそのまま討論を続けることを、いつの間にか当たり前に思っていました。人はその瞬間、瞬間、自分の都合のいいように物事を捉えてしまう傾向があります。まるで断絶された、道のように。大事なのは、そのあるべき本質を常に意識していること。私はこの依頼を受けてから、今この瞬間に至るまでずっと『外部の者』という意識を外したことはありません。だから他の人にこの事象に関して言われても、大きく心と思考が振れることがないのです」


再びヘルヒン領主にシルバー先生は向いた・・・いや、カミルの方に向き直り


「この人をどこか、安静させられる場所に」


と、ルドを見た。カミルは(マスクをしているが)頷いてすぐ、椅子に座っていたルドにかけよる。うつろな目で、体をぐったりと椅子にもたれているルドを、カミルはその肩幅の広い体で運んだ。次はヘルヒン領主の方を向くのかと思われたが、シルバー先生は少し右側の男を杖で指した。


「あなたがキャステルとの交渉に臨みなさい」


指名された男は、驚きの表情をした。私はその男を見たことがある。ルドと行動を共にしていた男の中のひとりだ。


「あなたはこれまでのやり方に疑問を持っていたはず。あなたに最も大事なものを授けます。交渉を行う前にそれを熟考し、生かしなさい———」


そして先生は、私が今まで聞いた中でも最も大きな、腹から湧き上がる、この建物に響き渡る声の渦を発した。


「世界は『器』『傾き』『法則』で出来ている。今、大きくキャステルの不満が負の傾きを持っている。それは二年前の飢餓にある」

「!!・・・・」


グラウ、鉄環の誓団、獣のマスクの連中が皆、目を見開いた!


「ヘルヒンの街の人もそのことは知っている。しかし、あくまで遠くの領地の悲劇としかとらえていない。そんなあなた方に、天災による被害を訴えても他人事でしかない。当然だ。それが常だ・・・・」


先生はグラウの方を向く。ものすごい目で見た。


「私はあなたの母を訪れた。あなたの母の墓石を」


グラウの表情は・・・この表情を・・・・言葉で・・・表現などできるのであろうか・・・・


「街の人々にも話を聞いた。二年前ここでどんな悲劇が起き、何人のものが死に、どれだけの涙が流れたか。そして、グラウがなぜ鉄環の誓団に入り、そこまで強硬な外交を務めてきたのか!」


会場が静まり返る——————


静寂——————


「この『傾き』は、相対的に必ずこの街に影響を及ぼす。『お腹が満たされている民』が、『空腹に苦しむ民』を見下すと、とんでもないことが起きる。それが〈当たり前〉という法則である。この杖から手を離すと倒れるように」


先生は手を離す。ゆっくり・・・・全ての人が見つめる中、ゆっくりと杖が倒れていく。


からん からん


静寂の中で、杖の音だけが響き渡る。


「それが限界に達すると、『器』が壊れ『器』を壊す」


先生は再び、交渉人に指名した男を見た。


「今その『傾き』を、逆の『傾き』に移すべき時が来たのです。そうでなければ、このヘルヒンという街の『器』が壊される『傾き』が増幅し、いつか破壊される時が来るでしょう。あなたが逆の『傾き』を生むべき人物です」


交渉人に指名した男の目に光が宿った。


「ふざけるな!」


ヘルヒン領主が大きな声を上げた。


「政治に口を出すだけでなく、人事まで口を出すのか!」

「私は先ほど言いましたように『外部の者』と自覚しています。しかし・・・・」


シルバー先生は周囲を見渡す。


「私が指名したこの人物を交渉人の地位に抜擢しなければ・・・・・果たしてこれを聞いていた方々が納得するでしょうか」

「な・・・・」


ヘルヒン領主が周囲を見渡す。そこにはこれまでのやり取りを全て聞いている、二百名以上の成人男性がいた。


このために先生は人を残したのか・・・・

すっかり忘れていたかもしれないが、彼らはここでのやり取りを全て聞き、おそらくこの後、この町中に、いや周囲の国々に広める言葉を発するだろう。彼らの目には明らかに、飢餓で苦しんだ人々の姿、母親を亡くした男の姿、そして隣国でありながら、それらを全く顧みることのなかった、自分たちの姿を見ている。


「く・・・」


ヘルヒン領主はその視線を感じながらも、全くもって納得がいかない様子だ。

「ヘルヒン領主よ。あなたのいう『外部の者』から見て、この街は危うい————安易に我々に大事を委ねたことはもちろん、キャステルからのスパイが入り込み、多数の工作が安易になされたことを考えると、領内での為政者の信頼はかなり低いと見える。そうですよね・・・」


シルバー先生がさっと振り向いた方向には、なんと・・・私がメッタ刺しにした男、キャステルのスパイ、ヴァルド・レイヴンハルトがにこやかな顔をして大きく手を振っていた!


「いや〜〜〜〜〜いつ僕の出番がくるかと待ってたけど、なかなか来なくて退屈だったよ!」


グラウはあっけにとられた表情をしていた。


「お前は・・・死んだのでは・・・」

「この人たちに捕まっちゃってさ〜〜〜」


先生は淡々と、少し斜め下を見ながら言った。


「あなたはこの街でスパイ活動をしていたが、今ここに残っている人達にも、ヘルヒンの情報を渡した人物が、何人かいるのではないですか」

「もちろん!結構いますよ。いや〜〜〜領主が金に汚いと、領民も金で動くから助かりますよ」


ヴァルド(キャステルの領主と同じ名前でややこしいが)が会場に残っている男たちを見る。何人かは『誰だ、そんな奴は』と周囲を見渡すが、何人かは反射的に目をそらしてしまっている。このことで明確に、この街の『器』が壊れかけている状況であると、皆が認識をしてしまった。


シルバー先生はゆっくりと、答えを求めるように、ヘルヒン領主を見た。


「・・・・・勝手にしろ!」


ヘルヒン領主の声が会場の中で響いた。


先生はにっこりされた。








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