第十四章 第六節
私は夢を見る————
時々見るのが霧散をしていく夢だ。全身が散り散りばらばらになり、意識が広がっていく。それだけ広範囲に広がるのであれば、本来私の視点はどこにあるかわからないはずだ。右端から左の端まで大地を追うように体が広がり、その霧のような薄く拡がった層も、自らの視野に入るのである。
こんな、ご都合に見えるはずはない————これは夢だ・・・・
そう思うと急激にすべてを圧縮して行く。先ほどまで谷底に落ちていた感覚から、急に足が止まる。決して空に舞い上がるわけではない。地面に脚がつき、落ちないためには登らなければならない。最後に落ちるのがわかっているのに。
私は地域統括所に戻る4人の影を追った。街の中心部にどんどん近づいていく。店はどこもまだ開いており、特に盛り場では、酒を飲みながら騒ぎ立てる連中がいる。追跡する人物が4人いることもあり、かなりの距離を取って追いかけても、見失うことはなかった。彼らはそのまま私を、地域統括所まで案内してくれた。 3階建ての建物で、かなり立派なものだった。この街が経済的に潤っていることがわかる。
「さすがに中に入るわけにはいかないか・・」
私は小声でつぶやいた。下から見上げ、少しの間待っていると、廊下に3人の姿が見えた。一人は建物の中のどっかで別れたらしい。それがルドだというのがわかった。ティモとほかの2人は単なる役人の立場といってよい。おそらくルドは、それなりの立場の人なのだろう。
「どうする・・・」
周囲を見渡す。中の様子が覗え、うまく侵入できるような樹木が、建物沿いにあるなど、そんな都合のいいことはなかった。
「・・・・・待つしかないか・・・」
私はまたここでつぶやいた。そんなには遅くはならないだろう。入り口から出てくる人を監視できるような(当然周囲から怪しまれないような)場所から建物を監視し続ける。ティモ、さらに先ほど見た2人の役人が出てきた。それぞれバラバラに出てきて、非常に疲れた表情で建物を離れて行った。
「建物を先に出た3人は、何かを隠してるような様子がない・・・・もしも何かあるとすれば、やはりルド・・・」
私はルドが一番初めに出てくると睨んでいたが、まるで想像とは違った。
「中で誰かと話している?・・・この建物の中に、裏社会の人物がいると思えない。会話をしているとすれば地域統括所の人間?ここのウルビス(市政官)?」
この辺りはヴァルドリス王国の領土のはず。これだけしっかりとした統括する役所が立っているのであれば、この街は国にとって正規の領土であるだろう。しかし先生が向かわれたキャステルは、おそらくいくつかの独立している勢力の一つと思われる。この街は、そこにちょっかいを出されている状態なのであろう。
さらに待つ
ようやくルドが現れる。彼はおそらく役人としてこの街に従事しており、その中でも弁が立つゆえ、討論士ギルドに抜擢されたのであろう。ルドは周囲をやたらと見渡している。誰かに付けられていないかという表情だ。
「先生はいつも『違和感を大事にしなさい』とおっしゃっている」
私はまた小声でつぶやいた。ルドは建物を出て右手の方に向かう。先ほど私が通ってきた道だ。少し行くと、さっきよりも酒盛り場で盛り上がっている人たちの声が、大きく響き渡っている。その中を、ロープを巻いて背中を少し丸めているその雰囲気は、違和感を覚えざるを得ない状態である。私は見失わないよう、行き交う人の陰に隠れながらあとを追う。また少し行くと、右側に思ったより細い路地に入る。先ほどまで足元は土であったが、意外なことに、この細い路地は石畳になっている。この先には、それなりの地位の人間が、住居として構えているのではないかと思った。たぶんそこの場所は、昔から裕福な人間が住む場所であり、ほかの街の配置はその後に形成されたのではないか。緩く斜面を登り続ける。周囲は急に人っ子一人いなくなる。私は見失わないための最大限の距離を取りながら、さらに背中を丸めているルドの影を追い続ける。
道を左側に入り、少し小高い丘を斜面沿いに進む。左側には先ほど盛り上がっていた酒場の光が見える。右手の奥側には森のようなものがあり。おそらく間隔を開けながら、住居が並んでいるのだと思われる。そして到着したのは、最も奥の二階建ての建物。庭も広く、小さいながらも整備された庭園がある。意外なことに玄関で迎えたのは使用人ではなく、ルドの妻らしき人物であった。しかし、この人物にも違和感を覚えた。私は垣根の間から目を凝らし、家の中に入る一部始終を見たが、自分の夫を迎える態度、表情、家の中に導く所作など、どことは分からないが、すべての部分置いて違和感を覚えた。
先ほどの地域統括所とは違い、こちらは建物の側によって中の話を聞けそうだと思った。私は、おそらくリビングであろう明かりが付いた部屋のところに、静かに駆け寄っていった。比較的大きな窓があり、その真下に隠れて中の話を聞くことを試みた。ここまでルドを追ったことへの正解らしき事柄は、何一つとして認められていない。実はただ自宅に帰り、食事をし、寝るだけかもしれない。しかし私の中では、これだけの『違和感』を列挙してもらっている状態で、何もないということはありえないという強い確信を持っている。この『自分が想像する範囲外のものと、自分が想像する範囲内』の直感的分類は、比較的高い確率で身についているのではないかと思われる。『何がある』かは(具体的なものとして)想像の外によくあるが、『何かがある』という具体的ではないが大枠を外すことは少ない。
息を殺す。足元の草が随分と伸びており、時々夏の虫が膝を這う。
「どうして、どうして場所は聞けなかったの?」
おそらく、ルドの妻の声である。それもかなり大きな声を出している。
「仕方がない。相手が頑なに拒否をしたんだ。あまりそれ以上追求すると、こちらが相手と通じていると思われる」
妻よりは小さいが、あの水車小屋で私をおどした男の声————ルドの声である。集中して音を聞き分ける。かすかに聞こえる虫の声を排除する。
「今晩なんて報告すればいいの⁉なんで場所を聞いてないって言われるに決まっているわ」
「何を言ってる。相手には、お前が夫に話をしてないと言っているのだろう。そんなに全ての情報を引き出せる方が不自然だ。私はメンバーである4人の名前をちゃんと集めてきた。それだけで充分だろう」
どこか妻に詰め寄りながらも、どこか腰が引けているようなルドの言葉。しかしこんなにも、核心の部分がいきなり聞けるとは、いや違う。これこそがまさに予想だにしないことである。
「その名前だって、本物かどうかわかったもんじゃないわ」
「な・・・おまえ・・・お前が・・・・お前があいつらと通じてなければ・・・・」
どうにか抑えてはいるが、明らかにその怒りの感情が沸き上がった音が聞こえた。人は焦って追い詰められていると、無駄な言葉をしゃべることができない。彼らはすでに追い詰められている。それが彼らの表情や行動に出るし、言葉にも全てのだらしなさと雑な感じがにじみ出る。客観さや冷静さのかけらもなく、私が窓に耳をつけて堂々と聞いても、彼らは気づくことはないのではないか・・・・
意外とそれ以上の会話がなかった。追い込まれている時には、無駄口はやはり出ない。食事をとったみたいだが、 2人は無言
「今晩・・・・」
小さく声が出る。妻は今晩と言っていた。待つしかない。
カミルたちは心配しているかも・・・
私はルドの妻が外出するまで待つ。空は晴れており、星が綺麗に見える。自分の左手側には街の光が見え、うっすらと酒に溺れた人々の喧騒が聞こえる。
まるで自分が霧散するような感覚——————
少しそれを押しとどめた。この街のあらゆるところで、全てが散っていくのを肌で感じる。灌漑用水をうまく利用し、水車によりこの地域の農業を活性化させた。その国力の繁栄が全ての没落と霧散に流れてゆく。この度の討論会で、この街の多くのものが崩れ去る。いや、その流れはずっと前から始まっていた。この街は急速に『死』向かっている・・・
静寂の中・・・先生の声が風に乗って聞こえる
——————「ビル、組織を保つのはさほど難しくない。一番弱いところに補充すれば良いからです。例えば軍隊がいた時、最も速い集団に合わせるといっても、もっとも遅い集団がついてこられるわけはない。もちろんある瞬間、それが求められることはあるが、ここで言うのは、私が常に大事だと言っている『軸』と『幅』と『連続性』のことです。つまり軸をどこに置くのか。それは平均の中心でなく、最も低いところに置き、できるだけの力を、その部分の補填と底上げに使うのです。よく『先頭が引っ張り、それについて来られるものだけが【必要なもの】である』と言ったり『全体のバランスを見て、どこに合わせるかが大事』と言ったりする人がいますが、その人たちに共通していることが、たった一つあります。彼らは、私のいうところの『最も低い人、最も弱い人に軸を置き、そこに集中して底上げをしていく』という行為を、実際にやったことがない人ばかりです。彼らの多くがその論理性を検証するわけでもなく、本当の意味の結果を求めるわけでもない。彼らは怖いのです。今この目の前の状態を保てなくなったり、自らの利益や権威を失うことになったりすることが。それらのことによって、ただ理由を幾つもつけて試みないだけです。だからこそ実際に、そのことを検証されることはない。私は今まで数々の組織、集団、共同体や自治体を統括してきましたが、この方法に勝るものはありませんでした。ここではあえて、上と下と言う表現を使います。下の者に力を裂くと、上のものは必ず不満を持ちます。しかしこれは以前述べたように、不満というものは『大きい不満』と『小さい不満』があります。人というものは、不満を持たないことがほぼありません。つまり大事なのは、それが大きい不満か小さい不満かということです。では彼らにとって、下を優遇することによっての不公平感に対する不満と、自分の組織の下の者が次々と脱落し、もしくは死んでいき、『今度は自分たちに、その番が回ってくるのではないか』と言う、真っ黒い恐怖が自分たちを襲うときに発する不満と、どちらが大きいでしょう。今まで自分たちが下のものだと馬鹿にしていた立場に急に置かれ、今まで自分たちが様々なものを押し付けてきた立場に急になる。前者は愚痴程度でありますが、後者は突然その統括者を侮蔑し無能扱いし「なぜ対策を練らない」などと罵りの言葉を言ってくるのです。そうでなかった組織は、どこの場所でも、いつの時代でもありませんでした。この分かり切ったことを、地上に立つ人のほとんどが繰り返し続けるのです。それは一般的に『人の弱さ』からだと言われています。少しでも楽をし、少しでも考えず、少しでも快楽を求め、少しでも他人に対して優越感を持つ。だから永遠と同じことを繰り返す無間地獄にいる、しかしこの『霧散していくこと』はごくごく自然のことなのです。その自然な力に逆らい、もっとも下に力を注ぐ。そのことが実は上の者がどこかで安心し、下よりもさらに下のものが、その組織や集合体に入ることを求め、そこに多大なる求心力が生まれる。その循環が正しく行われ、正しく作用することが、他に対して圧倒的な形状を示し続ける。あくまでもそれが大前提の上で、時として上に合わせ、時として上下を分離し、そして時として下よりさらに下に軸を置く。それが統括者の『采配』の真骨頂であり、そこの時点に立って初めて、組織の責任者としての才能が求められるのです」
私は風の中の先生に語り掛ける—————
呟くように—————
「人がなぜその楽な方にだけ進むのか・・・先生は今『それは自然に霧散する行為である』とおっしゃいましたが、それを理解することはかなり難しいことですね」
—————「今のあなたにとって、体感的に認識することは難しいかもしれませんが、学びの一つとして、ここでわたしの考えを伝えておきます。それは、人は生まれた時から『死』に向かっているからです。内的要因、外的要因も含めてです。よくさまざまな文学や詩に書かれてはいますか『生きることは死ぬこと』と、いうのがその本質にあります。これは私が何度も言っていることです。我々は生まれた時から散り散りばらばらに砕け散る、すべてを放ち、すべてを霧散させる自然の力が働いているのです。それが故、生きるということは、バラバラになることに反して形を保ち、終焉を求める者に対して、循環し続けることを保持することです。建物の柱が四つあったとします。この中でひとつ弱い柱があったとするでしょう。上から加重がかかったり、何らかの衝撃があったりして、それが建物に接した時、多くの力がその弱い柱に集中します。これが自然の摂理です。この自然の摂理に逆らって、最も弱い柱にほかの柱より上回る状態になる補強を加えることで、その建物は急激に強さを増します。それが原因でほかの三本が破壊されるということはほぼありません。正しく四つに荷重が分散されるからです。果たしてそれがいつか壊れることがあったとしても、他の周囲の建物に対して圧倒的な保持をし続けます。つまり、不自然なほど、この自然の状態に逆らい、形を保つことを真に求めることが『生きる』ということです。『生きる』とは『死』という逆らいようもない、果てしない膨大な力に対して、正しいあるべき不自然さを持って、一見逆らっているように見えながら、自らの存在があるがゆえに、その存在が自然に形作る『傾きを持った安定』を望み、『保ち続けよう』とすること。『生きる』とはその崩壊に対して拮抗するだけの恐ろしい力なのです。だからそれを保持することは難しく、だからこそ価値があるのです」
散る感覚——————
集まる感覚——————
「先生・・・私にはまだ難しすぎます。ただ・・・・・」
ガチャ
扉の音がした。少し身を潜める。大きなローブを着て身を隠す・・・おそらくルドの妻。
ほぼその容姿は捕らえ切れておらず、形容する言葉が頭の中に浮かばないが、その足取りは決して重くない・・・少しだけルドが出てこないか気にしながら、今度はその影を追う。
彼女は賑やかな街の方に出た。そこから西の方に足を進め、人がまばらになり始めたところで細い路地へと入った。静かな作業場の集まるところ。夜の風景で壁が青く染まっている。そのより暗いところに足を伸ばす。やはり彼女の足取り軽い。猛烈な違和感を覚える。何かに近づけば近づくほど違和感が大きくなっていく。
マズイ——————
私は本当にこれ以上先に進んで良いのか。いやだめだ、この先に待っている人物はこの街に来てあった、臆病な人たちと全く違う。
つ・・・
私は足を止めた。
進んでよいのか?——————
ここからでも相手のオーラを感じる。確実に命のやり取りが行われる。明確な判断と覚悟が必要だ。近づけば相手に確実にばれる。つまりばれて良いと思わなければ近づくべきではない・・・
ここが勝負どころですね——————
先生の言葉が、頭の中を風と共に流れた
「ですよね、先生」
先生はすでに相手の陣営に乗り込んでいる。その判断の速さと正確さ。私はこの瞬間にも先生の動きも意図も読み切れていない。おそらく先生は、私などよりもよほど危険で、よほど覚悟を持ち、今の行動に臨まれているはず。
ふふ・・・
私の口元は少し口角が上がり、笑みの音がこぼれた。そのまま真っ青な闇に足を進める。
「いた・・・」
隠れながら隠れるつもりがない私は、小さな声を漏らした。いた・・・袋小路の青い闇。その中でルドの妻と肩幅が広く背の高い男が・・・・強く抱きしめ合い、唇を重ねている・・・・
一瞬・・・・
一瞬だけ男の目線がこちらを向いた
私は心の中で相手に聞こえるように『ああ、知ってるさ。あんたはこちらに気づいたんだよな。知ってるさ。あんたがこれからルドの妻と話すことは全部聞かせてもらう。あんたが喋ることは、私に聞かせるつもりで喋るんだよな』
男がさらにルドの妻の体を引き寄せる。彼女にとっては予想外の男の行動だったのか、一度体をびくっとさせ、しかしそこから、まるで溶けていくように男に身を委ね、手首から先に力を入れる。
『わかるよ。私の存在に気づいたから考える時間が欲しいんだろう?私が何者か、何のために隠れて聞いているのか?何を話すべきで何を話すべきでないのか?それを考えたから口づけをする時間を伸ばしたんだろう?じっくり考えればいい。そしてその女性と、はじめは甘い会話をし、そして伝達を受けながら、この私について探りを入れるんだろ?そして彼女が去った後、この私との勝負が始まる』
私はこの場所に覚悟して足を踏み入れてきた
先生——————
生きて帰れないときは、ごめんなさい




