第十二章 第一節
漆黒の闇。すべてが静まりかえっているこの夜の闇の中で、私たちの4人はコウルサンの街に向かっている。灯りは何もつけてない。先頭を歩くのは、いつも元気いっぱいの幼きイーヴァン・・・ではなくシルバー先生である。杖をつきながらではあるが、とても初老には思えないしっかりとした足取りで南西を目指している。イーヴァンは私の背中で寝ている。この子はまだ、自分たちがペソンの城にいると思っているかもしれない。それはそうだ。われわれはペソン城攻略の後、比較的その城の中でもよい部屋を与えられ、師団長達から「では、ゆっくり体を休めてください」と言っていただいたのだ。それから、勝戦に盛り上がる兵士たちの声を子守唄に、ほんの幾時か就寝した。しかし、騒ぎ収まり、兵が酔い潰れた時間になると、私とシルバー先生はすぐに起き上がり、この場を離れる為、準備を始めた。そして今ここに至る。
「どこまで進むんだ?」
ほんの少し焦りの表情のカミルが、私の後ろから声をかけてくる。彼女・・・彼はヴァルチャントレス。旅の安全を確保するために 女性が男性の格好をするだけでなく、 戦闘訓練を施されて 特別な女性。時々後方を見て、誰か追っ手が来ないのか気にし続けている。
「カミル・・・」
私は一瞬何か言おうとした。すぐに正面のシルバー先生の方を見た。その背中には、特に反応はない。また一瞬だけ思考を巡らしたが、少し足取りを緩くしてカミルに近づいた。
「カミル、お前が焦ってる気持ちはわかる。大事なことは『なぜ自分が焦っているか』という事を理解することだ。カミル、お前は何を恐れている?」
「いや、それは・・・・だって俺たち逃げてるだろう?師団長達は明日の朝、俺たちがあの部屋に居ると思ってるぜ?それがいないとなったら・・・」
「すぐに追いかけてくる・・・なぜそう思う?」
「だって逃げてるじゃないか⁉普通逃げたら追いかけてくるよ」
普段はハスキーな声で、その女性の方を隠しているが、感情が高ぶった時、端々にそれが見え隠れする。私は少しそんなところかわいいと思ってしまう。
「第一俺たち逃げてるの?逃げてないの⁉」
さらにその声で、私に追い打ちをかけてくる。
「逃げてるよ」
「ほらやっぱり!」
「何から逃げてると思う?」
「わ、わかんねーよ!」
「考えて、大事なことだよ・・・」
私にしては少し甘い声をだした。疲れもあるが、そのくらいしないと、カミルの恐怖からの脱出は難しいと思った。
「・・・・・あいつらが・・・・私たちも殺す?」
「そうだね。今すぐ理由はないけれども、この後にはその理由がどんどん大きくなってくる。でも、少なくとも側にいなければ殺されない」
私はこのことを体感的に理解している。仮眠を取った後すぐに起き上がったのは、当然先生が私の故郷、アラモンを訪れた時とシンクロしたからである。今から考えれば、なぜ先生が早朝からアラモンを旅立たれたのかわかる。いや、むしろそれが必然だと言っていい。しかしこの瞬間に、私の頭にふと思い立ったことがあった。この度は私も先生も早朝ではなく深夜に旅立つべきだと考え、行動も一致している。これは絶対、相手に見つからないため、追いつかれないためだ。
まさか——————
私は重いイーヴァンと、こっそり頂いてきた盾を背負いながら、会話中のカミルを置いてシルバー先生に近づいた。
「先生・・・あの日・・・私は先生の弟子となった日、先生は私が追いつけるよう、出発の時間を調整されたのですか?」
あまりにも脈絡のない形で質問を投げた。先生はじっと前を見ていた。ほんの少しだけ風が吹いた。先生は緩やかな笑みを浮かべた。
「少しずつ、この世界が見えてきていますね・・・・」
私の心の中は、自分の無知と傲慢さと、盲目さに真を締め付けられながら、少しでもその先に至れるかもしれないという呪縛からの解放に、そんな小さな穴への呼吸を・・・苦しみと解放の同時進行が行われる状態に、鼓動が少し早くなった。
「・・・・」
シルバー先生が立ち止まった。それまで左側に少し小高い丘、右側に下っていく柔らかな丘が続いていた。小高い丘向こうの方をじっと見ている。
「どうした?」
後ろから来ていたカミルも追いつく。ほんの短い問答であったが、それでも彼女・・・彼の声の波が少し落ち着いている。私の会話も意味があったらしい。
先生はさらに周囲を見渡す。月が出ておらずかなり暗い。先生は丘の方をじっと見ている。
「!・・・・」
気づきが一つあった後、急に進路を変え、道から逸れ左手の方へと向かった。
「え!道のまま行かないのか⁉」
カミル慌てて言う。慌てるのは仕方ないが、時々先生に失礼な言葉が出るのは、あまり喜ばしくない。
ざ ざ ざ
道から逸れていき、足元が悪くなる。その中で先生は私たち2人に、確実に伝わるくらいの声で話し始めた。
「あの方向の星を見なさい」
先生がさっと杖で空を指さす。
「星に揺らめきがありますね。これはその下に人がいる、郷があることを示しています。その煙や熱気が、微妙ではありますが星を揺らめかせるのです」
私もカミルも思わず空を凝視した——————
分からない。分からないが、もしも本当にそれが分かるのであれば、ものすごいことである。まだ星を見続ける・・・・わからない・・・
思わずカミルを見た。カミルも私を見た。
「ビル、分かるか?」
「いや・・・」
「俺は小さい頃からずっと旅をしてきたけど、そんなことに気付いたこともなければ、教えられたことがない。第一、夜は基本的に移動しないし・・・」
先生は更に、杖の先を丘に差す。
「今風が吹いてますよ、あそこを見なさい」
またカミルと私はその方向を見る。
「草のきらめきが途切れているでしょう。あそこに地元の人しか使わない山道があるはずです」
「!」
地元の人が使う山道を見つけるのは、非常に難しい。彼らは自分たちの優位性と街の防御のため、裏道と山道は極力他の者に見つからないように気をつけている。それは私の地元でもそうであった。入り口は決して人が通ったように見えない場所選び、遠回りを必ずして、その経路を察知されないようにしていた。
「あれだよ、ビル!」
カミルが指さす。確かに草が風に揺れる中、本当に、本当に小さな光が流れていく。その時に一か所だけ途切れるところがある。そこに道があると思って見ると、確かに一筋だけ光が途切れる。星の時は分からなかったが、こちらは自分でも認識できた。思わずカミルを見る。
「なあ、ビル。先生ってすげーな・・・」
「ああ・・・」
喉の奥から声が出てしまうぐらい・・・
漆黒の闇——————それだけで私たちは『何も見えない』と思ってしまう
私はまだ全く学べていない。『生は死』『表は裏』———『闇は・・・光』
全てが表裏一体だということを、どんなに頭でめぐらしたとして、それだけでなんになろうか・・・
私はまだ、先生が見ている世界とは程遠いところにいる。
意外なことに、丘を越えて小さな村が見えたところで、周辺で身を隠せるところを探すことになった。
「確かに、こんな夜中に人が訪ねてきたら、それだけで怪しい奴だという噂が立つような・・」
このことに関しては、カミルも少し思考が回ったみたいである。とにかく村の方向から見えない斜面の窪地のような所を探して、朝までそこに身を潜めることにした。実際に体力も限界に来ていた。柔らかそうなところにイーヴァンを下ろす。腰を下ろした時点で、 3人とも疲れのため、すぐに眠りについてしまった。
ちゅ ちゅ ちゅ
鳥の声がする。ほんの少し空が白み始めている。木々に囲まれたところにいたせいか、周囲に、薄い霧のようなものが立ち込めている。ふと横を見る。やはりシルバー先生は起きていた。だが、じっと座った姿勢で遠くを眺めている。
「おはようございます、先生」
「おはよう、ビル」
先生は優しく返事をされた。
ゆっくりと・・・ゆっくりと深呼吸をする・・・
ちゅ ちゅ ちゅ
さ さ さ さ
少し遠くに川の音が聞こえる。明け始めた朝日を含み、キラキラしている一筋の帯が、霧の向こうに見える。昨日の星の瞬きを感じることができるのであれば、あの川の光など、黄金の光を放つように見えるのではないかと思った。
カミルとイーヴァンの方を見る。二人はまだぐっすりと寝ている。先生と静かに二人で話せる時間・・・それが私は好きだ。
「先生・・・・」
「何ですか、ビル」
「追ってきますかね・・・彼らは?」
「どちらだと思います?」
「来ないと思います」
「理由は?」
「まず・・・先生はいつも直感を大事にするようにおっしゃられています。直感的では追っては来ないと思います」
「そうでしょうね・・・理由はなんだと思います」
「まず彼らは・・・我々を相手にしているほど暇ではなくなっています」
先生は何も言わずに聞いている。
「次に我々を追う明確な理由はありません。我々は、彼らの知られたくない情報を持っていないし、彼らとは『本来あるべき正当な形』に持ち込む行為をしました。しかもそれが、公言されているものと差はありません」
さあぁぁぁぁ
少し風が走る。先程より日が登ってきている。 霧が光を拡散させ、さらに周囲が白の世界に包まれる。二人だけの世界——————
「では・・・」
ゆっくりと音が流れる。
「ではお聞きします。なぜ、そのまま南西にあるコウルサンの街を目指して歩かなかったと思います?」
「それは・・・」
私の中にいくつか考えが浮かぶ。
直感を大事にする——————
思考の起点は、何のために誰のために——————
この世界の構成は、器、傾き、法則——————
「それは、本質的に我々が行っていることは『相手からの逃避』です。無理をしてコウルサンの街についても師団長達が本気で我々を探そうとすれば、自分たちの領土内がゆえに、一瞬で見つけつけられてしまいます。つまりそれだけの距離を稼いでも、あまり意味がありません。それであればこのような形をとり、相手から身を隠すことで追跡の手を逃れることができます。そうすれば———」
先生が片手をすっと上げた。私の言葉が制せられた感じだ。私は言葉を止めた。
さあぁぁぁぁ
また一つ風が走る。今度の風で、むしろ霧がはけていく。ゆっくりと丘の下に村が見えてくる。小麦、奥に葡萄畑が幽かに見える。
「ビル・・・私はいつも思うのですが、人のものを教えていくというのは、本当に難しいものですね」
私は静かに聞く。
「一つは・・・・相手に意図して投げかけるとき以外は、言葉数が多いことが良くありません。それだけで本質からずれていきます。それともう一つ、こちらの方が大事ですし、あなたと出会ってから何度も伝えていることでありますが・・・」
また、何度も言われていることを私は理解していないみたいだ・・・・・
「この世界はいくつあります?」
「三つです。『自分が思い込んでいる世界』、『理想の世界』、『実際の世界』」
「そうですね。つまり、自ら何か思ったことを伝えるときは、それが実際には全く違うものであると言うことを前提に、思考進めないといけません。これは初めて言われたことですか?」
「違います。何度も言われていることです・・・」
「あなたは今、自分が考えたことが『思い込んでいる世界』と認識しながら『実際の世界』との乖離を意識して話をしていましたか?」
「いいえ・・・」
先生、理屈でわかっています。でもそれが・・・このように言われてもどうしても難しいです。自分が話をしながら自分の客観性を保つことが・・・
「あなたは自分で『おそらく追っては来ない』と言いながら『相手が追跡してきたら』ということを前提に組み立てています。この時点でいわゆる『三つの愚かな行為』の一つ『自己矛盾』が生じています」
私は深呼吸をした。周囲を見るとさらに霧が晴れてくる。光が差し込む。おそらくイーヴァンかカミルが起きてくる。この時間が終わりを告げようとしている。
「先生、ではなぜ進路を変えて、このような形を取られたのですか」
霧は晴れる——————
「星が瞬いたからです」
「?・・・・・」
「そのことで郷を見つけることができ、草木のゆらめきで道を見つけることができた。この最終的に悟性に通じる体験は、あの時を逃したら、あなた方に一生経験させられることは出来なかったかもしれません」
さらに奥の丘が見える。いくつかそちらにも家がある。
「このことを見せたかった・・・先生が我々に・・・追われるかもしれない中で」
「ふふふ・・・追われないのではなかったのですか。あなたもカミルに言っていたではないですか。『側にいなければ殺されない』と・・・難しいようですね、自らの中で整合性を構築するというものは」
「は・・・はい・・・・」
「あなたの感じているように、私は気まぐれで、思いつきで進路を変えました。あなたの中では、『相手からの追跡を逃れる』という事態と『思いつきで』というのが、どうしても噛み合わないです」
私は小さく頷いた。
「でも、これもあなたが言っていたことですが、あの時点での緊急性は薄れていましたし、果たしてそれ以上に、大事なことがありました。私の気まぐれであなたが得られてものは、道や郷を見つける技術だけではなかったはず、どうですか?」
私が知る限りの満面の笑みで先生はそういうおっしゃった。
『闇は・・・光』——————
「ああ・・おはよう、ビル・・・先生・・・」
イーヴァンは身を起こした。それと同時に、カミルももぞもぞ動きはじめる。
霧が完全に晴れた。眼下に村がはっきり見える。今日も暑くなりそうだ。




