第十章 第一節
完全にドジを踏んだ。いや、正しい言葉ではない。こんな時がなんて言う言葉を使えばよいのであろう。別に私は、カミルにいいところを見せようと思ったわけではない。どのような形であれ彼女・・・彼と一緒に旅をすることになり、いろいろなことを教えようと・・・いや違う。彼女・・・いや彼の方が子供の頃から旅を続けているわけだから、私の方が教わることが多く、ではなくて、シルバー先生と一緒に旅をするということは、シルバー先生の弟子になるということであり・・・弟子の心得を教えておいた方が良い・・・
「うーーーー、うーーーー」
夜——————森の奥まった芝生のところで、私は薄手の一枚かけ寝転がっている。
「なんか想像してたより、随分とひ弱なんだな」
少し離れたところで、料理をしているカミルの言葉が聞こえる。
「そうなんだぜ、意外とすぐ熱を出すし、怪我もするし。へばるのが一番早いのはいつもビルなんだ」
どこからか食材を確保して来た、まだ幼きイーヴァンの言葉の声も聞こえる。
「シルバー先生よりもか⁉」
見た目は男性と変わらず言葉も荒々しいのは、彼女がヴァルチャントレス(旅の安全を確保するために 女性が男性の格好をするだけでなく、 戦闘訓練をしている )だからである。カミルは心底驚いた表情をしている。
「話にならないよ。シルバー先生がビルより先にへばったところなんか見たことないし、病気は全然しないし」
「まあ確かに、ビルは勉強ばかりしてそうだ雰囲気だしな」
「でも、いつもシルバー先生に怒られてんだぜ」
カミルとイーヴァンが同時にこちらを見る。
「うーーーー、うーーーー」
私はうなされているような顔をしながら、彼らから目線をそらした。料理をしているカミルのところにシルバー先生が近づく。
「随分といい匂いがしていますね。これはなんという料理なのですか」
「先生!」
カミルがシルバー先生のことを「先生」と呼んでいる。なんだかそれだけで嬉しいような気持ちになる。
「これは『ポティオン』と言ってうちで作ってた、風邪になった時に飲むスープなんだ。ちょうど親父たちに餞別代わりにもらった鶏肉とニンニクがあったんで、作ったんだ」
シルバー先生は顔を鍋に近づけ匂いを嗅ぐと
「体が温まって力のつきそうなスープですね。とても美味しそうだ。カミルが一緒に来てくれて早速このようなものが食べられるとは・・・私もとても嬉しくなってしまいます」
「先生にそういってもらえるとありがたい」
カミルは本当にうれしそうな顔をした。 3人が楽しそうに会話をしているのを、私は草むらに横になって、遠くから見ている。ふと先生はこちらを見て、ゆっくりと近づいて来た。私が少し体を起こそうとすると、先生は手でそれを制し、
「横になっていなさい」
と、優しく言ってきた。
「すみません、このように度々体調崩してしまって」
先生に責められたわけではないか、なんとなく謝ってしまった。
「そのようなことは気にしなくてよいのです。とにかく早めに体調を戻すことが大事ですから」
先生は杖を傍らに置き私のそばに座った。
「先生、そんな近くに寄られては私の病気が移ってしまいます」
「あなたの顔色見ても、そこまで重大な病にかかっているとは思いません。いつものように過度に自分の精神を追い詰め、それが疲れとして出るのでしょう」
「いいえ、この度はそこまで自分を追い詰めていた感じはないのですが」
「今までは非常に強い重りを、自らの胸に置いていた感じがありますからね。その時よりは激しいものではないですが、なかなか人は変われるものではありません。意識しないまでも、その重りに徐々に体が悲鳴を上げてきたということがあります」
「はあ・・・」
私は少し気のない返事をしてしまった。自分たちが置かれている状況が常に平穏無事ということではない。ある程度気持ちは張っておかないと、いつなんどき非常な事態に置かれるとも限らない。この度のカミルの件においてはシルバー先生にまかせていたことが多く、自らの思考と精神をそこまで追い詰めた感覚はない。しかし客観的立場から見ると、相変わらず自分を追い詰めているのかもしれない。
「以前より冷静に物事を運ぶようなりましたね。その冷静さを保っているとビル、あなたの剣の腕前はかなりのものですね」
モルガンの部下とのやり取りのことを言われているのであろう。私はアカデミーの時、校内の剣術大会で準優勝したことがある。このことは先生には言ってはいない。その称号をふりかざすと、相手が屈してくれるのであればよいが、現実は、その実力のみに意味を為す。ただ先生がおっしゃったように、冷静さを欠いた時には、相手に圧倒的に叩きのめされてしまう。
「ずいぶん前のことを聞いてもよろしいですか」
先生は遠くを見ながら私に聞かれた。
バチバチ
火の音が聞こえる。少しずつカミルの作った料理の匂いが、この辺り覆い始めた。
「はい」
「イーヴァンと出会った街で、子供達が檻に入れられ、運ばれていたことがありましたね。その時にイーヴァンが『ねえちゃん』と呼んでいる人がいました。あの街を出た後、私があなたに『あれはイーヴァンの姉ではない』と言ったとき、あなたは随分と驚いた顔をしました」
そんなことが確かにあった。もう随分と前のことのような感じがする。
「あなたは今でもそう思いますか」
「私は・・・今もそうなのかもしれませんが・・・いや、おそらくそうであると思いますが、周りのモノがまるで何も見えてないだと思います。考えてみれば、もし本当の姉だとしたなら、彼と同じ部族の人でないといけない。しかし、肌の色も髪の全く違いましたし、服装は明らかに、町の人の恰好をしていた。今から考えれば、どうしてあの女の子がイーヴァンの『本当の姉』だと思ったのか・・・・」
私は少し黙って真上を見上げた。木の間から星が見える。その手前をチラチラと灰が横切る。
「いや、分っています—————— 視野がとても狭くなっていました。いや、今でも狭いのだと思います。あの時イーヴァンの言葉、表面的な単語だけに全てがとらわれてしまった。感情的であった同時に、『視野の広さの大事さ』を微塵もわかっていなかった。」
気持ちは少し浮いてはいるが、頭の中は晴れている。
「おそらく、イーヴァンが街のお使いに出たときに、親しくしていた女の子なんでしょうね」
先生が静かに言った。
「私は・・・目の前の刺激や、言葉一つに大きく振り回されてしまう・・・・」
正面を見据えた。カミルはゆっくり鍋の中を混ぜている。ゆっくりと・・・そこから上へ優しく——————
おそらく、昔の私であれば、『もう完成しているのではないか』『そんなに煮込む必要があるのか』こんな感じで少し苛立ちがのり、場合によっては相手にその不満をぶつけ、蔑み、他人に罵りの言葉を振りまいていた。自分は暴力的ではない人間だと思っていた。だがそれは、大きな間違いだった。私は、カミルが今作っている料理の何を知っているのだ・・・材料も知らない、作る工程も知らない、食べたこともないので味も知らない・・・さらに言えば、カミルは体調を崩した私のために、その料理を作ってくれているのである。不満を持つ理由がどこにあるであろう。でももし、私がシルバー先生と出会ってなく、生まれ育ったアラモンの街で、高い位置を確保したままだったなら。そこで彼女と出会い、夫婦になった時に彼女がその料理を作っていたら・・・おそらく私は己の体調不良の苛立ちと、目の前に料理があり、美味しそうな匂いがして・・・それでも彼女が鍋を混ぜ続けていたなら・・・私は暴力的な言葉を・・・他人からすれば大したことはない、と言うかもしれないが、彼女とっては本当に深く傷つける言葉を・・・言っていたのかもしれない。
「難しいですよ」
シルバー先生の言葉が、風にのって私の心に届く。
「少しだけ難しい話をします。あなたの体調が優れてないところ申し訳ないが、ビルは少し思考を暴走させる傾向があります。今ぐらい落ち着いた感じで聞いてもらえると助かるのですが」
シルバー先生はそういうと、間を一つ置いて話し始めた。
「『視野』と『視点』と『注目点』の話です」
「『視野』、『視点』、『注目点』・・・」
「以前客観性の話をしましたね。目の前における盤面の力学、他者の視点、そして時間による変化・・・このことは少し違い、どちらかというと『乱れ』のことについてです」
「『乱れ』・・・・」
「詳しいことはまた別の機会にお話ししますが、『歪み』『乱れ』『穢れ』の三つがあり、その中の『乱れ』とは『正しい順番や並びが整わない』状態のことです」
私は静かに先生の話を聞く。
「このようにしてみてください」
先生は両手で両目の端に手をやり『視野を狭めた状態』を作った。
「当たり前のことですか、このようにすると視野は狭まります。もちろん見えなくなった部分があり、把握できないという良くない状態がありますが、多くの人にとってそれよりも問題の部分があります」
「?・・・」
「それは、ほかの部分を見ようとして首を振るということです」
「・・・・・・」
私も先生と同じようにやってみた。至極当たり前である。視野が狭くなった分だけ首を振らないと周りは見えない。
「視野が狭くなった分だけ、視点が乱れると思いませんか」
確かに・・・「周りを見ることは大事」だということは万人が認めるところである。しかし視野の狭い状態で周りを見ようとすると、首を大きく右に左に振らないといけない。当然この幅が大きいほど、視点での乱れは大きくなる。見ることは悪くないが見ればいいというわけではない・・・
「『視点』と『注目点』に関しては、またの機会にお話しします。しかし今分かってほしいことは、心において良くない状態があるときに『歪み』『穢れ』とともに『乱れ』があり、それは視野の狭さに影響されることが多いのです」
器に入ったスープをカミルとイーヴァンが持ってきた。
「ビル、これを飲んで元気だしな」
私は体を起こす。カミルは私が落とさないように丁寧に器を渡してくれた。イーヴァンは先生に渡す。
「実においしそうですね。カミル、ありがとう」
「どういたしまして、先生」
ふとカミルの方を見て言った
「私が先にもらっていいのか?」
カミルはきょとんとした表情をする。全く何を言われているかわからないようであったが、『先に食べて良いか』と単純に聞かれたとカミルは理解した。
「え・・・そりゃお前が病人だし、病人のために作ったもんだし・・・」
「ありがとう・・・先にいただくよ」
ちょっとの間があり、カミルはビルの言葉が本当に『そのままの意味』で、カミルに対して配慮した言葉だと気づいた。
「おまえ・・・優しいな・・・・」
そういってカミルは、鍋の方に戻っていった。
「オレも食べたい!」
イーヴァンが走って鍋の方に駆ける。勢いよく戻ったイーヴァンをカミルが見て微笑んでいる。
私はスープに。口をつける。
おいしい・・・・
感謝の気持ちを伝えようとカミルを見ると彼も・・・彼女のちょうど私の方を見た。それだけで彼女には伝わっているような表情であった。カミルの笑みが焚火の日を背に映える。
「カミル、早く俺にも入れてくれよ」
「分かった、慌てるなって!」
カミルは少し怒ったような複雑な表情でイーヴァンに言う。2人のやりとりは少し賑やか過ぎるかもしれない。
「先生・・・・」
「何ですか、ビル」
先生の顔がスープで赤くなってる。
「先生にいただいた宿題はもう少し考えてみたいと思います。例えばイーヴァンと出会った時、なぜ先生があの宝石を手に入れていたのか・・・他にも色々・・・」
私はまた一口彼女の作ったスープを飲む。
「先生がメニスの街でなぜ『私が対応します』といわれたのか。先生は私に何を見せたかったのか・・・・もう一度考えてみます」
先生は優しく微笑んだ。
「ビル!お代わりいるか‼いらないなら全部オレがもらうぜ!」
「イーヴァン、お前はちょっと食べ過ぎじゃないか!」
やはり少し、うるさすぎるかもしれない




