第九章 第二節
みんなが野宿をしている場所から離れた場所まで来た。少しだけ奥に下った場所で、座ると初夏の草が柔らかい。カミルはあらかじめその場所探しておいたのかもしれない。林の木々の上には、強い光を放つ星空が手前に押し寄せる感じがあった。私は上を向いていたが彼女は正面を見ていた。
少し沈黙が続く——————
呼び出したのは彼女の方だ。当然話を始めるのは彼女からであるべきだ。しかしそこに流れる空気は、その俯瞰と冷静さを求められているものではないかもしれない。
『やさしさ』
私はそれを彼女に向けてはいけないのであろうか。昼間の彼女とは打って変わって、その姿は薄い布に包まれた女性としてのシルエット——————
「わるいな・・・」
彼女の口から出た一番初めの言葉は、昼間のそれと同様であった。
ヴァルチャントレス——————女性が旅をする際、自らの身を守るために男装を施し、必要以上に武術や体を鍛える。そんな彼女に・・・彼にふさわしい言葉遣いだった。
「爺がさ・・・お前と話をするように言って・・・」
言葉荒いが・・・・表情と瞳は女性のそれであった。
「迷惑だと思うけど・・・その・・・」
彼女の言葉が止まる。そこまで出た単語紡ぎ合わせても、現状を理解することからは程遠いし、ましてや彼女の心情を汲み取ることは容易ではない。今わかることは、彼女は困っていること、困っている上に何かがあること————それだけである。
「星がすごく綺麗ですね」
私はそういった。彼女の時間は少し止まった。見上げた視界に入るそれは、静かに揺れる枝葉とその間から見える星空。私はゆっくりと話す。
「屋根のないところで寝たことは一度もありませんでした。さっきご両親が私のことを『ずいぶん坊ちゃんだな』と言っていましたね」
「あっ・・・」
彼女は急に恥じた表情した。
「いいんですよ。ご両親の言う通りです。私はそんなことを当たり前だと思っていました。でも屋根がある所で毎日寝ることができない、いやそれどころではなく、明日食べるものがない人がいるなんて思いもしませんでした。私ははじめ先生の弟子になった時にこう言われました。『あなたは今目の前にあるパンを見て、今日これを食べて本当に良いものか悩んだことはないですね』と・・・・私は世間のことを何も知りませんでした。今も・・・だから、」
言葉を止めた。だから・・・ここに流されて私はいる・・・・ずっと私は流され続けている・・・・
沈黙が流れる。
「爺の言うことは絶対なんだ」
葉の重なる音にのって、カミルが話し始めた。静かに・・・ゆっくりと・・・・
「もの心ついた時には、あの荷車に揺られてた。ずっと旅をしてるのも、人形が隣に居るのも当たり前だった」
私は静かに聞き続ける。
「小さい頃から親父に武術を習った。盗賊に襲われたことも何度もあったが、その度に磨いた腕は俺を守ってくれた」
風の音が聞こえる。
「親父と爺で人形を動かして、お袋が声をやってた。俺の背がお袋に近づいた頃、俺は人形劇の声をやるようになった。すごく楽しかった。今では親父とお袋で人形を動かしてる」
ここでまた長い沈黙になる。彼女は頭を伏せる。
「それだけじゃだめなのかな・・・」
『それだけ』・・・彼女の言葉の意味することは・・・
—————— 人は自分の言いたいことを正確に伝えられません——————
また心の中でシルバー先生の言葉が静かに横切っていく。彼女の言葉を正しく受け止めるためには、彼女の言葉を正しくはないと思うこと———
心をゆったりと大きく構え、彼女の発する息を感じ取ろうとする 。
「爺が気に入った男が旅先に見つかると、俺に『女らしい』格好させて・・・」
「言わなくていい」
「!・・・」
私は思わず強い口調で制した
「言わなくて・・・いい・・・・・・・・」
彼女の発する呼吸に、すさまじく胸が締め付けられる。私は・・・私は本当に何も知らずに生きてきた・・・・本当に甘やかされた世界で生きてきた。
私は彼女の方を向きたくはなかった。その頬から流れる涙を見たならば、私の心が引き裂かれそうになりそうだった。だがシルバー先生は、それを許してくれないであろう。『現時点での現実』シルバー先生は三つの世界がこの世にあると言った。その中の一つ、決して目をそらしてはいけない『物理的に存在する現実』
私は—————— 彼女を見た。彼女は私をじっと見ていた。目から涙は溢れ、こぼれていた。
「おまえ・・・いいやつだな・・・」
私は彼女なんて答えればいいのですか、先生。
「お前みたいにいいやつにあった事が・・・ないよ」
溢れる涙が地面を濡らす。彼女が私に体を傾けてくる。
先生・・・私は彼女を抱きしめていいのですか
彼女の涙に濡れた頬が私の胸に落ちる。先生の言葉が私の中をゆっくりと流れていく。
—————— 『答え』はすべて自分の中にあります。言葉とは、論理とは。ただ自分の中の『答え』を表現し、相手に伝え、自分を理解するための道具と手段です。自分の中の『答え』を・・・決して何かに刺激された「欲望」ではない、奥に追いやられ蓋をされた『答え』を・・・
私はそっと・・・いや、ぎゅっと彼女を抱き寄せた————————————————————————
「ビル!いつまで寝てるんだよ!」
朝の陽ざしが頬を撫でる。いつもであれば朝日が出る前に旅立つ。少しでも日の出ているタイミングで動かないと、移動距離が厳しい場合がある。しかし昨晩カミルと夜中に会っていたことで、寝過ごしてしまったと思う。見るとカミルは起きていて、荷車はすでに出発の準備を整えていた。どうも私の理由は言い訳にしかならない。ちなみに先生曰く、理由とは初めからあったことを説明すること、言い訳とは今考えはじめた責任を逃れるためのこと・・・
急いで支度をして出発する。メニスまでは彼ら一座と目的地が同じなので、一緒に町を目指す。
「昨日も言ったが、あんたたちの都合が良ければ人形劇を見ていけばいい。ただその前にメニスの町の有力者に会って、商売やっていいかどうか許可を得なきゃいけねえ」
「お誘いありがとうございます。可能なのであれば是非見させていただきたいのですが・・・いかんせん我々の予定もよく狂うことがありますので」
シルバー先生は杖を突きながら、にこやかに返答を返した。相変わらず歩く速度は速い。なんだか私の足は重い。
「ビル、体の具合が悪いのか?」
幼きイーヴァンに余計な心配をさせてしまった。
「大丈夫だ。昨晩は寝つきが悪かったんだ」
イーヴァンは先生の方を見る。私もそれにつられて先生の方を見る。先生も私と目があって、にこやかな表情を崩さず、また正面を向いて歩きはじめた。つまりイーヴァンも先生も昨日夜中に、私がどこかに行っていたことが分かっているということである。イーヴァンはそのことを私に聞いて良いのか知りたくて、先生に目線を送った。そして先生の返事は「聞かないであげてください」という表情だった。当たり前だ。夜中にいなくなって気づかない2人ではない
なぜ私は2人が気づいてないと思ったのか————人はどうしても自分の感情で現実を曇らせてしまう
荷車の上でカミルの祖父が煙草を取り出しふかし始めた。感情を読み取りにくいタイプではあるが、決して機嫌の良い方ではない。
「ビル」
小声をかけながら、カミルが近づいてきた。もちろん今の彼女の姿は、どうみても屈強な男である。
「爺にはだめだったって伝えておいたよ。まだ修行を始めたばかりで先生から離れることはできないって・・・」
その言葉を聞くと私の足は少し軽くなった。しかしその軽く感じたことに、私自身彼女に対しての不誠実さを感じ、また胸が少し締め付けられた。彼女は・・・いや彼は私のそんな表情を受け取りさらに気を使ってくれた。
「爺はどうしても俺と一緒になる人を探してるんだ。それが俺達にとっては生きて行くことだからね。あのイーヴァンって子が言ってたみたいに、他に生きる方法はあるはずだ。でもそれは、他の世界のことを知っている人間だけなんだよ。俺たちはこれがなくなると死んでしまうって本気で思っている」
私が先生と出会う前だったら・・・いや、先生と出会った直後であれば、もっと自分勝手なことを言っていたであろう。『そんなことはない、やろうと思ったらできる』『君も別な世界を見せてあげる』安易にそんな言葉を重ねていたであろう。
——————美しい言葉を言ってはいけません。誰もが納得し否定できない言葉を・・・
私は今この隣で歩く人のことを何も知らない・・・先生が旅の途中で話してくださった逸話を思い出した。その話は私の中で釘を刺されたように残っている。
『あるところに少年がいた。彼が家の窓から外を見ていると、少し年のいった女性が作物でもない、野草を手でちぎって食べていた。少年はまだ幼く、その姿を見て笑い転げた。そしてそのことを帰ってきた父親に、笑いながら話した。すると父親は激怒した。「お前はその人の何を知っているのだ!その人がそこにいた理由!その人がそうしなければいけなかった理由!お前は何を知っているのだ!その少年は父親の目から涙が零れ落ちる姿を見て、自分はやってはいけないこと、言ってはいけないことを言ってしまったと初めて気がついた」』
「ビル、あれだったら人形劇も見ていかなくていいぜ。無理しなくても」
彼女の言葉に動揺が見られる。おそらく彼女は・・・
だから、彼女の方が辛いから・・・・
「シルバー先生も言っていたように、町についていろいろ状況があるから先生と相談して決めるよ」
「そっか・・・」
そう言うと彼は私から離れていった。敵と相対するときは言動に迷いにくい。敵を凌駕し敵を倒せばよいのである。もちろんそんなに単純ではないが、今の状況よりは数倍判断がつく。今の私は何を言うことが良いのか、言わないことが良いのかさえわからない。
先生・・・先生の教えに従うのであれば・・・私の心の扉を開けるとすれば・・・・・・それは・・・・・・・・・・・・・・
メニスの街が見えてきた。低いながらも、街を守るための石でできた塀が左右に広がっている。首都から離れたこの辺りはやはり戦が多く、防衛に対しての意識が高いみたいである。塀をよく見てみると矢や槍の刺さった痕が多数見受けられる。想像していたよりも町の人口は多い。平屋でレンガ造りの家がほとんどである。ただ思ったよりも家畜が多い。水源がたくさんあり、牧草地が北の方に広がっている。そのためウシなどの動物が多く飼育することができるようである。
ただこの荷馬車の目立ちようは尋常ではない。もう既に沢山の子供たちが荷馬車を追っかけてきている。
「ねえ、これなんなの?」
我々までがその子供たちの質問攻めにあう。
「人形劇の人たちだよ。まあ私は違うんだけどね」
不思議なことで屈強そうに見え、雰囲気を持っているカミルの方には誰も質問してこない。シルバー先生に対してももちろん、イーヴァンは他の子どもに混じってわからなくなるぐらいだ。みんな私に質問をしてくるのには苦笑いするしかない。
「この辺に置かせてもらうか」
カミルの父親であるグスタフはそう言うと、町の中心地であると思われる広場でロバの足を止めた。ここで何か始まるのだとみんな思い、さらに人が集まってきた。私たちはこの輪の外に出るのも何か違う気がして、カミルたちのそばに居る。傍から見れば完全に我々も一座の一人である。
「そこの人!」
グスタフは少し幅を利かせてそうな男性に声をかけた。
「なんだ?」
「俺たちこのあたりで商売がしたいんだが、誰に許可得りゃいいかな?」
男はいかにも知ったように(もちろん本当に知っているのだろうか)応える。
「そりゃここを仕切っているのはモルガンさんだ。お前さんの目の前にある通り、その一番高い建物のところにいるよ。良けりゃ俺が連れて行くぜ」
「そいつは助かる。おい、カミル。商売道具に誰も触れさせるんじゃねぇぞ」
カミルは頷くと中剣を抜いた。まさか抜くとは思わなかった。しかしその表情には、生きていく厳しさを感じた。少しだけ私は彼が言った言葉を心の中に落とすことができた。それにしてもグスタフの人を見る目は大したものである。珍しく先生の言葉ではないものが頭に浮かんだ。アカデミーで読んでいた本の中に『生業となすものは常にその本業以外に心を添える。麦をつくる者は麦を作ること以外を精進し、絵を描く者は絵を描くこと以外を努める』私はこの言葉をまだ完全に納得した形で自分の中に落とし込めてはいないが、言わんとすることはわかる気がする。麦を作る技術だけでは、麦を作ることはできなさそうである。ましてや絵画を極めるのであればパトロンを見つけなければならず、絵を描く技術的がその人よりは高くても、描く環境を整えられないと生業とするには難しい。まだ彼らの人形劇を観ていないのにこの言い方は失礼ではあるが、カミル一家がこのことを生業としている以上、人形劇以外の能力が高くなければ生き残ってはいけないだろう。たとえ彼らより人形劇の技術が高い人がいたとしても——————
「先生、我々はどういたしましょう」
「そうですね・・・グスタフさんが、モルガンという人のところに行ってしまいましたが・・・どのくらい時間がかかるかは想像がつきにくいですね・・・」
「そうですね」
このことはカミルとの別れを意味する。自分はいやに冷静である。
「えーーー、見ていこうよ」
イーヴァンが不平を口にする。
「イーヴァン、見たい気持ちはわかるが我々も遊んでいるわけではないのはわかっているだろう」
「ううう・・・・」
「場合によってはこの街はそのままやり過ごして、『南西三国』の陣営に早めにつかなければなりません。もちろん無理をすることはありませんが、あまりのんびりとすることもよくはないですから」
シルバー先生の言葉にイーヴァンは肩を落とすしかなかった。そうだ。忘れていたが先生はルグラードに「何も話していない」と言っていながら、『南西三国』の陣を目指している。私は『このことが何を意味しているのか』の宿題を、まだ全く提出をしてない。ロランの死に関して考える以前に、超えなければいけないことであった。
「カミル」
「え・・・」
私は小さな声で言った。その一瞬の反応は昨晩の彼女であった。
「私たちはもう行かなければならない」
「・・・・・」
一瞬の沈黙——————
「そうか、気をつけてな」
それは一番初めに会ったヴァルチャントレスとしてのその人であった。
「ああ」
私は振り向き彼女に背を向けた。胸が締め付けられる。息ができないほどに・・・
「おーーい、カミル!荷物をばらせ、許可が下りたぞ!」
遠くからグスタフが戻ってきた。どうやら交渉がついたらしい。一瞬イーヴァンを見たが見たい気持ちをぶり返すことはなかった。そのあたりは流石である。いや、このくらい気持ちを切り替える厳しさをもっていないと、やはり生きてはいけない。私はカミル見ることができなかった。もしも彼女が私に戻ってきてほしい瞳をしていたら、私はそれを振り払うことができるのであろうか・・・目線をグスタフの方に送り、頭を一つ下げて訣別の挨拶とした・・・
「!・・・」
私は思わず先生を見た。私が見たものが正しかったかどうかである。グスタフの後ろには2人の男がいた。それはおそらくモルガンと呼ばれている男の子分であろう。だが何かがおかしいと思った。彼らがもし、親分から指示を受けてきているのであれば、その職務をこなすために緊張感がある。しかしその2人はニヤついていた。『おかしい!』私の中の直感が、確信を持って体に緊張を走らせる。先生と目が合う。先生も同じ目をしている!私はすぐにカミルを見た。彼女は私を見ていなかった。この街での公演に許可がおりたことに安堵している表情をしていた。『駄目だ!』またも私の直感がさらに強い緊張感をもたらした。何かがまずい方向に進んでいる。シルバー先生が足を止めた。
「イーヴァン、どうやら人形劇が見れるようですね。折角なので少しだけ、この遠目から見させていただきましょうか」
「じいちゃん、ホント!」
嬉しそうにイーヴァンがはしゃぐ。一座はすでに沢山の人で囲まれている。カミルたちは荷を下ろし準備を始める。その横に2人のニヤついた男が立っている。私は彼ら2人を、そしてこの場所で流れる全ての風を逃すことがないよう集中する。




