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風と静寂  作者: 佐竹武夫
第十四章
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第十四章 第七節

先生と以前このような話をしたことがある。何がきっかけだったか・・・確か私がアカデミーの時に、比較的物語的な文献を読むのが好きだったところがあった。カミルも人形劇で生計を立てていた、旅をする家族だったこともあり、いくつか私の知ってるものと近い物語を知っていた。


—————— 「現実と物語は何が違うと思いますか?」


先生の、そのような問いかけから始まったような気がする。そのときはカミルももちろん、私も比較的細かい差異のことを言って、自分でも相変わらずその本質を掴めて無いことを言ったと記憶している。その時に先生はこうおっしゃった。


「言葉にした時点で、文字に残した時点で、それはすべてが物語です。どの言葉もどの文字も、現実という無限大にあるすべての情報を伝えきることは物理的に不可能です。我々が何らかの記号にした時点で、何かを省略し、何かを誇張させ、そして多くのそれらは自分の意思や希望、欲求や目的のために形を変えられます。さらに『正確さ』という観点においても、完璧に記録・伝達を行えるわけではない。言葉や文字の知識不足や運用不足により、本人さえも意図しない力学が働き、どんどんあるべき姿から遠ざかっていく。そして結果的に、一匹の架空の生き物として、この世に放たれます。そこから『物語という生き物』がその場で息絶えるのか、言葉や文字を通して人間に伝染し、生き続けるのかは、この世のすべての種と同じく、誰にも分からないです。あの書物にもあの人物にも物語が生き物として潜伏し続けており、その宿主と共生することもあれば、食べ尽くし殺してしまうこともある。他人にふりまけば増幅し、瞬く間に社会の中で繁殖する。様々なものを喰らいながら」


面白いと思った。一つは、私がアカデミーの書庫で漁ったさまざまな埃を被った文献は、潜伏し続けた生き物であり、私に発見された時点で、私を介して生き続ける権利を再び得たのである。(私が完全な意味でそれを忘れたり、その本を燃やされたりしなければ)もう一つ思ったことは、私が口から発し、手で表記した時点で全てはその『物語という生き物』に変化し、這いずり始める。そのことは日常的に行っていることであり、口元手元でワサワサと音を立てて生まれてくるのである。愛おしくもあり不気味である。


「でも先生、『お皿の上に三つりんごがある』くらいの単純なものだったら、正確に伝えられているんじゃないか?」

「カミル、そのお皿の上のリンゴは、切られる前のものですか、切られた後のものですか?」

「・・・・・なんか先生・・・・屁理屈を言われてるみたいで・・・」

カミルが口を尖らす。


ふふふ・・・    


私の口から笑みがこぼれた——————

——————



「・・・・・ああ・・・セリオ・・・」


ゆっくりとルドの妻は、男の抱擁から滑り落ちるように離れた。彼女の目元は溶けて、涙で光を放っているように見えた。作業場が連なる青い夜の闇の中で輝くその光は、袋小路の閉ざされた空間というさらに深いところで、惜しみなく周囲その自己主張を広げていた。およそあの、初老ルドの妻としての年齢を、こちらが忘れてしまうほどの幼い表情をしている。向こうを向いており顔は見えないが、背中だけでそう感じさせる。彼女の位置がずれたことによって、男の顔が見えた。また一瞬男と目が合った。


あの余裕・・・


『セリオ』というのは偽名で間違いなさそうだ。聞かれてもなんともない表情をしている。


「セリオ・・・ごめんなさい・・・相手の名前は分かったの、でもどこに宿をとっているのか聞き出せなくて・・・」


本当に申し訳なさそうに、心の底からルドの妻は背の高いその男に言った。さらに彼女の位置がずれ、男の姿がはっきり見えた。しなやかな痩せ型。彫りの深い顔立ちに、切れ長の瞳。瞳の色は灰色がかった青。そして・・・左顎下に斜めに走る古傷


「大丈夫だよ、名前がわかれば充分さ。ただそれでも新しい情報がもらえるならそれはそれで嬉しいよ」


想像したよりも声が若い。多少甘ったるい声を出す癖がついているのかもしれない。しかし言っている内容は、明らかに盗み聞きをしている私を意識した言葉運びだ。


「ここに名前を書いてきたわ。間違えてはいけないから」

「ありがとう」


ルドの妻が渡した紙を受け取る。


「!・・・・」


一瞬、顎傷男が表情を変えた。明らかに負の要素を含んだ表情である。だがその直後に取り繕った。


「助かるよ」


今ので、何に反応したか想像できることがふたつある。一つはその名簿に『シルバー』の名前を見た。あの『智慧の篝火』と称されるシルバー先生に反応した。しかしその可能性は低い。まず討論メンバー変更が、(もともとルドがメンバーとして伝えられていたかどうかは分からないが、間違いなく相手はそのように想定していたはず)なぜ行われたかの『理由』を、相手には確実に伝えていると思う。そのもっとも大きい理由はシルバー先生が相手をするということであるはずだ。その大きな理由がない限り安易にメンバー交代が認められると思わない。彼らが欲しかったのはそれ以外のメンバーの名前であろう。もう一つ考えられる理由が、『メモの文字が、明らかに男性が書いたものである』ということではないかと思った。つまりそこから考えられることは、どこかに情報が漏れているのではないかと焦った。それが一瞬表情に出たのではないか。メモを見たところから反応があった間を考えると、その可能性はある。


「他になにか情報がある?・・・ああ・・・例えば・・・君の旦那さんが誰かと会ってたとか?」

「さあ・・・前に初老の男性と話をしたらしいから、その人と話したんじゃないかしら」

「若い男の話とかは?」


明らかに身を隠して聞き耳を立てている(相手にバレているが)私のことについて聞き出そうとしている。


「ごめんなさい、ちょっとわからない・・・」


急に尋問的な質問をし始めたので、ルドの妻の方が恐縮し始めた。


「あ、いやいや、ごめん。ちょっと聞いただけなんだ。また何かあったら教えて、いつもの方法で連絡するから」

「窓下の庇のところね」


顎傷男がまた一瞬嫌な顔をした。男は連絡方法わざと濁したのに、ルドの妻の方が口にしてしまった。


「あ・・・とにかくまた連絡する。気をつけて帰るんだぞ」

「ええ・・」


一瞬、二人の会話に間があく——————


それが彼女の口づけの要求だと気づくのに、顎傷男は一間を要した。


二人が再び口付けを交わす。しかしそれは先ほどのものと違い、相互に明らかに二人の温度差を感じた。男はこちらを見ないがこちらを意識している。


「それじゃあ・・・」


ルドの妻は名残惜しそうに体を離し、振り向くと、うつむいた感じでこちらに走ってきた。さすがに彼女に気づかれるのはまずい。私は必要以上に身を奥へと隠した。全く気付く様子もなく、彼女は私の目の前を通り過ぎていく。そしてその作業場が連なる細い路地を、少し高い足音を立てながら、大通りへと消えていった。

彼女の足音が消え、むしろ遠くの喧騒がゆっくりと聞こえ始めた頃—————


「で、そこに隠れている子ネズミさんは何なんでしょうね」


私に聞こえるように顎傷男が、つまらない言い回しで声をかけてきた。私はゆっくりと体を男の見える場所まで移した。男はこちらに距離を詰めていない。想定していたよりも背が高い。相手の背面は確実に袋小路である・・・・・ここまで自分は、冷静さは保っている。


私はまだ一言も発しない。


「あなたは・・・」


男は先ほど受け取った紙に目を通す。


「シルバー・・・ではなく・・・・ビル・・・?」


煽るような質問をしてくる。しかし私の表情は私が意識する以上に、何の反応も示していない。その証拠に私の名前を呼んだ時に、相手が「これか」と思う表情をしてない。


「まあ、なんにせよシルバー一団のメンバーであることは間違いない」


煽ってきている言葉だ。私は何の反応も示さないし一言も話さない。物語がここから始まったのであれば、確実に私は悪役だろう。


「彼女を追跡してここまで来たということは、彼女がかつて『論の灯台』と呼ばれたルド・ヴァン=ミルの妻だということはわかっているのだろ。そうさ、僕の情報源のひとつ」


自分の情報をなるべく漏らさないようにしながら、私が何に反応するかひたすら探っている。しかしシルバー先生から教わっていれば大事なことはわかっている。


『決して必要以上に話さない』


大事なことはこれだけである。今私は、何も発する必要性がない。


「・・・・あんた、シルバーってのと関係ないのか?」


少し目を細めてこちらを見せる。

相手の心が揺れ始めた!一瞬威嚇するような表情を見せたのは、言葉でのやり取りの行き詰まりを感じたからだ。

少し風が通る。顎傷男の肩まで伸びた無造作に束ねている黒髪が、風に揺れる。旅人風の粗末な外套を纏っているが、マントの隙間から見えるそれは、黒革の軽装鎧。あの顎の傷からしても戦闘にはある程度慣れているはず。


「あんた達、相手が『鉄環の誓団』だって知ってるんだろ?かなりヤバい連中だってことも含めて」


男は先ほどと違い、言葉を重ねながらも周囲をちらりと見た。明らかに戦闘か逃走のことを考え始めている。自分の立ち位置が完全な袋小路であることに、かなり深い奥のところで焦りを感じているだろう。しかし彼の経験がまだそれを表面化させない。


私の背中から風が抜ける。先生の声が聞こえる


ここが勝負どころですね——————


「・・・・僕もいろいろ忙しいんだ、あんまり遅れるとその怖い人たちにお金もらえなくなっちゃうから・・・」


顎傷男はゆっくりと腰のナイフ手をやる。いや、やろうとした時、私はゆっくりと・・・あらゆるこの物語を聞く人たちの想像する中で最も『ゆっくり』と・・・・私は一歩踏み出した。


「!・・・」


顎傷男は前に出なかった。この一瞬で私の判断はついた。相手が『手を揉む男』くらいの手練れであれば、絶対にこちらが前に出る前に、仕掛けて来ていた。いや、一瞬こちらが早かったとしても、それに覆い被さるように(広大な布を広げながら、それでいて土の重さのような重圧感)私に迫ってきただろ。だが今の相手は違う。この瞬間私の中で思考の水が、別へのルートへと一気に流れこんだ。


殺す——————


私は一瞬で剣を鞘から抜き出し、相手の喉元に向かって突き出した!


「!———」


顎傷男はそのしなやかな瞬発力を持って、なんとか急所を外そうとした。だがその瞬間私は、最も手近で確実性のあるわき腹に、狙いを変えた。


ザ!


「くぅ・・・」


焦りの引きつった表情、急激に吹き出した汗を私はゆっくりと観察できた。この男はどうしていいかわからないできる。突然自分の仕事の場に出てきた謎の若い男が、世間もあまり知らなさそうな、恵まれた環境に育った坊やが・・・・表情をまったく変えず無言で刺してきたのだから。それはそうだよ。あなたは頭の中が物語でいっぱいだったんだ。あなたは自分で、頭の中だけでツゴウノイイ物語を想定し、目の前で起きてることに対しても、自分なりに受け止めてるなどと甘い感覚を持ち、自分の中で物語を修正しようとした。だが現実は違う。何の理由もなく、なんの表情も変えず、何の言葉も発せず、相手は刺してくる。私だってこの瞬間、なぜあんたを刺すのかなんて、さっぱりわからない。でも私の経験が、直感が、悟性が、私の遠いところですべてを結論付けている。


「ぐぅぅ!」


男は身を翻そうとする。そちらは袋小路には関わらず、私の横をスリ抜けるなどそんな危険は出来ない。何とか後方に活路を見出そうとして、しかし


ざざ!


「ぐぁあぁぁ」


私は後ろに残った足を剣で斬りつけた。これで歩けない。男は倒れる。バランスを崩して仰向けに。目と目が合う。


「ぎぃぃ」


謎の声を発するが、決して悲鳴ではない。この街に来て、上辺だけの、愛想笑いだけの連中とは、やはりこの男は一線を画している。その点はさすがと言っていい。


私は恐ろしく冷静だ——————


ぽつ ぽつ  


雨が降り始めた。


「いぎぃ・・・ぎ・・」


仰向きで後ろにさがるこの男には、まだその余力があるみたいだ。私の表情はここに至るまで、一度たりとも微妙だに動いていないはずだ。剣を逆手に持ち替えゆっくりと上げる。


ざ! ざ!


2回ほど差す——————


「ぐ・・・」


相手は喉から漏れるような声を出す。


ざざざ・・・・・・


雨が強くなる

動かない


ざざざ・・・・・・


さらに雨が強くなる。足元、雨水と一緒に血が流れてくる。

男は・・・・動かない


「!・・・・」


私はその瞬間、剣についた血を袖で拭き、鞘に納め、ふりむき全速力で宿に向かった。


ざざざざざざ


雨の音が耳にこだまする——————

——————

——————

——————



ドンドンドン


激しく宿の扉をたたく。


ガチャ


「ビル!」


崩れるような安堵の表情で、カミルは私を見た。


「どこ行ってたんだよ!心配したぞ!びしょ濡れじゃないか!」


そう言った直後、はっとした表情をした。


「どうしたんだ、ビル・・・すごい目してるぞ・・・」


カミルの怯えた表情で、自分がどんなひどい顔をしているのか、いやおそらく瞳孔が開き目が血走って、獲物に襲いかかる獣のような顔をしているのであろう。


「ビル、なんかあったのか⁉」


奥からこちらに来たイーヴァンも、珍しく心配そうな表情した。


「手伝ってくれ」

「何を?」


怯えた表情のカミルに代わって、イーヴァンが聞き返した。


「人を運ぶ」


そこからの行動は早かった。 3人で先ほどの作業場がつらなる場所まで戻ると、倒れている顎傷男のところに駆け寄った。


「まだ息はある」


周囲は夜が深く非常に暗い。雨が降っていることもあり、誰もいない。持ってきた袋に男を詰めて、私とカミルで宿まで運ぶ。常に先頭でイーヴァンは周りを警戒し、彼の手招きとともに前進して行く。宿屋に着くと男の服を取り、急いで傷の手当てをした。イーヴァンが嘗て住んでいた村は独自の文化を形成しており、かなりの治療の知識がある。ここは彼にゆだねるしかない。脈はあるが体温が落ちている。布団をかけ温める。炊事場を借り、お湯を沸かす。ほんの少し意識がある中で、暖かい薬を飲ませる。そしてまたぐったりと横になった。


「はぁ・・・はぁ・・・・」


私はずっとお腹の深いところから息をし続ける。その表情とその息遣いのせいか、カミルもイーヴァンも私には何も聞いてこない。止血はうまくいっている。でも明日の朝この男が死んでいたら・・・・頭の片隅にはよぎるが思考はしてない。そのままいつの間にか、私は椅子に座ったまま寝落ちをしていた・・・・


「     」

「        」


何か遠くで声が聞こえる。体を少し軽い。顔を上げる。ゆっくりとまぶたを開ける。私の目の前にはすでに起きている、カミルもイーヴァンもそして顎傷男—————

窓からはうっすら日差しが漏れている。昨日の雨は上がったみたいだ。


「あ、ビルが起きた!」


イーヴァンが大声で言った。


「あ・・・ああ」

「ビル、昨日結局何も説明しなかったから!この人誰にやられたんだと思ってたら、ビルが刺したらしいじゃないか、ホント⁉」


カミルがさすがに質問するのを抑えられない感じで、私に問いただして来た。


「あ・・・あああ」


喉の奥から出す感じで、精一杯の返事をする。

イーヴァンとカミルが顔を見合わせる。奥のベッドで上半身を起こしている顎傷男が『言った通りだろ』という顔をしている。

今度はカミルとイーヴァンは顎傷男のほうを見た。そして再び私の方を見てきた。


「この人自分で、『鉄環の誓団のスパイ』だって言ってたけど本当なのか?」


カミルが私に聞いてくる。これはずいぶん意外だ。この男は自分の素性を素直に話したみたいだ。


「そうだ」

「ほら、言ったろ」


朗らかに顎傷男が言った。


「だって、スパイが自分のことスパイって言わないだろ」


カミルは少し不満そうに言った。


ベッドの横にある机には、昨晩ルドの妻から受け取った紙が置いてあった。私がそちらに目線を送っていると、顎傷男ははにかんだ。


「まさかここに書いてある3人にこんな形で巡り会うとはね。あんたがビルだったんだ。カマをかけても全く反応がなかったから分からなかったよ。すごいな、君。どんな訓練を積んだらそんな風になれるんだい」


私はまだ無表情でいた。


「あんたの名前は?」

「ヴァルド。ヴァルド・レイヴンハルト」


おそらく本名であろう。なぜここまで素直に話し始めたのか・・・


「あんた、初めて表情が見えたよ。なんでそんなに簡単に話をしているか・・・て、顔してるね」

「ああ・・」


なんだか、こちらの意図を隠す必要性が無いように感じる。


「さっきも言ったよね。あんたすごいよ。完敗だよ。俺は本気であんたに殺されると思った、いや本気であんた僕を殺しにきてた。でも確実に急所を外していた。なんだろうな・・・全ての心を魔物に売り渡してるのに、恐ろしいほど冷静に自分の思う行動をとってる。いや、ホント。僕の負けだよ。『鉄環の誓団』もあんたたちには勝てないよ」

「・・・・」


私は大きな深呼吸をひとつして立ち上がり、ベッド向かい合わせの椅子に改めて座った。


「このビルっていう人が、シルバー先の一番弟子なの?」


ヴァルドがカミルに聞く。やはり随分と口数が多い男だ。


「あ・・うん。今はそうなのかな?先生が以前にどんな弟子を取ってたは知らないけど」

「へ―、じゃあシルバー先生ってのもすごいんだろうな」

「すごいらしいぜ、じいちゃんは。じいちゃんの名前聞いたことなかったのか?」

「ああ、僕そんなに学はない方なんだ」


ヴァルドが少し、申し訳なさそうな表情をした。とてもスパイができるような感じには見えない、表情が豊かだ。私の方がよっぽど冷酷に思われる。


「あ、忘れないうちに!」


ヴァルドが私の隣にあった椅子にかかっている、彼のマントを指さした。


「昨日の作業場の奥に少し深めの川がある。そこにそのマントを捨てて来てほしい。そうすることで僕が死んだことになるだろう」

「・・・・」

「そうしないと単純に僕が行方不明になってると思い、君たちにあいつらの目が向けられる。第一君たちの名前は正式なルートを通して、今日には鉄環の誓団のメンバーに伝えられる。つまり僕が得た情報なんて大した意味はないのさ。僕がそこから君たちを探し出し、鉄環の誓団の有利になる情報を引っ張り出すことが仕事だったんだ」

「・・・・・イーヴァン、お前が一番怪しまれない。もう朝日が出てるところ申し訳ないが、行ってきてくれるか」

「うん」


イーヴァンはそう言うとすぐに身支度をし、袋にマントを詰め込んで宿を出て行った。

そこから私たちはヴァルドから様々な情報聞き出した。まず基本的なこととして、討論会の議題は古代のエンドロゴス(深い思索者)アレスト・ミル=ヴァン著『沈黙の構造体:存在と語りの境界』に書かれた〈思考すべき題目〉の中から選ばれる。進行役の人が札を引いて、そのいくつかある中から討論のお題目が決まるらしい。


「だが、おそらく鉄環の誓団は全く別のお題目をねじ込んでくるだろうね。それがどんな方法かわからないけど」

「その内容は分かるのか?」

「おそらく・・・まあこれしかないだろうけど、彼らが所属しているキャステルの豊富な水がここヘルヒンに流れてる。その恩恵を受けて随分と豊かなヘルヒンに【上流権】を主張することだ」


なるほど。水の権利に関しては厄介なことが大きい。


「だから、はじめはその本の題目の討論会で適当にやってるが、どこかで・・・まあ最後だろうが、その議題をぶち込んでくるはずだね」


ここまで話していることは、この辺りに住んでいると多少政治の事情がわかる人には、想像がつくことなのかもしれない。明らかに「思いもしない裏事情」という感じもしない。


「あと、ここの領主はほかの市民に混じって毎年討論会を聞いているみたいだぜ。多分今年もそうするはずだ。『鉄環の誓団』の連中はそのことを知っていて、利用するつもりだ。『この討論を直接あんた達の領主は聞いていたんだ」ってね」


その他にもいくつかの情報の聞いた。当然すべてをひっくり返すような驚きの事実は出てこないが、情報源として聞いておいた方がよさそうなことは、いくつかある。だがそれよりもなぜこの男がここまで話をするのか。私に何らかの感銘を受けたのは間違いない。しかし、今の私はこう思う。


彼の中で新しい物語が始まっている—————


本来これが普通なのであろう。自分の都合で頭の中を作り上げ、何か一瞬その想定から外れたことが起こったとしても、(この時が現実と触れ合った瞬間であるが)落ち着いた瞬間にまた自らの物語を始める・・・


目の前の現実を常に受け取るわけでもなく—————

その前に起きた現実をどこまでも解析することがあるわけでもなく—————


頭の中で何かを省略し、何かを誇張させ、そして多くのそれらは自分の意思や希望、欲求や目的のために形を変える—————


この男も、この街で出会った人たちと何も変わらないのか—————




そうこうしていると、イーヴァンが戻ってきた。その表情からしてうまくやったみたいだ。


「みんな町の中心の方に集まってだぜ、なんかお祭りでもあるのか」


イーヴァンが「おかげで仕事がやり易かった」的な表情をしている。。


「鉄環の誓団がもうすぐ来るんだろう。ビル、あんたも見に行ったらどうだ。あんまり近くに行くと、気付かれてしまうかもしれないから気をつけて」


確かに相手を見ておいた方がいい。私は支度をするため重い体で立ち上がった。


「俺みたいに雇われたスパイは何人もいる。おそらく別口で、あんたたちの名前は向こうに伝わってるだろ。それに討論会に勝つための工作は、その別のスパイと既に始めていると思う」


ヴァルドの話を聞きながら扉に向かった。だが出る前に、私は振り返りもう一度ヴァルドを見た。


「大丈夫だよ、逃げ出しやしない。あんたまだ僕が、なんでこんなに話してるのかって思ってるよね。まあ、あんまりいい仕事じゃなかったんだよ。あいつらがキャステルのためにそんなに動いてるとも思えないし」


私は多分・・・・自分の中での思考形成はしているが、なぜこの男がそんなに話し続けるのかまだ分かっていないのかもしれない。


先生————

先生と会話がしたい—————


私は黙って宿を出た。






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