第二章 第二節
「夕食が遅くなりまして大変申し訳ありません。少しでも御馳走をよくしようとこのような時間になってしまいました。さあ、大したものはございませんが召し上がってください。」
アルフレッドのニコニコしたその顔に付いた髭が揺れる。メヌーの村の領主である彼はお酒をつぎながら言った。 2人の召使いが我々のグラスにもワインを注いだ。
「このような食事をご用意していただき、誠にありがとうございます。ただわたくしは食が非常に細いゆえ、あまりいただけないことをご容赦ください。」
先生のこの言葉は、私がアラモンでシルバー先生を御招待したときにも聞いたものと同じである。しかし、その後先生と会話を交わした後では、全く違った印象を受け取る。先生は出された食べ物に対して、非常に警戒をされていることを知った。
「では、お隣のお弟子様はまだ若い。是非たくさん食べていてください。」
「あ、はい」
私は思わず返事をしてしまったが、先生の方に目線を送る。先生は、にこやかな目で頷く。
「はははは、お弟子さんは食事をする際も先生を気遣わなくてはいけなようで大変ですな。」
またアルフレッドの髭が大きく揺れる。『そういうことではないのだ』と心で思うが、先生がにこやかに頷いてくださったということは、この食べ物には毒が入ってないということであろうか。いや、そんなことかどうかわからない。先ほどから妙にニコニコと愛想笑いをしてくるこの領主を見ると非常に何か言いたげな感じがする。そこから察するに、どうも彼の本題はこの後にありそうな気がした。それが根拠になっているかどうかわからないが、ひとまず鳥の蒸して焼いたような肉をいただくことにした。
「シルバー先生、実は一つご相談したいことがありまして」
まだ食事も始まったばかりのところで、アルフレッドは先生に言いたいこと我慢できなかったようである。
とても不思議だ。先ほど先生と問答をさせていただいた後に、この領主を強く意識をして観察してみると、はっきりではないが彼が何を求めているのかわかる気がする。まるで今まで目を瞑っていたような感覚である。私はこれから彼が話し始める言葉にさら意識を強くして聞いた。
「実は先生にある場所に届けていただきたいものがあるのですが?」
アルフレッドは先生の返事を待たずに続けた。シルバー先生は再び沈黙されていた。この場が静かになる。先生は口を開かれた。
「わたくしにもできることと、できないことがありまして・・・」
「あいや非常に簡単なことです。」
私は『簡単かどうかはあなたが決めることではない』と頭によぎったが、黙って領主の話を聞き続けた。勢いに任せたように領主は話し続ける。
「ここから北西に『プル』という大きな町があります。そこの地域統括所(その地域一帯を管理する建物)にあるものを届けていただきたいのです。先生の旅の途中で寄っていただけるととても助かるのですが。」
なんと、この男は先生にお使いをさせようとしているのか?なんて無礼な奴だ。『プル』の町は決して近くない。それに先生はおそらく、この後南に降りられるはず。まるで方向が違う。そんなことを頭で巡らしていると、私の表情が表に出ていたのか、領主は少し怪訝そうな表情で私を見た。
「それで?」
シルバー先生は領主に続きを話すように促した。
「あ、はい。そんなに大きなものではないのです。こちらの袋に入っているものでして」
そういうとすぐに渡すように準備がしてあった木綿でできた、両手より少し大きめの袋を取り出した。
「中身を拝見させていただいてもよろしいですか?」
「あ、ま、いや、構いませんが・・・」
領主の言葉はずいぶんと歯切れが悪い。なんだか態度がいちいち煮え切らない。第一中身もなんだかわからないものを、確認せずに届けられるわけがないに決まっている。思わず自分がその袋を受け取ろうとした。
「ビルよ、よくお聞きなさい」
先生は突然私に向かって話し始めた。
「失礼、正式にご紹介するのが遅くなり申し訳ありません。この者はわたくしの弟子でビルと申します。まだ弟子になって日が浅く不躾な部分が多々ありまして申し訳ありません。」
「いいえ、そんなことは・・・」
「ビル、よくお聞きなさい。他の人が能動的に言動を行われる際、その人に『不安』『不満』『不快』を解消したいと欲する傾きがあるか、『安心』『興奮』『快楽』を得たいと思う傾きがあるかどちらかであることが普通です。」
先生は突然私に講義を始められた。
「『不安』『不満』『不快』・・・」
「そう、日常生活においても仕事においても、人々は常にこの『不安』『不満』『不快』の傾きを持ち合わせている場合が多い。それが故、それと対極にある『安心』『興奮』『快楽』を欲する場合も多々あるのです。」
『傾き』——————先生の口から聞いたことがある。先生は以前にこうおっしゃった。世界は3つのもので構成されている。『器』『法則』そして『傾き』
「ビル、お前は領主様がこの件を話された時、単に荷物を運ばせようとしている、そう思ったのではないか?それは目の前の言葉に取られているだけです。目の前に来た言葉に反射的に思い込み、それがあたかも真実という前提で、感情や思考を動かしてないですか?」
シルバー先生はそういうと、今度は領主アルフレッドの方を見た。
「領主様、あなたが今お持ちなのはおそらく、『不安』の気持ちでしょう。」
アルフレッドは図星を突かれた表情をしていた。確かに『不満』でもなければ『不快』でもないだろう。なぜこの領主がずっと無理をした笑顔をしていたのか、胸にストンと落ちた気がした。先生は続けて言う。
「もしもあなたがお持ちの不安を取り除くであれば、その根の部分を取り除かなければなりません。草の葉の部分を捥いでも、根があれば次々と生え続け、草は伸び続けます。まずはあなたの不安の部分を話していただけませんでしょうか?全てが解決できなくても、その方が少しでも心が穏やかな方向に向かうと思いますが。」
領主は先生の話をじっと聞いていた。先生が語った道しか、自分が望む方向になることはないのではないかと思っている表情であった。領主は軽く手を上げて、召使いの2人にこの部屋から出るように促した。部屋の中は私とシルバー先生、そして領主アルフレッドだけになった。彼は覚悟を決めている表情をしていた。
「実はプルの街において、半年に一度この地域の領主が集まって会合を開いているのです。そこでは租税の話や農業の話、防衛や中央とのやり取りの話をしますが、主な目的としてはそれぞれの交流と親睦を含めた宴会を執り行うことです。プルの地域統括所には大変豪華な舞踏会の場所と、いくつかの応接間が設けられています。そこで私は—————」
領主の言葉が一度詰まる。人をよく観察してみていると、その人が今どのような思考や感情にあるのかが少しでもわかる。当然ここからが話しにくい内容なのであろう。先生は促すわけでもなく、じれるわけではなく、静かに待ち続けている。ともすればそこに存在していないかのように。
「実はそこからこれを・・・」
領主様は先ほどシルバー先生に渡そうとしていた袋を起こして、入り口の紐を緩める。手を中に入れゆっくりと取り出す。その中からは一目見ただけではなんであるかわかりにくいが、短い棒のようなものであった。それはガラスでできており中は空洞で、とてもきれいなキラキラとしたものが入っていた。
「これは?」
「はい。実はこれは、その応接間の中に飾られているモニュメントの一部です。そのモニュメントはこのガラスのような柱が多数並んでおり、そこに光が当たると煌びやかに壁を彩るのです。」
そのように言われてもピンとはこないが、この一本でも非常に美しいものである。これがいくつも並んでいると、当然もっと美しく見えるだろう。領主は一番話しにくい部分を話したのか、そこからは心の中を吐き出すように次々と言葉を重ねた。
「実はこの棒はその中の一番端っこの一番小さい部分です。一番大きなものになると私の背丈の3倍ぐらいの長さになります。それらがずらりと並んでおり波のような形になっているのです。その端っこが実はとれていまして、それがこれでした。それで良くはないと思いつつ、あまりにも美しかったがために————」
この男は「だから持ち帰った」と言うのであろうか。この男がなぜこんなに言葉を重ねるのか少し分かった気がする。彼は言い訳をしているのである。いかに私が、これを持ってきたことが仕方なかったかと。思わず先生の方に目線を移す。先生はまだ微動だにされていない。
「それで、これを戻してきてもらえないかと思いまして。」
要は自分が盗んできたものを先生に戻せと言っているらしい。なんという浅ましい行為であろうか。また先生のほうに目を向ける。やはり先生はピクリとも動かれていない。少し沈黙の時間ができる——————
「なぜご自身でお戻しにならないのですか?」
沈黙を破るようにシルバー先生は領主にそのように問われた。私の頭の中では少し妙な音がした。なぜ自分で戻さないのか?当然である、盗んできたからである。先生がそのようなことを分からないとは思えない。これが私のまだ思考の浅さなのか。領主アルフレッドは黙っている。再び長い沈黙を訪れる。
「実は—————」
領主アルフレッドは先ほどまで遠慮がちに見せていたガラスの棒を、我々に近づけて、ある一箇所に指をさした。
「な!」
私は思わず声を上げてしまった。そこに刻印されていたのはなんと中央政府の印である。先ほど話したというモニュメントは中央政府から贈呈されたものに違いない。シルバー先生はゆっくりと目を閉じられた。領主アルフレッドは急にまた怯えたような声で話し始めた。
「知らなかったのです。これが中央政府から頂いたものだと。それを私が持ち帰ったと誰かに気づかれてしまったら、私は・・・」
もちろん死罪であろう・・・私は頭の中でつぶやいた。一般の人が中央政府の刻印されたものを所持することはできない。中央政府はそのことに関して非常に厳罰を持って対応している。なんとも馬鹿なことをしたものだ。
「あなたがその建物から盗んできたものは、それだけではないですね?」
私からすれば、思いもしないようなことを先生は問われた。
「は・・・はい・・・」
領主アルフレッドはあまりにも簡単に認める返事をしてしまい、私は愕然とした。シルバー先生は私の方を見た。
「ビルよ、よく覚えておきなさい。人が何か大きな過ちを犯す時、そのおろかな行為が初めてであったということは、まずないと思いなさい。人は必ず過ちを二度三度繰り返し、それが発覚せず、罪に問われなかった時に四度五度と繰り返します。そして六度七度と繰り返した時に必ず大きな過ちとなって身に降りかかってくるのです。このことを絶対忘れないようにしてください。」
シルバー先生は私にその言葉を投げながら、本当は領主アルフレッドに向けているのだと気づいた。先生はどうされるのだ。今の話が本当であれば、いや彼を見る限り、彼が先生の言葉を否定している様子が一つもない。つまりその建物から今まで様々な物を盗み取ってきたということではないか。先生がこのガラスの棒を戻すなど考えられないとして、では今まで盗んできたものを全部返すというのか?この中央政府の刻印がされたものを盗んだだけで死罪に値するのに、全部返すなどと考えられない。さらに言えば、この男は物を盗んだことを恥じて反省しているのではない。盗んでまずいものを盗んでしまったことに対して、怯えているだけである。今の彼に「盗んだことを悪く思っているか?」と問いただせば、そうです、と必ず答えるであろう。だがそれは嘘だ。そう言わざるを得ないだけで、盗むことを恥ずべき行為だと思っていたのであれば、その前にやめていたはずである。今この瞬間わが身が可愛くて背中を丸めて「善人がたまたま犯した過ち」であるような顔をしているが、それはあくまで今この瞬間の惨事を免れるためだけではないか。先生はどうされるのか。先生は、私の思量が浅いと申された。その通りだ。私はこの男を今すぐに役人の前に突出してやりたい気持ちでいっぱいである。その感情を抑えるので精一杯である。
私は再びシルバー先生を見た。シルバー先生は私のことじっと見つめていた。そして先生には珍しく、少し感情のある感じでため息を一つつかれた。
「ビル、お前は私の弟子なのか?」
突然の、そしてつい先ほど言われた問である。だが頭が回らない。苛立ちと怒りに満ちた私の頭が、先生の突然の、そして突然ではない問に何も反応できていない。
「ビル、お前は私の弟子なのか?」




