第九章 第一節
私は一切シルバー先生と話をしていない。全く会話のないまま西に向かっている。われわれはとりあえずメニスを目指し、その向こう側にある平原に行こうとしている。そこには『南西三国』の軍隊が陣を構えている。先生がルグラードとあの牢の中で何を会話し、何を約束したかは、今この時点でも聞いてはいない。しかし、彼らの陣に向かっているということは、やはり何らかの会話があったと思われる。『手を揉む男』は、最後までそれを我々に問い詰めてきた。そしてシルバー先生は最後まで『何も言ってない』という言葉で押し通した。
彼は——————
ロランはなぜあそこで死なければならなかったのか——————
彼と会わなければ我々は殺されていたのか——————
先生ひとりであれば、最終的に命は狙われなかっただろう・・・奴らの目的は、先生がルグラードに言った言葉を引き出すこと——————
逆に言えば、我々は殺されようがなんら問題がない存在——————
いや、先生は決して何も話さなかったと思う・・・だとすると、『手を揉む男』の性格からすれば先生を殺していた——————
頭の中で、何度も何度も言葉が巡る。思考の滞りはないか、その分カタチをなさない。今の私は妙に冷静である。だが先生に声をかけないという、まるで子供が拗ねたような態度を取り続けている。
日がずいぶん傾いた。私よりも幾分か先を歩いていた幼いイーヴァンと、杖をついているシルバー先生は、周囲を見ながら野宿をするところを探し始めたところである。私も良い場所を探し、見つかり次第声をかけようと思った。少し呆けた状態でまわりを見渡す。
———樹木が茂っているところは焚き火の光を遮り、煙を目立たなくする。谷間であれば窪地が多く、盗賊などに見つかりににくいし、水の確保が容易である。洞窟などがいい場合もあるが、地域の盗賊たちがそこに宿泊する旅人を襲うことがあるため、わざと開けている可能性がある———
後方をもう一度見てみようと思い振り向く。ふと、私の目に入ったのは手を振っている男である。さらに幾らか離れたその奥には、ロバの引き荷車が・・・
「シルバー先生」
前を歩くシルバー先生とイーヴァンが振り向く。
「手を振ってこちらに来る人物がいます」
先ほどよりもずいぶんと近づいている。私より年上だが若い男性のようである。身長は私よりも少し低い。
「我々に何か用事があるようですね」
シルバー先生は立ち止まってそういった。おそらく害を及ぼす存在ではないと認識されたのだと思う。
「後ろに荷車があるね、随分と大きい」
イ―ヴァンが何だか嬉しそうに言った。行商人にも思えないし、物資の輸送にも思えない。普通に旅をするには随分と仰々しい。なんだかテントを張ったような屋根が荷車の上にある。
「すみませーーーん」
ハスキーな声をあげて近づいてくる。我々が立ち止まったにもかかわらず、変わらずと頑張って走ってくる。真面目な性格なのか・・・
「ハーハーハー」
私たちの20歩手前ぐらいで速度を落とし、息を切らしながら立ち止まった。
「ありがとう…ハーハー・・・・すみません・・・・ハーハー」
なかなか息が整わない。こちらも何も言わず、相手が落ち着くまで待つ。
「ふーーーー」
大きく息を一つ吸い込んで、ハスキーボイスの青年は顔を上げた。随分と顔立ちがいい、いわゆる『羽の目、茅鼻』である。
「ありがとう・・・あの、突然で申し訳無いのですが・・・旅をしていて・・・・」
青年は少し後ろをちらりと見る。近づいてきた荷車はロバが引いているが、その手綱を持っている男は彼の父親でないかと思った。荷車の後ろから2人ほど顔が見える。一人は女性、おそらく母親であろう。もう一人は老人。彼の祖父ではあるまいか・・・
「あの・・・俺たちも野宿をするんで・・・・一緒にお願いできると助かるんだが・・・」
私はシルバー先生の方を見た。先生もわたしと目が合った。イーヴァンは近づいてくる荷車が気になって仕方がないようである。
私が先に疑問を投げかけた。
「私たちと一緒に野宿をしたいということでしょうか?」
「ああ、そういうことだ」
一瞬「なぜ?」と聞きそうになった。しかしすぐ抑えた。
『言いたいことを言ってはいけない、やりたいことをやってはいけない』
先生の言葉が頭によみがえる。
私は一つ息をのんで、自分の中の言葉のカードから一枚を抜き取った。
「後ろから来るのはご家族ですか」
「ああ、親父とおふくろ。それと爺だ」
少しだけ引っ掛かりがあった。容姿に比べ言葉が荒い。
『何かに引っ掛かりがあったら、それが最も大事だと思いなさい』
また先生の言葉が風にそよぐ—————
ロバが近づく。荷車が止まった。イーヴァンは我慢できなかったのかそれに向かって駆けて行った。そばで見ようと思ったのであろう。木枠がしっかりしていて装飾が施されている。遠目で見えたものは確かで、屋根がテントの形をしているとても珍しいものであった。
自分の、俯瞰で見下ろす鳥の目がゆっくりと戻ってくる。再び先ほどの青年の方に目を向ける。
ヴァルチャントレス————この青年と思しき人物は女性であろう。女性が旅に加わる際に男装をさせることがよくある。その理由はもちろん、女性がいるとわかれば襲撃される確率が高くなるからである。しかし長い旅になると、ただ服装を変えただけではどこかでバレてしまう。それを防ぐために女性でありながら厳しい戦闘訓練を施し、非道な世界に身を置かせ、時としては女性と関係性を持たす。そうすることで、周囲に臭いのそれがまるで男性だと思わせる——————そのような女性のこと『ヴァルチャントレス』と世間は呼んでいる。
「野宿をするには、少しでも人数が多い方が心強いですからね。承知しました。ビル、イーヴァン。この方たちの荷車も停められる所を探しましょう」
シルバー先生はそういうと、野宿する場所探しに向かった。
「すっげー、これ何?」
イーヴァンはまだ荷車の所にいて物珍しそうにあれこれ聞いている。青年の母親と思われる人物が、にこやかな笑顔で相手をしていてくれている。
「イーヴァン!場所を探すぞ!」
私は大きな声でイーヴァンに言った。
「あの?一緒でいいのか?」
青年は拍子抜けしたような表情で私に聞いてきた。
「あ、ああ。先生は大丈夫だと仰ったのです。私の名前はビル」
「俺はカミル、よろしく」
おそらく男名であろう。カミルは握手のため手を差し出してきた。私も手を差し出し彼と強く握手を交わす。かなり力強い、腕も太い。先ほどまで気にしていなかったが、腰に中剣を差している。胸を見る。もちろん女性特有の膨らみは見受けられない。おそらく薄い板のようなものを入れているのであろう。それは鎧の意味も含めていると思う。
私はカミルに何かを感じ取られる隙を与えないように、すぐに先生の方に駆けていった。そしてわざとらしく遠くの方を指さしながら。
「先生、あの岩陰はどうですか。あそこに馬車を隠しその奥の林に野宿するというのは」
「そうですね、確かによいかもしれません」
「イーヴァン!こっちの方だ!」
いつまでもこちらに来ないイーヴァンを怒ったように呼ぶ。そのように慌ただしくやり取りをしているテイを取りながら、カミルがこちらに近づく前に小さな声で先生の耳元でつぶやいた。
「あの人はヴァルチャントレスと思います」
先生も静かに私に答える。
「そうですね。おそらくメニスに向かっているのでしょう。私も一度見たことがありますが、あの荷車は人形舞台ですね。それも比較的大掛かりなものです」
先生は彼女のことについて、既に気づいていると思っていた。それに彼らが危険な人物ではないと判断したからこそ、一緒に野宿をしても良いと仰ったのであろう。荷車に関して言うと私は全く知識を持ち得ていなかった。
それからは我々が先導し、野宿の場所を決めた。食料に関しては彼らが比較的持っており、我々はそのお裾分けをもらうこととなった。さっそく柴を集め、火をつけた。カミルの母親食事を作ってくれる。がイーヴァンは相変わらず他の地方も食べ物を見た途端興奮し、その一口を味わったところで天にも昇るようなうれしい声を上げた。
「ははは、そんなに喜んでもらえるとは。ジグナックでしか取れないキノコでね。荷車の横に引っ掛けて乾燥させながら旅をするんだが、まだ生々しい食感が残ってる分だけ、おいしいんだよ」
カミルの父親グスタフは、荒々しい口ひげを揺らしながら笑って話した。火を囲って7人が輪になり談笑をしている。最も奥側にカミルの祖父が座る。シルバー先生より年上ということで、先生の意向もあり上座に座っていただいた。その左隣にシルバー先生。右隣にはグスタフが座る。
「オレの村じゃキノコは食べないんだ。毒のものが多くて、狩りの時に鏃に使うだけなんだ」
そういうと、イーヴァンが串にささったキノコを再び口へと持って行った。
「さっき先生に聞いたのですが、あの荷車は人形の劇を行う舞台なのですか」
私はグスタフに聞いた。なるべく自分の目の前に座っている、カミルには目を合わさなかった。このような態度を取っていれば逆に相手に意識をさせてしまう。分かってはいるがどうしても体がこのように反応してしまう。
「その通りだ、よく知ってるな。俺たちはずっと、町を転々としながら人形劇を見世物にしている。このとなりに居るじいちゃんのもっとおじいちゃんの代からだ」
「私は首都アゼネイエのアカデミーにいたことがあるのだけど、そこにも行ったことがあるのですか?」
私がそう聞くと、カミル一家が大きく反応する。
「アゼネイエのアカデミー⁉あんた随分と凛々しい感じだと思ったが、かなりの坊ちゃんなんだな」
「ほんと・・・」
カミルの母もずいぶん目を丸くして驚いている。少し余計なことを言ったかもしれない・・・ちらりとカミルの方も見てしまった。彼女・・・彼も驚きと尊敬の眼差しでこちらを見ている。
「一度行ったことはあるが、首都はどうしても警戒が厳しいんだ。どこに頼み込んでいいかも分からない。普通の街であれば、その辺の人に有力者の名前を確認すればいいだけなんだがな。王国だったらまだしも、今の中央政権は誰が一番偉いんだかもよくわからない。まあ俺たちなんかに会ってはくれないだろうけどな」
「ははは・・」と曖昧な笑顔で返す。ここまであまり気になっていなかったが、グスタフの右横に座っているカミルの祖父が、じっと私のほうを見ているようであった。観察というより品定めという感じである。私はすぐ横のシルバー先生をちらりと見た。先生はかなりリラックスしており、この突然の同伴者に出会ったことを、楽しまれているようである。
「俺たちはこのままメニスに行って商売をするんだが、あんた達も良ければ見ていけばいいよ。安心しな、金は取らないから」
何かもっとたくさん聞きたいことがあるのだが、意外と敵対している人でない時に何を聞けばいいのか戸惑っている自分がいることに少し驚いている。
「あんたたちは先導師か?」
突然おじいさんが我々に言葉を投げた。一瞬先生の方を見た。『私が答えてよいですか』というニュアンスで目を送ったが、先生はやはりリラックスされており、どうぞ、という感じだった。因みに先導師とは『自らの教えを広めるために旅をする人』であり、そちらの場合も先生と言われることが多い。
「私たちはどちらかというと、世の中を学び、己を学ぶために旅をしているものです」
「フーン」
おじいさんは我々に対して少し胡散臭さを感じているのだろうか。
「そこのちっこいのもそうなのか?」
先ほどまで火をくべていた枝で、イーヴァンを差した。
「そうだよ!」
上機嫌が続いたままイーヴァンが答える。
「そんなことやってなんになるんだ、坊主」
「?・・・」
イーヴァンは一瞬疑問符を頭の上につけたが、すぐにまた満面の笑顔に戻り
「人形劇なんてやって何になるの?」
と返した。
「わしらは生きていくためにこれをやっておる」
「それをやらなくても生きていけるんじゃないの?だってオレ、人形劇やってる人なんて初めて見たもん」
「わ・・わしらはこれしかできんのじゃ」
「そんなことないよ、今度釣りのやり方を教えてやろうか?」
「・・・・」
おじいさんは次に繋げることが見つからず、少し悔しそうにイーヴァンを見た。私は思わず笑いそうになったが、カミル一家を見て笑いが引っ込んだ。彼らは最年長である祖父に反論するだけでなく、その内容が祖父をぐうの音が出ない状態に畳んだことに、明らかに驚いているようである。これを言うとイーヴァンに怒られるかもしれないが、比較的見かけも粗雑な感じである。そのギャップに驚いているようである。
あんまり遅くなると次の日に差し支える。我々は適度に切り上げると、それぞれに少しだけ離れたところに移り、体を横にした。シルバー先生とイーヴァンはすぐに目をつむり必要な休息につき始めた。先生がここまで警戒感を強め無いということは、よほど彼らは無害であるのだろうと思うし、こんな先生なかなか見ることがない。カミル一家に少しだけ目を移すと、まだ何かの会話をしているようであった。もちろん小さな声なので聞こえるはずはないが・・・・・私は満天の星空に目を移す。今日ここに来るまでのモヤモヤした気持ちが、少しだけ澄んでいた。
ロランはなぜあそこで死なければならなかったのか——————
もう一度だけそのことが頭の中に吹いたが、その後は自然と瞼が重くなった。
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カサ
「!・・・」
体が反応する。誰が来た・・・
どれだけ寝たかわからないが——————
ただ殺気はない・・・
うっすら目を開ける・・・・カミル?
「ビル・・・ビル・・・」
明確にカミルが声をかけてきた。いきなり飛び起きると相手がビックリすると思い、わざと寝ぼけたふりをした。
「どうかしました・・・?」
「ビル、ちょっと話がしたいんだけど・・・」
「はなし・・・ですか?」
わざとゆっくり体を起こし、目をこする仕草をして徐々にカミルを見た。
「!・・・」
カミルの姿が目に入った瞬間、私は完全に反応してしまった。その反応はカミルにもばれてしまったであろう。彼は・・・いや彼女昼間の姿とは全く違う。硬い鎧のような衣服を脱いだ彼女は、どこから見ても女性のシルエットであった。




