第十四章 第三節
「とにかく早く、今夜中にこの街を離れてください!」
ティモは眉間にしわを寄せ、まるで息が詰まっているように、焦った表情で我々に迫って来た。この時にはシルバー先生はもちろん、幼きイーヴァンもヴァルチャントレス(旅の安全を確保するために 女性が男性の格好をするだけでなく、 戦闘訓練をしている )のカミルもベッドから出ていた。
「そんな、急に言われても我々だって『はいそうですか』というわけにはいかない。ひとまず事情を説明してくれないか」
私はありきたりな言葉ではあったが、彼を落ち着かせるためというよりも、今このわけがわからない引っかきまわされた流れを、あるべき道に乗せようと思った。
「今日の夕方に、数人の男達が来たと思います。彼らはシルバー先生にこの月の終わりに行われる討論会に出てほしいと言ったはずです」
やはりそのことについてか…
「その催し物というのが、ある意味儀式的なものと言うか、形式的なものでありそれ自体はさほど問題がないのですが、その後に本当の意味での討論会が行われて・・・そこで今日昼にお伺いしたはずのルド・ヴァン=ミルが・・・」
ルド・ヴァン=ミル?・・・・あの短髪の老人?
「彼が本来、先方の相手をするところだったのですが・・・その、急に怖気づいたというか、いやその気持ちも分からないのではないのですが・・・」
全く要領を得ない。正直何を話しているのかよくわからない。そう思っているところに私の背後からシルバー先生がやってきた。誰の目から見ても明らかというわけではないが、私の知る限りではいつもとそれは違い、先生は不機嫌さを滲み出しているような表情をしていた。(演技なのかどうなのかは瞬時に判断できないが)
「ティモ、あなたの言いたいことは、その討論会に出ることが危険だと言うことですよね。しかしそれに関しては、わたしが自分で判断して請け負ったものです。どうかご心配なさらずお帰りください」
声のトーンもいつも先生のと、それは違っているように感じた。ここ最近では先生が話される時、私はその流れを汲み取れているような気がしたが、今日はそれを自分は感じ取れていない。
「しかし、その相手が非常にまずい相手で」
「つまりその相手は私を凌駕し、私が酷い目に遭うということでしょうか?」
ティモの言葉を受けて切り返した先生のトーンは明らかに苛立ちが持っているように思えた。(演技なのか?)
「いえ・・・・そのような失礼なことを言うつもりではなく」
「あなたの行動と発言には、常に自分本位なところがあります」
「!————」
先生の言葉は、明らかにティモを攻めるような内容に変化した。そのことにイーヴァンもカミルも反応した。 2人にとっては「なぜ先生は急にそんな強いことを言うのか」と少し感情的に捉えているかもしれない。
「あなたは今、私たちを助けるというよりも自分の保身のために動いているように見えます」
「・・・・・」
ティモの表情が明らかに変わって固まった。当然その先生の強い言葉によってである。
「あなたはこの町に来て、思いもよらない地位を手に入れた。そしてそれを手放すことに恐れを持っている。だからすべての物事が問題ないように動かそうとしている、違いますか⁉」
「!・・・・・」
ティモの唇が震える。
「だからといって、己をコントロールするべくもなく、一貫性のない言動を繰り返し、それを周りにばらまいている」
ティモの表情がこわばった。それと同時に目の奥に『反抗』の火が灯っているのを感じた。
「・・・・・・」
今度は明らかにティモの方が苛立ちを強めている。
「・・・・・・・・・」
ティモの次の言葉が出てこない。完全に確信を突かれたのか、頭の中で思考の欠片がぐるぐる回り内面を傷つけながら、言葉を形成することを拒んでいるのか・・・・・?
なんだろう——————私は急に冷静になってきた。急激に周りが良く見える。この部屋の床はずいぶんと傷んでいるが、廊下側の壁は最近修復し直したのであろう。外で少し雨の音がする・・・夕方にはそんな感覚はなかったのに・・・・
カミルの方を見る—————— 彼女は寝る時も男性としての服装を忘れず、その意識が強く向いているからこそ、決してほかの人に悟られる事がない・・・・
イーヴァンは——————この子にしては珍しく眉間にしわを寄せ、表情を固くしている・・・なんだ・・・誰に対して何を思っているんだ・・・?
今のこの感覚は何なんだ。
私はこのやり取りの直前まで、彼に対して非常に強い不満を持っていた。いや不満と不信の半分だった。
その部分をシルバー先生が言語化してくれ、あまつさえ彼にぶつけてくれた。私はそのことを心地よく思ったり、スッキリしてもいいはずである。しかし私に今流れている感覚は・・・
バン!
激しく扉を開け、ティモは出て行った。捨て台詞を吐くことなく。
「じいちゃん!ひどいよ!」
突然イーヴァンが、シルバー先生に食ってかかる。
「なんでそんな言い方するんだよ!なんであんなひどいことするんだよ!あの人俺たちを助けに来てくれたんじゃないのか!」
私はシルバー先生を見た。先生の感を読み取れない、何を考えているか、全くわからないシルバー先生の顔————私は以前、よく先生のこの顔を見た。
「相手の話だってちゃんと聞いてあげてないじゃないか!なんだよ、じいちゃんいつも俺たち偉そうに言ってるくせに、俺たちもそんな風に人を傷つけていいのかよ!」
イーヴァンは握り拳歯ぎしりをしながら、先生を睨みつけている。カミルはイーヴァンが先生に手を出さないかビクビクしながら、いつでも押さえつけるように構えている。私はイーヴァンの姿が、かつての自分と完全に重なっている。ここに至るまで、私は確かにティモに対し、不信感のようなものを持っていた。しかしそれは、彼の存在に対してというよりも、彼に代表する『その類の人物たち』という少し広い範囲で、不信感や警戒感であったような気がする。しかし、かつての自分は視野が非常に狭く、『その特定の人物』に対して明確な『侮蔑』『憎悪』『恨み』————逆のときは『愛着』『情熱』『敬愛』・・・・どれもひどく狭い、両横に振ると先ほど視界に入っていたものがすべて排除される・・・・そのような感覚であった。
今、シルバー先生がイーヴァンに向けている目は、かつての私が浴びせられていた瞳線。カミルはずっと両手をイーヴァンの方にあげたまま、何をどうしていいのか分からないような表情をしている。彼女・・・彼にはしては、珍しく私の方に全く目線を向けない。その余裕がないぐらいに、思考の許容量がオーバーしているみたいだ。
サアアアアアア
雨の音が聞こえる—————
「確かにそうですね・・・イーヴァン」
先生が静かにイーヴァンに言った。全く表情がわからないその顔で。
「・・・・・・」
イーヴァンの握り拳はほんの少しだけ緩んでしまった。ほぼ感覚で生きているように見えながら、その感性の鋭さで大人を翻弄してきている彼が。おそらく・・・・イーヴァンは初めて『思考の混乱』を起こしている。人生で初めて・・・・先生の『確かにそうですね・・・』この言葉によって————
「先生、ティモを追ってきます」
私は突然そんなことを言った。一瞬シルバー先生は私を見た。その瞳は明確に意思を持っていて、『頼みますよ』と返事をした瞳である。私はすぐにドアを開け、雨の降る中、宿屋を外に出た。たまたま一方はすぐに行き止まりになるため、彼が走っていた方向はその逆であると確信して、追いつけるよう全力で走った。
不思議な感覚である。私は何をもってして彼を追いかけると決めたのであろう。まるで自分の体が自分のものではないような感覚。頭の中は明確である。もしかすると、いや、まだ未熟な故、勘違いかもしれないが・・・・この感覚が『客観性を持つ』————自らを俯瞰で捉えた感覚ではないか。
イーヴァンの未熟さ——————
カミルの狼狽——————
先生の私に対する『信頼』の瞳——————
雨の音——————
肌に流れる冷たい雫——————
こんなに全力で走っているのに、体に着いた雨粒をひとつひとつ数えられそうな気がする。
今の私の状態でティモを見つけられないわけがない。私の瞳は屋根の上、それよりももっと高いところからこの街を見下ろしているような感じである。その感覚は先生がティモに強い言葉を浴びせ、今ここに至るまで、ずっとのような気がする。
先生、私は以前より成長している気がします・・・
少し成長しているみたいです・・・先生
体の赴くまま、店が並ぶ大通りの手前の道を少し入ると、雨の中にティモの濡れる背中が見えた。私は一気に足を早めた。肩を落として歩いている彼の前に舞い込む。
「ティモ」
彼は立ち止まりゆっくりと顔を上げた。
ほんの一間あいたところで、私は彼の肩を手に取る。
「こっちの庇の下に・・・」
私は雨をしのげるところに彼を連れて行き、一段高くなって座る場所に彼の腰を下ろさせた。彼は座っても俯いたままである。
ざあああああああ
先ほどよりも少し雨音が強くなった—————
あまり時間をかけてしまうと濡れた体によくないが、もう少しだけ待つことにした。彼が口を開くまで・・・・
ざあああああああ
ずっと空を見つめる。
「・・・わたしは・・・・」
ティモの方を見た。
「私は・・・・そんなに間違ったことをしたのでしょうか・・・・」
彼の顔を見る。彼が今の状況を理解できないのはわかる。私もそうだった・・・
彼は自分が訪ねてきた事情を全く話できていない、聞いてもらえない。相手に対して不遜の行為をしたというよりも、むしろ相手に危険が及ばないよう努めていたと思っている。もちろんある側面で言えば間違いではない。しかし彼は先生の質問に答えてはいない。
『すべての物事が問題ないように動かそうとしている、違いますか⁉』
今彼にそれを聞いても答えは返ってこないだろう。そんなことでないのであれば『そうではない』と答えればいいし、もしそうなのであれば『その通りです!問題がないように動かして何が悪いのです!』と答えればいい。しかし彼はどこかで分かっている。シルバー先生がその前で言葉を置いた『あなたの行動と発言には、常に自分本位なところがあります』——————君はそのことに本当は気がついているんだよね
「間違ってはいないと思うよ」
話を次の流れに持ち込むための、本来の意味でない言葉を私は彼に返した。
「さっき聞きそびれたから教えて欲しいんだが、討論会に出るとどんな良くないことがあるんだ?」
「今日先生方に会いに来たルドは・・・」
あの短髪の老人か。
「この街のエンドロゴス(深い思索者)です。彼が本来、討論会のこの街の代表者でした。胸元には小さな歯車の意匠が施された、ブローチをつけていたと思います。それはかつての討論士ギルドの象徴・・・」
真夜中のため人通りは全くない————
少し向こうの空に星が見えはじめている—————
イーヴァンは先生と、どのようなやり取りをしているのであろう—————
「その彼が・・・かつて『論の灯台』と呼ばれた名弁論家の彼が、自分の保身のためシルバー先生に大変なことを押し付けようとしていたのです」
保身・・・保身に走らない人がこの世にいるのだろうか、あなたを含めて—————
いや、今のは余計なことだった。
「その大変なこととは?」
「今回の討論の相手が『鉄環の誓団』と呼ばれている人たちなんです。」
聞いたことはないが・・・・
「彼らは・・・なんというか・・・言葉を言葉だけで終わらせない・・いや・・」
「はっきり言ってもらって大丈夫、どんな連中なんだ」
「その、討論の場で人質を使うような・・・」
「???」
さすがに何のことかよくわからない。
「つまり、討論する相手の家族を人質にとったり」
「?????」
どういうことだ?
「討論をする時に手段を選ばないのです」
・・・・?どうもピンとこない。
「例えばで聞いてもいいかい?仮にシルバー先生がその『鉄環の誓団』と討論をするときに、私が人質に取られたりするということ?」
「はい。若しくはまるで関係ない人を人質に取り、相手の望まぬ回答をするとその人を殺すとか」
??????——————
なんだそれは・・・いまいち把握できないが、面倒くさそうであることは確かである
「彼らは相手の言葉に対して圧力をかける感じで・・・彼らを使っている領主が非常に重宝し、外交使節として相手方に送り込むのです。そのことで自分たちに有利に物事を進めたり、圧力をかけたにします」
言葉での交渉という舞台で、それとはまったく違う力をかけてくるということか・・・
よくわからない。詳しい情報もないし、思い込みは身を滅ぼすので、そのようにはならないように気をつけなければいけない。しかし先生がいつも『直感を大事にしなさい』とおっしゃっている。私の直感は、
随分と小賢しい連中——————
サアアアア
雨が弱くなってきた。
「ティモ。君の私たちに伝えたいことはわかった。ただ君は、我々が君の指示に従っていなくなったとしたらどうするつもりだったのか?そのルドという人がすごく困ったのではないか?それだけでなくて、このヘルヒンの街が何らか大きな不利益をこうむる可能性があるのじゃないか?そうしたらティモ、君もずいぶん困ってしまうんじゃないか?」
「!・・・・それは・・・・」
この反応を見る限り、やはり後先を考えている雰囲気ではない。場当たり的ですぐ行動に移してしまっていることがわかる。
「今の話を聞く限り、その討論会とはお遊び程度のことではなく、国や国、領主や領主同士が何らかの外交的なやりとりに絡んでいるのではないか?」
「・・・はい・・・」
「それがうまくいかなければ、君の環境が良くないことになるかもしれないし、まして先生を逃がしたのが君だとばれてしまうと、場合によってはただでは済まないのではないか?」
「!・・・・・・」
ティモは息をのむ。少し青い顔をする。これらすべて、彼が保身の為に動いていたということを示し続けてしまっている。メヌーの村で会った時の彼であれば、常に虐げられ失うものもなかったので、こんな顔をしなかったであろう。何かを得てしまうと、ここまで保身に走ってしまうものなのか。とても同じ少年には見えない。
「君の今の行動は、本来君やその周りを守ることから逆の方向に向かって言っている。それは君が望んでいることではないはずだ。君がやるべきことだったのは、浮き足立ったまま、暴走した言動に走るのでなく、まずは思考と気持ちを落ち着かせて、素直な気持ちで先生に相談すべきであったのでは?」
「・・・・・・はい・・・」
奇妙なものである。この全てのやり取りのはじめは『ティモがシルバー先生に迷惑をかけないために』というお題目で始まっていたのに、いつの間にか『ティモがまずい立場にならないようにどうにかする』というところに変化している。いや、先生が初めに指摘したように、ここが本筋であったのだろう。
「ティモ、とりあえず私からシルバー先生に話をしておく。今日はすぐに帰って体を温めて、調子を壊さないようにするべきだ。まだ討論会まで日にちがある。それまでに情報収集や相談を重ねよう」
「はい・・・すみません・・・・」
今この場にイーヴァンがいたなら『あんたはシルバー先生を助けるために来たんじゃなかったのかよ!』と大声でティモを怒鳴りそうである。
いつの間にか雨が上がっている。
「さ、早く帰って。明日、都合のいい時に宿屋に来て」
「はい・・・」
そう言うと彼は自分の自宅の方へ小走りに駆け出した。その後ろ姿を見て、今更ながらわざとらしいぐらいの身を隠した変装をしてきていることへ、少し滑稽なものを感じてしまった。それと同時に、自らの行った行為がまずかったと切り替えた瞬間に、すべてシルバー先生に任してしまっている。(それは彼が『本当に大丈夫ですか』など事実の積み上げを聞いてくる空気が全くない。つまり深い思考をせずに、先生に対して結果を丸投げしている)
このご都合主義な感じに、何かかつての自分を見ているようで・・・・
先生・・・・今の私は自惚れていますかね
また2人の時に話を聞かせてください——————




