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風と静寂  作者: 佐竹武夫
第十四章
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第十四章 第九節

討論会当日


地域統括所の近くにあった公会堂の周辺は、すでに多くの人だかりができていた。収容人数が400人ぐらいだと聞いてはいたが、この雰囲気からすると、中に入れない人たちも沢山いるのではないか。このヘルヒンという街に、どのくらいの住人が住んでいるのかわからないが、いくらかは周辺の地域から来ているものと思われる。

私とシルバー先生、カミルとイーヴァンは公会堂の正面入り口を見た後、裏手にある通用門に案内された。どうしても私は建物に興味があり、ほんの少しでもそれを眺めるために、その列の一番後ろに付いた。周囲は石材でできており、この建物の構造物の主たるものであることはわかった。天井部分の半球対構造がどのような素材で出来ているかは、下からなかなか判断するのは難しい。まだ観客が一人も入ってない内部に案内されると圧巻であった。首都アゼネイエにあった公会堂よりも、良くできているのではないかと思った。中央には長テーブルと、討論者が座るための椅子が五つずつ向かい合わせになっている。さらに、お題目のくじ引きをするためのテーブルがある。観客席は円形に配置され、段階的に上昇することで、視界と音響の両方を確保できるようになっている。天井は螺旋状に歪曲しており、音が中心から外周へ流れるように設計されている。さらに天窓が円形につけられており、まるで天から光が降りてくるような独特の雰囲気を醸し出している。床には石のタイルが敷き詰められており、足音による無駄な雑音が一切聞こえない。壁には「反響紋エコ・グリフ」と呼ばれる波の立体的模様が刻まれている。これだけの建物と設備に対し、私は強く心を惹かれる。それゆえ目の前を歩くカミルから、どんどん離されてしまった。

テーブルに着くと、話に聞いていた奇妙な白いマスクを渡された。やはり頭からすっぽりかぶるもので、目の部分は空いており、口の周辺は薄い布でできている。付けてみるとさほど苦しいものではなかったが、ある一定の時間つけていると、窮屈になるのではないかと思われた。まあ、本番になると、それを感じるほど全く緊張感がない状態とも思えない。


「ビル!」


大人用のマスクのために、かなりぶかぶかな状態でそれをかぶったイーヴァンが、ニコニコした顔でこちらを見てきた。随分と楽しそうである。私はカミルの方も見てみた。彼女・・・彼の方は恥ずかしかったのか、すぐにそっぽを向いてしまった。失礼のないようにシルバー先生の方を見たが、なんだか妙に合っている。顔を隠すことで威厳がむしろ増している感じがするのは、私だけであろうか。


「討論のお題目は、このテーブルの箱にあるものから選ばれます」


司会進行のような人が我々に説明をする。


「飲み物を飲むときに、マスクを少しずらすことは構いませんが、決して脱ぐことがないようにだけ、お願いします。最近ではありませんが、かつて顔を晒したことで、討論会の後、その内容に不服を持った集団に襲われ、殺されたということがあります。くれぐれもマスクを脱ぐことだけは、ないようにお願いします」


不思議なものである。私たちはここまで来る前に、誰かには顔を見られているであろう。ここでマスクをつけたとて、それに気付く人たちもいるはずだ。いわんや相手方は、思いっきり顔を見せてこの町に入ってきている。どこまでその意味があるのだろうと思ってしまうが、案外これが実際の世の中だ。このように匿名の封をすると、なぜか皆もそうであるテイだと思う。なんと不思議なものである。


「それぞれの討論の番以外には、決して口を出さないでください。また、お互いの名前を呼ぶこともしないでください」


やはり匿名性は大事らしい。ルド達は毎年この討論会に出ていたと思われるが、確実に町中に顔はばれているはず。それでもこのマスクをつけていたと思うと、本人や周囲の人間を思考が本当に奇妙なものである。


「なあ、大丈夫かなあ?」


私の右隣に座っているカミルが声をかけてきた。


「まあ突然、討論の最中に殺されることはないだろう」


私はマスク姿のカミルを間近の正面から見て、少し笑いそうになったが、それを抑えて答えた。


「そりゃ殺されることはないだろうけど、それに別に討論に勝たなかったって、問題ないって言われてるけど・・・」

「私たちは、ここまで必要な準備をしてきた・・・あ、討論に関しての準備は、ほとんど何もしてないが」

「まあ・・・まさか自分がこんなことをする羽目になるとも思ってなかったし・・・ってビル、さっき少し笑ってたろ!」


怒った目で、カミルが私に言った。


「さっき名前は言うなって言われたろ?」


誤魔化すような正論を言うと、カミルは明らかに何か言いたげな顔で正面を向いた。その奥では、イーヴァンが周りをキョロキョロ見ながら、足をブラブラさせている。また、時々手元にある飲み物を見て何かを観察している。そして、突然に手を挙げた。


「なあ!用を足したいときはどうするんだよ?」


イーヴァンの突然の質問に、準備をしていた地域統括所の数人がびっくとなった。


「あ、基本的には途中で席を外すことができないので、今のうちに行っておいてもらえますか」

「わかった!」


イーヴァンは元気よく走り出そうとした。明らかにお手洗いのある方向と違ったのか、準備をしている人に慌てて止められた。私は建物の内部構造が見たかったがため、イーヴァンのあとについて行った。再び席に戻ってくるとカミルもいなかったので、シルバー先生以外はみんないった形になった。その時には、会場に多くの観客が入っていて驚いた。しかも話には聞いていたが、半数以上が仮面をかぶっている。なかなか奇妙な風景だ。


「もう始まるかな・・・」


隣でカミルがぼそりとつぶやく。緊張するのは分かる。イーヴァンはともかく(何も考えてないということで)、カミルにとっては、こんな立場に自分が置かれるなんて、思ってもいなかったと思う。しかし先生と共に旅をし、現状を冷静に考えると、自分がこなさなければならない役目の一つだとは、充分理解をしているみたいだ。考えてみれば人形劇を生業と人物が、ついこの間まで従軍していたのだから。


「!・・・」


私は小さく反応した。カミルに何か答えた方がいいかと思い、目線を移した方向で、ティモが観客席に座ったのが見えた。仮面を付けていないのですぐにわかった。その隣には女性が。おそらくティモの妻であろう。かなりしっかりしていて、気の強そうな女性だ。明らかにティモより年上だと思った。少しだけ左右に目をやる。それぞれの領主がお忍びできているはず。しかし地位の高い人は早めに来たりしない。しかも、いい席をお付きの人が確保しているはずである。なんとなく目星をつけておいた。おそらく、その場所にあとで偉そうな格好をした人物が座っていたならそれが、ヘルヒン、キャステルそれぞれの領主であろう。


ざ、ざ、ざ、ざ


来た——————


ざわざわざわ


周囲が一気にざわつく。

黒い法衣を纏った五人。鉄環の誓団。彼らは皆、我々とは対象の黒いマスクをかぶっている。(この討論のルール上被らされている)ひときわ体が大きく、法衣の下からもその筋肉がわかる男


グラウ・ザ=カンデル


あの派手な台車に乗っていた男


彼の目線は一点、シルバー先生を見ている。


私は少しだけ苛立ちが出た。


私が・・・奴の相手をしてやりたい・・・・


我々は右手からイーヴァン、カミル、私、そしてシルバー先生の順で座っている。

相手はイーヴァンの正面に座った、『痩せ型で猫背』の男、『それなりに恰幅の良い』男、『年齢はいっているかもしれない、少しうつろな感じ』の男、そしてグラウ・ザ=カンデルの4人。私は少しだけ自分の正面の『うつろな感じの男』に目をやった。それなりに距離が離れているので、相手の視線がどこにあるのか分かりにくい。しかしそれだけではなく、やはりこの男の特徴が、視点の定まらない性格的要素を持っていることが、表にあらわれているのではないかと思われる。


お題目のくじ引きを引く人物が、中央のテーブルにある箱に近づいた。たぶん始まるのであろう。何かの宣言や、偉い人の挨拶は無いみたいだ。こんなにぬるっと始まるとは思っていなかった。しかし周囲は急にざわめきをやめ、我々だけがその段取りが分かってないのだと実感させられる。


先ほど気にしていた観客席に目を移すと、左側と右側、それぞれのベストポジションに偉そうな人物がいた。付けている仮面も仰々しい。見る人が見れば領主だとわかるのであろうが、一般の人々はそんなことを一切気にしないし、『匿名は保たれている』という魔法にみんなかかっているであろう。何の問題もない。その魔法は我々に対してもかかっているのであれば、それはそれで助かる。


中央のテーブルでくじが引かれている間に、イーヴァンと痩せ型の男が立ち上がり、テーブル前へと立たされた。どうやら立って討論をするらしい。(本当に何の段取りも聞かされてないと思ってしまう)軽く隣に目をやると、カミルは自分の緊張が半分、『イーヴァン、本当に大丈夫なのか』という不安が半分の顔をしている。私がカミルを見つめて続けていても、全く気付く様子がない。今度はイーヴァンに目を移したが、『なんかこれから楽しいことが始まる』ぐらいの感じで、わくわくして立っている。幼いイーヴァンが討論の舞台に立っても、周囲のざわめきが無い理由は、この会場に入ってきた時からすでに、マスクをかぶった子供がいたわけなので、『あんな子供が?』的な驚きは、すでに済ませているのであろう。しかし以外にも、イーヴァンの相手である痩せ型男を見ると、マスク越しでもニヤニヤした顔しており『おいおい、冗談だろう、本当にこんな子供がやるのか』的な雰囲気を隠せていない。


こいつ、イーヴァンに負けるな——————


私の中の経験に即した確信が、体の中を通っていく。


「第一の議題は・・・・」


完全なる静寂。痩せ型の男もこの時だけは表情を変える。イーヴァンは・・・・進行役の話を本当に聞いているのか、と言いたくなるようなニコニコした表情をしている。一瞬だけシルバー先生に目をやる。全く、くじの方は観ていない。どこを見ているのか・・・・

先生は私の想像の常に上をいかれている——————


「『愛』です」


ざわざわざわ


会場が一気にざわつく。そのざわつきの声を抑えるように、司会の人が続ける。


「アレスト・ミル=ヴァン著『沈黙の構造体:存在と語りの境界』の中にはこのように書かれています。愛の本質とその語り方を問う。愛とは何か──共有か、投影か、孤独の交差か?」

「ふ・・・」


思いっきり鼻で笑うのが聞こえた。瘦せ型の男である。


「私はこのヘルヒンの討論会を楽しみにしてきたが、まさか、こんな小さな子供を相手にするとは思っていなかった。しかもテーマが『愛』・・・・」


完全に相手を見た目で判断をする、実に間抜けな男だ。それにしても何事もなかったように、司会の人物は中央の舞台から降りていく。こんなにぬるっと始まるものなのか。


「私もさまざまな人と多くの『愛』を重ねてきたが・・・・ボクちゃんはガールフレンドができたことはあるかい?」


クスクスクス


場内から抑えた笑いが聞こえる。イーヴァンは何が始まったかよくわからない表情で、ぼーっと相手を見ている。 一度自分たちの方に目線を送るために、ブカブカのマスクを被ったイーヴァンが、こちらにくるっと振り向く、そして、再び瘦せ型の男を見る。隣のカミルを見ると、先ほどの緊張感がなくなっている。おそらく彼女…彼はイーヴァンを見た目で小馬鹿にする目の前の男を、『威圧されるべき相手』とは思わないで良いと安心したのであろう。私は一瞬だけ、自分から向かって、一番左手にいるグラウを見た。腕組みをし、まるで眠っているかのように微動だにしない。この討論に関して、まるで興味がないという雰囲気だ。さらに一瞬だけシルバー先生を見る。やはりどこかを見ている。あまりにも広い角度の視野で見られている雰囲気がして、本当に先生は、今何を見ているのかわからない。こんな状況でなければ聞きたいぐらいである。


「オレ、『アイ』って聞いたことない言葉なんだよ?それってどういう意味なんだ?」


ワハハハハハ——————


会場が一斉に笑いに包まれた。やせ型の男は、わざとらしく顔に手を当てて、オーバーリアクションで笑ってる。舞台をおりて席についていた司会の人物も、顔を伏せているが、笑いをこらえられないみたいだ。その時に初めて気が付いたが、その人物の手元に砂時計のようなものが置いてある。これがおそらく1回分の討論の長さを区切りための、ものなのであろう。


「ハハハハハ、そうか、初めて聞いたか!ハハハハハ・・・」


瘦せ型の男は、少し息をきらしながら続けた。


「じゃあこうしよう。私が君に『愛』とは何か教えてあげよう。この子がそのことを理解してくれたら、この討論は私の勝ちでよしとしてもらえないかな」


そんな風に覗き込むように、イーヴァンに言った。


「あ・・・うん・・・・」


イーヴァンは、相手が何を言っているのかをあまり理解してないようだったが、なんとなく曖昧な返事で答えた。


「よし、じゃあ君に『愛』とは何か話してあげるね、しっかり聞いておくんだよ」


瘦せ型の男は大きく手を広げ、観衆に向かっていった。観衆は、どこか痩せ型男の言葉と行動に対して、優しく応じるような、息を整えるような温かみのある笑みに包まれた。それが中央のステージから天井伝いに、風が送られていくように広がった。その瞬間私は分かった。彼はずっとこの手法を取ってきたんだ。はじめイーヴァンをバカにするような態度をとっていて、小賢しい奴だとだけ思ったが、それとは少し違った。彼は初めから、聴衆を味方につけるやり方をしているのである。だから討論相手と会話することと、聴衆に向けて話していることをうまく溶かしている。あるときは討論相手に言いながら、しかし実は聴衆に向けて話をし、自分の味方を増やそうとしているのだ。それでいて、本来であれば討論をした結果における、お互いの決着があるはず(段取りを正確に知らないので、これはあくまで予想であるが)なのに、いつの間にか自分の有利な無形状な物質を、この討論のルールに持ち込んでいる。(当然イーヴァンに何かを教えることが勝敗のルールではないはずなのに、それを幼い子供に強要したのである)さらにそのことが、自分の寛容さと優しさを象徴しているのだと思わせるような言葉を、周囲の人にばらまいているのである。一般の人にはわかりにくい実に低レベルな『小賢しさ』である。


「ふーーー」


瘦せ型の男は一つ息を整えた。イーヴァンの方は『どうもこの人は、自分に何かを教えてくれるみたいだ』という純粋な目をして、聞く姿勢に入っている。


「『愛』とは・・・・」


痩せ型の男は、観衆に向かって話し始めた。やはり私が想定したこの男の手法は、目の前の彼の行動と合っているようである。


「家族を愛し、恋人を愛し、故郷を愛し・・・・・・」


静寂の中、彼の言葉が空間に響き渡る。


「パートナーを愛し、仕事を愛し、国を愛する・・・・・さまざまな愛があるが、愛とは『見返りを求めず与えること』・・・・・」


ゆっくりとイーヴァンの方を見る。


「自らのすべてを愛する人のために投げ出す行為。時には親が子どものために、男が愛する人のために・・・・・」


そう言いながら、再び聴衆の方に向く。まるで詩人のようなその口ぶりとリズムは、 多くの人々、特に女性に向けて非常に心地いい響きとなっている。


「・・・・・・・」


イーヴァンは何とも言えないような表情をしている。周囲の聴衆を見て、さらに後ろまで振り返る。瘦せ型の男はちらりとそれを見て、もう少し押しが必要なのだと思ったのか、この幼い子供に伝えるために(伝えたと聴衆に思わせるために)少し具体的な話へ持ち込もうとした。


「君にも、君を愛してくれる人がいたんじゃないか。君の家族や仲間が・・・・」


最後までリズムに乗った話し方である。


「あ・・・ん・・・・・・?」


当然イーヴァンの言葉には、まだ疑問形が残っている。

少し間があく。にこやかな顔をしているが、おそらくこの瞬間に瘦せ型の男は『どう言えば分かった感じになるか』と頭を巡らせている。しかし、その表情の裏側には『やっぱり君にはまだ難しかったかな?』と最後にオチをつければ、万事解決するという計算がにじみ出ている。その間にイーヴァンの方が、先に口を開いた。


「オレの村で、みんなでご飯を作ったりマキを集めたり、街へ買い物に行ったりするってこと?みんなで手伝ったりして?」


瘦せ型の男は、このイーヴァンの質問をうまく自分の道へと誘導しようとした。


「似ているが少し違うかな。お互いに協力し合うことは、お互いに愛することと近いところがある。しかし見た目だけの『取引』ではなく、『愛』はあくまで片方だけでも見返りを求めず、その人のために行動を行う。それが相互関係になることもあるけど、たとえ見返りがなくても、その人のために行動する。それが『愛』だよ」

「その人になんかを取られても、何も言わないってこと?」

「『取られる』かぁ・・・まあそういう場合もあるけど、相手が何か間違ったことをしたとしても、それに何も言わず、全て受け入れ、すべて与えてあげることかな」

「・・・・・・」


イーヴァンは少し分かってきたような表情をした。痩せ型の男は、頑張って隠しながらも『いける』という目尻の歪みがおきていた。


「わかった!」


イーヴァンのその声に、痩せ型男の『やった』という眉の動きが顕著に現われた。観衆もその知的で優しい彼の行動が『愛の伝道師』として花を開かせたと思った。


「あれだ!オレの村では川に流れ着いた死体から、いろんなものをもらって、オレたちは生活をしていた。死体は何にも言わなくて全てをくれるから、それが『愛』だ!」


会場中が静まり返った。聴衆はもちろん、痩せ型の男も本心で嫌な顔をした。先ほどまでの優しい大人が、無垢な子供に大切なことを教えている空気は、一気に変わってしまった。しかもこの子供は、頭から白い頭巾を被り、目だけ出している。彼らにとってこの目に見える絵面は、恐怖が沸き起こることかもしれない。


「それは・・・違う」


痩せ型男がヘドをはくように言った。


ザワザワザワザワ


明らかに動揺したざわつきである。その空気を、痩せ型男は生理的に嫌った。


「違う。そんな人を冒涜したようなことはやってはいけない」

「え?」

「それは人としてすべきことではない。ご遺体からものを漁ってはいけないし、ましてや奪うなんてとんでもない」

「うちの村では普通だし、それを売って生活してたし、死体は村を守るために串刺しにして、村の入り口に並べたんだ」


ザワザワザワザワザワザワザワザワザワザワ


一言や二言では抑えられないくらい、場内がざわめき出した。舞台を下りていた司会者も、耳を疑うような表情でイーヴァンの方を見ている。


「それは・・・・君の村が異常だ・・・・君は『愛』のない世界で育ったんだね」


痩せ型男は演出の意味も込めてだろうが、既に言葉はリズムに乗せない。 八割本気、二割演技の哀れみの目で見ている。一方のイーヴァンの方は、先ほどよりさらにわからない顔をしている。再び周囲を見て後ろも振り返る。


私はイーヴァンの村を知っている。第一私たちは命を助けられた。彼らの村は、お互いが助け合い、充分に愛し合っていた。欲を全く出すことなく、相手に言われるがままの取引で、遺体からの金銭などを生活必需品に変えていた。遺体に関しても、優しさと敬う姿勢を持っていた。(その行動が、外部からの人に受け入れられるかどうかは別の問題だが)彼らが何を知っているというのだろう。いや、そんなものが分かるはずはない。私からすれば、相手である黒いマスクをかぶった、見下した男。仮面をつけた憐れむ観衆。この絵面の方がよっぽど恐怖を覚える。


痩せ型男は、再びルールを変えようとしている面構えをした。自分の目の前に居る幼い男の子は、あまりにも劣悪な環境で育ち、愛情というものを全く受けず・・・・そのような話の流れにしようとしている面構えだ。しかし突然イーヴァンがそのままのルートで話を続け始めた。


「あ、じゃあ水だ!川の水!オレ達の村は川沿いにあって、たくさんの水が手に入った。川は文句を言わないし、何も見返りを求めない!それだ!」

「あ・・・あああ・・そうだね。まだそっちの方が近いかも」


すでに会場はそんな空気ではない。しかし、観衆を味方につけて今までやってきた瘦せ型の男としては、この最も不利な状況をどうにかして持ちあげたいと思っているようである。


「そうだね・・・自然が我々に与えてくれるもの。これも『愛』と言ってもよいのではないか。自然は常に我々を大きな懐で包み込んでくれている」


なんとか盛り返そうとしている。瘦せ型の男の言葉を聞き、聴衆も少しずつ冷静さを取り戻しつつある。


「やっぱりか!だから喉が渇くんだ」

「え?」


痩せ型の男はもちろん、私でさえも、一瞬イーヴァンが何を言ったのかわからなかった。思わずシルバー先生を見る。すると、なんと先生は後ろを向いて聴衆を見ている。『先生は、本当に先ほどからどこを見ているのか?いくらなんでも、それだけ周りを見ていたら怪しく思われますよ』と頭に言葉が浮かんでしまった。その流れの中で、シルバー先生の正面にいる鉄環の誓団のリーダー、グラウが視界に入った。なんとやつはイーヴァンを見つめていた。先ほどまで、眠っているような態度を取っていたのに。彼は今、腕は組んで明らかに目を見開いて、幼き少年を強い眼光で見ている。


痩せ型の男は、次の言葉を発するに、随分と戸惑っている。自分がこの幼い子供に『愛』の意味を教えてあげようといった手前、自分が決めたルールを変えにくくなっているのである。(変えようとしたがイーヴァンに戻された)その間に、さらにイーヴァンは言葉を重ねる。


「オレは、じいちゃんと旅をするために村を離れたんだ。今までずっと川のそばで暮らしてたから、水がなくて喉が渇いたことがほとんどなかった。でも旅をしていると、そんなに簡単に水は手に入らない。村を離れて初めて、水がすごく側にあって、当たり前に飲んでたけど・・・・これってずっと『アイ』をもらってたんだ」

「あ・・・あ、そう。すごく近いと思うよ」


イーヴァンの言葉は、曲がりなりにも痩せ型男の言葉から本質を掴みとり、自分の中に落とし込んでいる。その言葉を聞いたときに、なんとか自分の望む方向へ全体の流れが持っていけると、痩せ型男は希望を見出せる顔をしていた。(ちなみに一瞬だけ、先生の名前を言うのではないかと驚いたが、『じいちゃん』という単語であれば大丈夫だろう)


「オレは村の中にいたときは、この喉の渇きみたいなものを感じたことがなかったんだ」


?・・・・


また話が飛んだ?痩せ型男もまた一緒に嫌な顔をした。同じ水のことを言っているのか?『水』はメタファーで、そうではない別の話を言い始めたのか?


「旅をしているときは、一緒に居る仲間以外は、乾いた『水をない人』が多いんだ」


やはり別の話に移っている。痩せ型の男は少し混乱気味だ。『自分の望む方向へ議論を持っていく』という思いが強く出ており、まずはイーヴァンの言葉を全て受け入れるられていない。自分をまっさらにした状態をすでに作れていないと、相手の言葉は自分の中に入らない。かろうじて思考を回そうとしているが(もちろん討論の場は、それが普通なのであるが)あの男はかなり厳しい状態にあるといってよい。イーヴァンはさらに続ける。


「ほら、あんただってそうだろ?ここにいる他のひとだって。オレのこと子供だって思ってて」


痩せ型男の顔が不快感から、一気に不安に陥った。ヤツの頭の中は『このガキは何を言い始めるんだ』ということが渦巻く。味方につけるべく聴衆たちも、この子どもの言葉が自分たちにヤイバを受け始めていることに、無意識の中で気づいている。この状況は痩せ型男のもっとも避けるべき状況であったはず。


「オレは何も知らない子供だと思ってるだろ。一緒に旅をしているじいちゃんたちは、そんなことなんて絶対に思わないから態度にも出ない。じいちゃんたちがそばにいて、喉が渇いた感じなんてしないんだ。でもここに立っていると、なんだか馬鹿にされ続けてるみたいで、喉が渇きまくる」


イーヴァンは明確に言葉にした。自分の心の中が、乾いた連中の言葉によって水分を失い、枯れ、その苦しみを、痛みを味わっていると。そのことが痩せ型男と共に、聴衆の全員に明確に伝わったこの瞬間。自分たちが、この幼い子供に投げつけてきた硬い石を初めて認識し始め、『あれは違うんだ』『そんなつもりじゃない』『あんただってそう言われても仕方がない人間じゃないか』という表情がこの建物中に広がり始めた。


ザワザワザワザワ


あああああ・・・

イーヴァンはそんな思いを持ってここまで来ていたのか・・・・

私はイーヴァンをあまり考えず、純粋無垢なだけで気ままな行動をとっている『幼きイーヴァン』と思っていた。でも彼の言葉は、我々に絶大に信頼を寄せ、頼りにし、甘え、それは旅をしながらも我々に対して、自分たちに愛情を注いでくれた村の人たちと同じものを感じていたのだ!私はそんなことにも気付いていなかった!


手が震える・・・


私は本当に・・・本当に今すぐにでもイーヴァンを抱きしめてやりたいと思った。私はただ一緒に旅をしているだけだと思ったのに、そんな風に思ってくれていたなんて・・・・逆にそんな『渇き』に耐えていたなんて・・・・


痩せ型男の表情が真っ青になっている。チラチラと周囲を見ている。グラウに目をやった。先ほどよりも激しい形相で、マスクの上からでも唇を噛み締めているのがわかる。カミルは私と同じく熱い、温かさがあまりにも加熱しすぎた優しさで、イーヴァンを見ていた。カミルも、ともすれば彼女の女性の面から湧き上がる母性が、『幼きイーヴァン』に対して無限の愛情が湧き上がっているのかもしれない。(それは初めから持っており、これからも持ち続けているごく当たり前なものかも)そして私はシルバー先生を見た。やはりどこかをキョロキョロ見ている・・・・・・・先生だけが同じ空間にいないようである。


「それはあれかな、喉が渇いたってことかな。そうだよね。そのテーブルに飲み物があるだろう、それを少し飲んで」


悪手だ。本人得意の冗談で、本質をはぐらかそうとした。奴にとっては飛び道具で何度も切り抜けた手法だろうが、すでに周りの観客がその空気にないのが気づいていない。しかも相手はあの『智慧の篝火』と称されるシルバー先生の弟子、イーヴァンである!


「そんなこと言ってないなんて分かってるだろ?そうやって誤魔化そうとするからまた渇きを感じるんだ!なんか勘違いしてるかもしんないけど、別にあんたやここに居る人に、さっきから話している『アイ』って言われてるものなんてもらえると思ってないんだよ。だってあんたはさっき『相手が間違っていてもすべて受け入れる』のが『アイ』だって言ったじゃないか。でもオレが村で、村の人が普通に生活している当たり前のことを、見下して馬鹿にして、どこも受け入れるなんて話じゃないじゃないか。受け入れなくたっていいよ。でも今旅を一緒にしているオレの仲間は、やっていることがどうかなんて置いておいて、バカにしたり見下したり、嫌な顔をしたりしなかった。ここの場所には『アイ』ってものがないってことだけはわかったよ」


痩せ型男にも会場にも、凍り付くような衝撃が走った。痩せ型男は完全に混乱し、聴衆たちは『なぜ我々が、こんな屈辱を受けなければいけないんだ』という表情と、何の話をしているのかわからない表情が入り混じっている。この時多くの人が勘違いをしてしまう。イーヴァンの言葉だけを捉えてしまうと、まるで彼が自分を愛されてないことを、妬んで恨んでると捉えがちである。しかしこの幼い少年は、ただ単に今日初めて聞いた言葉の意味を「こういうことなのか」と素直に、自分の感情や感覚と照らし合わせて、発言をしているだけなのである。しかし、そのことを自分たちが責められてると思い込んでしまうのは、実はその本人の深いところで、相手を実際に愚弄しているからである。


「君、それは仕方ないんだよ」


痩せ型男が、憎しみを押さえ込んだ、作り上げた笑顔で口角を無理に上げながら、姿勢を下しイーヴァン言った。


「『愛とは差別だ』という言葉もある」


ここで再び痩せ型の男は、本質からのずらしを始めようとした。今は、本来一般的に思われる感覚の範囲の中から、それを『本質的にどのように定義づけされるのか』、『一般的な感覚と寄り添うことができるのか』の話をしていたはずである。しかし自分が不利になると、急に『大きな概念』や『個別の案件』に議論を引っ張り込むというのは、この手の人がやる典型的な逃げパターンである。先ほどまでその軸で話がされていなかった(本人自身も)はずなのに、急に軸をずらし、一般的なそれとは違う新たなる定義づけを、この段階になって持ち出すのである。しかも『差別』という、これ自体が大きな議題になり得る、定義づけの難しいモノを持ち出し、『霞の中に煙を立てる』のである。さらにそのセンシティブである単語が、それに拍車をかける。そして、ここからの彼らのやり方は常に一緒で、断定的な言葉をつかい、それがあたかも論が通っているような感覚だけで話をし、誰一人として、その周囲がそのことに対して答えることもできない、発信者のみの、いや発信者さえも帰結しない、全く意味のない満足げな顔が残るだけなのである。


「小さい君には分かりにくいと思うが、『愛』とはその本人が範囲を決めてしまう。恋人だけで言えばその人だけに、自らの国であれば、他国は排除し、自国のみを愛してしまう。これが『愛』なのだ」


その痩せ型の男の語り終った顔はまさしく満足げな顔である。


「何を言っている『言葉』かわからないけど、何が言いたいのかわかるよ。あんたはオレには『アイ』がないって言ってるんだろ?」

「そうだ」


あまりにもあっさりと、痩せ型の男はイーヴァンの言葉を肯定した。この議論の始まりでは『優しく知識のある男が、無知で無垢な幼い子供に暖かく知性を与えようとした構図』を試みたが、そこには一切心がない故、イーヴァンの前では奥にあるものをすべてさらけ出されてしまった結果だ。そして彼は最大のミスを犯した。シルバー先生のもとで学んでいると、人の気を付けるべき三つの要素


『〈分かれ〉ど〈離さ〉ず』『〈溜めて〉も〈滞らせ〉ず』『〈粘れ〉ど〈歪め〉ず』


何かを理解し組み立てるために『分かる(分ける)』ことは大事だが、決して『離してはいけない』(分離できるものはない)このことを学ぶ。しかし彼の「そうだ」という言葉が示すように、完全に対象者を突き放したのである。


「そうだよね、あんた初めからそうだよ。周りになんかいいこと言って、感心させて」

「!———」

「しかも、『見返り無しで与えることが』って言って、ここにいる女の人が喜びそうなこと言った。『男が愛する人のために』っぽいこと言ったのに、逆に『女も男に・・・』って言わなかったのは直ぐにわかったよ。この場は女の人を味方につけておけばいいと思ったんだよね。そんな空気になって男が何か言うはずないから」

「!!————— 」

「なんかみんなが、いい反応したら『しめしめ』みたいな顔をして」

「!!!—————— 」


淀みなくイーヴァンの言葉が出てくるのに対し、痩せ型の男は顔がどんどん赤くなる。目がつり上がり奥歯が見える。周囲の人々はその空気感に恐怖を感じる。


「あんたオレだけじゃなくて、誰も『アイシテ』はないよな」

「このガキぃぃ!!」


小声ながらも、痩せ型の男の歯と歯の間からこぼれた音は、喉を噛み殺す獣の音だった。


カランカランカラン


突然場内に鐘が鳴り響く。見ると司会者の男が鐘を鳴らしていた。手元の砂時計は全て落ちきっている。


スゥー スゥー スゥー


痩せ型の男は、肩で激しく息をしている。鐘に救われたのは明らかに、痩せ型の男の方である。もし聴衆にその罵りの言葉が明確に伝わったのであれば・・・・・・


イーヴァンは司会者に促され席に座る。やせ形の男は最後までイーヴァンを睨み続けながら座った。横を見る。カミルが自分の想いと同じく、テーブルの下でイーヴァンの手をぎゅっと握ってあげている。


勝敗は明らかである。








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