第十四章 第五節
自分では地に足がついているつもりである。当然それはある程度余裕があり、自分のことを俯瞰で認識できる時。しかし突然ある瞬間に、ずいぶんと前の時間から体がふわふわ浮いていて、川に浮かぶ木片のように、どんなに藻掻いても、己の方向性を定めることはできない。
ギ————
ギ————
「後ろに居る2人の男が、それなりに腕の立つ者です。あなたが不用意に何か行動を起こせば、この場で殺してしまうこともできます」
銀灰色の短髪の老人、ルドが二歩わたしに近づいた。先刻我々の討論の相手となる人物を私は『小賢しい連中』と表現した。今私の目の前に居るこの男も、同じと言えるだろう。さほど修羅場をくぐってきてない私でも、目の前いる人物が本気で自分の首を取ろうとしているかは、ほぼ間違いなく判断ができる。
手を揉む男——————
モントベリーから脱出した後『手を揉む男』に付き従っていた、全身黒ずくめでナイフを持った男たち。あの連中は確実に我々を殺しに来ていた。呼吸の気配さえも示さず、それでいて相手を殺す衝動を抑えきれない、相手を急激に萎縮させる波長。飼い主が『待て!』を強い意志を持って示さなければ、即座に相手の喉笛をかき切る。
それがどうだろう。後ろの2人は怯えた色を瞳の中に映し、見なくても手が震えているのがわかる。だいたい彼らは地域統括所の人間である。いわゆる役人である。腰につけている剣も飾りのようなものである。その彼らをもってして『いつでもお前を殺せる』なんて脅しはあまりにもチャンチャラおかしい。
「ビルさん・・・私は・・ここを教えるつもりはなかったんだ。ただ、この人たちも随分と切羽詰まっていたんだ。お互いに討論会に出るメンバーを3日前には通達しないといけない。この人たちが前の宿屋に行ったけど、もちろんシルバー先生たちはいないわけで・・」
ティモが怯えながら、ここまでに至った言い訳をつらつらと述べる。いつもの事であるが、自分たちの想像の範囲は必ず現実に及ばない。考えてみれば相手方にメンバーを通達するのは当然である。それは彼らの行ってきたことを考えれば、どのような相手なのかを認識した後、その人物のことを調査して、討論の時に自分たちの優位な形に落ち込むという流れなのだから。
随分と落ち着いてきた——————
私は客観性を保てている感覚が蘇ってきた。というより、一定の覚悟ができている状態になったと言ってもいい。
こんな連中には私を殺せない・・・
ギ————
ギ————
水車の音も随分と耳慣れをしてきた。
「つまり、事前にこちらのメンバーを伝えることができず、焦っていると?」
「少なくとも四名の名前が必要。シルバー先生とあなたの名前以外わかっていない」
フッとティモの方を見る。彼はすぐに目線を逸らす。もちろんこの会話の中で、私の名前を呼ぶときはあった。しかし先ほどのルドの言葉から察するに、これより前に私の名前は彼らにバラされていたのであろう。ところが彼は、私が昨日紹介したイーヴァンとカミルの名前は、全く覚えていなかったのだと思われる。あれだけティモが二人をスルーした態度をとってのだから当然であろう。(もちろん知っていても、イーヴァンはメンバーとは思わないだろうし)
「とりあえず、あなた達の名前を書いておけばいいんじゃないですか?」
私は非常に白々しく言った。
「それはまずい!実際の討論する人物が違うと、相手に対して失礼にあたる」
私は今の自分を鏡で見ることはできないが、非常にうまく出来ているのであれば、先生がよくする表情の『全く感情がわからない顔』を作れているのではないかと思った。
「まずは、あなたがたがいる宿に連れてってもらいたい」
「なぜです」
「そこに居るシルバー先生と、お話をしたいからです」
「シルバー先生はいらっしゃいません」
「!!」
ルドは明らかな動揺の表情をこぼした。今自分たちが本当は有利な立場に居るのに、本気で私を殺してでも、自分たちの想う最善の状態に持ち込もうとする気概が全くない。だから彼らの行動は何一つうまくいかない。彼らがはじめに姿を現した時に、少し恐怖のようなものを感じた自分に、まだまだ訓練の足りなさを実感してしまう。これがもっとまずい相手(それこそ『手を揉む男』)であれば、すでに手足の二本ぐらいは失っている状態だ。
「なぜ⁉なぜシルバー先生はいないのですか!」
「私は直接聞いてないので詳しくは分かりませんが、キャステルの街へ向かったとのことです」
「キャステルの街⁉なぜ!なぜそんなところに!」
「討論の相手は、そこの城に関わっている弁士なのですよね?」
「だから何のために⁉」
「先生のお考えがあると思います。それは直接聞いていないのでわかりません」
ギ————
ギ————
小屋の中が非常に薄暗く、夕日もかなり落ちている。しかし、ルドの顔に滲み出てる多くの汗は、そんな状態でも隠しきれないほどである。
「いや・・・」
ルドの表情が変わる。
「いや、嘘だ・・・キャステルの街までここから4日以上かかる。今からそんなところに行ってるわけがない。しかも、あなた達を置いて・・・・・」
本当にこの人はダメだと思った。すべて自分の頭の中で決め付けたことを、思考の土台としている。もともと彼は素晴らしき弁士だったと言われているはず・・・(ティモが言っていただけだが)それにしても4日もかかるところだったのか・・・本当に先生はどうするつもりなんだろう。
「この場をごまかすために嘘をついてるな」
「嘘をついているか、ついてないかは貴方が勝手に決めればよいでしょう。ただどちらにしろ宿の場所は教えません」
「そんなものは、あなたについていけばすぐ分かる」
「宿になんか帰りませんよ。ちょうどこの小屋は雨風がしのげる。野宿をするよりも百倍ましな場所で3日間なんて余裕すぎですね」
「!!・・・」
挑発をしすぎたか、さすがにルドがカチンと来た表情をした。だからどうした。
「あなたの体が傷ついても・・・」
大してやったこともない脅しを、頑張って試みようとしている。
「そこの2人は人を殺したことがあるのですか?」
「!・・・」
今まで傍観者のように話を聞いていた2人がビクッとなった。
「その様子じゃないですよね。申し訳ないですが、私はあなたたちも本気で斬りますよ」
腰の剣を
シャ—————
と抜く
「ヒ・・」
二人は身を反り、後ろに下がる。
チャ!
私は剣を鞘に戻す。たったこれだけの行動を示すことで、ルドの発言が何の効力を発揮しないことを証明してみせた。私は分かっていながら、再び同じ質問を繰り返す。さっき
適当な返事をされ、ごまかされた質問である。
「先ほども言いましたが、現時点ではあなたたちの名前を書いておけばよいではないですか。当日になって変更したと言い切れば」
「それは・・・・」
ルドの言葉が濁る。もちろんこちらはその理由を知っている。討論の相手となった時点で、その人間の周辺に危害が及ぶ可能性があるということである。
「・・・・」
眉間にしわが寄り、汗の筋が一つ二つと零れ落ちる。やはりこのままでは埒が明かないらしい。
「私はその理由を知っています。だから今シルバー先生は、キャステルに向かっているのです」
ルドの表情に薄い安堵のようなものが流れた。自分が最も伝えにくいことを口にしなくてもよいと思ったからであろう。(もちろんルドのそれと、こちらが分かっていることが一致しているはずもなく、自分の中で思い込んでいるだけだ。そうでなければその内容に対して確認をとるはず。しかし彼は絶対にそんなことをしない。自分の都合のいいように解釈をし、「理由を知っているといったではないか」と何かがあったときには言う為である)なんとも身勝手なものだ。
「『鉄環の誓団』は少しだけ情報を聞いていますが、それを詳しく知るために、そこに居るティモとできるだけ情報共有をし、事前に対策を練ろうと話をしていました」
私は話を進めるために、事実関係を淡々と伝える。しかしそれに対してルドは、急に高い位置から言葉を発した。
「であれば、我々に事前に相談していただければ、その情報をもっと詳しくお伝えすることが・・・」
人はこうまで身勝手になれるものか!
自分たちで隠し!自分たちで思い込み!自分たちで勝手に他人を疑い!そして全てを他人に押し付ける!そして言うに事欠いて『相談していただければ』などと!!
体の中で怒りがこみ上げてくる。抑えられない衝動!
—————ビル。多くの人にとって、それが普通ではないですか?——————
シルバー先生の言葉が、私の頭の中を風といっしょに横切っていった。
先生——————
今、私の周辺、すべての時間が止まっている。私の空間には先生と私しかいない。
先生————どうしてですかね。ここまで一緒に旅をしていて・・・初めて先生と明確に離れて・・・・先生が私に何かをまかせてくれて・・・・・はじめて私の中に『私の思い込みで作り上げた』ものではない、先生がいつもおっしゃっている『他人』としての先生の声が私の中で聞こえます・・・・
私はまだ・・・・様々なものを正しく表現できません・・・・
だからあえて間違っている言葉を使います・・・・
私は今のこの感覚を
愛しさ——————
と記しておきます
——————静かに深呼吸をする
「そうですね・・・しかしあなたたちが身の危険を感じるように、私たちもある一定の防衛策を取らなければなりません」
落ち着いた、客観性のある正しく選んだ言葉を出すことができた。
ルドの表情を見る。まだ固い。彼らが欲しいのは自分を安心させるための薬。相手に伝えるメンバーを何としても知りたいという、精神を安定させる幻覚を求めている。
先生、私に一定の判断を委ねていただいていると思っています。ここは私が決断させていただきます。
「なので宿の場所を教えることはできません。しかしメンバーに関してはお伝えしましょう。 4人で合っていますよね」
「あああ・合っています・・・」
ルドの表情にされに緩みが見えた。その口角が上がる状態を、何とか抑えようとしているのがわかる。隣のティモを見ると、『言って大丈夫なのか』という表情をしている。何を今さら、この状態にしたのはあなた・・・・・・・どうしても、私も聖人君子じゃないため、一々相手の表情に心が乱されてしまう。
あれ・・・・やっぱりこのくらいの乱れでは『愛しい人』は出てくれないらしい・・・
少し甘え過ぎました・・・・
ギ————
ギ————
随分と日が沈み、木の壁の隙間から入り込む夕日が、反対側の壁に縞模様で映し出されている。
最後の深呼吸をする。
「シルバー先生と私、ビル・フィッツジェラルド。イーヴァン、カミル・ヴァンデンベルクの四名」
私はゆっくりと名前言った。後ろの2人は慌ててメモのようなものに書き記している。
この瞬間に私が斬りかかったらどうするのだろう—————
自分の目の前で喜劇が行われているような気がして、思わずこぼれてしまった笑みを、相手に見られないようにした。
「私の方もいくつか聞きたい」
私がそう言い、それに反応して顔を上げたルドは、完全に安堵した表情を隠さない。
「聞きたいこととは?」
「もちろん『鉄環の誓団』について」
私はそこから『鉄環の誓団』についての情報をできるだけ拾った。リーダー名はグラウ・ザ=カンデル。身長はかなり高い。筋骨隆々で、戦士のような体躯を持つが、常に黒い法衣を纏っている。顔には焼け跡のような刺青が刻まれており、口元には常に微笑を浮かべている。これは、実際にルドが別の街で見たことがあるらしい。それも討論が行われる場で、彼は相手に対し「アンタには娘がいたよな。このままずっと元気でいられればいいけど・・・」と公の場で、明確に相手に脅しをかけたらしい。逆に言うとルドにとってそのことが特別印象に残っているらしく、決していつでも同じ手法をとっているとは確認できなかった。普通の人はそのような行為はやらない。何をしでかしてくるか分からないが、決して人を人質にとって脅すということを、ワンパターンにしている人は思えなかった。
どんな手を使ってくる?今、先生がそのことについて、アプローチをしていただいていると思う安心感。その大きさに触れると同時に、その偉大さに足元にも及ばないと思ってしまう。
外に出るとすっかり日が落ちていた。さすがにここまで遅くなるとカミルたちは少し心配しているかもしれない。
「まあ大丈夫でしょうけど・・」
私は念を押すように、目の前の4人に行った。
「後をつけてくるようなことは、しないでくださいね」
「我々としては、これであなた方が正式に討論のメンバーと発表できます。それだけで充分です」
急に「要は済んだ」とばかりに口調も態度も軽やかになってくる。
ルド達は自分たちのところに戻るために、さっさと私の背中を向けた。お付きの2人もルドの後を追うだけで、本当におまけだったのだろうと思う。ティモだけは一度振り向いたが、何を言っていいのかわからない顔をしながら、そのまま彼らの後について行った。
「あの様子だと、本当に私をつけてくる気はないな・・・」
そう独り言を呟いた。その時
ここが勝負どころですね——————
「え・・」
再びシルバー先生の声が、私の頭の中を通る。風と共に・・・・
私は周囲を見渡す。西の出口を表す赤い門。山の向うに沈み切った太陽。町の中心部から離れた静けさ・・・・
勝負どころ・・・今頭に聞こえたものを反芻する。
最も相手が警戒を怠っている。ここで言う相手とは『鉄環の誓団』ではない・・・ティモ・・・ルド・・・・
「!・・・・違う。もし『鉄環の誓団』がその討論の相手になる人物に、何らか自らを、有利に運ばせる事を画策するのであれば・・・」
内部に通じている人物がいる—————
そしてその人物は、どうしても我々の宿を知りたいと思う。ルドが四名のメンバーを伝えるだけでは決して満足できない人物。いや、ルドが我々の居場所を把握しきれなかったことに対して————最も不満の態度を取る人物
それが『鉄環の誓団』のリーダー、グラウ・ザ=カンデルと通じている人物・・・・
敵に我々の名前はまだ伝わってない。
しかも宿がばれていな以上、イーヴァンとカミルのところに、何らかの危害が加わる可能性は明日までは低い
先生、ここが勝負どころですね——————
思い込みは身を亡ぼす。 4人の誰かとは限らない。その先の誰かかもしれない。無限の可能性を頭に入れながら、私は彼ら4つの影を追う。




