第一章 第三節
目をさました時には、すでに窓から見える森の上に、太陽がせり出していた。まだ頭が少しぼうっとする。昨晩あったことも夢見心地である。外からは町の人たちの日常の声が聞こえる。私は少しベッドの上でまどろんだあと、ゆっくりと床に足をつけた。体を起こし衛門かけにある上着に手を伸ばす。いつもであればクローゼットに収められているこの服も、昨日酔いつぶれ、私は誰かに運ばれていたのであろう。その誰かが上着を衛門かけにかけてくれており、寝間着に着替えさせてくれたのである。おそらく母であろう。この年になってこんなことで母に手を煩わせることに、自分としては少し嫌な気になった。父がこの間言っていたように早めに妻をめとりたい。 1階のリビングに降りていく。食卓の上には、母がパンといくつかの果物を置いてくれている。父と弟はすでに農場へと向かったようだ。
宴があった翌日は、中央管轄所の人間は大概誰も仕事をしない。
建物に向かう間、自分の中で焦りやざわつきは、心の中に今の時点ではない。昨日あったやり取りを、伯父はどんな風に捉えていたのだろう。そんなことをボーッと考えている。シルバー先生は決して相手をやり込めるという雰囲気ではなかった。昨日のことで非常事態になっているのであれば、間違いなくエドワードかランスロットがここに居る。もしくはシルバー先生が処刑にされているか、自分が首を跳ねさせられているかどちらかであろう。しかし、町のいつもの雰囲気や外から聞こえてくる声でわかる。いつもと変わらぬ、いやむしろいつもより穏やかな朝がこの街を覆っている。
中央管轄所に向かう途中に、何人かにこやかに挨拶された。よっぽど昨日の宴が楽しかったのだろう。当然である。普通村人たちが宴に招かれることはない。さらに突拍子もないハプニングやサプライズがあったわけだからなおさらである。なんだか街全体が活気だった気がする。建物の中に入るとエドワードがすでに来ていた。近づいてくる表情に厳しさはないが、どこか平穏無事というわけではなさそうな顔をしていた。
「昨晩はお疲れ様でした。」
挨拶をした後、エドワードは私が記憶を失ったその後の流れと、現時点で本人が気にしていることについて語った。
「昨日シルバー先生が再び席に戻られてからは、何事もなかったように宴が続き、ほんの一時間ぐらい経ってから、シルバー先生は皆様にお別れの挨拶をされました。先生はお酒をほとんど飲まれておらず、足取りのしっかりした状態で宿屋にお戻りになりました。もちろんお戻りになる際は馬車でお送りしました。」
私はその報告を聞きながら、予測している範囲から大きく逸れていないことを認識した。
「あなた様の伯父上ですが、あの騒ぎの後は少し呆けたような顔をしており、シルバー先生が宿に戻られた後は、ここをすぐに宴の席を去られました。」
エドワードはまだ続きがありそうな顔している。
「気になり後つけさせたのですが・・・」
さすがエドワードである。
「その後、ビクターのところに寄ったみたいです。」
まあ、そうだろうなと思った。ビクターはガリソン(中央政権からの直属の軍隊)の責任者である。ただ単にビクターの自宅で宴会を続けたのかもしれない、あるいはそこで何かよからぬことを話したのかもしれない。だが、どんな内容を話したかまでは、さすがに知ることができない。
「シルバー先生に昨晩のお礼を言いにお伺いしようと思うが、さすがお疲れだと思う。夕方に宿に訪問する予定だ。」
「それがよろしいかと」
このような会話をした後、私は伯父上の執務室を訪れた。
伯父上は執務室にはいなかった。まだ自宅で寝ているのかビクターの所に泊まっているのか。
昼過ぎまでゆっくりと職務をこなし、それから少し遅めの昼食を取ろうと思っていたその時、ランスロットが私の執務室を訪れた。
「エリカ・ビル、セゾンの宿屋からシルバー先生はすでに発たれたと聞きました。」
「なんと、もう少しゆっくりされていくと思っていたが・・・今から追って間に合うだろうか。」
私はそう言って慌ただしくマントを羽織り厩舎へと向かった。先生の話した感じだと、先生は北から町に来られた。旅を続けられるのであれば、東の首都アゼネイエに向かったとは考えにくい。南に向かうとしても一度西の町メヌーをぬけて、南に降り、ボケールの街を通ることが通例である。私は馬を西の小道へと走らせた。隣の町の管轄まで護衛としてお届けできれば最高ではあるが、少なくとも昨日のお礼やご挨拶をしないのはあまりにも失礼だと思った。そんなことを考えながら馬を走らせていると少し遠くの方に、特徴的な青いヘマティオン(外套)が見えた。私は馬の腹を軽く蹴り、馬を急がせた。
先生は背中におおきな荷物を背負っていた。さらに右手には樫の木で出来た杖をついている。こちらが近づく何100mか前に先生は馬の音に気づいた。振り向き、こちらが近づくまで足を止めていた。私は軽く会釈をした後そのまま馬を走らせ先生の横につけた。そしてすぐに馬から降りもう一度深く頭を下げた。
「こんなに早くお立ちになるとは、全く気付かず申し訳ございませんでした。」
「いえいえ、こちらの方こそ顔も出さずにそのまま去っていくような失礼なことになってしまい、申し訳ございません。皆様方お忙しいようで、わたくしがいちいち顔を出したらその分だけお手間を取らせてしまうと思いまして。失礼であるとわかっていながら、このような形で先に旅立たせていただきました。」
そういう表情は、どこか緊張感に包まれていた昨晩の顔つきではなかった。宴の途中で自らの記憶がなくなってはいたが、どうやら大きな粗相があったわけでもないようである。ただ一つ気になったのが、私の姿を上から下までなめ回すように見ていた。まるで私が何か忘れ物をしているようであった。
「歩きながらでよろしいですか」
シルバー先生はそういうと、行く方向への足を向けた。
「はい、もちろんです。もしよろしければ、この馬にお乗りになりませんか?」
「 2人で乗るのでしたらそうしたいのですが、そのようなわけにもまいりますまい。」
シルバー先生は時々謎かけのようなことをおっしゃる。「ハハハ」と、なんとなく答えにならないような笑いをすると、私は馬の手綱を引きながら先生の後に続いた。
そこからはたわいもない話をした。改めての質問が多かったが、これからどちらに向かわれるのか、この街の印象はどうであったか。先生も深い考察というより、挨拶のような軽い感じで返事を返してくださっていた。少し遠目でメヌーの町が見えてきた。
もうそろそろシルバー先生と別れである。そう思うと何か胸にこみ上げるものが出てきた。私が先生にお会いしてもった印象は、特別な空気感をもちな方であった。強くもあり優しくもあり、はっきりと姿形が見えているのに、どこか雲をつかむようなそんな人である。人生で今後二度とこのような方に会うことのできない、本当に特別な人物だと思った。
「もし先生と首都アゼネイエでお会いしていたら、私は先生と一緒に旅をしたいと言い出したかもしれません。」
私は不躾にこのようなことを言ってしまった。先生は静かな目をされた。この眼を私は一度見たことがある。
「では折角お会いしたのですから、私の数少ない知識の中から一つ語りましょう」
私は返事もせず、その息遣いに耳を立てた。シルバー先生は口元を優しく笑みを浮かべた後ゆっくりと音を紡いだ。
「この世界は3つのものでできています。一つは『器』、一つは『法則』、最後の一つは『傾き』」
「『器』、『法則』、『傾き』・・・」
私は口の中で反芻した。
私はそれなりに文献を読んできた。だがそのようなことは聞いたことない。その言葉の意味を説明しろと言われても無理であるが、なんだか私の体の中にストンと落ちる。いや、それとは表現が違う。はじめから私の中にあるものが、先生の言葉でその姿を現した。そんな感覚を覚えた。
もう一度反芻したとき
ザザ、ザザ!
馬がこちらに近づいてくる音が聞こえた。しかもその数十騎近くいるのではないかと思われる。さらにその音の激しさから、何かを追っているようであった。直感的に追っているそれは我々であろうと思われた。振り向くと、ガリソン(中央政権からの直属の軍隊)の兵士がこちらに向かっていた。
『何が起きている』頭の中でそんなことを巡らしている間に、彼らは一瞬にして我々を囲んだ。そして後方にいた人物は、なんと伯父上だった。
「伯父上これはどういうことです、何事ですか」
明らかにシルバー先生の行方を阻むように兵士たちが取り囲んでいる。
カシャ
一瞬の間もなく兵たちは一斉に刀を抜いた。
「先生の前で失礼だぞ!」
「失礼なものか!」
伯父が急に口を開いた。
「このシルバーと名乗る男は、中央政権に反逆している異民族のスパイだ」
この人は何を言っているのだ!?我々は昨日この方を先生としてお迎えしたではないか。それが今になって『反逆』?『スパイ』?伯父の目は何も見てないような目をしていた。私が今まで伯父に接した最も恐ろしい目かもしれない。
「伯父上、何を突然そんなこと。根拠もなしにそのような無礼なことをいうなど」
「根拠なら当然ある」
何かすべて筋書きがあるような気がした。明らかに用意した答えを持ってきている。
「伯父上、なんですかその根拠は」
ありきたりな言葉しか出ない。この言葉ではダメだと思いつつ、これ以外の言葉が思いつかなかった。
「それは、これからこやつを取り調すればわかることだ。」
信じられないような言葉が返ってきた。問答無用ということである。私の目の前で大変なことが起きようとしている。この兵士たちの力を持って、先生を強引に拷問にかけようとしている。
「何を言っているんです、何も根拠などないではないですか!」
相手に全く道理がないものを道理で返す必要はない。どうであろうとここは引くわけにはいかない。
「そんなことでシルバー先生に無礼の働くようなことは決して許しません」
伯父上の眉がピクリと動いた。感情が入った。
「許さないだと。許すか許さないかを決めるのは、誰だかまだわかってないようだな」
なんだ、この威圧的な目は…まるで私を殺しに来ているようだ。思わずシルバー先生の方に目を移す。すると先生はなぜか、カバンの中から大きな鈴を取り出し、先ほどまで右手に使っていた杖に取り付けた。そして今、まるで何事も起きてないように————そのまま目指すべき村の方へ歩きはじめたのである。そのあまりにも堂々とした姿に、取り囲んでいた兵士たちは道を開けてしまう。先生は馬の間を通り抜け、歩き続けた。
からん からん
鈴の音を鳴らしながらシルバー先生は前に進む。我々の時間が一瞬止まったような状態であったが、伯父が目で合図をすると、再び兵士たちはシルバー先生の前と踊り出て行く手阻んだ。
「すぐに奴に縄をかけろ」
「どうしたのです、何があったのです、伯父上、やめてください!」
「どうしてもお前は、この私に逆らうと言うのか!」
なんと伯父は、自らの腰に着いた剣に手をかけた。私を斬ろうとしているのか?なんだ、この異常なまでに強引に物を進めようとしている状況。冷静なふりをしながらまるで冷静ではない。早くこの瞬間を片付けたいような焦燥感に満ちている。その考えが頭をよぎった直後、前方から別の馬の足音が聞こえた。一同がそちらに目を向ける。明らかに隣の町の兵士達がこちらを目指してやってきている。
伯父上たちは硬直していた、今度は彼らのほうがどうしていいかわからない表情をしていた。
「どうした、何があったのだ!」
前方から来た隣町の5,6人の馬に乗った兵士たちが私たちの方に声をかける。すると一番兵士の近くにいたシルバー先生がすぐに声をかけた。
「申し訳ありません、少し揉め事起こしておりまして。気づかない間に町の境を超えたみたいです。」
私はそのシルバー先生の言葉を聞いた直後に、我々がとっくに自分たちの村の範囲を出ていたことに気づいた。
「揉め事は何だ」
こちら側で誰か答えることができるわけがない。しかし、シルバー先生はあたかもそれが先ほどまで行われていたかのように、つらつらと偽りの事実を話し始めた。
「私はこの地域を旅をしているシルバーと申します」
おおおぉ—————
兵士たちの声から驚きと尊敬の言葉がこぼれた。
「あなたがシルバー先生でしたか、昨晩アラモンの街に御滞在されていると聞き、お出迎えせねばと、わが領主も申しておりました。」
彼らは完全にシルバー先生を認識していた。これでどうやっても、伯父が簡単には先生に手を出せなくなった。しかも、ここはすでに隣の領地に入っている。
「実はこちらにいる若者が」
とシルバー先生が私を指さして来た。
「この私に弟子入りをしたいと、着の身着のまま追ってきたのです。後ろの兵たちはそれを止めるために追ってきたのですが、少し揉め事になりまして」
先生は突然私が想像もしないようなことを言い出した。すべてのことに私の理解が追いつかず、地に足がついてないようであった。私が先生の弟子に?さらに先生は、伯父が口をはさむ前に大きな声で私に向かって言った。しかも、今まで聞いたことないような芝居がかった大きな声で。
「おぬしがどうしても私に弟子入りしたいというのであれば、この場で家族とお役目をいただいている仲間に書状を書きなさい。私と修行に出ることで、当分の間この地に帰らぬということを明記するのです。さすれば、あなたの家族も仕事の同僚もやむを得ずと思うでしょう。」
シルバー先生はそういうと、荷物の中から数枚の紙とペンを取り出した。
一瞬伯父上を見た。先ほどまで他国のスパイとして先生を拷問にかけようとしていたはず。「何の嘘を言っている」と怒鳴ってもおかしくないところだが、伯父はなぜかその書状を書けというような目をしている。さらにシルバー先生を見ると非常に強い目で私を見ていた。何が起きているのか頭の中で理解が追いつかないが、どうも私にはこの道しかないらしい。少なくともこの道をとることで先生の拷問は避けられる。後でそのどのようなやりとりが繰り広げられようと、ひとまずはこの場を収めなければならない。
「承知しました」
私は紙とペンを取り、シルバー先生に弟子入りすること、この街を離れるが家族のことと職務のことはお願いすると書こうとした。しかし、一行ばかり書いた直後にシルバー先生がまた強い口調で私に言った
「そのようなおびえた文字で書くと、受け取るものが皆が不安になるだろう。もう一度書きなさい」
と再度、紙を渡された。もうすでに私の思考を停止している。言われるがまま私は先ほどより丁寧に文章を書いた。
書いた文章をシルバー先生が一読すると伯父上の前に行き、その書面を手渡した。
「これでよろしいかな?この者は10年20年、いやひょっとすると一生この町には戻らないかもしれない。が、己が選んだ道。ほかの者たちにもよくよくお伝えください。」
そう言うとシルバー先生は俺の荷物を私に手渡した。
「お世話になり申した。」
先生は伯父上と追ってきた兵隊たちにお辞儀をした。そして、先ほど来たメヌーの兵隊達に向かって
「さあ参りましょう」
といった。
「では、」
どうやら揉め事は終わったようであると認識したメヌーの兵隊たちは、踵を返して自分たちのきた道を戻り始めた。私は何も言わず黙って先生の後に着いた。後ろのほうで伯父や兵士、そして私の乗ってきた馬の視線を感じたが、随分と距離が離れたところで、アラモンの街に引き返していたようだ。
ふと、私の頭にあることがあることが思い浮かんだ。先ほど「もし先生と首都アゼネイエでお会いしていたら、私は先生と一緒に旅をしたいと言い出したかもしれません。」と言った時に、先生がした目。それは昨晩叔父上が、ベランダの上から食べ物を投げるように手渡そうとした、その時の目であった。
すべてが嵐のように一瞬で物事が起き、一瞬で己の運命が変わっている。この日以来私は、シルバー先生の弟子としての人生が始まることとなった。




